惨劇の王子

 やがて部屋には俺と横たわったまま眠り続ける王子だけになった。

 この黄金に輝く王国に残った最後の王子様。

 王も王妃も、そして双子の妹たちも、そのか細い腕で自ら殺めたという。

 王子は生まれながらにして気が狂っていた。

 かつて生存していた女中がそう教えてくれていた。

 王子は美しいものを見ても笑みを浮かべなかった。

 美しい音楽を耳にしても、美味しい料理を口にしても同様だった、とも。

 俺は女中に訊ねた。

「じゃあ王子はいつ笑ったんだ?」

 彼女は答えた。

 王子が可愛がっていた鳥が猫に食い殺されたときだった。

 そのときに初めて、私は王子が笑む姿を見ました、と。

 白い鳥は血に染まり、真っ赤になっていて。

 それを見た王子は、

「ああ、綺麗だ」

 そう呟いて微笑んでいたのだ、と言った。


 そして、その翌日の晩餐にこそ、この国の悲劇は幕を開けた。

 王と王妃と王子、それから妹の双子姫。

 彼らが揃って食事をしているはずの大広間から悲鳴が響いたのだ。

 駆けつけた兵士が目にしたのは白亜のテーブルと真っ白なテーブルクロス。

 その上に並べられた見目麗しい料理の数々。

 白い蝋燭が何本も立てられた金色の燭台。

 そこに活けられた純白と黄金の薔薇たち。

 それら全てに降り注いだ、余りにも鮮やかな赤い色。

 椅子に座ったまま、若しくは大理石の床上に倒れた血まみれの主たち。

 その周りには女中や兵士も倒れていた。

 彼らを中心にして広がっていたのは、やはり大量の赤い色で。

 そんな中にひとり佇む王子はこちらを振り向き、笑んでいた。

 返り血を浴びて赤く染まったその笑みは、あまりにも美しく、恐ろしくて。

 兵士は咄嗟とっさに、弾かれるようにしてその場を逃げ出した。

 だが、すぐに追いつかれてしまった。

 王子はこの世のものとは思えないほど美しく、立派な白馬に跨っていた。

 手には一振りのつるぎを煌めかせ、ほどなくして兵士の左腕は宙を舞った。

 恐怖と痛みに喉を引き攣らせ、それでも必死に走り続けて。

 上手く小部屋に転がり込むと、王子が追って来ることはなかった。

 激しい動機と眩暈。

 腕を落とされたことによる激痛と悪寒。

 いよいよその場から一歩も動けなくなった。

 そんな兵士を見つけたのは、密かに恋仲となっていた女中だった。

 彼女の腕の中で、兵士はたった今起こった惨劇を事細かく伝えた。

 王子は気がふれてしまった。

 君だけでも早く逃げるんだ。

 そこまで伝えて安堵した兵士は絶命して。

 それでも女中は逃げることよりも食堂へ向かうことを選んだという。

 物音一つ響いてこない食堂の中を恐る恐る覗いて――、

 すると、そこに凄惨な光景は一切無かった。

 ただ王子がひとりきりで食事をしているのみで。

 その傍らには見慣れぬ執事がひとりだけ控えており、粛々と給仕をしていた。

 赤い色はどこにも見当たらなかった。

 王子の、紅玉ルビーのような瞳の他にはどこにも――。


 俺には女中が教えてくれた話の真偽を確かめる術が無い。

 王子が生まれながらにして狂っていたのかどうかを知ることだってできない。

 王子は俺が生まれるずっと前から眠り続けていた。

 城に存在していたのは年老いた執事と数人の女中。

 それから料理人と庭師と兵士が一部隊だけだった。

 彼らを除く家臣たちは全て、王子によって処刑されたらしい。

 いいや、家臣たちだけではない。

 王子は民でさえも愛用のつるぎで老若男女を問わずに斬り殺したのだという。

 斬って、斬って、斬り捨てて、あとに残ったのは数えきれない骨の山々。

 その名残は今も玉座の間に残っている。

 くれないは狂気の色だ。

 生まれながらに深紅の瞳を持って生まれた王子は、自身の瞳の色を憂いていた。

 そして王や王妃、妹たちや、この国の民が等しく持つ金色こんじきの瞳を羨望していた。

 執事を始め、殺されずに済んだ人間の瞳は皆、鳶色とびいろだった。

 黄色がかってしまったが故の成り損ない。

 だから彼らは見逃されたのだと執事は言った。

 ちなみに俺の瞳も金色ではない。

 とても良く光る、蛍光交じりの紅色だ。

 俺は人間を模して作られた機械なので、所詮は模造色止まりだった。

 黄金こがねくれないも、生きている者にしか宿らない。

 王子は人があかく染まるのを見たがったという。

 白い肌を切り裂けば、誰もが等しく、不吉がって忌み嫌うくれないに染まる。

 そうして赤い色に安堵する王子は次々と人を殺めたらしい。

 俺の中に流れる潤滑油が赤いのはそのためだと執事は言った。

 赤は王子の色だ。

 俺は王子のためだけに作られた。

 身動ぎひとつしない王子の身体に触れる。

 酷く冷たい。

 まるで陶器だ。

 だが息がある。

 千年の眠り。

 これが王子に架せられたものだと執事は俺に教えた。

 だが、なぜ千年の眠りに就いたのかは知らない。

 王子が民を虐殺したことと関係があるのだろうか?

 そのことについて執事に何度か訊ねたが、今も理由を教えて貰えずにいる。


 俺は部屋を後にした。

 城はどこもかしこも白い。

 調度品に至っても白ばかりで、所々の装飾が金である以外は真っ白だ。

 一方で庭に生えている草や木や花の全ては金色こんじきだった。

 大地さえも鈍い金色をしている。

 噴水に流れる水だけが何色にも染まっていない。

 あとは頭上に広がる空。

 いつも変わらない、気の抜けたような薄い青色だ。

 やって来る鳥はいない。

 昔はいたのだと女中は言っていた。

 それらは全て白い鳥だったらしい。

 静かだ。

 誰もいない。

 廊下を進み、執事がいるはずの執事室へと向かう。

 食事を貰うためだ。

 なんだかんだ言っても、執事は俺の分の食事も用意してくれる。

 俺の身体は殆どが金属でできている。

 それでも人間と同じように食事をしなくてはならないのはおかしな話だと思う。

 摂取した食事は、人間で言うところの胃に当たる機関で燃やされ、分解される。

 そうして熱量に変換されて動いていきているのだと執事は説明した。

 だから俺は、人間とは違って排泄をしない。

 燃えカスが出ることが無いからだ。

 もちろん分解できないものある。

 それについてはあらかじめ知っているので、絶対に口にはしない。


 執事室がやたらと静かで、俺は執事の名を呼んだ。

 しかし返事は無い。

 早足に部屋の内部へ向かうと、白いテーブルの上には見慣れない物があった。

 円盤状の金色をしたプレート。

 中央には執事の名が記されてあった。

 これはなんだ?

 手にした瞬間、俺はこれをどう扱うべきなのかを理解した。

 王子の寝室に唯一存在している調度品。

 それに必要な物だ。

 これはレコードと呼ばれる記録媒体で。

 そして、あの調度品はこれを再生するための機械――そうだ、蓄音機だ。

 俺は食事を摂ることを忘れ、レコードを手にして再び王子の寝室へ戻った。


 蓄音器にレコードを嵌め込み、その上にそっと針を落とす。

 王子が眠り続ける寝台の縁に腰かけて目を閉じた。

 やがて吸い込まれるような感覚に襲われて――、

 俺の意識は薄れていった。

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