第8話 説教と外壁


 港での騒動の後、アキは悩んでいた。

 騒動の後、どこかに消えてしまったアークについてのことだ。

 あの時感じた居心地の悪さは、朝になっても消えず、今もしこりとなって胸の中に残っている。


 その感情に自分で折り合いをつけることができず、次にアークと再会した時どんな風に接すればいいのかわからなかった。

 今の中途半端に感情が煮えている状態では、仮に彼女の方から話しかけてきたとしても、まともな受け答えができないかもしれない。そんなことを考えていたのだが……。


「で? 何か言っておくことはあるか」


 どうしてこんな状況になった、と。痺れる足に気を巡らすことすら許さないとばかりに目の前で仁王立ちして威圧感を放つギルド長を見て、半ば現実逃避しながら考える。隣ではつい先日と同じように半泣きになったアークが、雨の日に捨てられた子猫のごとく震えていた。


 場所もまた先日と同じ、商業ギルドの応接室、相対するのは鬼婆こと商業ギルドの長、 エルザ・ゴーシュ。

 前回と違う点はと言えば、椅子があるにも関わらず、二人並んで床に座らせられていることと、ギルド長がそんな彼らを見下ろすように立っていることだろうか。


 柔らかな絨毯が敷かれているのをわざわざ無視し、 部屋の隅っこ、木製の床が剥き出しになっている位置に座る二人。それも足を畳み脛を地面につけるという独特な座り方だ。

 ギルド長から指示されたこの『セイザ』なる座り方、新手の拷間かと思うほどに足が痛い。


 なぜこんな状況になっているか、ことの始まりは少し時間を遡る。

 港の騒動から明けて翌日、つまり今朝のことだ。 考え事に没頭していたせいで若干寝不足気味だったアキの部屋にノックの音が響いた。

 またアークが早い時間に来たのかと思い、どんな顔をして会えばいいのかと悩みながら扉を開くと、そこにいたのはギルド長だった。

 可愛らしい犬小屋の中を覗いてみたらわんこじゃなくて狼がいた、と言った心地。 当然、アキは驚いた。それはもう腰を抜かすほどに。


 そんな姿に何を言うでもなくへたり込むアキの首根っこを掴んだギルド長は、そのまま商業ギルドに連行した。拒否するどころか、声を上げる暇すらない手際であった。

 そして応接室に投げ込まれると、いつからそうしていたのかセイザして震えるアークがいて、そのままアキも同じことをするよう言いつけられて今に至る。


 どんな顔をすればとか、何て声をかければとか、そんなことを考えていた意味はどこにあったのかと思ってしまう、色々と台無しな再会であった。

 さて、それではなぜ二人がこんな状況に放り込まれたかと言うと。


「アタシは願ぎを起こすなって言ったよな。 違うか? あァ?」

「「違いません……」」


 昨日の件についての事情聴取、という名の説教だった。

 当然のように昨日の騒動を耳にしていたギルド長。騒ぎの中心にいたのがその前日に釘を刺しておいたはずの二人組とあれば、今の状況に至るのも当然と言えた。


 特に、アキは衛兵からの事情聴取を受け、 ちゃんとした対応を取っていたものの、 アークに関してはあの場から消えてそのままだったと言う。

 それを受けたギルド長はまずアークを回収。早朝から詰問を始め、おおよその証言が取れたところでアキも連行したという流れらしい。


 若干のとばっちりを受けた気がしないでもないが、実際注意を受けたすぐ後にあの騒ぎが起きたわけで若干反論しづらい。

 別に彼らが悪いわけではないが、どうもギルド長の前では委縮してしまう二人だった。


 その後もしばらく事情聴取が続き、足を崩していいと言われた時には既に足先の感覚がなくなっていた。

 うまく立てずにへたり込む二人の前で、どかりと椅子に腰かけたギルド長が嘆息する。


「ったく、立て込んでる時期だってのに仕事を増々やしやがって」

「す、すいません……」


 拘束時間が短かった分、早くに立ち直ったアキが返事をする。その隣ではアークが蹲り、「立てない、 立てないよぉ」 と涙声で震え、こちらの涙を誘う憐れっぷりを披露していた。


 ふん、と鼻を鳴らしてから、ギルド長がすっかり冷たくなったお茶を啜る。その隣に置いてあるお菓子はアキが渡したもので、それがひょいひょいと口の中に消えていく。


「まあいい。目撃者の証言とおまえらが言ったことに違いもないしな。これでおまえらが率先して暴れたとかだったら、もうちょいきつく言うところだったが」

「これ以上きつくなるんですか……」

「ふざけろ。こんなもん、まだまだ生温いわ」


 真剣な目で言うギルド長。これよりきついとか、それはもはや拷間ではないのか。

 愕然とするアキではあるが、とりあえずは解放されたようで安心する。


「で、だ。その襲撃してきたやつらのことだがな。これがサッパリロを割らん。恐らくだが、魔術による契約で口封じされてるな」

「じゃあ、何のためにアークを襲ったとかは……」

「わからん。今までのチンピラもまったく同じ状態だ。裏にいるやつは同じだと思うがな」


 事情聴取や説教の他にこの目的もあったのだろう。襲撃犯について述べるギルド長。

 聞けば、アーク……というより、魔族を狙った襲撃は昔から時々あったが、ここ一月ほどでその件数が急に増加している上、 白昼堂々、人通りの多い場所でばかり行われているのだという。

 そんな事態になれば当然街中の警備も増え、犯行を防ぐ対策も取られ始めたのだが、 それ以上に数が多い。どこにでもいそうなチンピラが急に犯行に及ぶこともあり、事前に防げた件もあるがどうしても襲業は起こるのだという。


 ならばと襲撃犯に尋問を行って、なぜ犯行に及んだのかを問うても口を割らない。全員が全員そんな塩梅であるので、恐らく契約で口に出せないよう、枷をつけられているとのことだった。

 つまり、十中八九裏で誰かが手を引き、アークを狙っているということだ。


 更に現在、数日後に控えている街を挙げての祭りの影響で普段より街の外から訪れる者が多い、それに割く人員もあり、とても手が回っていない状況だ。


「まあ、襲撃犯は全員外から来た連中だ。こいつも長いことこの街にいるからな。街の連中からの受けもいい。そっちだけ警戒すりゃ、そうそうどうにかなることはないだろうが」


 確かに、あの身体能力であれば不覚を取ることもなさそうだ。今横にいる、ようやく痺れが取れてゆっくり起き上がりながら足をさすっている、とぼけた姿とは結びつかないが。


「そういうわけだから、気を付けて歩けとしか言えん。もう一度言うが、あまり派手に動くなよ」


 その言葉を聞いて、若干ふらつきながらも立ち上がったアークがサムズアップ。


「任せてよ! ちゃんとやっつけるから!」

「面倒事起こすなっつてんだもっぺんセイザしろおまえ」



 ◆



「やっぱり優しいよね、エルザさん」


 ギルドから出て、大通りを歩きながらアークが言う。

 結局もう一度セイザで説教を喰らい、つい先ほどまで足と精神に甚大なダメージを受けていたとは思えない朗らかさだ。

 解放されてからすぐ今日は案内したい場所があるというので、彼女に従って歩いている。


「あれを優しさと呼べるなら、世の中は優しいことだらけだよ」


 そう返事をしながら、アキは隠れて息を吐く。

 昨晩はどうやって話をしようか散々悩んでいたが、朝からの流れでそんな悩みは流れ去ってしまった。小さなしこりこそ残っているが、会話に支障をきたす程ではない。流石にあれほどインパクトのある再会を果たしてしまっては、他のことなど霞んでしまう。

 図らずも何とも言えない気まずさをギルド長にフォローされてしまったような形になり、 納得いかないとロを曲げた。


 そんなアキの葛藤など知らずにいるのか、こちらは最初から気まずさなど感じていなかったのではないかという快活さでアークは笑う。


「だって報告だけじゃ心配だったからって、わざわざ僕らのところに来たんだよ? すごく優しいじゃないか」

「セイザさせられた上に説教食らったけど」

「当分その言葉は聞きたくないね……」


 一瞬でしおしおと萎れてしまうアーク。反応が一々おもしろい。


 それにしても、心配で様子を見にきたと来るか。アキとしてはとてもそうは思えないが、付き合いが長いらしいアークが言うのだ。そっちの方が正しいのかもしれない。

 そう考えると、確かに優しいと言えるだろう。 説教はされたが。


 そして、二人の関係も見えてきた。なるほど、 最初にギルド長にびびっていた様子が見えたのは、今回のように叱られながらも面倒を見てもらっているからか。


 そんな風に雑談を交わしながら人混みの中を縫って歩く。ギルド長の言葉の通り、日増しに人が増えている気がした。これが祭りの影響か。


「なあ、祭りってどんなことするんだ?」


 商業都市を挙げての祭り、それ自体は有名なもので、アキも実際に見たことはないが多少の知識はある。

 ただ、商人の間では稼ぎ時であり、商業都市に行くなら祭りの期間中がいいといった話が大きく出回っていて、実際どういう催しがあるなどということはあまり知らない。確か、何かの感謝祭であるという話だったはずだが。


「えーっとね、簡単に言えば神様への感謝祭だよ。 この街の守り神に、守ってくれてありがとうって伝えるお祭り」

「ああ、そうそう。そうだった。なんだっけ、ハナビとかいうもんを打ち上げて神様に見てもらうんだろ?」

「うん。あっ、ほらあそこ。ちょうど準備してる」


 アークが指差す方を見ると、通りのど真ん中でドワーフの男衆が大きな荷車を引いていた。

 荷台に乗っているのはこれまた大きな鉄筒。見ようによっては大砲のようにも見えるそれが数台、揺られながら運ばれていく。


「あれが『花火』の道具。あれを外壁のてっぺんまで運んで、中に火の魔術を込めた玉を入れて、筒に込められた風の魔術で空に打ち上げるの。それで、玉が空高く上がったら魔術を発動させて、火でできた大きな花を作るんだ」

「耳に挟んだことはあったけど、それ危なくない? 火が落ちてきたりしねえの?」

「むしろ火が一番安全なんだって。すぐに消えちゃうし、玉も一緒に燃えてなくなるから。昔氷で試した人がいたんだけど、いっぱい氷が落ちてきて危なかったんだ。大きな氷が落ちたとこなんて、地面に穴があいたんだよ」

「それは試す前に気付こうぜ!」


 どれほど高く打ち上がるのかは知らないが、上空から落ちてくる氷塊など危険にすぎる。


「っていうか、何でハナビ……花火を神様に見せるんだ? 守り神が火の神様だとか?」

「ううん、水の神様だよ」

「だよな。なのに何で花火?」

「伝説だとね、神様は地面の深いところに住んでるんだ。今船が通っている洞窟が神様の通り道。それで、神様は時々自分で選んだ巫女と一緒に、その道を通って世界中を旅するんだって。それこそ、海を越えて」

「はあ……守り神なのに留守にするのか」

「ね、おもしろいよね。それで、遠い海からでも感謝の気持ちが見えるようにって、花火を打ち上げ始めたんだってさ」


 そういう話なのかと、アキは納得する。この街のイメージと言えば水なのに、なぜ火を使った祭りを行うのかと思っていたが、そういう理由だったのか。


「でも、神様の通り道だっていうのに普通に船通していいのか。罰が当たるんじゃ」

「むしろ、神様がそうするようにしてくれたっていう話だし、いいんじゃないかな。商業都市っていう名前がつくくらいだしね」

「なるほどな……」

「まあ、今の神様は引きこもってて、外に出たりしないんだけど」

「……? 何だそりゃ」

「あはは、何でもないよー」


 そう言って少し駆け足になるアーク。器用に人混みの流れを避けて、魚のように小さな隙間を泳いでいく。

 それを見失わないようにしながら、妙なはぐらかし方をされたなと考える。何か話しにくいことでもあるのだろうか、そんな話題だったとは思えないが。

 と、そんなことを考えているうちにアークの足が止まった。どうやら目的地に着いたらしい。

 だけどここは……。


「いや、門じゃん」


 アキとアークが初めて会った場所、街をぐるりと取り囲む外壁に二つ取り付けられた巨大な門。その一つ。


 確かにこの街における名所の一つではあるが、一度来た場所に連れて来たのは何故だろうか?

 そんな考えなど知らず、気付けばアークは門の側にいた役員と話している。

 何事かを交渉している風だったが、すぐに終わったのかこららを手招きする。


「何話してたんだ?」

「ちょっとお願いしてたんだ。じゃあ行こうか」


 どこに、と問う前に、アークの人差し指。鱗と爪に覆われた手が上を差した。


「登ってみよう」




 ◆




「こんな簡単に部外者が入っていいものなのかこれ。防衛の拠点だろ」

「時々一部が開放されるよ。僕はいつ入ってもいいって言われてるけど」


 石壁に二人の声が反響する。もうどれほど登っただろうか、壁の内部にあった迷路のような階段と通路を迷わず進むアークの背をアキは追いかけている。


 冗談かと思われた提案はしかし本気だったようで、なぜかにこやかに開係者以外立入禁止と書かれた扉を開けてくれた役員さんに見送られ、二人は上へ上へと足を踏み出す。


 アキの言葉通り、ここは大戦中の防衛に使われた場所だ。本来なら立ち入るには相応の立場や面倒な申請やらがいるはずなのだが。


「君も一緒に登っていいか聞いてみたら、もうエルザさんが許可を取ってくれてるんだって」

「初耳なんだけど!?」


 自分の知らないところで出されていた許可に驚愕する。宿や報酬以外に、ここまで至れり尽くせりとは、いったいギルド長はアキに何を依頼するつもりなのか。アークという爆弾を任されたこともあるし、考えるとお腹が痛くなってきた。


 とはいえ、もうその恩恵にあやかってしまった後だ。後は野となれし山となれ。こうなったら切り替えて満喫してしまおう。 登ってみたくなかったと言えば嘘になるのだし。

 それにしても、わかってはいたが通路と階段が長い。登りだけでなく下りもあるのは、砦の構造と似たようなものだろうか。


 アキは行商として大荷物を抱えてあらこちを歩き回っているし、アークに至っては破格の身体能力を有しているため特に問題なく進んでいるが、体力のない者であればかなりきついだろう運動だ。


 そうやってしばらく通路を歩き回り、たどり着いたのは小さな扉だった。


「さあ、ここだよ」


 そう言ってアークが扉を開くと、一気に風が吹き込んできた。

 思わず目を閉じ、それから恐る恐る開いてみると、そこには初めて味わう光景が広がっていた。


 広い、広い平原を見渡せる高い場所。ぽつぽつと小さく見える平原を移動する点は、この街を行き来する人々だろうか。

 遠くに見えるのはこの平原を囲む山の峰。地上から見るのとはまるで趣の違うそれは、見慣れていたはずのものだったのに今は新たな感情をアキにもたらす。


 山の頂上から周りを見渡すのとは違う、周囲に何もない場所だからこそ見える景色。翼のない種族では、 この光景を目にすることなどまずないだろう絶景。


 人の手でこんな景色を作ることができるのかと声を失っているアキを見てから、アークは扉の先、外壁の天辺へと足を踏み出す。


「いい場所でしょ? ここからだと、 ぐっと世界が広がって見えるんだ。 僕のお気に入りの場所だよ!」


 そう言って大きく手を広げてみせるアークへと再び風が吹き付け、そのコートを大きくはためかせた。

 フードも煽られ、普段はその中に隠されている顔、その満面の笑みが姿を見せる。


「ずっと、君に見てもらいたかったんだ」


 その言葉は本当に嬉しそうで、アキの心の中に僅かに残っていた不信や、しこりやらを溶かすには十分すぎるものだった。


 人違いから来ている好意だったとしても、この贈り物を無下にするほどアキは浪漫を解さぬ男ではない。


「ありがとう」


 ただ、その一言を返す。


 たったそれだけのことで、彼女は更に綺麗な笑顔を見せた。






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