帰還の儀


「うーんと、なんで我慢しなきゃいけないかって話だよね。僕はね、我慢をする必要はないと思ってる」

「! やり返してもいいきゃ!?」


 僕がそう言うと、ルルの金色の瞳が獰猛に光った。さすがは悪魔。子どもといえど迫力が半端ない。ま、本物の悪魔を見るのはこれが初めてだから知らないけど。


「極端に言えばね。でも、じゃあなんで、ルルの村の大人たちはダメって言うんだと思う?」

「それは、やり返すだけの力が、ないのきゃ……勇気だって。村のみんなは強いのきゃ。けど、相手の数が、すっごく多いから……」

「うん、そうだね。わかってるじゃない。ルルはエライね」


 しょんぼりと項垂れるルルの、柔らかな黒髪をそっと撫でる。ふわふわだ。鋭く尖った角は赤黒く光っていて危険な香りがプンプンするけど。うっかり触ってしまわないように気を付けよう。


「大人たちが怖いのはね、ルル。君たち子どもや、まだ力のない村の仲間が傷付くことなんだよ。さっき言ってたみたいに、どこかにいる同族が傷つく事も。自分たちはそれぞれで身を守れるかもしれないけれど、みんなを守りながら数の多い敵と戦うのは、とても難しいことだし、知らない場所で虐げられる同族なんかは余計に守ってあげられないよね?」

「私たち、同族を、守る……?」

「うん。だから、最も被害が小さく済むように、ひたすら耐えているんだと思う。耐えることが、彼らの戦いなんだ」

「戦い……」


 納得してくれたかな? 少し黙ってなにやら考える素振りを見せるルル。僕はチラと先輩に視線を投げる。すると、ニヤリと口角を上げて笑うチカ先輩と目が合った。まあいいだろう、という上から目線の評価をされている気分だ。実際、僕はチカ先輩にとって後輩だけど、なんか悔しい。

 それからチカ先輩はスッと立ち上がって僕らの方へと近付いてきた。ふわりと、紅茶の茶葉の香りが鼻をくすぐる。やはり安物のティーバッグとは違うな。


「悪魔の子、ルルよ」

「きゃ、はいっ、チカ様!」


 口調が魔王に戻った。まだ続いてたんだ、それ。

 俯きながら考え事をしていたらしいルルは、先輩に呼ばれたことでハッと顔をあげた。ほんのりと頬が紅潮しているし、態度がもう服従の姿勢って感じだ。ほんと、上下関係に厳しいんだな。


「よく話してくれたな。対価として十分だ。約束通り、其方を元の世界へと戻してやろう」

「! あ、ありがとうございます、なのきゃ……」


 元の世界へと戻れるというのに、ルルはどことなく元気がない。やっぱり村が襲われたところだったわけだし、不安だよな。もしかすると、今も襲われているかもしれないし。


「其方が狭間に迷い込んだのは、十中八九その戦のせいであろう。魔法が飛び交う戦場では、とかく空間が捻れやすい。力なき者はわずかな歪みに巻き込まれてしまうのだ」

「力なき、者……!」


 要するに、ルルは弱いと言われているわけだ。悔しそうに拳を握りしめている。こんな子どもが悔しさに震えるなんて……どんな世界だよまったく。


「力がないと、嘆くか?」

「! ……うん。だって、悔しいきゃ。もっと力があれば……!」


 ルルはまたしてもボロボロと涙を流し始めた。子どもの泣く姿ってのは本当に心にくるものがある。頭をまた撫でてやりたいけど、今は先輩が話している。途中で口を挟むなと言われていることだし、じっと待つことしかできない。


「力がなくとも、できることはあるぞ」

「わ、私でもなにかできるのきゃ!?」


 ルルが涙に濡れた顔でパッと先輩を縋るように見上げた。それを見て、チカ先輩は緩やかに微笑んだ。あまりにも綺麗なその横顔に、うっかり見惚れてしまう。


「ルル、先ほど、あのバカが突然やってきた時、驚いたであろう? その後も、彼奴が何者なのかと、恐れていなかったか?」

「え、あ、それは、そうきゃ。突然知らない人が現れたら、誰だって……」

「それだよ」


 ルルの答えを全て聞く前に、チカ先輩はルルの口元に人差し指を添え、言葉を被せた。ルルはきょとん、としている。


「人は、いや、人に限らずだが、よくわからないものに恐怖を感じるものである」


 先ほど、斗真を見て恐怖を感じたのも、よくわからない存在であったからだ、と先輩は続けた。当の本人はわずかに顔を上げて、へらりと笑い、軽く手を振っている。黙って倒れておけ、斗真。


「それと同じなのだルル、わかるか?」

「え? え、えっと……?」


 まだ子どもであるルルには少し難しかったかな。チカ先輩を見ると、僕と目が合った。はいはい、少しだけ助言ね。最後まで自分で言えばいいのに。チカ先輩の基準はいつもよくわからない。


「君たちの仲間は、隠れ住んでいるんだよね? つまり、ほとんどの人たちは、君たちのことをよく知らないってことだよ」

「私たちを、知らない……あっ」


 ルルは何かに気付いたように目を見開いた。


「みんな、ルルたちが怖いの……? よく、知らないから」


 正解、という意味を込めて、僕はルルの頭を軽く撫でた。チカ先輩が言葉を引き継ぐ。


「人とは愚かなものでな。よくわからない、怖いものを、集団で排除しようとする。何かと理由をつけてな」


 ぶるりと体を震わせたルルは、けれどその瞳に力強い光を宿していたように見えた。


「ただ、人に知ってもらうという事は、多大なる苦労が伴う。特に、元々は悪感情を抱いていた相手なら尚更のこと。けれど……」


 チカ先輩はルルに合わせて屈み、まっすぐ目を見つめながら告げた。


「行動を起こさねば、現状は変わらぬ。ヒーローがやってくるのをただ待つも良いが、来なかった時に文句は言えぬぞ」

「……」


 チカ先輩はそれ以上を語る事はなかった。今の状況を憂うのなら、自分が行動をしろ。そんなことは言うが易し、だ。実際それができるのはほんの一握りで、それには多大なる努力だったり犠牲だったりが付き纏うものなのだ。

 それを、まだ子どもであるルルに強要する事は出来ない。ただ、少しだけヒントを与えたんだ。ルルが、選択できるように。


「では、帰還の儀を行う」

「あ、帰るのー? ちょっと待ってー」


 ごくりと息を飲んだその時、場違いな能天気な声が割って入ってきた。言うまでもなくチャラ男である。チカ先輩の機嫌が急降下中だ。危険である。


「……なんだクズ」

「おっと、オレへの当たりがさらに強くなってるー! 厳しいっ! だがそれがいいっ!」


 冷たい視線を向けられているというのに斗真はゾクゾクと体をくねらせて喜んでいる。変態だ。


「ルルちゃーん。なんかよくわかんないけど大変そうなのはわかった!」

「お前、ほんとなんでここにきたんだよ……」


 これまでのシリアスな雰囲気を一気にぶち壊しやがった。話もたぶん、ほとんど聞いてないだろう。


「これ、持っていってよ。村のみんなにもわけたげるといーよ」

「えっ、こんなに?」


 斗真は持っていたチョコを缶ごとルルに差し出した。予想だにしていなかった行動に、ルルは目を白黒させている。


「甘いものは、気分がハッピーになるでしょ? ルルちゃんも、肩の力抜くといいよー。それに難しい顔してると、せっかくのかわいい顔が台無しだ、ぞ?」

「か、かわ……っ!」


 これ見よがしにウインクしてルルの頬を指でつつく斗真。可愛いという単語によりルルの顔はみるみる真っ赤に染まっていく。あー、もう、コイツはなんで女と見ると年齢関係なく口説くんだよ!


「あ、ありがと、なの、きゃ……」


 それでも、ルルが少し嬉しそうだから、怒るに怒れない。ムカつく。あとでゲンコツ一つくらいは許されると思う。


「全く、仕事を増やすのが得意だね、馬鹿トーマくんは」

「お褒めに預り光栄でぇーっす!」


 チカ先輩も、行動自体は否定できないらしく、ため息と皮肉を漏らしながらもサラリと渡したチョコの缶を撫で、魔法をかけた。すると、ただのシンプルで落ち着いた色合いだった缶が、あっという間に蛍光ピンクに早変わり。こうすることではじめて、異界にこちらの持ち物を送ることができるのだそうだ。確かこう言ってたな……


『物だろうが人だろうが、迂闊に世界を渡るといろんな影響が出てめんど……大変な事になりかねないからね』


 要するに、後処理とかが面倒なのだろう。


「さあ、今度こそ送るぞ」

「は、はい! よろしくお願いするのきゃ!」


 ルルの返事を待って、チカ先輩は何やら呪文を唱えた。淡い蛍光色を放ちながら、ルルの足元に不思議な円形の模様が浮き上がっていく。魔法陣というらしい。何もないところにこうして模様が浮かび上がる様子は、何度見ても不思議だ。


「契約成立。帰還せよ」


 両手をパンと合わせ、チカ先輩が最後の文句を言うと、魔法陣の中心に立つルルが足元から消えはじめた。蛍光色のチョコ缶を抱えたルルは、晴れやかな笑顔をこちらに向けている。


「色々と、ありがとうございました! 私、がんばるのきゃ!」


 その言葉は、決意を感じさせた。そうか。きっと、ルルはやってくれるのだろう。


「……幸運を」

「! 幸運を!」


 頭まで消えゆく寸前、ポツリと告げたチカ先輩の言葉はルルに届き、互いに幸運を祈り合う。


 僕も祈ろう。どうか、ルル達村の人々が、より良い暮らしを送れるよう、ことが運びますように、と。

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