第19話 スタジアムの罠


 路子は腕を組んで考え始めた。

「とにかくこの人に会ってみたいわ。場所はどこにしようかしら、人が沢山いて目立つ所がいいわ」

「それなら、明日の午後早苗と埼玉スタジアムでサッカー観戦するんです。そこはどうですか?」

「埼玉スタジアム? そうね、そこでいいわ。何時にどこで観戦するの」

「午後一時試合開始で、バックスタンドのSA席です」

「あらまあ、チケットの高い席で見るのね。じゃあ川崎さん、子ブタちゃんにメッセージを書いて、『明日の午後一時、埼玉スタジアムでファイルを渡します』でいいわ」

「わかりました」早苗は再び文字を素早く打ち込んだ。

 すると、数分もしない内に返事が帰って来た。

「『OK取りに行くよ』って返事が返ってきましたよ」

「それじゃあ、啓太。今すぐ携帯電話を買ってきて」

「え、何に使うんですか?」

「買ってきた電話で子ブタちゃんと連絡を取るのよ」

「なるほど」

「その電話でやり取りをして、ウイルスの入った画像を子ブタちゃんに送信したいのよ」

「ウイルス? また犯罪を犯すんですかロコさま……」

「お黙りなさい! このくらいの事をやらないと、根の深そうなこの事件を解決できないと思ってるのよ私は。今日中に相手のスマホの位置情報を入手するウイルスの入った画像ファイルを作っておいてね、画像はタブレットが燃える直前でいいわ、わかった? 啓太」

 啓太は口を尖らせて不満げな目を路子に投げ掛けた。心の中で路子の違法行為に対する不信感が湧き出たようだ。

 その様子を察した路子は、

「啓ちゃん、この仕事が上手くいったら、ご褒美にどこか温泉にでも連れて行ってあげるわよ。だから、がんばって仕事して頂だい!」

 路子は大きな目をパチパチさせながら啓太を覗いている。啓太は頭に手をやりながら、しかたない、やるしかないかなという顔をしていた。


◇  ◇  ◇  ◇


 埼玉スタジアムの大型スクリーンに、スターティングメンバ―の選手が映し出される度に会場から大きな声援がこだまする。試合開始の十五分前、路子たち四人はバックスタンド中段の自分たちの席を探していた。

「ここよ」

 早苗が指さした席は通路から三番目と四番目の席で、通路側には中年の夫婦が座っていた。その夫婦に近づいて路子が声を掛ける。

「おじ様とおば様、大変恐縮ですがお席を替えていただけないでしょうか?」

 路子はバックスタンドのS席のチケットを二人に見せながらほほ笑んだ。

「え、S席じゃないですか、いいんですか?」

「もちろんですわ、私たち四人で一緒に観戦したいものですから、お願いします」

「わかりました、交換します。おい、もっといい席に移るぞお前」

 夫は妻の腕を掴んで立ち上がり、路子たちに会釈しながら立ち去って行った。

「さあ、席が空いたわよ。座りましょう」

 正夫と早苗は奥の席に、その隣に啓太が座り、路子は通路際に座った。緑の芝生のグランドでは、センターサークルに赤いジャージに白いパンツの選手二人がキックオフの笛が鳴るのを待っている。黒いジャージを着た審判が右手を上げ、左手に持った笛を吹く。大きな太鼓の音や歓声に包まれながら試合が開始された。

「試合が始まったわね、啓太。例のものは準備してある?」

「ロコさま、画像ファイルにウイルスを埋め込むのに昨日の夜遅くまでかかりましたよ。残業手当を要求したいです」

「残業手当? そんなものは無いわよ。うちの会社はフレキシブルに仕事をして、成果が出た後にご褒美をあげるシステムなんだから。この仕事が終わったら温泉に連れて行くって昨日言ったでしょ!」

「はあ、わかりました」

「川崎さん、子ブタちゃんから連絡来た?」

「いいえ、まだです」

「あら、遅いわね。ちゃんと来るかしら彼」

「椿坂さん、彼に直接会って話をするんですか?」

「金田さん、しっかりと対策を練っていますから心配なさらないでください」

「このスタジアムの何処かにいるのかな?」

 正夫は早苗が変な事件に巻き込まれることを心配している様だ。試合が始まってもキョロキョロして落ち着かない様子だが、隣に座る早苗は試合に夢中になっている。早苗はサッカーボールを追いかけるのではなく、お目当ての選手一人の行動を凝視していた。その選手がボールを持つと、途端に前のめりになってはしゃいでいた。


「ロコさま、もう試合が始まってから十五分経ちましたよ」

「ちょっと川崎早苗さん、まだ連絡が来てないの?」

 路子は少しイライラした様子で尋ねた。

 早苗は路子の声に反応せず、お目当ての選手がゴール前でボールをさばいている試合状況に手を握りしめて観戦している。今は何を言っても聞こえない様だ。すると、その選手が相手選手に倒されてしまった。すかさず主審が駆け寄ってペナルティーサークルを指さしながら笛を吹いた。

「きゃー、ペナルティーキックをゲットしたわ!」

「ちょっと早苗さん、私の話聞いてる?」

「待って、待って、今大事な所なんだから」

 ペナルティーサークルの中央の✕印の上にボールを置き、四、五歩下がって笛を待つ。主審の笛を合図に走りだし勢いよくボールを蹴った、が、ボールはゴールポストの上を越えてスタンドに飛んで行ってしまった。

「ありゃりゃ、外しちゃったわ」

 息をのんで見守っていた早苗はがっくり肩を落とすと、目を細め冷めた顔になってうなだれている。

「正夫さん、早苗さんのスマホ調べてよ!」

 路子はいらだって啓太の隣に座る正夫の腕を掴み揺すった。啓太は路子の腕をよけてのけぞり、正夫は揺すられてあたふたしている。

「さ早苗、例の男から連絡が来ているか調べてくれよー」

「……わかったわよ」

 早苗はスマホを取り出して調べ始めた。

「あら、三件も来てるわ」

「何よー、とっくに来てたんじゃないの、なんて書いてあるのよ?」

「えーと、『今着きました』『何処にいるんですか?』『まだですか? 早くしてくれ』って書いてあるわ」

「子ブタちゃんもイライラしてるようね、じゃあ早速返事を書きましょうか」

「何て書きます?」

「そうね、『090XXXXXXXXにショートメールして』でいいわ」

 早苗は言われた番号をリプライした。程なくして、啓太が昨日買ったスマホにショートメールが届いた。

「ロコさま、メッセージが来ました」啓太はメッセージを開いて路子に見せた。

「『参上! pink_no_kobutachan_dazo』だってアホな人ね、『十万円持って来た?』って返事して」

 啓太はメッセージを返信するとすぐに返事が返って来た。

「ロコさま、『動画が先だぞー』って書いてあります」

「予定通りね啓太、例の画像を添付してこう書いて『静止画像を送るから、本物だとわかったら十万円持って来て』」

 啓太はウイルスの入った画像を添付してメッセージを送信した。すると、路子は啓太の持っているスマホを横取りして何かを調べ始めた。それが終わると、

「正夫さんと早苗さん、私たち先に失礼します」

「え、もう帰るんですか?」

「ええ、仕事が終わりましたから。あと早苗さん、子ブタちゃんのアカウントはブロックしておいてね」

「は、はい。わかりました」

「先輩、俺たちはその男に付きまとわれたりしませんか?」

「正夫君たちは、大丈夫だと思うよ。何かあったら連絡してくれ」

「はーそうですか」

「じゃあね」

 路子と啓太はさっさとスタジアムを出て行ってしまった。

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