第2話 消費者問題解決の女

 熊田たちが乗る車とレッカー車は、UG保険の宇都宮営業所に着き、駐車場に車を止めた。熊田は車から降りるとレッカー車の所へ行き、運転手から燃えたタブレットを受け取る。そして正夫の車のドアを開けて、車内のルームミラーに固定されたドライブレコーダーから、SDカードを取り出した。


「この動画ファイルの中に、タブレットが出火したところが映っている筈だ」


 熊田は正夫たちを応接室に案内する。正夫と早苗は三人掛けの長椅子に座る。事務員がコーヒーを持って来て三人に配り終わったあと、入れ替わって営業所長の山岸が入って来た。


「金田さま、今日は本当に申し訳ございません。おい、熊田主任、君も一緒に謝れ」

 熊田は慌てて所長の後ろに回り、二人で深々と頭を下げた。


「大した火傷じゃないから、大丈夫ですよ」

「そう言っていただけるとありがたいです。熊田主任、今回の不祥事のご対応策をしっかり立てなさい」

「所長、わかりました、善処いたします」

 山岸所長は一礼して応接室を出て行った。熊田は正夫たちの向かいに座る。テーブルには燃えたタブレットとSDカードが置かれていた。


「本当に申し訳ありませんでした。お火傷の痛みはありませんか?」

「痛みは無くなったわ。ここに来る途中、薬屋さんで買ったクリームをたっぷり塗りましたから」

「しかし、大した火傷じゃなくて良かったな、早苗」

「ええ、だけどしばらくパソコンが打てないわ」

「そのあたりのお怪我の補償についても、後ほどご相談させて下さい」


 コンコンとドアをノックする音がしてドアが開き、女性が入って来た。


「失礼します、ペールキューブの前川さまがお見えですが」

「ああ、こっちに案内してくれ」

「前川さま、どうぞお入りください」

「はい、失礼いたします」


 ペールキューブ社、営業係長の前川茂(三八才)が緊張した面持ちで入って来た。


「熊田さま、申し訳ありませんでした」

「前川さん、大変だったぞ。この方が金田さまとお連れの、えーと」

「川崎早苗です」

「失礼しました、お火傷をされた川崎さまです」

「ペールキューブ営業の前川と申します。今回の不祥事をお詫びしますっ」

 前川は、直角に体を倒して頭を下げたままじっとしている。


「もうそのくらいにして、顔を上げてください」

 正夫は前川に声を掛けた。

「前川さん、こっちに座って」

 前川は熊田の右隣に座ると、燃えたタブレットを見て驚いた表情になる。

「いやー、激しく燃えたんですね」

「そうだよ、火をふいたんだから」

「お嬢さん、お火傷のほうは大丈夫ですか?」

「ええ、痛みはおさまりました」

「なんでタブレットが燃えるんだよ」

「金田さま、持ち帰って調べてみないとわかりません。しかし、どうしてお嬢さんが火傷したんですか熊田さま」

「立体動画撮影を試して頂いたんだ」

 熊田は前川の言葉に少しイラついた様子である。前川は燃えたタブレットを手に取り、表と裏をひっくり返したりして焼けた部分を確認している。


「このタブレットは今日の朝、あんたの会社の検査部の人が持って来たんだ」

「え、そんな話聞いてませんよ熊田さま」

「なんか、不具合が出たから交換するって言ってたよ。前に使っていたタブレットはその人が持って帰った」

「なんで営業の私がその事を知らないんだ。本当にうちの人間かな、名刺貰いました?」

「いいや、貰ってない。まったく同じタブレットだったから信用した」

「熊田さま怪しいですよ、その男」

 熊田はそれを聞いて怒り出した。


「そんなこと言うなんて、あんたの会社は信用できない。このタブレットの事故調査は別の所でやってもらうぞ」

「すみません、軽はずみな事を言ってしまって。このタブレットは私の会社で徹底的に調査して、ご報告いたします」

「あんたの会社は三年前リコール隠しをしたじゃないか」

「あのあと社長が変わって、コンプライアンスは強化されました。うちで調べさせてください」

「ダメだ。変な細工をされたら困るからよそに頼む」

「勘弁してください熊田さま、競合相手にこの事故が知れたら困ります」

 前川は自ら悪い状況を作ってしまった自分を、悔いている様だ。汗が出て来た。


「僕の大学の先輩が、消費者問題解決コンサルタントの会社に勤めてるんです。そこに頼んだらどうですか」

「え、金田さま、何という会社ですか?」

「『コンソルロコ』って名前の会社です」

「コンソルロコ? 聞いたことないなあ、そんな会社」

「去年立ち上げた宇都宮にある会社なんです、この会社に頼みましょう」

「はあ、そう言われましても。信用調査しないと……」

「私たちは被害者なんですよ、ここに頼んでください」

「金田さまがそこまでおっしゃるなら、その会社の人と一度会ってみますか」

「訳の分からない会社に頼むのは勘弁して下さい、熊田さま」

「あんたは黙ってろ!」

「……」

「金田さま、その会社に連絡していただけますか?」

「わかりました、早速電話してみます」


◇  ◇  ◇  ◇


 JR宇都宮駅近くの商店街の通りを十分ほど歩いたところに汚い雑居ビルがある。そのビルの三階に、コンソルロコ(コンシューマーズ・ソリューション・コンサルタント会社)が事務所を構えていた。


 コンソルロコ社の代表は椿坂つばきさか路子みちこ(三二才)独身である。前年の秋にOLを辞めてこの会社を設立した。いかにも仕事ができそうなキリッとした細面で鼻も高い。だが、目だけは意外と愛らしかった。髪は七三分けのボブカット、白いシャツに紺のスリムパンツをはいている。


 従業員はたった一人、釘丸くぎまる啓太けいた(二四才)だ。大学を出てコンピューターウイルスを監視するソフトを開発する企業に就職したが、たった一年で辞めてしまった。喫茶店でバイトをしている時に路子にスカウトされたのである。お坊ちゃん育ちの啓太は童顔で、髪はショートカット。細いストライプのシャツに、細いニットのネクタイを締めている。


「ロコさま、今日も仕事ありませんでしたね」

 啓太は路子のことを“ロコさま”と呼ぶようだ。


「啓太、お黙り! さっさとうちの宣伝用の動画を編集しなさいよ。それが出来れば、沢山仕事が来るわよ」

「ホントかなあ、この前盗まれた猫の捜索案件以来、仕事が来ていませんよ」

「あのペルシャ猫よく見つかったわよね、なんて名前だったかしら」

「ベイブ」

「あのペットショップあくどかったわねー、売った猫の首輪にGPS発信機を付けてあとで奪い返して、またその猫を売りに出すんだから」

「ロコさまは、何故ペットショップを警察に通報しなかったんですか?」

「猫の探し主とペットショップの両方から報酬を受け取るためよ」

「それって、ほぼ犯罪じゃないですかね?」

「お黙り、これも立派なソリューションよ」


 そこへ啓太のスマホの着信音が鳴った。


「もしもし、釘丸です」

「先輩、お久しぶりです。金田正夫です」

「おお、正夫くん。元気か」

「ええ、なんとか。ところで今日は仕事の話で電話したんです」

「仕事って何さ」

「先輩がやってる消費者問題解決の仕事ですよ」

「ありがたい! 暇でしょうが……いや、何でもない」

 仕事と聞いた路子が、啓太の前で腕を組んで立っていた。口を尖らせて睨んでいる。


「先輩、仕事の詳細を話すと長くなるので、打ち合わせに来れますか?」

「どこよ?」

「UG保険の宇都宮営業所です」

「そこなら十分で行けるな、ちょっと待って」


「ロコさま、仕事来ました! 今からUG保険に行けます?」

「もちろんよ、すぐに行けるわ」

 路子はお化粧を直すために、小走りで洗面所へ向かった。


「もしもし、すぐ行く。じゃあね」


 啓太は電話を切ると、立ち上がって緩んだネクタイを閉める。

 洗面所を出て来た路子は、久しぶりの仕事に目を輝かせている。


「啓太、出動するわよ!」

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