千年の眠り

 三つの都と、七つの村は滅びて王国は亡国となった。

 残っているのは、血で染まっても尚白い、この白亜の城だけだ。

 金色こんじきの瞳を持つ民をすっかり殺しきってしまった王子は、近隣の国へ渡った。

 そしてそこら中の都や村を散々荒らした。

 悪魔の力で瞬時に移動が可能だったため、単騎で攻め入っては次々と滅ぼした。

 そのあいだには勇者を名乗る一行が何組か、王子の討伐にやって来た。

 だが、誰も王子を殺すことはできず、皆、返り討ちにあった。

 無意味な殺戮は続き、実に二年の月日が経過していた。

 大陸には目ぼしい都も村も無くなり、国が一つ、また一つと姿を消した。

 王子を討てる勇者も現れない。

 魔王となった王子は代わり映えのしない日々に心底飽いていた。

 とは言え、もはや自害するという発想すら無くなっていた。

 死に至る感傷は全て風化して。

 ただ無為に人を殺し、時を過ごす。

 そんな中、とうとう待ち望んだ新たな勇者御一行が城にやって来た。

 王子は久方振りに顔を輝かせ、意気揚々とつるぎを手にした。

 今度こそ全てが終わるかもしれない。

 いや、終わらせてくれ。

 王子の胸は久方ぶりに躍った。

 現れた一行は四人編成で。

 百戦錬磨と見受けられる彼らは、類い稀なる連携でもって王子に挑んだ。

 だが、百戦錬磨なのは王子とて同じこと。

 ひとり。

 またひとりと、王子の前に倒れてゆく。

 王子は恐ろしく強かった。

 多くを殺し過ぎて、意識より先に身体が動く。

 そして長き戦いの末に剣士だけが残った。

 流石に長時間に及んだ戦闘で、王子も疲弊している。

 勝負は五分五分に見えた。

 悪魔は始終見守っているのみで、王子に加勢することはない。

 それが王子と交わした約束の一つだった。

 例え王子が負けそうになったとしても手出しは無用。

 それこそが王子に残された希望であり、待ちに待った願望成就の瞬間だ。

 ついに王子の手から数多あまたの血を啜ってきた妖剣が弾き飛ばされた。

 剣士が振り被るその刃を避けきれない。

 そう悟って、王子は二年振りに穏やかな微笑みを浮かべた。

 とても、とても穏やかな、天使と見紛う、あの美しい笑みだ。

 心から安堵したような、満足しきったその表情かおを見た瞬間。

 悪魔は動いていた。

 一番見たかった王子の表情かお

 だがそれは一番見たくなかった王子の表情かおでもある。

 なんで満足なんてするんだよ!

 お前の望みは、全く叶ってねぇだろう!!

 悪魔は声に出さずに叫んだ。

 剣士と王子のあいだに飛び入って。

 手刀で剣士の腹を割く。

 悪魔越しに真っ二つになった剣士の姿が、限界まで見開かれた深紅の瞳に映る。

 どさどさ

 白亜の床の上に、四つ目の死体が転がった。

「リュ、クス……? なん、で……?」

 王子の声は酷く掠れていた。

 顔面蒼白な様子は、まるでこの世の終わりが訪れたかのようだ。

 リュクスと呼ばれた悪魔は胸が張り裂けそうだった。

 ああ、また絶望させてしまった。

 だけど、安心して。

 今度こそ、絶望するようなことは何一つ無い。

『ベリアル様。お願いがございます。執事である私――リュクスの最初で最後の願いをお聞き届けください』

「……なんだ……申せ…………」

 かろうじて返事をした王子をそっと王座に座らせた。

 悪魔はその前にひさまずいた。

 そして一息に、己の胸へ拳を突き入れた。

「リュクス!?」

 悪魔はごぼごぼと血を吐き、それでも胸の内側をまさぐった。

 そして引き摺り出したものを王子に差し出して。

『どうか、私の心臓をお食べください』

「――な、何を言っている……!?」

 王子の顔は見ているほうが気の毒になるくらいに青い。

 悪魔は力なく笑んだ。

『私は主である貴方を――ベリアル様を愛してしまいました。今ではもう、貴方の魂を食べたいとは思わなくなってしまったのです。私はただ、貴方に生きていて欲しい。そして生きて、幸せになって欲しいのです。――だから、私の心臓を食べてください。これを食べれば、貴方は千年の眠りに就きます。そして再び目が覚めた暁には、貴方は新しい存在へと生まれ変わっています。今日までの日々は前世の出来事となり、貴方は今度こそ本当の望みを叶える機会を手にできるでしょう』

 苦しそうな表情を浮かべたまま、悪魔は気丈にも的確な説明をした。

 急な申し出に王子は目を白黒させながら叫ぶ。

「でもそんなことをしたらお前は……リュクスはどうなるの!? 悪魔にだって心臓は大切なものでしょう!? どうしてそんなことをするの!? 私は……私はもうずっとずっと死にたいんだよ!? 生きていたくないんだ!! ずっと傍にいてくれたお前に魂をあげたいんだよ……!!」

『私なら大丈夫です。悪魔には二つの心臓があります。永遠のときを生きるための心臓と、もう一つは寿命を持つ心臓。これは永遠を生きるための心臓ですから、私は残りの心臓でまだ生きることができます。――ただ悪魔を辞めるのです。悪魔を辞めて、私はただの、貴方のリュクスでいさせて欲しい。それが貴方を愛してしまった私の、最初で最後の願いです』

 深紅の眼差しが深紅の瞳を射抜く。

 数秒の沈黙の中で、王子の瞳にかつての光が戻った。

 そして絶望の色も。

 宝石のような涙が深紅の瞳を濡らし、輝かせる。

「どうして……? どうしてお前は嘘を吐かないの……? 全て本心だなんて……本当に私を愛しているだなんて……悪魔のくせに…………愛が分からないんじゃなかったの…………?」

 双眸から止めどなく零れ落ちる涙を眺め、悪魔は思った。

 ああ、悪くないな。

 王子はそっと悪魔の手から心臓を受け取った。

 そしてびくびくと脈打つそれを、慈しむように両手で包む。

「だったら……食べるしか、ないじゃないか…………」

 恐る恐る唇をつけると、心臓は見た目に反して酷く冷たく、氷のようだった。

 歯を立て、噛み千切り、咀嚼し、やがて全てを呑み下した。

 悪魔の身体には電撃にも似た喜びが走っている。

 愛した者に心臓を与える悪魔は本当に少ない。

 それも真の命である悪魔の心臓を与えるなどと。

 それは己の全てを捧げる行為に他ならない。

 愛を知らない悪魔がこの境地へ辿り着くのはかなり難しく、稀だ。

 そうして悪魔は、悪魔が悪魔たらしめる心臓を捧げて魔力の大半を失った。

 胸の傷を塞ぐ力と、人間の魔術師が使う程度の魔力しか残っていない。

 残りの寿命もせいぜい五十年かそこらだ。

 そう、悪魔は人間になった。

 これからは日々、肉体が衰えてゆき、歳を重ねる。

 心臓を食べ終えた王子はその場に崩れ落ちた。

「……リュクス……世界がぐるぐる回ってる……」

『ええ、貴方の身体の中で変革が起こっているのです。新たな命に生まれ変わるための準備が始まっているのですよ』

「ねぇ、私はどんな姿になるの?」

『姿は変わりませんよ。貴方が望むのなら』

「ねぇ、これからもずっと傍にいてくれるんだよね……? 私を愛しているんでしょう? 私を、独りにしないよね……?」

『ええ。絶対に独りには致しません。目が覚めたときにも、お傍におりますとも』

「……どうしよう、目が見えなくなってきた。お前の顔が見えないよ……」

『いいえ、ベリアル様。瞼を下ろされているだけです』

「嫌だよ……ねぇ、もう二度と逢えないなんて嫌だ――……」

 王子に嘘は通じない。

 これ以上、言葉を紡がせまいと、悪魔は王子の唇を己の唇で塞いだ。

 心の通った最初で最後の口付け。

 それから悪魔は生れて初めて愛で綴った真心を口にした。

『ベリアル。愛している。――俺を――悪魔の俺を愛してくれて、ありがとう』

 微笑みを浮かべた王子は最後の涙を零した。


 そして訪れた、千年の眠り――――。

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