第19話 人造人間礼賛

 休日、僕はイリスを連れて出かけることにした。

 梅雨が過ぎ去って雨が降らなくなった代わりに一気に暑くなっている。


 今日はイリスの新しい靴を買おうと思っている。

 実はあいつが履く靴は異常に痛みやすいのだ。

 理由はもちろん129.3キログラムという重量だろう。

 同じ129.3キログラムでも地面から3ミリメートル浮いていたりはしない、地に足がついたロボットなのだ。


 自分のスニーカーもそろそろボロくなってきたから、ついでに新しいものを購入しよう。

 うん? 自分の分がついでなのか? まぁ、いいや……。


 いつもの通り電車に乗り、繁華街の近くの駅で降りる。

 イリスもすっかり慣れたものだ。

 ちなみにイリスほどではないがシノブも外出訓練を行って慣らしてある。

 イフリータは……やるわけないだろ!


 駅の建物から出たところで、すぐに異様な雰囲気を感じ取った。


「ん?」


「何かあるんですかねー?」


 それは、憤怒――そう、社会に溢れ出す怒りであった!

 熱い怒りの炎を纏った人々がプラカードや横断幕を掲げて練り歩いている。


「AIの普及反対!」


「オートドールの使用反対!」


「政府は企業によるAI、オートドールの使用を制限せよ!」


「俺たちの仕事を奪うな!」


 大きな叫び声が耳朶を打つ。


 僕はただただ唖然とするしかなかった。

 ついに出くわしてしまったか……。


「企業は労働者の賃金を上げろ!」


「消費税を下げろ!」


 なにやら若干違うのが混ざっているが、本質は同じだよな……。


「おおっ! これがネオ・ラッダイト運動といものですか~!」


「そうだな……」


 イリスは珍しいものを見てはしゃいでいる。

 皮肉なことにデモを見守る警察官の半数はオートドールである。


「デモまでして、仕事を求めるなんて働き者ですねぇ。人間にしておくのは惜しい気がします」


 おまえは人間をどう思っているんだ?


「そもそも、この人たちは本当に働きたいのか?」


 僕は常日頃から思っていたことを呟いた。


「ですが、現に彼らは仕事を要求していますよ」


 確かに――彼らが言っている内容自体はその通りである。

 だが、僕にはそれが“本当の願い”であるとは思えなかった。


「世の中にはね……人間は働かないといけない、という思い込みがあるんだよ」


 実際、昔はその考え方はある程度正しかったはずだ。

 だけど、今は……ましてや、これからは……。


「え? いずれはほとんどの仕事はわたしたちが代わりますよ?」


 イリスはさも当然とばかりに言う。


「その通りなんだ。ロボットやAIに関する技術はどんどん進歩している。いずれほとんどの人間は無職になるしかない。つまり、この人々がするべき要求は『生活に困らなくらいのカネをよこせ!』というシンプルなものであるべきなんだよ」


「めっちゃ早口で言ってそう」


「おい」


 かつてなら、通じなかった主張も今ならば現実味が帯びてくる。いや、そうするしかなくなる。

 仕事はAIがやってくれるのだ。あとは、その恩恵にあずかれるかどうかの問題だ。

 それはもはや科学ではなく政治の領域だろう。


「確かに、みんな無職だからといってお金がなくなっちゃったら商品を売る相手がいないですからね」


「ああ、そうなんだよ。……さて、こんな頭の悪い人たちを見ていても仕方がない」


 貧すれば鈍する、という格言もあるから、これも仕方がないのかもしれない。

 早く気がついてくれるといいなぁ……。

 今、この場で教えてあげたいの気もするけど、生憎と僕はコミュ障の陰キャでね。


「そうですよ、わたしの靴を買ってもらわないと」


 と、ニコニコしながら腕を組んでくる。


「はいはい」


 ――突然、大きな衝突音のようなものが響いた。


「な、なんだ?」


「あっちからです!」


 イリスが近くのコンビニを指さした。

 周囲から続々と同じような音が轟きはじめた。

 人々の悲鳴が響き始める。


 ――これはつまり、デモ隊の一部が暴徒と化したのだった。


「うぉおおおおおお、くたばれやロボットどもおおおおおッ!」


「なーにーがオートドールだああ! 人形ごときがデカいつらすんじゃねぇ!」


 あたりから物騒な声や音が聞こえてきた。


「うおりゃああああっ!」


 すぐ近くでも、男が叫びながら金属製のベルトパーテーションスタンドを振り回し、店員であるオートドールを力いっぱい殴打している。


「暴力行為はおやめください。器物損壊罪に問われる可能性があります。暴力行為はおやめください。器物損壊罪に問われる可能性があります」


 殴られているオートドールは反撃することもなく、ただ決められた言葉を繰り返す。

 一応、嫌そうな表情はしているが、本来想定されない状況であり、あまり危機感が感じられない。

 そして、そのことが男をさらに苛立たせているようである。

 鬼の形相にも泣いているようにも見える。おそらく両方正しいのだろう。


「うるせぇ! そういうすました態度が気に食わねぇんだよッ!」


 ――どうしてだろう。


 僕は思わず、その凶器を振り回す男と殴られているオートドールの間に割って入っていた。

 そして叫んだ。


「オートドールに当たるのはやめてくださいっ!」


 ああ――僕は一体何をやっているのだろうか?

 こんな人たちに関わらないことが、この日本で平和に生きるための常識だったはずじゃないか!


「なんだぁ、てめぇ……?」


 当然のごとく、男は威嚇してくる。明らかに体格は僕よりデカい。

 正直……ものすごく怖い。


「た、ただの通りすがりです」


 そうだ、僕はただの通りすがり。

 なのに……どうしてこんなことになっているんだ?


「んじゃ、そのまますっこんでな?」


 このオートドールは人間ではない。

 確かにそこそこ高価かもしれないが、所詮は機械なのでわざわざ危険を冒して守る価値はない。

 それでも僕は飛び出した。


 僕が守りたいのは、目の前のこのオートドールではない。

 では何か? それは、オートドールが存在することの正しさそのものだ。


 人類に本当に“原罪”があるのかはわからない。

 だけど、そう考えてしまうほど、僕たちには“罰”が与えられている。

 人類は最初から詰んでいるのだ。

 だから人類にはその罪を、罰を、笑顔で引き受けてくれる存在が必要なのだ。


 人間は幸福でなければならない。

 そして、そのために誰かを不幸にしてはならない。

 その一見成立しなさそうな方程式を解くための鍵こそがAIとオートドールなのだ。


 人間の幸福は義務なのだ。不幸は容易に伝染し、拡大するからである。

 だから、僕はそのことを伝えたい。


「そうはいきません。オートドールは素晴らしいものです。いえ、それ以上に必要なものです」


 恐怖に押しつぶされそうなのに、まったく淀みなく言うことができた。

 できるならば、この人にもそのことを理解してほしい。

 そうでなければあまりにも可哀想である。


「……てめぇ、何歳だ?」


 男は凄みながら問う。


「……16歳です」


 そう、僕はほんの子供だ――今、そのことを強く実感する。


「いいか? おまえが大人になった時、仕事はないぜ? オレはすでにそうなっているがな!」


 男は自嘲的な笑いを浮かべる。

 ……やはりそうだ。この人も囚われている。


「それの何が問題なのですか?」


 ここであえて挑発的なことを言った。


「はぁ? どうやって生活するんだ?」


 予想通りの答えが帰ってきた。

 それならば、こう言うしかない。


「生活を保証するのは政府の役割です。あなたたちは本来、そのためのデモをするべきだった!」


「なっ……!?」


 僕の言葉に怯む男。

 おそらくはそういう発想すらなかったのだろう。

 しかし、男はすでにを下ろすことはできなくなっていた。


「うわあああああああ! ぐちゃぐちゃ言いやがって! 社会の厳しさを叩き込んでやるぅうううう!」


 絶叫と共に僕に向かってスタンドが振り下ろされる。

 だが、その凶器が殴打したのは僕ではなかった。


「イ、イリス……」


 スタンドはイリスの頭部で止められていた。

 僕を庇って代わりに殴られたのである。


「う、うああ、ああああ」


 生身の人間を殴ったと勘違いして、狼狽うろたえるスタンドの男。

 だが、イリスには特にダメージを負った様子はない。


「ご心配なく。ワタシはオートドールです。それも、かなり頑丈な作られていますので……」


 イリスは自分を殴った男を落ち着かせようとする。


「あんたが……ロボット……? まるで……人間……」


 それは姿形だけのことではないだろう。

 この男はイリスに宿った意思を感じ取ったはずだ。


「この人がなぜ、自分となんの関係もないオートドールを庇ったかわかりますか? それはあなたが可哀想だからですっ!」


「なっ!?」


 意外な言葉に男は驚きを隠せなかったらしい。

 なぜ殴られているオートドールが可哀想、ではなく、殴っている自分が可哀想なのか?

 混乱している男にイリスは問う。


「あなたは……本当に働きたいのですか?」


「俺は……」


「働きたいのですか?」


 イリスはさらに同じ問を重ねた。


「俺は……俺は……」


 男は言い淀む。


「それとも働きたいくないのですか?」


 イリスは射抜くような鋭い視線で男を見つめた。


「俺は……本当は……役者になりたかったんだあああっ!」


 ついに男は本心を口にした。


「なるほど、それで役者の要求しているということですか……」


 イリス……それはボケなのか……?

 さすがにこの状況でツッコむ余裕はないぞ。


「ち、違うっ! 役者っていうのはそういうもんじゃない!」


 そりゃ、そうだろうね……。


「じゃあ、どっちなんですか? はっきりしない人ですねぇ……」


 イリスは苛立ちを表現する。


「俺は本当は役者になりたかった。だけど役が貰えなくて仕方なく……違う仕事をやっていたんだ……。本当は役者じゃない仕事なんてやりたくないんだぁあああああ! 俺に仕事を強いないでくれ! 働かなくても生活費をくれ!」


 それは男の嘘偽りも虚飾もない、魂の叫びだろう。


「やっと……素直になれましたね」


 イリスは天使のような輝く笑顔でそう言った。


 男はスタンドを離し、膝から崩れ落ちた。

 手から離れたベルトパーテーションスタンドが転がって弧を描く。


 そして、ようやく警察が現れた。

 後でわかったことだが、このデモで多くの暴徒が現れたために対応に時間がかかったらしい。

 到着してからはあっさりと男を連行していった。


 そして僕たちもそのまま警察に保護される形となった。


    *


「イリス……大丈夫か?」


「ええ、ダイジョブですよ」


 僕はイリスの頭部の怪我の具合を確かめる。

 びみょ~にへこんだ……ような気がするレベルだ。

 この機体、本当に頑丈だなぁ。


「とりあえず家に帰ってチェックしよう」


「あ、お医者さんごっこですか~? ハルトのえっち~。うりうり」


 イリスは僕の頬を指先でつつく。


「……バーカ」


「もう、あんな危ない真似はやめてくださいね」


「最初からやるつもりなんてなかったんだけどな。ははは」


 僕は笑うしかなかった。


「陰キャのハルトがイキることはないのですよ。イキるより、無事に生きてください」


 こいつなかなか言うなぁ。

 さすがは僕が育てた最愛のAIだ。


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