一期一会


 とまぁ、そんな経緯でチカ先輩と出会ってしまったわけなんだけど。あの後、この事は他言しないという契約を結んだ時に、チカ先輩にスカウトされてしまったんだ。


『王子くん、君はどうも子どもに好かれやすいみたいだね。ぜひ今後も手伝ってもらいたいんだけど』


 そんな感じで言われた気がする。僕は面倒だったので、遠慮しますと答えた筈なんだけど……あれ? どうしてこうなった?


『そう? でもたぶん、君はまたここに来ると思うよ。だって、縁が出来てしまったから』


 縁。そう、この縁ってやつが厄介なんだ。僕はあの時、一期一会ですからねって言ってその場を去ったんだ。軽い気持ちでそう言って、ここにまた来ることなんてないだろうけどって思ってた。斗真は是非また来ます! なんて食い気味に言っていたけど、僕は絶対にないと心に決めていたのである。

 だというのに、あれから不思議なくらい、普段の生活でチカ先輩と遭遇する機会が増えたのだ。これが、縁ってやつかと恐れ慄いた。


 こうして結局、今はご覧の通り。しっかり部活に入部して毎日通っているという始末だ。別に大変なことをしているわけじゃないし、むしろ部室を自由に使って優雅な放課後を過ごさせてもらってるからいいんだけど。


「チカ先輩、いつから学校くるんだっけー?」

「来週じゃないか?」

「そっかー。さみしーなー。やっぱ美人がいないとやる気でねーじゃん?」

「先輩はトーマがいない方が静かで良いとか思ってるぞきっと」


 頭の後ろで手を組みながら歩く斗真は、そんな手厳しい先輩もサイコーと宣う。やはりこいつは変態だ。ってか、もしかして、もしかしなくても、こいつに引き摺られるように部室に通うことになったから、今の状況があるんじゃないか? そうだ、あの時も、あの時も……僕は行かないって言ったのに無理やり連れて行かれたんだ。


 だって、行かないならオレが先輩と二人きり、だなんて浮かれるから。いや、チカ先輩だから問題ないだろうことはわかっているけど、バカな野獣を解き放ったのは僕、みたいでなんか嫌だったし、一応心配だったのだ。僕は紳士だからね。


 でも正直、こんな生活も悪くないな、なんて思い始めているんだ。厄介ごとはごめんだけど、刺激的で不思議な異界との繋がりはこう、ワクワクもするというか。


「紐、直すか」

「ん? お守りの話? まだ付けんのかー」

「まぁね。ここまできたら、失くすまで持ち続けようかと思って」


 色褪せたお守りを見てるとあの時のフェンリルを思い出す。今頃元気でやっているのだろうか。ちゃんと番犬の役割は果たしてんのかな。


 と同時に、小さい頃よく見かけた犬も思い出すのだ。蛍光黄色の首輪をつけてて、通学路の途中でふらりと現れ、家までついてきたからよく餌をやった思い出。今思えば蛍光黄色の首輪とかチカ先輩を彷彿とさせる。

 首輪がついていたから飼い犬だったと思うけど、当時は小学生だったから人んちの犬に勝手に餌付けていいものか、なんて考えも及んでいなかったな。浅はかだった。今は反省している。でも、あの時は自分で飼ってる犬みたいで、なんだか嬉しかった覚えがあるのだ。毎日やってきたし、よく懐いていたし。


 学校帰りはその犬と遊ぶのが日課みたいになってたけど、僕が成長するにつれてだんだん来る頻度も減っていって、いつの間にか見なくなった。飼い主がなにか対策でもしたのかもしれないって思ったけど……あの犬も元気だろうか。思い出しついでにあの犬にも思いを馳せた。


「じゃ、また明日な王子!」

「エイジだ。ったく……」


 そうこうしている間に、斗真と別れる路地に辿り着いた。こいつ、本当に訂正する気ないよな。子どもの頃は普通にエージって呼んでくれていたのに。いい加減飽きてほしい。人の名前をなんだと思っているんだ。つらつらと愚痴を思い浮かべながら僕は自宅へ向かう足を速めた。


「ただいま」


 家から高校までは電車で二駅ほどとなかなか近い。ま、近いからって理由で選んだんだけど。家も高校も駅からそこまで離れてもいないし、通学するには丁度いい距離感だと思う。だからこそ、部活にも入部できたといえる。どうしても帰るのが遅くなるからな。


「おかえり、エイジ。今日も部活? 毎日大変ね」

「別に大したことしてないから」


 母親がエイジ、と呼んでくれると正直ホッとする。マザコンじゃないぞ? 自分の名前を改めて認識できて安心するだけだ。もはや「王子くん」呼びはクラスメイトにも広がってて手のつけようがない。便乗犯が多すぎる。


「文芸部だったっけ? たしかにそこまで疲れる印象はないけれど。どんなことをしてるの?」


 続く母親の言葉にギクリとする。そう、母親には部活名を偽っているのだ。いや、だって、魔道部とか言っても伝わらないと思うし、何より気まずい。何となく恥ずかしいんだよ。厨二病拗らせてるみたいで。家族には黒歴史は出来るだけ隠しておきたい。


「気になる本を読んだりしてるだけだよ。感想を言い合ったりとか……」


 なので、当たり障りない返答をしておく。気になる本を読んでるのは本当だし、時々斗真に感想を聞かれて答えているから嘘は言っていない。嘘じゃないから答えるのも気が楽だ。我ながら文芸部と答えたのは良い言い訳だったと思う。

 ふぅん、という声を聞きながら、僕はそそくさと自室に向かうために階段を上った。家の構造上、部屋に行くにはリビングを通らなけらばならないため、帰ってくるとこうして必ず母親とは言葉を交わしている。けど、最近はそれがちょっと気恥ずかしく感じたりするんだよなぁ。これが思春期か。自分で理解しているから、拗らせてはいないと思いたい。


 自室に戻り、カバンを置いて明日の準備を終わらせる。とは言っても持ち物は基本的にあまり変わらないんだけどね。弁当箱だけは忘れずに出さなきゃいけないから、部屋に着いた時にカバンの中を確認するのが習慣になっているだけだ。

 ついでにお風呂の後の部屋着と明日着ていく半袖シャツを出しておく。制服は指定ズボン以外は自由という校風は、一見良いように見えるけど、僕みたいに普段何着たら良いのかわからない生徒にとっては悩みの種であったりする。普通に制服を着て行くってのもいいけど、圧倒的に少なくて逆に浮いてしまうので却下した。僕は出来るだけ目立ちたくないのだ。


 だからまぁ、当たり障りのない安いシャツとか冬であればセーターやトレーナーを着ることで落ち着いた。シンプルイズベスト。というわけで大体同じ色合いの服を着ることになっているから、斗真にはつまらないと言われるわけだが。つまらない上等。大歓迎。それってつまり目立たないってことだろう? それこそ僕の望む姿なんだから。


「でも、チカ先輩なんだよなぁ……」


 はぁ、と声に出して呟いてしまう程に、彼女はいろんな意味で強烈だ。入学して二ヶ月と少ししか経っていないのに、僕はすでに「チカ先輩の王子」として認識されてしまっている。なんだ、チカ先輩の王子って。痛いにも程がある。

 でも、もう部活に入部もしてしまったことだしな。それは流されたように見えるかもしれないが、自分で決めたことだ。そこは腹をくくるしかないと諦めた。ただ、彼女や斗真につられて派手な服装や行いは絶対にしない。そこさえ貫けば、一緒にいるけどただの地味で無害な奴として認知されるだろう。今は我慢の時なのだ。たぶん。きっと。


 一通り準備を終えた僕は、空の弁当箱を持ってリビングに向かった。


「置いといてくれたら洗うのに」

「良いよこのくらい。手間でもないし」


 夕飯の支度をしている母親の隣で、流し台にて弁当箱を洗う。この人はいつも、僕がこうして自分で弁当箱を洗っているとそんな声をかけてくる。家族なんだから、家事は手伝うのが当たり前だろうに。この習慣は小学生の頃から変わってないと思うんだけど、いまだにそんなことをいう母親は、おっとりと笑った。


「良い男になったわねぇ。お母さん嬉しい」


 そんな恥ずかしいセリフもサラッと言う。むしろ育て方が良かったんじゃない? 僕はそう思っても口には出せないのに。


「今日はエイジの好きな肉じゃがよ」


 知ってる。家に帰ってきた瞬間から、その破壊力満点の匂いを嗅ぎ続けているんだから。定番料理だけど、やっぱりそれが一番好きだ。


 綺麗に掃除された家で、美味しいご飯が食べられて、安心して眠れる。それが僕の家だ。多少の言い争いはするけど、母親とも父親とも仲は良好だし、僕は恵まれた環境にいると思っている。


 こういうのが幸せって言うんだよな。悪魔の子ルルや、守られなければならない程身の危険がある王女だとか、そういう異界の者たちと関わることでより実感するようになった。じゃなきゃ改めてこんな小っ恥ずかしいこと考えない。


「さ、席に着いてちょうだい。お父さんは今日も遅いから、先に食べちゃいましょ」


 炊きたてのご飯に暖かな味噌汁。付け合わせのお浸しと味の染み込んだ肉じゃが。食卓に並べられた美味しそうな夕飯が、僕にとっては当たり前の光景。だけど、出会った異界の者たちは、それはどんな夢物語だろうと思ったりするのかもしれない。ルルなんか特にそうだ。攻め入られた村を復興するのも大変だろうに……それでも立ち向かおうと決めたあの瞳の強さを忘れられなくて、胸が締め付けられる思いがした。


 かといって、ここで僕がこんな料理を食べられないだとか、もっと苦労しなければとか思うのも間違いだ。だって、なんの意味もない。生産性が全くない。だから僕に出来るのはただ一つ。


「……いただきます」


 目の前にある恵まれた環境に感謝しながら日々を過ごし、その幸せをしっかり味わうことだ。それ以上の恩返しは今のところ見つけられていないのだから。


 口の中に広がる幸せを噛み締めている向かい側で、なぁに? そんなにかしこまっちゃって、と母親が穏やかに笑っていた。今日も僕は幸せだった。

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