厄災へと転ず

 冷え切ったエビ入りのクリームスープを飲み干した。

 すっかり萎びたサラダを食べた。

 子羊のリブは骨までしゃぶって綺麗に平らげた。

 デザートは林檎のピュレとチーズタルトだ。

 ピュレはよく冷えていて、喉を潤してくれた。

「ごちそうさま」

 血の気配が残る部屋で、王子は白いナフキンで口を拭った。

 席を立つ。

 そして傍に立て掛けていた金色こんじきの鳥籠を眺めながら訊ねる。

「ねぇ、リュクス。貴方はここにある魂も食べることができるの?」

 鳥籠の中にはいくつもの魂が淡い光を放ちながら不規則に浮遊している。

 先刻、王子が手にかけた者たちの魂だ。

『はい、食べることはできます。……ですが、私の口には合わないでしょうね』

「そっか……。嫌いなものを無理して食べる必要は無いよね」

『――ええ』

「ねぇ、これから私はどうすればいいの? こうなってみて、分かったんだ」

 悪魔は無言で続きを待った。

「私はただ、お父様に心から愛されたかっただけだったんだって……」

 王子はいつしか短刀を手にしていた。

「でももう何もかもが遅いし、例えお父様を手にかけていなかったとしても、お父様が私を心から愛する日なんて来やしなかったと思う」

 すっと自身の首に短刀の切っ先を宛て、王子は言った。

「疲れちゃった。ごめんなさい。――もう眠るね」

 そして一気に喉元へ突き立てた。

 突き立てたはずだった。

「!」

 実際は悪魔がその場でパチンと指を鳴らしただけだった。

 王子の手の中にあったはずの短刀は姿を消していた。

『契約が完遂されておりません』

 蒼褪めた王子の顔を眺めて悪魔は言った。

『言ったはずです。貴方の魂が満足するまで、私は貴方のお傍に仕え、望みを叶えると』

「なら見逃してよ! 自分で決着をつけるから!」

『できかねます』

「どうして!? 満足だよ!? 私は満足してる!! 死にたいんだ!! 叶えばこれで満足できるんだよ!!?」

 辺りには王子の悲痛な叫び声が木霊した。

『満足なさっていませんし、ここで自害なさっても満足されません』

「お前に――悪魔のお前に何が分かるって言うの!?」

『私は悪魔ですが、貴方に――我が主に対しては絶対に嘘を吐きません。貴方の魂を手に入れるためならば、私はどこまでも貴方に誠実です』

 王子は言葉を失ったまま立ち尽くしている。

『ベリアル様。貴方の望みは殺されることだったではありませんか。自死では叶ったことになりませんよ?』

「……そう、だったね……確かに、お前の言う通りだ……」

 王子の声は抑揚を失っている。

「ならば一つ訂正しよう。私を殺す者は、私を打ち負かした者だけだ。暗殺や謀殺は認めない。リュクス。お前は私を全身全霊をかけて護るがいい。私は私を殺す者が現れるまで殺し続けることにする」

 悪魔に向かって王子は笑った。

 それはこれまでに見たことのない、酷く歪んだ薄暗い笑みだった。

「今日からは私が――いや、余がこの国の王だ。民が心の底で望んだ通り、無価値なものから邪悪なものへ。文字通りの災厄となってやろう……!」

 悪魔は悟った。

 ああ、やはり王子はその名の意味を全て知っていた。

 それで、せめて無価値のままであろうと努めていたのか。

 だが、今宵を境に心優しい王子は失われてしまった。

 打って変わって、残ったのは邪悪のみ。

 悪魔は人が壊れるこういった瞬間を何よりも好んでいた。

 好んでいたはずなのに、今回ばかりは愉しむどころか苦しくて、辛くて。

 涙を流すのはきっと、こういうときなのだろうとぼんやり思っていた。

 悪魔は涙の流し方を知らなかった。

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