EP35 カディルの屋敷の侍女軍団
「ふわあぁぁ〜〜〜」
時刻は午前5時30分。
身支度を整えたカディルがバルコニーで大きなあくびをした。昨夜はあの後色々考え事をしてしまったせいで、やっぱり寝不足だった。
「眠れなかったんですか?」
執事のロランがカディルの傍らで少し心配そうにたずねた。
「ええ。ちょっとねぇ。考え事をしてしまって…ふわぁ〜〜」
「今夜は早くお休みくださいね」
「ええ、ありがとう。…あれ?」
あくびをして涙がにじむ目をこすりながらカディルが何かに気づいて顔を向けた。
「おはようございます」
バルコニーの入口でフィラがナギを抱いて笑顔で挨拶をした。カディルはニコリと微笑む。
「あーフィラとナギじゃないですか。おはようございます。いつもより少し早いんじゃないですか?」
「ええ」
フィラもバルコニーにやってきた。
「ロランさんもおはようございます」
フィラはロランにも笑顔で挨拶した。
ロランも礼儀正しく頭を下げる。
「おはようございます。フィラ様」
今朝のフィラは水色の爽やかなドレスに身を包み、金の髪を緩く編み込んで横にたらしている。大変可愛らしかった。
フィラは少し気恥ずかしそうにカディルを見て切り出した。
「あの、カディル様にお許しいただきたいことがあるのですが」
「?なんですか?」
「私、もうだいぶ体調が良くなりました。これからはカディル様がお出掛けになる時にお見送りをさせていただけませんか?」
「え?それは構いませんけど…」
なぜ?とカディルの顔に書いてある。
フィラは赤くなった。
なんだか自分がとてもバカなお願いをしている気がするからだ。
「…ここでお世話になっているのに、お屋敷のご主人様がお出掛けになる時にお見送りしないのではとても失礼なことだと思うからです」
フィラは必死に説明した。
「体調が優れぬうちは甘えさせていただいていましたけど、今はもう回復しましたから…!」
カディルは必死なフィラを見下ろして顔をほころばせた。空から落ちて来た時にはあんなに青白く傷だらけだった彼女がこんなに元気になったのだ。
「嬉しいですよ。ありがとう」
「カディル様!」
「あー、でも。無理は禁物です。気分の良い時だけ見送っていただければいいですからね」
「はい」
フィラはとても嬉しかった。とくに用事もなくこの屋敷に軟禁されている状況なので、ひとつでもやるべきことが見つかって生活に潤いが生まれそうだ。
「ああ、そうだ、フィラ。それなら、せっかくですしこれからは一緒に朝食をとりませんか?」
名案だとカディルは思ったらしく寝不足なのも忘れて意気揚々とフィラを誘った。
「ロラン、良いでしょう?」
ロランはなんの問題もないらしくコクリと頷いた。フィラは驚いたが、せっかくの誘いを断る理由もない。
それに正直言って一人きりの食事は寂しさを感じていたので、カディルの誘いが嬉しかったのだ。
「ありがとうございます、カディル様。是非ご一緒させてください」
しばらくしてカディルとフィラ(とナギ)は食堂へ向かった。フィラはベッドで食事がとれるように、部屋に食事を運んでもらっていたので食堂は初めてだった。
食堂に入ると、数人の侍女たちが横一列に並び「おはようございます」と声を揃えて頭を下げた。
「おはようございます」
にこやかに挨拶を返すカディルのあとでフィラも緊張気味に挨拶を返した。
食堂は大きな窓が目の前に広がり、真っ白なテーブルクロスがかかったテーブルが真正面にある。美しく整頓された庭が正面に見えてとても開放的だ。フィラは目を輝かせて「わぁ」と小さく呟いた。
焼けたばかりの暖かいパンや卵料理、サラダなどがテーブルに二人分並べられている。
「ああ、今朝も美味しそうですねぇ。ありがとう」
カディルが働く侍女達に声をかけると、みんな元気に返事を返してくる。
「あの、私の分までありがとうございます」
フィラが頭を下げると、侍女達は笑顔で頭を下げた。
「猫ちゃんはこっちで食べましょうね」
侍女の一人がナギを抱いて連れて行った。
するとメイド服のふくよかな中年女性がフィラに近寄ってきた。アーチを描いたような細い眉毛が印象的な女性だ。
「カディル様も腰が低い方だけど、こちらの皇女様はもっとだね!」
「アンナ、しょっぱなからやめてくださいよ。フィラ、こちらは侍女長のアンナです」
「フィラ様、初めまして」
アンナはおおらかな笑顔を浮かべてフィラに頭を下げた。フィラも頭を下げる。
「よろしくお願いいたします」
「さあどうぞ。お座りください」
カディルはイスを引いてフィラを座らせた。その様子を見て、侍女達が色めき立った。
「なんて紳士的なの。ついにカディル様に恋人ができたんだわ!」
「カディル様は奥手だと思っていたけれどあんなに綺麗な方を射止めるなんて、案外隅に置けないわねぇ!」
などと小さな声で侍女達が嬉しそうに囁きあっている。しかし丸聞こえである。
フィラは耳まで赤くなりながらそっとカディルの様子をうかがった。
カディルは特に気にする様子もなく食事を口に運んでいる。
「……………」
侍女の話に反応して意識してしまっているのはどうやら自分だけのようだ。フィラは恥ずかしくなった。
「それにしてもフィラ様は綺麗な人だねぇ。あなたがこの屋敷に来てから、随分ここの空気が華やかになりましたよ」
アンナは相手が皇女だろうと平民だろうとあまり態度が変わらない肝っ玉メイドだ。
「今までこの天体観測オタクのカディル様だけだったから、屋敷が寂しかったけど、これからは楽しみですよ。侍女はたくさんいるけど、カディル様は女に興味ないし」
「は、はぁ」
「アンナ。私はオタクじゃありません。それに女性に興味がないわけでもないです」
カディルが訂正した。
「あらあら、フィラ様には興味あるってわけですかね」
「!?そんなんじゃありませんよ」
カディルがさすがに顔を赤くすると、クスクスと侍女達が楽しそうに笑った。
「はぁ、もう朝食をとるだけであんなにからかわれるとはねぇ…」
王宮に出勤するためにロビーへ向かうカディルの傍らでフィラは笑った。
「でも良いお屋敷ですね。使用人の方々が生き生きとしていて、カディル様を信頼しているのがよく分かりましたよ」
「そうなんですかねぇ。いつもからかわれてばかりですよ」
カディルは笑った。
「でも、たしかに屋敷の者は皆仲が良く、私にも良くしてくれますよ」
そしてカディルは立ち止まってフィラに微笑みかけた。
「もちろんあなたにもね」
「…私にも?」
「ええ、あなたは客人ではなく、すでに住人ですから。みんなあなたと仲良くなりたいと思っているのですよ」
「…嬉しいです」
フィラの頬はバラ色に染まり、喜びを噛みしめるような目をギュッと閉じた。
自分を受け入れてくれる人達がいる。
こんなに幸せなことはない。
カディルはそんなフィラの様子を見てさらに微笑んだ。カディルも家族が増えたようで嬉しいのだ。
たしかにこんなに可愛い奥さんがいてくれたら毎日が楽しくなりそうだ。
「……はっ!」
一瞬想像してしまった。
(何考えてるんですか!彼女は天界の皇女ですよ!?)
「カディル様?」
赤くなったり青くなったりしているカディルをフィラは不思議そうに見ている。
その視線に気づき、カディルは照れを隠すようにコホンと咳払いした。
「あーでは。そろそろ出掛けてきます。今日もおそらく魔族とヴィクトーの足取りを追うことになると思います。ああ、それと」
神妙に頷くフィラにカディルは思い出したように付け加えた。
「アイシャがあとであなたに会いにくると言っていましたよ。おそらく魔力開放の手段を探しにくるんだと思いますけど」
カディルは心配そうにフィラの瞳を覗き込んだ。
「大丈夫そうですか?」
フィラは笑顔で頷いた。
「頑張りますっ」
「ああ、そのいきです」
ニコニコと笑って、カディルは馬車に乗り込んだ。
「ではいってきます。ロラン、あとは頼みましたよ」
ロランは心得ているといった風に頭を下げた。
「お気をつけていってらっしゃいませ」
「お気をつけて」
走り出した馬車に侍女達とフィラも頭を下げる。
(ああ、行ってしまった。正直カディル様がいないのは不安だけど…)
フィラは両手で顔をパシッと弾いて気合を入れ直した。
(がんばろう。アイシャさんも協力してくれるんだし、いつまでも甘えてばっかりじゃいられないぞ!)
意気込んで自室に踵を返したフィラをロランは静かに見つめていた。
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