EP56 鍵



それきりしばらくカディルは言葉を忘れてしまったかのように口をパクパクとさせていた。

アイシャはそれを見て肩をすくめた。


「鯉みてえ……」


カディルはその声に我に返りアイシャを厳しい目で見つめた。

碧い瞳の奥には怒りが揺れている。


「それはフィラも了承の上でですか?それに対価って一体何をしたんですか?」


「無理矢理って言ったら?」


「ーーーー……見損ないますね」


カディルの厳しい口調にアイシャは小さく苦笑した。掛布に潜ったままのフィラをチラリと見て、開き直ったように腕組みをして足を組んだ。

ハラリと膝に掛けていたブランケットが床に落ちる。


「無理矢理したよ。ベッドに押し倒して押さえつけた。キスして、柔らかい胸を揉んだーー」


「アイシャッ!」


カディルは鋭くアイシャの言葉を遮った。 握りしめた拳をわなわなと震わせてカディルは怒りに満ちた声を上げた。


「なんてことを……!」


アイシャの心は今も男だ。少女の姿だからといって寛容に聞き入れられる話ではなかった。


「でも、それがなければこのお姫様は今ごろ冷たくなっていた。むしろ感謝されても良いくらいだろうが」


「……っしかしですね、だからといって説明もなく無理矢理、く、口付けしたり、体で対価を払わせるなど、あなたには女性に対する誠意がないのですか!」


「誠意?性欲ならあるけど」


「せ……!?いまそんな話はしていませんよ!アイシャ、あなたは」


「ーーもうやめてください!!」


ガバッと掛布を脱ぎ捨ててフィラが二人を制止した。アイシャとカディルは驚いてベッドの上のフィラを見つめた。


「ーーもういいんです。悔しかったけど無事でいられたのはアイシャさんの……おかげですから」


「フィラ……」


カディルは困ったように呟いた。

言葉とは裏腹にフィラが今にも泣き出しそうだったからだ。厳しい顔をして口元をギュッと結び必死に涙を堪えている。


「私は初めて体内に溢れる魔力を感じました。あれが私の中にも眠っているというなら。一刻も早く手に入れたい……!」


「フィラ?」


意表を突かれてカディルは目を丸くした。

てっきりアイシャから受けた屈辱に涙を堪えているのかと思ったのだが。

これは、何か違うような。


「兄様に殺されかけた時、ナギが必死に助けてくれたんです!今も意識が戻っていないって聞きました…!私はあんな小さな子猫にまで守られている!」


「ーーーー……フィラ……」


カディルとアイシャは無言で視線を落とした。たしかにナギは未だに意識を戻していない。


「こんな役立たずなままの私だったら死んだほうがいい!私がいるからみんなが傷つく!」


「それは違います……!」


フィラの言葉を咄嗟に否定したカディルをフィラはきつく見上げた。赤く透き通る瞳がカディルの蒼い瞳を貫く。しかしカディルも負けていなかった。しっかりとフィラの視線を受け止めたままそらさない。


「なにがーー」


掛布を掴んだ彼女の指が小刻みに震えていた。あまりの悔しさに。


「なにが違うんですか?私がここにきてからカディル様や皆様に迷惑をかけっぱなしじゃないですか!?」


カディルは目を見開いてフィラの悲痛な瞳を見下ろした。


言葉を失った。


彼女はずっとそんな風に感じていたのか?

それならば、彼女はどんなに辛い日々を過ごしてきたのだろうか。


カディルは悲しそうに被りを振るった。

こんな風に自分を責めて苦しむ彼女にこれ以上黙っているわけにはいかないと観念した。


「ーーそれは……違います。むしろあなたは……一番の被害者です」


「ーーえ?」


苦痛に満ちた表情でそう言ったカディルにフィラは眉を寄せた。


「詳しくはまだ話せません。ーーしかしこれだけは話しておかなければならないようですね……」


アイシャも黙っている。同じ見解なのだろう。


「あなたはね、お兄さんによってこの世界に召喚されたんです。ある、目的のために」


「!?」


衝撃のあまりフィラは目を見開いたまま言葉を失った。カディルはそんな彼女を気遣うように哀しげな眼差しを向けた。


「フィラ……大丈夫ですか?」


「ーー私が。召喚された……?兄に?……何のために……」


ポツリと呟いて、ジワジワと頭の中に浸透してくる疑問。


『なんのためにーー……?』


フィラは咄嗟に目の前に立つカディルの衣を掴んで引き寄せた。驚いたカディルは少しよろめいてベッドに手をついた。


「フィ……」


「なんのためにですか!?」


やはりそうきたか。当然の流れだろう。

カディルは彼女の必死な表情を少し寂しそうに見つめて首を横に振った。


「まだあなたに話せる段階ではありません。私から今あなたに話せるのはここまでです」


「そんなーー」


「でもね。ひとつだけ私からあなたに言えることがあります」


戸惑う彼女の赤い瞳を真っ直ぐにとらえてカディルは真摯な顔で告げた。


「私はあなたに迷惑をかけられたことは一度もありません。そして、これからもないと誓いましょう」


「カディル様……」


驚くフィラにカディルは朗らかに微笑んだ。それはフィラの張り詰めた心を溶かすような暖かい笑みだった。


「あなたが来てくれてから私は楽しいんですよ。ーーあなたのお兄さんに感謝したいくらいにね。……ですからねえ、フィラ」


カディルはフィラの手をそっと取って、両手で包み込んだ。


「私達を信じて今は待っていてくださいませんか?時が来たらちゃんとお話しますから」


「カディル様……」


フィラは不安と焦りと喜びを含んだ複雑な表情を浮かべた。


「おい、二人で良い感じになってんじゃねえよ。俺様が土産話を持ってきてやったってのに」


退屈そうにクルクルとイスを回転させてアイシャが冷めた口調で言った。

カディルとフィラはハッとして手を離し、少し顔を赤らめた。

その様子を見てアイシャは小さくため息をついた。


「俺さぁ、あんたの魔力の解放の鍵わかったかもしれないんだよな」


「ーーえ!?」


カディルとフィラは弾かれたようにアイシャを振り返った。


途端に緊迫した空気が流れる。


「それはーーーー本当ですか」


カディルは息を飲んだ。

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