ドラゴンの子どもを保護します

不安定


 猛暑。いや、それを通り越して酷暑だ。もはや涼むためにプールや海に行きたいだとかさえ思わない。水温が高そうだし。まず外に出たくないし。これほど夏休み制度に感謝したことはないね。大会を控えている部活なんかは休まず練習しているみたいだけど、本当に尊敬する。

 その点、魔導部は夏休みの活動がないから安心だ。……と思って涼しい自室で読書をしていたんだけど。


「あーーーあづいぃ……王子、あちぃよぉぉぉ……」

「黙れ。余計に暑く感じる」


 突然、チカ先輩からのお呼び出しがかかったのである。まぁ? 迷子だって都合よく夏休みを避けたりなんかできないだろうから? 仕方ないけどさぁ、この暑い中を学校まで歩いていると文句の一つや二つ、言いたくなるというものだ。


「でも、しばらく会えないと思ってた先輩に会えるから俺、頑張る!」


 現金なやつである。つくづく得な性格してるな、と思うね。僕は残念ながら頑張れない。


「冷たいスイーツがあるって言ってたしな!」

「……早く行こう」

「王子、甘いもの好きだよなぁ。ほんと、現金なやつー!」


 お前に言われたくない! と心底思ったが、もはや叫ぶ気力もない。僕は黙って歩くスピードを速めた。




「やぁ、よく来たね。さ、これを付けるんだ」


 暑い中、やっとのことで学校に着き、部室へとやってきた僕らに対し、先輩は開口一番にそんなことを言った。手にしているのは、蛍光ピンクの軍手だ。こんなものを差し出されたのは初めてである。


「えっと……これは?」


 呆気に取られつつ思わず軍手を受け取りながら聞いてみる。チラッと目を向けた先にいる先輩は既に装着しており、相も変わらず目に痛いコーディネートであったためにすぐ目を逸らした。


「防護軍手だよ。今日の迷子は……これまでで最も危険な種族だからね」

「ひえっ」


 斗真が思わずといった様子で変な声を上げた。僕も内心では悲鳴を上げている。


「いつものゴーグルだけじゃダメなんですか?」


 机に置いてある、僕用の翻訳眼鏡を手に取りつつ、再び疑問を投げかけた。確かこれにも、防護機能があったはずだけど。


「念には念を入れないとね。本当に危険なんだよ。頼むからちゃんと着けておいて」


 チカ先輩がここまで真剣に言うなんてよっぽどだ。僕は斗真と目を見合わせ、互いに頷きあった。そして無言で軍手と眼鏡を装着する。くっそ派手だな、おい。あと暑い。


「今日は仕事が終わったら冷たいスイーツをご馳走するからさ。いざとなったら私が守るし、大丈夫だとは思うが……多少の怪我はするかもしれないとだけ頭に入れといて」

「不安しかないんですけど!?」


 先輩が守ると言っているにも関わらず、怪我の可能性があるのか。本当に、一体どんな迷子なんだ?


「先に、どんな迷子か聞いても?」

「もちろん。……こいつだよ」


 先輩はスノードームを指し示しながら僕らに見なさいと告げる。斗真と一緒に覗き込んで、ヒュッと息を飲んだ。


「せ、せせせせせ先輩? も、もしかしてこ、これは……!」


 ギギギ、という音が鳴りそうなぎこちない動作で斗真が首を動かし、先輩に問う。僕も、できれば嘘であってほしいと思いながら先輩を見た。だが、これは現実であるようだ。先輩は僕らの希望をあっさりと打ち砕いてみせた。


「そう。ドラゴンだ」


 うわぁぁぁ! ドラゴンとか! 本当にファンタジーの世界の生き物じゃないか! これまでも十分ファンタジーだったろ、というツッコミはスルーしておく。いや、だって、ドラゴンだぞ? 大きなトカゲ! 爪や牙が鋭くて火を吹いて飛べるだけの大きなトカゲ! いや、危険でしょ、マジで危険でしょこれは!


「はいはい、帰ろうとしない。危険なのはわかってるんだ」


 回れ右して立ち去ろうとする僕らの肩を先輩が掴んで止める。やはりすごい力だ。男二人を片手ずつであっさり止めるなんて。しかもビクともできない。そうだ、ドラゴンより怖い人がいたわ、ここに。


「でも、トーマくんはともかく、王子くんにはいてほしいんだ。君は気付いていないかもしれないけれど、異界の者に好かれやすい。安全性が増すんだよ」


 そう言いながらやや上目遣いで見てくる先輩。ず、ズルイ。これはズルイ。そんなこと言われたらもう帰れないじゃないか。先輩だって、危険なのは変わらないんだもんな。めっちゃ強いのに。


「俺はいらない子ですかぁぁぁ!?」

「危険だからね。無理強いはできないとは思ってるよ」

「いらない子では、ない……?」

「標的はいればいるほど自分の安全性は増すよね」

「それ、囮じゃないっすかぁぁ!?」


 泣き叫ぶ斗真が鬱陶しい。けど、それを軽く扱う先輩もなかなかである。結局のところ、危ないから避難していた方がいいという先輩なりの気遣いなんだよな。本当、そういうところが憎めない。


「はぁ……わかりましたよ。あと、僕はエイジです」

「さっすが王子くん! 本当にありがとう。助かるよ!」


 本当に都合のいい耳をお持ちだな、この人は!? いつになったら僕の王子呼びを諦めるんだろう。僕? 諦めないからな。訂正は絶対にする。何度でもだ!


「それにしても、ドラゴンってぇ、魔力とか多そうなイメージあるんすけど。迷子になるもんなんすか?」

「ああ、いいところに気が付いたね」


 斗真がスノードーム内で小さな火をポッポと吹くドラゴンを見ながら不思議そうに言う。確かに疑問だ。確か狭間に迷い込むのは魔力の弱い個体だったはず。


「ドラゴンが魔力を多く持っているのは合ってる。そして、この子は子どもドラゴンとはいえ、それなりに魔力は持っているよ」

「え、じゃあなんで迷子に?」


 僕が質問すると、先輩は難しい顔になった。顎に手を当て、これは予想でしかないんだけど、と前置きを入れて説明してくれる。


「たぶん、向こうの世界が今、不安定なんだろう」

「不安定……迷子が元々いる異世界のことですか?」

「そうだ」


 ということは、ルルや、フェンリルたちのいる世界ってことだよな? 世界が不安定、というのがどういう状況なのかはわからないけど、あまりいい印象はない。心配だ。


「そもそも。こんなに頻繁に迷子がくる時点で怪しいんではいたんだ。君らが手伝ってくれる前は、もっと頻度が少なかったんだよ。数年に一回から、年に一回、年に数回、と迷子が現れる頻度は上がってきていた」

「そうなんすかぁ? 今はもう、一ヶ月に一回とかのペースっすよね」

「そう。普通、そんなに世界の穴は人や物を通さない。交通事故とは違うんだ。稀に起きるくらいが普通なんだよ」


 でも、最近は増えている。その理由はきっと、向こうの世界にいる高度な魔法を使う者が、空間に干渉しているのだと思う、と先輩は推測を述べた。なんだか話が難しくなってきた。つまり、異世界にいるすごい魔法使いが、世界に穴を開けるかなんかの魔法を使用しているってことかな?


「空間、それも世界を渡る空間に干渉するのは非常に難しい。私でさえ、かなりの魔力を使うからな。ああ、勘違いしないでくれ。いつも帰還が簡単にできるのは、すでに道筋ができているからだから。それは案外、簡単なんだよ」

「いや、そうは言ってもすごい魔法な気がするんですけど」


 なんてことない、みたいに言ってるけど、絶対すごい魔法だという確信がある。だって、ここへきた迷子はみんな、先輩に畏怖していたし。本能みたいなものが察知したんじゃないかと思うんだ。というか、そう簡単にできてたまるか。別の世界と繋がる魔法なんか。


「その者が、一体何をしようとしているのか……まぁ、予想はつくんだけどね」

「つくんですか!?」


 やっぱりこの人怖い! なんか、もう知らないことなんかないんじゃないかって気がしてくる。……年だって、その、実は長いこと生きていたりしそうだし。そう考えるのはおかしいってわかってはいるけどさ。でも、先輩ならあり得るって思ってしまう。


「ま、そんなわけで、それなりに魔力のあるドラゴンも迷い込んでしまうほどの穴が開いてしまったってとこだろう」

「軽い調子で言ってますけど、それって結構やばい状況なんじゃ……」


 今後は、魔力のある危険な生き物も迷子になってしまうってことじゃないか。そろそろ僕らの手には負えなくなっていると思うんだ。


「よほどやばいやつなら、放置するから問題ない。永遠に空間の切れ目を彷徨うハメになるけど」

「それはそれで鬼畜ですね!?」

「くぅ、先輩の鬼畜っぷり、痺れるぅっ」


 いや、斗真は黙れ、気持ち悪い。身体をくねらせるんじゃない。先輩はクスッと笑って、冗談だよ、と言ったけど……正直、それは冗談ではない気がしてならない。本当に冗談? 信じますよ?


「さ、いつまでも喋ってたって仕方ない。さっさと終わらせよう。いい? くれぐれも注意して。子どもとはいえ、爪や牙は鋭いし、魔法を使うだろうから」


 いつもの、暴れない騒がないの契約が完了するまで耐えてくれ、と言い捨て、先輩はスノードームに手を翳した。いよいよ、ここにドラゴンがやってくる。


「身体の構造が違うからか、ここに来ないと言葉が通じないんだ。つまり、呼んでから契約することになるんだよ。だから人型以外は厄介なんだよね……」


 ブツブツと文句を言いながら先輩は集中し始めた。なるほど、だからフェンリルの時も逃走して大変だったんだな、と今更ながらに理解した。


「いざ、解錠!」


 先輩の言葉で、部屋が光に包まれる。くーっ眩しい。いつもこれが苦手なんだよ。目が慣れるのに時間がかかるから、すぐには様子がわからないのも困る。しかも今回はドラゴン。気を付けないといつ飛びかかってくるか……。


「っ、う、あっ! ぐああっ」

「! トーマ!?」


 そんなことを考えていた矢先だった。斗真のうめき声が聞こえたのは。嫌な予感で心臓が飛び出しそうになった。よく見えない状態で動くのは危険だとわかってはいたけど、僕はすぐに手探りで斗真を探した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る