セミダブル3 肌年齢的にまだまだいける


「ふーん……。不思議な蝉で人助けかー……」

「すみません。とても信じられないですよね」

 カシュッと缶が小気味よい音を立てる。ゆかりさんは流れるような所作でチューハイを呷った。テーブルにはコンビニで調達した幾本もの缶とビンがビル街の如く並び立ち、つまみとお菓子の群れがその隙間を埋めている。宴は夜を徹すると容易に想像できた。

「いや、信じる」

 赤らんだ頬に流れる濃茶の髪、その上流に蝉の幼虫はしがみついていた。ゆかりさんはもう慣れたのか、気にする様子はない。

「コンビニの店員とか道ですれ違った人とかには、本当にこの子が見えていないみたいだしね」

「何より」と彼女はポッキーでこちらを指しながら言葉を続ける。

「面白そうじゃん」

「……だから婚活で変なのに引っかかるんですよ」

「かもねかーもね、そーかもね」

 この人は本当にアラサーなのだろうか。

「ネタがわかるあなたも人のこと言えないよ?」

 もっともな返しを受けて、私は言葉に詰まる。こういうのがわかるのは沙夜さんに影響を受けすぎているせいだ、きっと。大体あの人が言う「少し前」は振れ幅がおかしい。「少し前、めちゃくちゃ流行ったアイドルがいたよな?」と尋ねられて、求めていた答えが昭和のアイドルだったなんてことはザラだ。

「でも部屋は年相応よねー。見た目の雰囲気がほわほわしているからもっと痛々しいのを期待していたんだけど……」

 残念ながら私の部屋は〇トリや〇印良品で家具を揃えた選りすぐりの無難な装いだ。一方、沙夜さんの部屋はそうではない。あの人の人柄をそのまま表したような、他人を迎え入れる気のない、まさに「城」だ。

「へぇーそんなすごい部屋なんだ」

「ほんとに魔女の研究室って感じですよ。よくわからない道具とか薬品がその辺に転がっていますし、机や棚には読めない文字で書かれた紙束とか銃弾も通らなさそうな分厚い本がどっさりあって……とにかく物で溢れているんですよ」

「そんな話を聞くとますます信じちゃうね。結婚詐欺師でもここまでベタなファンタジーは語らない」

 そう。沙夜さんはどこまでもファンタジーの住人なのだ。常識の網を易々と食い破ってたちまちに自分の色に染め上げてしまう。他人に縛られず、自分の思うがままに生きている。今回にしたって、あの人は信じてもらえるかどうかなんて気にしていないだろう。ゆかりさんに必要だと思ったから蝉を渡した、ただそれだけだ。

「昨今の小説の登場人物だったらありきたりでつまらないと一蹴されるでしょう。でも、そんな人物が現実世界にいるとなれば誰だって気にはなりますよね」

「そうそう、気になっちゃうよ。私があのバーに来たのも、そういう噂を聞いたからだし」

「うわさ?」

 危ない商売をやっているとか、無名だけどよく当たる占い師とか、自治体の相談機関にやたら詳しいといった風評なら普段から耳にしている。

「ふふっ、まさにその通りの噂だよ。アングラな出来事を期待しつつ悩みを打ち明けたら、助成金や手当の話が返ってきたって」

 沙夜さんは簡単に願いを叶えない。反対に叶える理由もわからない。本人曰く、「どうにもならない人のどうにもならない願いなら一応話を聞く」らしいけど、実際はただの気まぐれなんじゃないかって私は思っている。

「気まぐれでもご利益を頂けるならありがたいよ。信じるだけならタダだからね」

 ゆかりさんはいかそうめんを食みながらソファに身を委ねる。ここまですんなり受け入れられると、こちらも味気ない心地がした。

「話が早いのは助かりますけど、これはこれで物足りないですね」

「まぁ、これでももぐもぐしなよ」

 差し出された袋からいかそうめんを二、三本抜き取って口に運んだ。ポリっとした歯ごたえと塩の味わいをチューハイで上書きする。空いた胸中とは裏腹に口内には甘い風味が満たされていく。

「まぁこんな部屋じゃ、雰囲気も何もあったものじゃないですよね」

 テーブル上に並び立つ爛れた食生活がそれを物語っていた。

「むしろ日常の中にこういう世界があるんだって現実味があるよ。気取ったお店の中でこういう話をされたら警戒しちゃうから」

「なるほど、そういう捉え方もありますか」

「あとさ、押しつけがましさというのかな。あなたの話し方にそういう嫌らしさがなくて、すんなり入ってきたのよね」

「これって一種の才能だと思うよ?」とゆかりさんは付け加える。

 才能……私には縁遠い言葉が出てきて虚を突かれた。昔から自分の鈍臭さに嫌気が差していたし、蝉屋の仕事も気楽だから続けていられる。卑屈と思われるだろうけど、私には他人に誇れるものがない。

「こう言うと『物知った顔で何を上から目線で』って反駁したくなるかもしれないけど、あなたはとても魅力的な人よ?」

「いやー私、ふらふら適当に生きてきて得意なこととか何もないんで……」

 実際、現状では将来について何も考えられていない。勤めていた会社を辞めて、沙夜さんと出会い、今こうして彼女の店を手伝っているけれど、これからもずっとこんな日々が続くはずがない。それなのに次の仕事も探さず、店番中もネットサーフィンと読書に勤しんで時間を空費している。これで良いのだろうかと頭が警鐘を鳴らしても、今まで行き当たりばったりで生きてきた私には対処法がない。パソコンにエラー通知が出ていても直し方がわからないし、とりあえず動くから良いやと放置するような感じで私は生きている。

「自分には何もないと思い込んで生きるの苦しくないの?」

「それ、ブーメランです」と言い返す。「ゆかりさんだって魅力的な人ですから」

「うひゃーそう言われると心がくすぐったいね。やめよやめよ。傷の舐め合いみたいだから」

「ですね」と缶に口を付ける。少し無言の間が流れ、お互いに所在なさげに空に視線を走らせる。蝉の幼虫はゆかりさんの頭頂に移動していた。

(あれ……? そういえばうちの店って幼虫いなくない?)

 普段、全く幼虫を目にしていないのに今更気が付いた。沙夜さんが外から連れてくるのも成虫ばかりだし、店内のあちこちに置かれた植木の土、壁に生い茂った樹々や蔓の根本に気を向けたことさえなかった。店の床下や近くの地面を掘ればいるかもしれないと思ったけれども、蛹やその抜け殻すら見つけたことがない。


 ――蝉は殻を破る時、世界の壁を破る。


 去年の夏頃、沙夜さんがそんなことを言っていたのを思い出した。寂しげに「昔の知り合いが亡くなった」と呟き、その流れで特別な力をもつ人の話を聞いた。何でも亡くなった方は人間でありながら少しだけ神々の世界に入り込めて、生命の声にならぬ声を感じ取れたとか……。これが事実なら地下世界だけじゃない。地上だって何でもありだ。

「……あのさ」とゆかりさんが徐に声を発した。彼女の視線は部屋の片隅にある本棚に向いている。読む本は手に取れる所に積み置き、読まなくなった本を棚に並べるタチなので、本棚にはうっすらほこりが溜まっていた。何か変な本でも置いていたかなと曖昧な記憶を辿る。

「いや、ちょっと気になった本が見えてさ。ほら、あの端っこの」

 ゆかりさんが指し示したのは一冊の絵本だった。棚にある書籍で絵本はこれだけだったから目立ったのだろう。「あーこれですか」と私はのそのそと身を伸ばして棚からそれを抜き取り、ほこりを払い払い久方ぶりに表紙を眺める。

「リスカルエンデ…………。いつ見ても変なタイトルですね」

「あっ! やっぱり! 何か背表紙に既視感があったんだ」

 ゆかりさんは手渡された絵本をめくりつつ「うわー懐かしい」と感嘆の声を漏らしている。私にとってもその絵本は思い出深い作品だったので、同好の士にまみえたようで嬉しくなった。

「ゆかりさんもそれ知っているんですか?」

「知っているも何も――」

 ――これ、描いたの私だもん。

 何かの本で読んだ。この星の皮膜は赤ちゃんの肌のように柔らかくて、予期せぬ出会いは神様がその皮膚を指で摘まんで、地点同士が重なるから起こるらしい。この近くなったり遠くなったりする空間を「世間」というとか。

 作者に対して「変なタイトル」と口走ってしまった私の運命は如何に。

 次回へ続く。


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