第1話 行商人と邂逅


「──はい、問題ありません。お疲れ様でした、以上で全ての検査は終了となります。こちらの扉が入口となっておりますので、どうぞこのままお通りください」


 案内してくれた役員に礼を言い、扉に手を掛ける。


 物騒な世の中だ。 それに対する警戒だとしても、新しい街に着く度にこの調子では多少疲れを覚えるのも仕方ない事だと思う。とはいえ、今回は紹介状があったのでかなり短く済んだのだが。

 自分より先に検査を受け始めた人間がまだ後ろに居るのがなんとなく気まずく、案内の呼び掛けに合わせて気持ち早足で検問所を出た。

 ぎぃ、と軋んだ音を立てて開いた扉を抜けると、外の香りが風に流れて来る。


 そこは既に街の中だった。

 整備された石畳の道が真っ直ぐに伸びた、綺麗な街並み。

 道に面した家は様々な形をしており統一感はないが、それぞれの家から香ばしい食事の匂いが上がり活気が感じられる。


 丁度昼時なためだ、道端に並んだ露天や食堂でも食事が振る舞われ、通行人達がそれを買う。視覚と嗅覚が空きっ腹を刺激してきた。

 自分も早く食事を取ろうと思いつつ、人の流れに従って街の中心へ足を向ける。

 背負った大きな鞄──重たいが大事な商売道具だ、 大事に扱わなければならない──を担ぎ直しながら、 自分が歩いて来た方を振り返った。


 そこに巨大な建造物がそびえ立っている。その足元からは全容を確認できないが、これは門なのだ。


 この大きな街をぐるりと取り囲む大きな壁。

 一〇〇年近く前、今よりも更に物騒だった世の中において、当時の人類が総力を上げて作った防壁。

 その南北に一つずつ建てられた、防壁を遥かに超える高さ一〇〇メートル、 幅二〇〇メートルはあるこの国で最大の門がこれだ。


 話には聞いていたが実際に見るとやはり迫力が違う。これ程大きな人工物を見たのは始めてで、乗り合い馬車から遠目に見つけた時も驚きだったが、その中を通って来たとなっては圧倒的なスケールの違いに感心しきりである。


 何せ中央のこれまた巨大な扉を開けるまでもなく、その脇に備えられた扉ですら馬車が余裕で通ることができる大きさなのだ。

 中からだとまた趣が違う、などと考えながら門の天辺を見上げようとした時。




 ドゴンッッッ!!!!!!




 と、 凄まじい衝撃と共に目の前に何かが落ちて来た。


「なっ、 は、 ああ!?」


 目と鼻の先で突然起こったあまりの事態に、声を上げながら尻餅を突く。ガシャガシャと背中の荷物が音を立てるが今は気に掛ける余裕もない。

 周りの通行人からも悲鳴が上がり、 昼下がりの喧騒がにわかにパニックを帯びた空気に変わり始める。


 そんな中、目の前に現れた黒い塊が身を起こした。

 そう、身を起こしたのだ。


 それは人だった。

 古びた、明らかにサイズの合っていない黒いコートを身に纏った小柄な体。

 フードを目深に被っているために顔は見えないが、その下から長い白銀の髪がこぼれ落ちて日の光を反射させている。

 状況が全く飲み込めない。誰だ、こいつは。


 そんなこちらの動揺とは関係なしに事態は進んで行く。

 黒コートがこちらに顔を近付けて鼻を鳴らして来たのだ。

 後退って逃げようとするが、腰が抜けている状況でそんなことができるはずもなく、結果的には無様に手足をばたつかせることしかできない。

 その間にも距離を詰められ、 フード頭が目と鼻の先に迫っている。


 スンスンと鼻を鳴らしながら何かを確認するかの様に、 しきりに自分の匂いを嗅いでくる。

 気分としては肉食獣に追い詰められたようなものだ。この後ばつんっ、と頭から齧られる様まで想像してしまい意識が飛びかけた所で、ようやく黒コートが身を離した。


「……間違いない」


 呟かれた声が高く、透き通っていたことに驚きを覚えた。

 女の、それも少女と思われる声だ。

 よく見ると、 フードから僅かに覗く顎も線が細い。

 相手に話が通じるかもしれないということを思えば少しだけ混乱も薄れてきた。


 そして気付く。先程まで暴発寸前かに思われた通行人達の危険な空気は既に弛緩している。

 全員がというわけではなく、何人かはいまだに慌てた様子ではあるがそれだけだ。門前に立っている衛兵すら、呑気な顔でこちらを見ている。


 まるでこれが日常であると言わんばかりの態度に、気持ちがいよいよ平静を取り戻した。

 大丈夫、気持ちを切り替えることは得意分野だと自分に言い聞かせながら少女に声を掛ける。

 もっとも、自分が尻餅を突いたままだということに気付いていないあたり、まったく落ち着けていないのだが。


「お嬢さん、 何か私に御用で「見つけたぞ────!!」はあ!?」


 相手を刺激しないよう、客人用の営業スマイルと口調で黒コートに話し掛けようとしたところで野太い声が言葉を遮った。


 声がした方を見ると、 道の先から荒くれ者でござい!! という雰囲気を全身から放つむくつけきおっさん共がこちらに向かって走ってくる。


 血走った目、飛び散る汗、むさ苦しい筋肉!


 平穏を取り戻したかに見えた場は再び混乱の坩堝となり、蜘蛛の子を散らす様に人々が逃げ惑う。

 しかも典型的チンピラさん(笑)、どうもこちらに向けて一直線に向かって来る様である。


 いや、気のせいかもしれない。何せ自分は初めてこの街に来たのだ。そうそう連続して面倒事に巻き込まれるわけが……。


「逃げんじゃねぇぞガキ! とっ捕まえてやる!!」


 気のせいではなかった! ばっちりこちらを見て言った!

 一体なんなのだ今日は、厄日か。

 今までの得体の知れない恐怖と違い、現実的な脅威から逃げるために体が反応する。

 体を起こし、 走り出そうとした。

 そう、 走り出そうとしたのだ。


 気付けば、ふわりと体が浮いていた。

 黒コートに抱え上げられていた。

 率直に言って、お姫様抱っこだった。


「……何で!?」


 意味のわからなさが最高潮だ、まったく理解ができない。もしやこれは夢なのだろうか。もしくはあのババアの嫌がらせか?

 というか、荷物も合わせると相当に重いはずなのだがまったく問題にせず抱き上げられた。パワー系だったらしいという事実に逃げられる要素が一つ減った。


「やっぱり、僕を連れて行こうとしてくれるんだね」


 嬉しそうに黒コートが呟いた。


 そういえば咄嗟のことだったのでついこいつを連れて逃げようとしてしまった。見捨てて逃げていればこんな事には……!


 そんな風に考えている間にもチンピラさんが近付いて来る。門周りの衛兵達も出て来て大変な騒ぎだ。もはや平穏な空気などどこにもない。

 その状況を理解していないのか、黒コートは変わらない口調でこちらに話し掛けて来る。


「ちょっと話しにくくなってしまったね」

「いや話とかそんな悠長なことしてる場合じゃ……!」

「飛ぶよ」


 言葉の後、文字通りに二人は飛んだ。


「……は?」


 正確には跳躍した。男一人を抱えたまま、近くの建物の上まで軽々とジャンプしたのだ。

 そのままの勢いで次々と民家や店の上を跳び移る。チンピラ達の上を飛び越え、凄まじい速さで門から遠ざかる。

 もう驚きようがなかった 驚きすぎて神経が麻痺してきたとも言う。


 ぐんぐんと加速して、既にチンピラ達の姿は見えなくなった。そんなスピードなのに自分に掛かる負担はほとんどない。風が体に当たるくらいのものだ。


 その風が黒コートのフードを取り払う。現れた容貌に息を呑んだ。


 白い肌が現れた。白を通り越して透明感のある、雪の様な肌だった。白銀の髪と合わせて、まるでおとぎ話に出て来る妖精のようにすら見える。

 綺麗な青色の瞳、その縦に割れた瞳孔がこちらを見ている。


 そう、まるで蛇の様に縦に割れた瞳孔だった。


 目元を白金色の鱗が覆い、口からは鋭い牙が覗き、額から後頭部に向けて頭を覆う形に二本の角が生えていた。


 魔族だ。


 驚くこちらに、街の上空を跳び抜けながら彼女は笑顔でこう言った。




「久しぶり──ずっとあなたに会いたかった!」




 その満面の笑みを見て、腕の中の少年はこう返した──。







「誰だお前!?!?!?」







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