蝉時雨2 魔だ


 悔やみ受けの間、正座の苦痛を紛らわすために思考を巡らせる。

 調べ物の結果、「雑木林の神」について、大よその内容は把握できた。この地の伝統である太鼓踊りの復興に関する民話のようである。

 あらましはこうだ。


 江戸時代以前、この地域には雨乞いの祭りとして太鼓踊りが奉じられてきたが、明治になると少しずつ伝統が忘れられていった。毎年行われていた祭りは少しずつ頻度が減り、大正にはとんと途絶えてしまったらしい。そして昭和になっていくらか経った頃、過去に例を見ないほどの厳しい日照りがこの地域を襲う。

 それに対し、住民は藁にも縋る思いで祭りを復活させて敢行した所、太鼓の音に乗るかのように雑木林に棲む蝉がけたたましく鳴いて雨雲を呼び、見事に雨が降ったという。


 わかったのはここまでだ。これだけでは例の証明書との繋がりはわからない。お寺の住職、あるいは神社の神主に話を聞いた方が詳しいことがわかるかもしれない。

 弔問客を待っている間、恵おばちゃんが「どう?何か分かった?」と話しかけられた。

「どうって……。大まかなことしか」

 紙切れとの関連はさっぱりだと言うと、恵さんは「ほうかぁ……」と残念そうに呟いた。痺れかけている足を揉みながら「ごえんさんはこの話を知らんの?」と小声で問う。

「今のごえんさんもうちが知っている以上のことは知らんと思うわ。先代やったら婆ちゃんとも付き合い長かったし、何か聞いとったかもな」

「先代は?」

「引退して悠々自適や。寺を息子に任して老後を謳歌しとる」

 要するになかなか捕まらないってことらしい。「神社の神主は?」と尋ねるも、そちらもすぐに会うのはなかなか難しいとのこと。

 それならとりあえずおばちゃんの知っていることを聞いておきたい。

「ん。ほんなら今日の通夜終わったら話そか。あー痛たたたた……」

 脚の痺れが否応なしに話を遮る。各々限界に近い脚を擦ったり、組み替えたりして残りの時間を凌いだ。喪に服す悲哀はそこにはない。足の痛みに悶える親族一同を祖母は笑って見ているのだろうかと、そっと棺に目をやった。



 近隣に向けた悔やみ受け、身内だけで執り行われた通夜を経て、その日は終わった。一行は和やかな雰囲気の下、仕出し弁当をつつきながら故人を偲ぶ。

 私は恵おばさんに昼間の話の続きを求めた。

「そうやなぁ……。うちが知っているのは婆ちゃんがあの話の当事者ってことやな」

 仕出しに入っている謎の料理を摘まみ上げつつ「当事者?」と返す。しょっぱいのか甘いのかさえわからない一品を思い切ってぱくりと口に入れる……もにゅっと何とも言えない食感が口に広がり、思わずグラスに手が伸びた。

「言うても婆ちゃんも小さい頃の出来事や。記憶の脚色も多分にあると思う」

「でも年取っても覚えていたんなら、相当印象的な体験やったんやろうね」

「亡くなったうちの母ちゃんがよう言ってたわ。「おしげは土地の神さんに愛されとる」って」

 祖母は「救いのしーやん」の名に違わず、不思議な出来事に度々遭遇していたり、自らそうした現象を起こしたりしていたらしい。

 白蛇が現れたので殺さずに逃がしたら作物が豊作になっただの、ある女性が祖母に不妊の相談をした所、観音様が女性の夢枕に現れて子を授けただの、そうした眉唾物の逸話が町内で語り継がれているという。ただ、祖母が慕われていたのはこうした神通力に寄らず、他人の悩みや不和に対して、お節介を焼いてきた人柄による所が大きかったらしい。

 私の母が「そういえば」とふと口を開いた。

「婆ちゃんは「神さんや仏さんは気まぐれだから結局、何事も人の心がけと行い次第や」って言うてたな」

 恵おばさんはナプキンで口元を拭いながら頷いた。

「あー亡くなる前に言うてたね。神様はええ加減やって。特に初めて会った神さんが本当に適当やったらしいで」

「初めて会った神様」という非現実的なワードを当たり前のように受け入れられてしまうのは、祖母のキャラクターのおかげだろう。生前の彼女は言動に「あの人ならあり得る」と思わせる説得力をもっていた。

「その神様ってもしかして――」

 刺身を醤油溜まりに運びながら問いかけると、おばさんは「そう、それが雑木林の神様なんやって」と告げた。



 通夜を終えたその晩、夢を見た。

 私はどこかの知らない街を彷徨していた。往来する人々をかわしながらあてもなくぶらつく。田舎と都会の中間くらいのありふれた街並みは未知の土地なのに不思議と懐かしさを感じさせた。

 大通りから少し外れた位置にある、商店街のアーケードを抜けた先、多種多様な植物に覆われた一軒の建物が目に入った。放置物件かと見紛うほどに古ぼけたその舘に、私は導かれるように歩みを向ける。

 軒下に辿り着き、じっくりと外観を眺める。扉の脇に備え付けられた照明は日中なのに温かな光を湛えており、来訪者を誘っているようであった。玄関先には小さな看板が立てられている。

「蝉専門店しずけさ屋 営業中」

 現実との予期せぬ一致に目を瞠る。驚きのあまり、懐を手で探った。

 もちろん夢だから例の書類は手元にあるはずが……あった。差し込んだ手をスーツの内ポケットから引き抜くと、買取証明書がしかと握られていた。

「そうか夢だから思いのままにできなくもないのか」と勝手に納得する。

 店の扉をノックしてみる……が返事はない。ノブを回すとあっさり開いたので、店内を窺いながら忍び足で入り込む。古ぼけている割に扉の建て付けは滑らかなのが気になった。

「こんにちはー」

 恐る恐る中に向かって何度か呼びかけてみたけれども、店内は静まり返ったままであった。

 じっくりと店内を見回して観察する。外の植物が天井裏からぐねぐねと入り込んでいるようで、天井から壁にかけての辺り一面に枝と蔓が生い茂っている。家具や調度品は古い物ようだがよく手入れされており、人が生活している痕跡が見て取れた。

 枝に引っ掛けられたランプには火が灯してあり、ゆらゆらと燭光が揺れている。それを見て「火事にならないだろうか」と一抹の不安を抱いた。

 ――そう思わなければ何も起こらないさ。

 私以外に誰もいないはずの空間に声が響いた。「誰?」という問いに声は端的に答える。

 ――君が探し求めていた者さ。

「それって――」

「そう、「雑木林の神」だよ」

 ランプの灯が作り出す影からずるりと人が出現した。これが神だというのなら随分とおどろおどろしい登場の仕方だ。

「私の名は沙夜さや、この店の主だ」と神は名乗った。

 腰まで伸びた漆黒の髪、それと対照的に生気を感じさせない程に真っ白な肌がほの暗い店内にありありと浮かび上がる。うっすらとした微笑みには魔性の鋭さがあり、心を貫き通されているような感覚に囚われた。一目で人ならざる者だと確信する。

「それがあなたの名前ですか……」

「そう構えんなって」と沙夜は飄々と言葉を返す。彼女が指でささっと空をなぞると、すーっとどこからともなくポットとカップが現れた。

「ほら、そこに座りな。良いお茶が入ったんだよ」

 主の目配せを受け、そっぽを向いていた椅子が勝手にこちらへ向き直った。やけに現実味のある夢なのに現実離れの現象が次々と起こって、脳の理解が追い付かない。「はあ」と気の抜けた返事をして座席についた。

「ほらよ」とぶっきらぼうにカップが置かれる。そこにきらきら光る琥珀色の液体が注がれると、湯気に乗って嗅いだことのない不思議な香りが漂ってきた。

「飲んでみな」と促され、恐る恐るカップを口に運ぶ。これは――。

「おいしい」

「だろ?私お手製のブレンドだ。不味いと言ったらただじゃおかなかったぞ」

「…………」

「それはともかく」と沙夜は言葉を重ねる。

「今日、君を呼んだ理由はわかるかい?」

「えっと……祖母が関わっているのは何となく……」

「そう、おしげのことだ。あの子は満足して逝けたかい?」

 優しい口調で語りかける彼女の瞳に、儚き光が宿ったように見えた。その問いに私は無言で頷く。

「そうか。早いなぁ……。会った時はあんなに小さかったのに……」

 祖母のことを親戚の子のように想い懐かしむ様は、若々しい女性の外見とイメージがかけ離れている。

 テーブルの向かい側にどっかりと座って、沙夜は小さくため息を吐いた。

「昔に祖母と何があったのか、教えてくれませんか?」

「うん、そのつもりで呼んだんだ。あの子には借りがあるからな」

「借りって……」

「それそれ」と沙夜は私の手元を指差す。体裁の整っていないこの書類が本当に役立つとは思わなかった。

「それは内容より手元にあることが大事なんだ。世の中ってそんなもんばっかだろ?」

「ええ、まあ」と、こちらの何とも言えぬ返答を意に介さず、神女はつらつらと言の葉を並べ立てる。

「私はあの町にある目的があってやってきた。もっと詳しく言うと「あの雑木林に」だな。その中でたまたまおしげと出会い、たまたまあの集落が日照りに悩んでいて、たまたま私の目的を達する為にはそれを解決しなくちゃいけなくて、君が知るああいう流れになった」

 ――初めて会った神様はええ加減。

 祖母が残した言葉を思い出す。

「あなたが本当に神様の類だとして、町が救われたのは「神の気まぐれだった」とでも言いたいのですか?」

「そういうことにしておかないと、人間って奴はいつまでもこちらに縋りつくだろう?君が調べた伝承に私の存在が出てこないのはそういうことだ。人間に手を貸すにしても、それによって人々に利益がもたらされたって喧伝されちゃいけないっつーのが、この業界のちょっとした心得だ。霊験あらたかな大手はこの限りではないがな」

 沙夜は椅子にふんぞり返ってほくそ笑んでいる。あまりの不遜さに「本当に神様なのだろうか」と疑いの念が芽を出す。

 この光景が私が見ている夢、つまり脳内で起こっている出来事ならば、この女性は私の思考の写し身だ。これが私の純粋な思考なのだろうか。脳にこんな高慢な本心を飼っていたとしたら、今後の身の振る舞いを考えなければならない。

「心を読まなくてもわかる。私が本物なのか、疑っているね?」

「だってこれは私の夢ですから。あなただって脳が作り出した偶像かもしれない」

「何が現実で何が夢か、誰の現実で誰の夢か、目の前の現象が神の御業によるものなのか、それとも人の想像の産物なのか、いずれも疑い出すとキリがないさ。君は過去の出来事を知りたい。私は君のお祖母さんに借りを返したい。今はそれだけだろう?」

「それは……」と口答えしようとした所で、神は有無を言わさず「目を閉じてゆっくり呼吸をして」と柔らかくもはっきりと語りかけてきた。その言葉を聞いただけで、頑なな意思は静水に浮かぶ氷のように虚ろに溶け込んでいく。真っ暗な視界、聞こえるのは彼女の声だけ。お茶のかすかな香りがぼんやりと意識の中を揺蕩う。

 ――言葉で語るよりはこっちの方が手っ取り早いんでね。

 頭の中に沙夜の声が響く。

 ――これから君には実際に見てもらう。過去に何があったのかを。

「え?ちょっと待って」と頭の中で唱えるも、間もなく思考は限りなくゼロに近くなり、意識はますます深淵に沈み込んでいく。

 夢のまた夢へ、かつて存在した現実だけを求めて、私は闇を落ち続けた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る