七話 女子高生

 右腕の切断は左腕以上にスムーズに済んだけど、わたしはその切断口の荒さが気になった。でも、ぶっちゃけて言えば、手首から先の部分さえ無事ならそれでいいので、わたしは最低限の収穫で我慢することにした。


 女の子の腕二本でもクーラーバッグの容量をかなり占めてしまう。他の部位も切り落とせるものならそうしたかったが、わたしにこれ以上の時間が残されているとは考えにくかった。

 幸い、顔に血は飛び散ってこなかったようだ。しかし問題は両手だった。ここまでゴム手袋をつけずに素手で解体作業をしたため、カッパから露出した両手部分が奈緒ちゃんの血で染まりきっていた。あらかじめ持参した500mlのペットボトル水で洗ってみたけど、完全に落とすことも出来ずに使い切ってしまった。


 奈緒ちゃんの両腕はクーラーバッグの底に眠っている。その上からドライアイスの小袋を敷きつめ、隠すようにしていた。

 濡れた手を足元の雑草で拭き、カッパを脱ぎ捨ててバッグの中に入れた。包丁でビニール紐を切って回収し、わたしが持ってきた道具は全てバッグの中に入れる。本当はもっと良い状態で奈緒ちゃんの腕を持ち出したかったけど、こればかりは仕方がない。


 鬼は、もうとっくに気配を消していた。


 忘れ物がないか今一度確認したあと、両腕を失った哀れな奈緒ちゃんを流し見る。月明かりが妙に照り輝く空の下、今の奈緒ちゃんをどんなに眺めても、わたしにはこれといった感想も浮かばない。

 バッグを肩にかけなおし、わたしは石の階段を駆け上がった。




 裏道を出る寸前、この赤黒く汚れた両手をどうしようかとひどく悩んだが、紺のセーターの袖をうんと伸ばし、指の先まで隠して事なきを得た。

 商店街の人通りは限りなく少なかった。

 場所が場所だけに、奈緒ちゃんの死体はしばらく発見されないだろう。たぶん、腐臭がしてくるまで気づかれないんじゃないかな。

 この近所に真白ヶ丘名物の森林公園があることを思い出した。ちょうど自宅へと続く経路の途中にある。ひとまずそこに立ち寄って手を洗っておこうと思った。




 百メートルも歩かないうちに公園に到着する。

 真白ヶ丘森林公園は県内一広い公園らしくて、わたしの通っていた小学校の遠足コースも毎回ここが選ばれていた。以前お父さんが「東京ドームが四十個くらい入るんじゃないかなぁ」と言っていたけど、そもそもわたしは東京ドームに行ったことがないのであまり実感が沸かなかった。

 ここからだと『やすらぎ広場』が近いけど、そこは夜になるとホームレスが集まって危険だと日頃から言いつけられているので、バードウォッチングコースを歩いて『多目的広場』に入った。


 手洗い場で両手を洗っていると、わたしはまた立ちくらみに襲われてしまった。本当に風邪を引いてしまったのかもしれない。そばに屋根付きのベンチがあったので、そこで少し休んでいくことにした。


 ベンチの下にクーラーバッグを置く。頭がぴりぴりと麻痺したようになって、様々な思いが浮かんでは消えた。口の中が唾液で満ちている。奈緒ちゃんの味がまだ舌の奥に潜んでいて、わたしは気味の悪い笑みをしながら口内の感覚に神経を集中させた。


 物音一つしない夜の公園。わたし以外にこの公園に人は居ないのではないかというほどに辺りは静寂に落ちていた。


 携帯を開いて時刻を確認する。夜の十時半。お父さんもまだまだ家には戻ってこない。

 両膝に手をつき、深く息を吐く。胸のどきどきは相変わらずだった。わたしは、その正体に薄々気づき始めている。

 今、わたしの真下にあるバッグが原因だ。わたしの憧れの全てが、いつでも手の届く範囲にある。今すぐ取り出して、撫で回したり頬ずりしたりしてみたかった。でも、万が一ということもある。これを人に見られればわたしの人生は終わってしまう。牢屋になんか絶対入りたくない。

 そういえば、このバッグの中身、どうやって処理しよう。今日使った道具はどうとでもなるかもしれない。でも、奈緒ちゃんの手はどこに隠し持てばいいのか……。


 そうだ、あそこがいい。わたしはある最適な保管場所を思いついた。あとは、その場所へどうやって持って行けばいいかを考えるだけ。


 がさり、と背後で芝生を踏む音がした。全身が硬直したようになり、わたしは反射的に振り返る。

 女の人が立っていた。いや、近所の高校の制服を着ていたから、高校生の女の子だ。


 夜空の満月をバックに、女子高生はぎこちない笑みでわたしを見下ろしていた。

「あー、こんばんは。えっと、小学生かな」

 わたしはすぐに首を振る。必死に平静に取り繕って答えた。

「ちゅ、中三です」

「どうしたの、こんな時間に。迷子?」

 どう答えるべきか分からなくて、わたしはかなり曖昧にうなずいてしまった。女子高生は「ふぅん」と、どうでも良さそうな相づちして、わたしのそばに近寄った。

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