蝉時雨7 機だ
「怪しいとは思っとったけど……」
「きっとこの子らをさらっていくつもりやったんやろう」
――違う。
「危ないとこやったなぁ。もう大丈夫やで」
「田舎や貧しい土地から子どもをさらって金にしとったんやろ。宮司さんは子どもの相手ようしてくれとったしな。目障りやったんに違いないわ。げに恐ろしい女やで」
――違う。
「警察には言うたんか?」
「もちろん。ただ、なかなか賢しい女みたいやさかい、そうそう捕まらんやろう。あれは鬼じゃ」
「日照りで困っとるとこをつけ込むなんて……今度見つけたらただじゃおかん!」
「……ちゃうわ!」
幼子は夢現で声を発してハッと我に返る。わずかに月明かりが射し込む蔵の中はしんとしている。どうやらうつらうつら寝入りかけていたようだ。
神社で「保護」された姉妹は蔵の中に閉じ込められていた。留守番の言いつけを破った件、村の皆に心配や迷惑をかけた件に対する罰らしい。一晩ここで反省するよう、両親は言い渡して去っていった。
「おしげ、大丈夫?」
「ん。ちょっと寝かけた」
「時間わからんけど、もう遅いんやろうなぁ……」
暗闇に目が慣れて、内部の輪郭は大よそ掴める。蔵の中にはたまに使う農具の他に、古めかしい家具や用途のわからぬ道具が乱雑に収められていた。ほこりと黴臭さに鼻も慣れてきているので、相当長い時間が経っているのは間違いない。
「なぁ知ってる?」と姉が問いを投げかける。
「この蔵なぁ、お化けが出るんやって」
「ふーん」
神の世界に立ち入っている妹としては妖怪ぐらいどうってことないらしい。「そんで?」と続きを促す。
「悪いことしてここに放り込まれた子をじっと見続けて、反省する気なかったら取り殺してまうんやって」
「ほーん」
「反省と言っても、うちら何も悪いことしてへんしな……」と率直な感想を漏らす。板の間で仰向けに寝転がり、目で梁の輪郭をなぞる。あほらしいし、この際さっさと寝ようかとさえ思っていた。
「……おまんはこういうの全然怖がらへんね」
「不可思議なもんは見慣れとるさかい。それより母ちゃんのゲンコツの方が怖いわ」
「そりゃたしかに」
くすくすと二人の笑い声だけが響く。蔵の中も外も物音一つしない。外に見張りの者を立たせていないのはわかりきっていたし、戸も鍵が壊れているのを前々から知っている。ただ、抜け出せばそれはそれで面倒だし、いつもと違う寝床も悪くないと姉妹は思っていた。
親も子も頭を冷やす為に距離を置こうという配慮がこのような習慣を生んだのかもしれない。
「しずかやなぁ」
「しずけさ夜、暇にしみいる、蝉の声」
「姉やん何よそれ?」
「ふふん、言うてみただけ」
夜が更けた今、蝉の鳴き声は聞こえない。聞こえれば少しはこの暇も紛れたかもしれない。沙夜は近くにいるのだろうか。試しに頭の中で呼びかけてみるけど返事はない。使い走りの蝉が近くにいないだろうかと考えたが、蔵の中からではわかりようがない。ないない尽くしだ。
「あのお姉さん、本当にすごい人やったんやねぇ。何かカラクリでもあるんやろうかってずっと考えていたんだけど、何もなさそうやし」
「沙夜姐やんはペテン師ちゃう」
「うん。もっとお話したかったわ……。ねぇ、おまんが沙夜さんと話したこと、色々教えてくれへん?」
姉の頼みにおしげは沙夜との雑木林での出来事を余すことなく話した。神域と現実の繋がり、命の声、そして「蝉」の存在……姉は妹の言葉に真摯に耳を傾ける。
「神社で話を聞いてもわからんかった点がやっと繋がったわ。お祭りの意味もね」
「ほんま?」
「お祭りって願いとか感謝とかだけやなくてさ、普通じゃ目に見えない色々なものが神様の所に送られていて、良いものも悪いものも含めて、そういうの全部が私達の世界の素になるんちゃうかな」
「うーん……ようわからん」
「悪口もお礼も神様は聞いてくれて、理屈はわからないけど、それが血や肉になるからお祭りでちゃんと送り届けろって沙夜さんは言いたかったんちゃうかな」
「おお、それならお祭りやらな!」
ガバっと身を起こした妹に対し、姉は寝転がったまま「どんなお祭りするん?」と冷静に尋ねた。
「どんなって……」
村ではささやかではあるが、盆踊りと地蔵盆は執り行われていた。それ以外に祭りと呼ばれる行事は催していない。それで良いのだろうかと思案してみたものの、他に祭りを体験したことがないので妙案が浮かばない。
「そういえば」と姉がふと思い出す。
「学校で地域の歴史を勉強している時、宮司さんが呼ばれて昔のお祭りの話をしていたわ」
「へぇ、それってどんなお祭り?」
「ええっと……忘れた……」
おしげはガックシと項垂れて「ちょっと姉やーん」と口を尖らせる。
「ごめんごめん。でもすごい賑やかだったって話していたのは覚えとる」
「うーん……それだけやとわからへんで」
「……ごめん」
早々に手詰まりになり、お互い無言のまま時が過ぎる。大気が流れる音さえ聞き取れる程に、静かに夜は更けていく……。
と思ったのも束の間、おしげが突然閃く。
「あっ!!」
うつらうつら寝入りかけていた姉も驚きのあまり跳ね起きてしまった。
「何よぉもうびっくりしたぁ……」
「ここにあるんちゃう?」
「えっ?」
「昔のお祭りの道具とか写真とか」
姉は打ち捨てられていると言っても良いほど、無造作に置かれた品々を見渡す。灯りもなしにこの中を検めるのはおよそ困難だ。
「これ、うちらだけで全部見るのは無理よ?」
「ん。やからな、声を聞いたらどうなんかなって。古い物にも神様は宿るって言うやん」
姉は「なるほどたしかに」と頷く。ただ、それには神の声を聞ける人間が必要だ。
おしげは「うちがおるやん」と自信満々に言ってのける。姉は妹の言葉を理解しかねた。「おまんも沙夜さんと同じこともできるんか?」と渋い視線を向ける。
「わからん。でも何かできそうな気がするんよ」
「気がするだけかい」と姉は肩を落とす。その様でよくもあそこまで言い切れるものだと感心すらした。でも――。
(この子ならできてしまうんだろうな)
妹の無邪気な不敵さをいじらしく思うと同時に、どんな壁も易々と飛び越えていく才覚に対し、ちくりと心が痛んだ。
間髪入れずに飛んできた「そないに言うたって、試してみなわからんがな」という反論に少女は「せやな」とにこやかに返す。
「やってみよう。物は試しや」
「ん……姉やん、うちの手を握ってくれん?」
「ん?何で?」
「……さっきの話が本当でも怖くないようにや」
「さっきのって……」
「ああ」と合点がいく。悪い子を取り殺すお化けの話を言っているのだ。あれは冗談だと今更言えない。霊的な体験が多いからこそ、怖さに実感を伴っているのかもしれない。意地悪なことをしたなと、姉はひそかに反省した。
隙間からほんのわずかに月明かりが射し込むおかげで、蔵の中は物の輪郭がわかる程度に明るい。暗がりの中で二つの小さな影はじっと佇んでいる。影の間に渡る小さな架け橋は固く繋がっている。
(あったかい……)
おしげは心を落ち着かせて、蔵の中で眠る命の残滓に呼びかけるように念じ始めた。どんな囁きも逃さぬよう、空間全体に意識を張り巡らす。
「…………」
しばらく経ったが、蔵の中は変わらずしんとしていた。息を呑んで見守っていた姉も「やはり」と諦めかけた所――。
「来た」
聞こえるかどうかくらいのささやかな声量、けれども力強い一言が幼子の口から漏れた。
ちらちらとほこりと見紛うような光の塵が姉妹の周囲を舞い始める。長き眠りから覚めた命の光はか細く、眼で追うのもやっとであった。
役目を失い、眠りについていた品々はおしげの呼びかけに応じて、ゆっくりと覚醒しているように感じた。ただ、それも一時のこと。疎らだった光の粒子もしばらくすれば、いつしか蔵の中全体に満ちており、まるで星の海に居るかのような光景が広がっていた。
(どこや?ないんか?いや、あるはず)
おしげは「声」の奔流から目的のものを聞き取らんとして、目をつぶって第六感を研ぎ澄ました。意識の綱を一つ一つ手繰り寄せるイメージで声の出元を確かめていく。
――あった。
「姉やん、一番奥の棚の一番下、漆塗りの箱」
「えっ、うん」
唐突の指名に戸惑いつつも、姉は家財の間をくぐりながら蔵の奥へ入り込んでいく。光の粒子が照らしてくれるおかげで、周囲の様子も肉眼でしっかりとわかるようになっていた。
――あるわ。
ほこりや塵が積もっていてわかりづらいが、妹の言葉通りに漆塗りの箱が棚の隅に眠っていた。引きずり出そうと動かす度にほこりが舞うので、鼻がくすぐったくて仕方ない。
「これかな?」
戻ってきて蓋の上に積もったほこりを手で拭ってみると、黒地に金塗りの立派な装飾が現れた。装飾や記されている家紋の意味などは幼い姉妹にはわからない。とにかく大事そうな物だというのはわかった。
「ん。これや」
「開けてみよか?」
ゆっくりと蓋を開いてみると、中から膨大な量の光の珠が溢れ出し、蔵の中を一層明るく照らす。光は渦のように姉妹を取り囲む。
「おしげ、これ……」
「大丈夫、声を聞いてみよ」
聞かせてください、とおしげが呟く。二人の意識に断片的に映像が流れ込んでくる。
草も生えぬ茫々たる風景、荒れ放題の田畑、痩せこけた子ども、必死に乳を搾る母親、血走った眼の男、自死を図る老人、見覚えのある顔……神社の宮司とその奥さんだ。沙夜もいる。三人で何か話している。
沙夜が宮司に何かを手渡した所で場面は移り変わる。夫妻が懸命な様子で祈りを捧げている。ご神体と共に沙夜から渡された物が供えてあるようだがよく見えない。沙夜は無表情でそれを眺めている。今よりも寒々しい雰囲気を纏っているようだった。
祈祷が終わって、夫妻は意を決した表情で振り返る。「頼む」と口が動いた。沙夜は躊躇なく二人に火を放った。本性は神といえども人の体をもつ以上、死の苦痛は同じように感じる。断末魔を上げてメラメラと燃え立つ人体を見ても、彼女は微塵も表情を変えない。火は神社にも放たれ、一帯は灰塵に帰した。燃え跡に沙夜がやってきた。彼女は本殿があった場所を掘り起こすと、蝉を見つけた。そして容赦なくそれを握りつぶした。バラバラになった蝉の亡骸へ向かってぼそぼそと呪文を唱える。すると摩訶不思議なことに、蝉は光に包まれて太鼓へと変化してしまった。脚は
住民はこの太鼓を真似て各家で太鼓を作り出した。製作した太鼓を持ち寄って例のあの雑木林に集まり、全力で打ち鳴らし始めた所で映像は途絶えた。
姉妹の意識は蔵の中へ帰ってきた。
虚ろな目線を交わす。「見えた?」と尋ね、無言の頷きを返す。周囲に満ちていた光芒は潰え、元の暗闇が戻ってきていた。
開かれたままの箱へと、どちらともなく視線を落とす。中身を取り出し、くるまれていた和紙をはぎ取ると映像で見た物と思しき太鼓が姿を現した。放置されていた割には古めかしさや劣化を感じない。膜を指で叩いてみると、トンと小気味いい音が鳴った。
「良い音」
「ん。やな」
トン、トン……。
トン、トン……。
姉妹は残りの夜を祈りを捧げるように慎ましく過ごした。
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