城での暮らし<5>

 番子は電撃が走ったように直立し、一礼してから下がるための退路を探す。


(げげーっ……な、なんでなんでーっ……!)


 どうやらあの親切な上役メイドは、親切なあまり、姫のいる方ではなく平メイドが逃げるべき方向をわざわざ指差してくれていたようだ。しかし、こうもバッタリと出くわしてしまうとは……。厳罰が怖いということ以上に、高貴な身分の方にあまりに近すぎて、頭がクラクラする。


 偶然周囲に居合わせた兵士やメイドたちも足を止めて一礼し、どこか見えないところへ下がったり、会話や騒音を起こす行動を控えたりしてその場を静かにする。彼女が現れるだけで、その場がぱっと華やぎ、そしてもったいないような黄金の時が流れていく感じがする。


「これはユカリコ様、ご機嫌はいかがですか」


 さっきまでソラトの戦闘訓練の相手をしていた団長がやってきて、前に進み出た。


「ふふ。陽にあたりに来たの。今日はいい天気だものね」


 ユカリコ姫はその身の一身に太陽の光を浴びて、本当に光り輝いているようだった。


「はっはっは。そうですな。王族とはいえ、たまには外に出ないと、お体を悪くいたします」


 番子は、その隙に抜け出そうと後ろ足を下げた。横目で後ろを伺うと、団長の影から現れたソラトが見えた。番子が姫のすぐ間近でまごまごしていることに気がついたらしい。げーっと顔をしかめられる。


 どんどん集まってくる城の住人に、ユカリコ姫はにこにこと手を振ると、


「さてと❤ ちょっと、ローズガーデンで一人になりたい気分なのよね」


 そう言って、顎に添えた人差し指を軸に、体ごとぐるりと半回転して向きを変える。ぴらぴらっとめくれるスカートの、花びらのふちのような裾。そして巻き髪が後を追うようにして伸び、また元の形に戻る。そんなしぐさや姿の可愛らしさと優雅さに、何人かがほうっとため息をつく。


「護衛はリキヤ一人で十分ね? 世話役には、そうね。ちょうどいいわ、そこのあなた」


 指先で、ちょんとリキヤを指した後、次にまた半回転して向けられたのは……


「へっ?」


 こそこそと泥棒のごとくこの場を抜け出そうとした怪しげな格好のまま番子が視線を戻す。


 一瞬の間。


 その先はまさしく、番子に向けられていた。


 わ、わたし!?


 番子が驚くと、ユカリコ姫の傍に控えていた上役メイドが、


「ユカリコ姫様! 恐れながら、この者は平メイドでございまして、お給仕でしたらわたくしが……」


 弾かれたように面を上げて口を挟む。城の事情に疎い姫や、突然そんな大役を押し付けられる平メイドのためを思ったように。


「あら、セキナさん。ありがとう。でも、うーん、あたし、一人になりたいのよ。一人にね」


 姫に名を呼ばれた上役メイドは、「そうでしたか、それは失礼いたしました」と微笑んで、素直に引き下がった。その際に番子を、憐れむようにちらりと見て。


(え、え、ええーっ!)


 彼女は合点がいったのだろう。一国の姫ともなると、名もないような平メイドを、同じ人間として数えていないということに。


 かくして番子は姫と二人、中庭を抜け、広い城庭へ。と思えばすぐ右に曲がってアーチをくぐり、涼しげな空気と、深みのある花の香りに包まれる。連れていかれた先は、ローズガーデンだった。一輪一輪丁寧に手入れしていた庭師も、ユカリコ姫の姿を認めた後、一礼して奥にひっこんだ。


 赤の薔薇と白の薔薇、そしてそれらを掛け合わせた桃色の薔薇が咲き並ぶ薔薇園。この園の薔薇は、年中休むことなくいつも美しく咲いている。


 ユカリコ姫のるんらるんら~♪ と鼻歌混じりの軽い足取りと、ガチガチと固まっておかしな歩き方の平メイド8075番。


 ユカリコ姫は迷路のような園の深部まで来ると、きょろきょろとあたりを見渡した。誰もいないことを確かめているようだ。番子が必死に、名も無く感情も無い空気になろうと努めていると、


「もぉう!」


 という声とともに、姫が勢いよくくるりと振り返った。


 びくっ。


 番子は声にも雰囲気にも出さないようにしてやりすごそうとする。


 が。


 姫の口はへの字に曲げられていて、薄桃色に色づくほっぺたがふくれて、不満げにゆがめられた瞳は――こちらに向けられている。


「あのね? ちょっとちょっとあなた?」


 さらに、腰に両手を置いて詰め寄られ、じっと見つめられる。番子はあたりを見回してたじたじだ。


「やっと二人きりになったのよ?」

「えーと、その、お姫様……、私はどうしたらよいのでしょうか……」


 そう受け応えると、


「ちがうちがうちがーう!」


 駄々っ子のようにユカリコ姫は両の拳を振って叫んだ。


「せっかくあたしが、うまいこと誘い込んだのよっ? どーしてわかってくれないのーっ! いつも言ってるじゃない! 二人きりの時は、敬語なんか使わなくていいじゃない! って! んもう! ばんこちゃんのばかっ☆」


 ひとしきり叫んだあとの得意げに細められる瞳。


「……そうだね、ご、ごめん」


 なんとか口調を変更した。頭では理解していても、きらびやかな姫の姿を前にするとやっぱり委縮してしまう。


「でも、ユカリコ……」


 まだこの呼び方には慣れない。そんな自分に、少しだけ傷つくこともあるが。


「やっぱりみんなの前でわたしを連れて行ったりしたら、だめだよ。姫はとても、目立つから……」


 着慣れたドレスに、輝くティアラを冠する一国の姫と、暗い色のワンピースにエプロンをかけた平メイドの二人。その二人の関係は――あまりおおっぴらにはできないことだったが――とてもとても仲良しなのだった。


「あら、いいじゃない。父様も母様も、味方よ? プ~リちゃん❤」


 番子がプリンセスナイトとして国を守っていることも知っているほどに。


「プリちゃんて……」

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