4.3 仮想で理想で懸想な人

 校庭の片隅にある巨大な樹木の下で、諦念科と電気科はふたたび対面する。

 電気科の面々はかわらず灯里を追いまわし、灯里もかわらず蹴りまくっている。


「灯里ちゃん」

 ゆたかが声をかける。

「この間は会ったと思ったら対抗戦になって、撃ったり撃たれたり、空に飛ばされて36回転だったりしたけど、諦念科も電気科も目指すところは同じだから、なかよくやっていこうよ」

 灯里は足元から頭までゆたかをじっくりとながめる。

「いらない、そういうの」

 灯里は不機嫌そうに顔をそむけ、言葉を吐き出す。

「立派な研究設備があるって聞いてたのに、みんな旧式だし、椅子が高すぎるし、ドアノブがべとべとしてるし、同級生が気持ち悪いし、先生が丸顔だし」

 関係ない方向にまで怒りが高まってくる。

「変な戦いにはまきこまれるし、つまらない演芸ショーは見せられるし、パンツのリボンが大きすぎるし」

 げしげしと金網を蹴りはじめる。

「こんなとこ来なければよかった」

 全力でふてくされて金網を蹴っている。錠前がゆれる。

「いちおう、恋人たちの思いがこめられてるらしいから」

「こんなうわついた連中は2週間で別れてる」

 ゆたかは説得を一時やめて、場をなごませることにする。


「ねえ、あるとき、ラクダとロバが旅に出て川を渡ろうとしたら橋がなくて、そこにヒツジが来たんだ。どうしたと思う?」


「沈め」

 とりつくしまもない。

 ゆたかが次に披露する技の準備に入った間、清らがなだめる。

「灯里さん、望みとおりにならないことが多いのは苦しいことです。でも、みなさんはあなたに期待していますし、あなたの才能も、ぷ」

 途中でふきだす。

 灯里が顔色を変える。

「笑ったな」

「違います」

 清らが指さす先でゆたかは座ってスネに手を当てている。

「座ってるだけじゃない。わたしを笑った!」

「けして灯里さんのことひゃ」

 先日のスネバイオリンを思い出して笑いがおさえられなくなる。

「そうやってバカにして見おろして」

 すらりと背筋が伸びた清らを作業服の丈があまった灯里が見上げる。


「小さいやつは身長差に敏感なんだよ」

 少しはなれたところで、チビと呼ばれると激怒する林リンが解説する。

「背の高い美人に怒られるとぞくぞくしますね」

 ちほが個人的な好みを語る。


 それでも、ゆたかはスネバイオリンを開始する。

「ゆたか、寮で不発だったネタはやめとけ」

「ミョーン」

 特に説明なく、やや赤いスネをこすり、奇声を発しつづける。

 全員が困惑し、灯里が怒りをつのらせ、清らだけが口をおさえて笑いをこらえている。

「ふゅみません」

 清らはうっすらと涙を流している。

「彼女はよほど厳しく娯楽のない生活を送っているのだろう。気の毒な」

 古本文彦ふるもと ふみひこが目頭をおさえる。

 灯里の怒りに触発されて、各人の感情が入り乱れ、ときおり電気科からは「100ボルト!」、「三相交流!」などの声も上がり、収拾がつかなくなる。

 

 そこに聞き慣れない声が流れる。


< おはよう。おめざめはいかがかな? >


 低音で甘くおだやかでねっとりと響く。

 清らに牙をむいていた灯里が急停止する。


< どうした? まだ眠いのかい? >


 声の発信源は灯里が持っていた装置で、今はリンからちほの手に渡っている。

「この前の対抗戦のときにちらっと見えたのですが、やっぱりこれでしたか」

 ちほが画面を示す。

「バーチャル・ボイス・アクター巽龍一郎ですね」

 通称Vアクター、バーチャルキャラクターが語りかける動画シリーズのひとつである。巽龍一郎はおはようからおやすみまで独特のムードをただよわせることで一部の絶大な支持を得ている。


< ははっ、おねだりさんだな。なにがほしいんだい? >

 あくまでも渋く落ち着いた声が流れる。


「天才少女、電気科の姫と呼ばれる灯里さんですが、セクシーボイス動画を愛する同じ世界の住人だったとは胸が熱いです」

 ちほが感慨深く語るが、灯里は石のようにかたまっている。


「このようなシリーズが増えれば世界の人はすこやかにめざめられます。次のノーベル平和賞に推薦したいです。文学賞かな」

 ちほが北欧に思いをはせる。


< どうしたの? アカリィ >


 やや巻き舌で灯里の名が呼ばれた。

「まさかこれは! 龍一郎のサタデーナイトラジオの100回記念でプレゼントされた特別バージョン?」

「事情通か?」

「あのときは、ユーザーから募集した、えっちなお願い大賞の優勝者がもらったはずです」

「ちがう、ちがう!」

 急に石化がとけた灯里が猛烈に否定する。

「いいではありませんか。たしか優勝者は一線を越えていたので公開できなかったはずです。それは秘密にしておきましょう」

 ちほが秘密を暴いた後にやさしさを見せる。

「それは自分で音声合成したの」

 潔白を証明するはずがよけいに罪深さをアピールしてしまい灯里が頭をかかえる。


< そのお口でいってごらん? >

 機械は無慈悲に音声を流し続ける。


「灯里さん、お相手はずいぶん年上の方のようですが、愛は尊いものです」

 状況をよく理解していない清らが恋人たちの幸福を祈っている。


「巽龍一郎だと」

「エロメガネだな」

「エロボイスの帝王だ」

「いつも白い服にサングラスのキャラか」

 電気科はアニメやオタク文化にくわしい。

「Vアクターはコメディが多いのに、あいつだけエロ専門だ」

「中の人、ブサイクだろ」

「エロメガネ、絶対ハゲてる」

「うるさい! バカバカバカ!」

 またしても灯里が蹴りはじめる。


 見かねた世音が止めに入る。

「灯里ちゃん、みんな悪意があったわけじゃないし、このハゲメガネさんだって―」

「エロメガネだ!」

 うかつにも悪意あるあだ名を口にしてしまう。

「そのワードを検索結果に表示させないためにどれほど苦労しているか・・・・・・」

 灯里の知られざる努力までもが公開された。

 ちほがなだめるように灯里に提案する。

「灯里さん、愛をためらってはいけません。えっちな投稿をする合い間にノーベル財団にお願いのメールを書きましょう」

「聞いてるだけだっ!」

 灯里はミサイルのように頭からちほに飛び込んで操作端末を奪い返す。


「数理魔法陣、最大出力!」

 緑色の数字が回転しながら地面を埋めつくしていく。

「全員、魂を吸い取って記憶を消す!」

 数字の列が線となり、魔法陣を描く。

 その中心に白い煙がうごめいている。人間よりもはるかに大きい。

 ちほがその姿を切なげにみつめる。

「愛が争いのもとになる。なんて悲しい時代でしょう」

「おまえがやらせたんじゃ!」

 大吾がどなる。

「どうしてこうなるのかな」

 舟が頭をかく。


 緑色の光の中では残念が可視化され人の形になりながらうごめく。

 腕になりつつある部分が大きく広がると金網にふれる。

 金網がふるえて泣き声のようにきしむ。

「あぶない! はなれて」

 舟が注意を発する。

 金網が激しく波うつ。

「この場の念が数理魔法陣と共鳴している」

 木をおおう囲いの奥側で金網が切れる。2つに割れた端がめくれ上がり、金網を巻き込んでいく。さびた金網と大量の錠前、支柱も飲み込みんでいびつな玉になりながら、じゃらじゃらと音を発して左右から向かってくる。

 舟が電気科に指示する。

「灯里さんをつれて避難してください」

「するわけないでしょ。このすべての念を使って―」

「はい、よろこんで!」

 電気科の男たちはみこしのように灯里を持ち上げて、一目散に走る。


「ここからは諦念師の時間だよ」

 日本諦念師の源流にして最高峰、神妻神社の神官である神妻舟が仲間たちに告げる。

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