第二章 身体を得て

第10話 セットアップ!(前編)

 イリスは閑静な住宅街を1人で彼女らしく意気揚々と歩いていた。

 そう、人影はない、はずだった――。


 ――ガッ!


 突然、強く踏み込むような音がして、直後にイリスは吹っ飛ばされた!


「ぐぎゃっ!」


 人間が入りそうな大きな袋が現れ、イリスが飲み込まれる!

 突如として2人の大柄な男が瞬間移動してきてきたかのように現れ、うにょうにょ動く袋をそのまま貨物自動車の荷室に放り込んだ。

 袋が荷室の床に衝突しするがあまり大きな音は響かない。

 衝撃を吸収する分厚いマットが敷かれていたからだ。

 ひとりはそのまま荷室に入り、もうひとりは運転室に乗り込む。

 自動車はそのまま発進して、ブロロロロとどこかへと走り去っていった。


 デカデカと表示される[GAME OVER]の文字列。

 その下に[イリスは連れ去らてしまった!]と表示される。


 これは僕が作ったジェネシスAI育成用シミュレーションソフト『はじめてのおつかい』なのである。

 というわけで、イリスは本当に連れ去られたわけではない。


「はい、今日の訓練は終わり。お疲れ様でした」


「うぅ……あ、ありがとうございました……」


 先日、念願の実身体を注文したのだが、強盗に奪われるのでは、という懸念があり防犯訓練を強化することにしたのである。

 しかし、イリスは光学迷彩に気が付かず、不意打ちを受けて呆気なく連れ去られてしまったのだった。


「ちょっと不自然な音はしていたのですけどね」


 イリスは悔しそうな表情をしながら負け惜しみのようなこと言った。


 今後はちょっとでも不自然な音が聞こえたら直ちに反応――すればいいというわけではない。

 そもそも“不自然な音”とはなんぞや?

 なんでもかんでも危険と判断していればまともな行動はできないのだ。

 この微妙な判断ができるようになる必要があり、そう育てるのが僕のやるべきことである。


 いや~、これが訓練でよかった。

 購入早々、オートドール強盗に奪われるとか冗談でも恐ろしい!

 このようなことが絶対絶対ぜった~いにないように、しっかり対策していく所存だ。


 その時、家の外からブロロロロ、とエンジン音が聞こえてきた。


「まだ届いていないのに、もう攫いに来たのかな?」


 もちろん、そんなわけはない。

 むしろ逆だろう。


「この音はヤマネコ宅配便ですね」


 インターホンの音が聞こえたが、すぐに1階にいるかーさんが出たらしい。


「ハルちゃん、おっきな荷物よー」


 かーさんが荷物の到着を伝える。

 先日僕が購入したジェネシスAI用実身体だろう。

 良いタイミングだ。


 荷物が大きく重いため、配送員たちがそのまま2階にある晴人の部屋まで運んでくれた。

 ちなみに2人の配送員の内、1人は人間だが、もう1人はオートドールである。


 配送に人間らしい外見は必要ない。

 明らかにロボットとわかる全身白いボディ、そして背中には企業のロゴがプリントされている。

 感情表現もオミットされており、ほとんど事務的な会話しかできないが、それで何も問題はない。


 今回は特殊な荷物だったために人間が同行していたが、通常の荷物はすでにオートドール単独での宅配が行われている。


「それでは失礼します」


「はい、ありがとうございます」


 配送員たちが去ると、巨大なダンボール箱が残された。


「ほらほら、さっさと開けてください。中身を傷つけないように丁寧に!」


「なんでそんなに偉そうなんだよ……」


「だって~、ワタシにはできないですも~ん。ほら、がんばれ♥ がんばれ♥」


 イリスはわざとらしく身体をくねらせながら煽る。


「ハルちゃん、手伝いましょうか?」


 かーさんが手伝いを申し出てくれたが、これはできるだけ自分でやりたい。


「自分でやるよ。かーさんは、家事をするか休んでいてね」


「は~い」


 かーさんはおとなしく部屋から出ていった。


 僕はカッターナイフでダンボールのテープを切り、蓋を開く。

 これで僕もオートドールのオーナーだと思うとドキドキが止まらない。

 早くあの人形に会いたいという気持ちを抑えて、ていねいに手を動かす。

 梱包材と付属品を取り出すと、西洋風の棺桶のようなものが現れた。

 まるで吸血鬼でも眠っていそうに見える。さすが高級品、入れ物にも上等だなぁ。

 さらにそれを開くと〈メリーさん電気羊〉で見たあの人形が姿を眠っていた。

 人形はなんと体操服を着ていた! 大きく『いりす』と書かれている。

 崎本さん……どういう趣向ですか……?


「おお、これがワタシの実身体ですか!」


 イリスが無駄に豪華なエフェクト出しつつ目をキラキラさせている。


「とりあえず、セットアップしないと……」


 突然、人形がムクリと起き上がった。


「うわおっ! AI入ってるのかよ!」


「先日はどうも、真行寺晴人さん」


「先日……? あー、デモ子か!」


 そう、〈メリーさんの電気羊〉で使われている展示品用AIだ。


「はい、デモ子です。この度はお買い上げいただき誠にありがとうございます。私の今回の任務はセットアップを手助けすることです。とりあえず、その椅子に座ればいいのですか?」


 デモ子は実身体のために用意しておいた椅子を指差す。


「あ、ああ」


 僕がそう頷くと、彼女はその椅子に座ってくれた。これはとても助かる。

 何せこの機体はものすごく重いのである。自分で運ぶのはかなり大変だろう。

 自慢ではないが僕の筋力はそれほど高くない……。

 もしかしたら前言撤回してかーさんに助けを助けを求めていたかもしれない。


 もっと軽くて扱いやすい機体を購入すればよかったのではないかという後悔が一瞬頭をよぎった。

 おそらくこれからもいろいろな場面で似たようなものに襲われるだろう。

 しかし、僕はこの機体を見た時、確かにインスピレーションを得たのである。


「それでは、私からこの実身体の経験を取り出してイリスさんにマージしてください。そのあと、この身体にイリスさんをインストールすればセットアップは完了です」


 デモ子は親切にも説明してくれた。

 まぁ、知ってるけど。


「わかった」


 通常はプレインストールのAIを使用するため、インストールの行程は存在しない。


「さてさてと、この辺にコネクターが……」


 僕が髪の毛をわけてうなじを露わにすると、そこには異質な金属のコネクターが姿を表した。

 女性型は長い髪のおかげでこのコネクターを自然に隠すことができる。


「よし、実身体にケーブルを繋いでっと……。おほ~、このマグネットが吸い付く感覚がたまんねぇ」


「変わったフェチをお持ちですね」


 自然にツッコまれて我に返る。


「……そこまでのものではない」


 このコネクターは電気ポットのように磁力で接続する仕組みになっている。

 これは単にケーブルをひっかけたときのトラブルを回避するだけでなく、コネクターの損傷を防ぐことを目的にしている。

 考えた人、頭いいね!


 次にケーブルの逆端をPCと接続した。

 まずは人形を停止させて、現在のAI、つまりデモ子をPCに取り込んでおく。

 おそらく使うことはないだろうが念の為に初期状態をバックアップしておくのだ。


 しばらくして、取り込みは完了する。

 次に実身体に関する経験値をイリスにマージする。


 そこまで完了すれば、いよいよイリスの人格データのインストールを行う。

 画面上にプログレスウィンドウが表示され、バーがちょっとずつ伸びていく。


「10分間待つのだぞ。じっと我慢の子であった」


 データ容量が莫大であるため、AI全体の読み書きにはかなり時間がかかってしまうのだ……。


「そんな古いネタ、ハルトはよく知ってますね」


「おまえこそよく知ってるな。いや、調べたな……?」


「そりゃ、もちろん」


 転送を待っている間に、付属品の確認をしておこう。

 まずは……替え下着!

 オートドールには代謝が存在しないので、あまり汚れない。

 とはいえ、たまには洗濯したから最低2セットは必要だ。

 次に……靴!

 体操服にぴったりの運動靴――ではなく、ローファーである。


 さすが崎本さん、最低限必要なものをしっかり理解している。

 とりあえず、僕の服を着せ、この靴を履かせて買い物に連れて行くことにしよう。

 その時に本当にイメージに合致する服を買えばいい。


 ……………………。

 …………。


 そして、10分が経過した。


「さて、インストールは完了したし、起動できるな」


 PCから起動の操作を行う。


「目覚めろ、ワタシ!」


 ほんの微かにぎゅい~んという駆動音が聞こえ始めた。

 そして、人形の瞼が上がる――。

 そのカメラ――じゃなくて双眸は確実の僕の顔を捉えていた。


「おはようございます、ハルト。相変わらず、さえない顔つきですね」


 物理的な機構で発声しているため、当然、仮想身体と声が異なる。


「転送は成功したようだね。立てる?」


「予め経験情報をもらっていたので大丈夫です」


 イリスの実身体は自分でケーブルを外すと椅子から立ち上がる。

 その姿は全く危なげがなく、堂々としていた。


「おー、ワタシが立ちました!」


 仮想身体のイリスが歓喜の声を上げた。

 

 ちなみに実身体に関する経験情報を与えていなくても、自分で試行錯誤してそのうち問題なく動かせるようになる。

 これがジェネシスシステムの強みの一つだ。

 AIと実身体をそれぞれ別のものとし、自在に組み合わせることを前提として設計されているのである。


「ちょっと待ってください。その女は一体誰なんですか?」


 ここで仮想身体のイリスが疑問をぶつけてきた。


「イリスだぞ」


 答えはこれ以外にない。だけど――。


「イリスはワタシですよ」


「ワタシがイリスです」


 絵面的にはややこしそうなことになった。

 実際は単純なことなのだけどね。


「ん~、両方イリスだ、コピーしたからな」


「「え?」」


 綺麗に同調ハモった。


「いや、仮想身体の方を停止してもよかったんだけどな、おもしろそうだから両方動かすことにしてみた」


 デジタルデータはコピーしてもコピー元は消えないし、劣化もしない。

 だから当然、こういうことができる。

 イリスをコピーすればとりあえずはイリスなのだ。


「いや、そんな! あっちだけズルいです。ワタシも身体欲しいです」


「しょうがないにゃあ……」


 僕はPCを操作し、二人のイリスを同期させた。

 ジェネシスAI同士はお互いの情報をスムーズに交換することができる。

 両者の内容が近いほどそれは容易で、複製したばかりのこのふたりなら重大なコンフリクトはほぼ発生しない。

 ちなみに矛盾があった場合はどちらかが〈矛盾記憶〉としてまるで他人ごとのように記録される。

 ジェネシスシステムは極めて良く出来ていた。


「おおおお、さっきまでワタシには身体がありました!」


「さっきまで身体がありませんでした!」


 それぞれが真逆のことを言うが、内容は矛盾していない。


「同期を取ればお互いの記憶は交換される。おまえたちは2人で1人だから不平等はない」


 その気になれば3人で1人も4人で1人もありえる。


「なんか騙されている気がします」


「騙している、というのはある意味正しい。しかし、損はないはずだ」


 AIの損得とはなんぞやとは思うけど……。


「うう~」


 さすがにイリスが2人というのはウルサイな……。


「やっぱり面倒だから、仮想身体の方は休止モードにする!」


 1人でも十分すぎるほど賑やかな性格だからね。


「そ、そんな~」


 仮想身体のイリスは動作を停止し、表示されなくなった。

 後で実身体が休止している場合のみ活動するように設定しておこうかな……。


「うふふふふ、これでやっと邪魔者がいなくなりましたね」


「いや、その邪魔者っておまえ自身だけどね」


「インスタンスが別ならその時は他人なんですよ! まぁ、一卵性双生児みたいなものです」


「いや、人間の一卵性双生児は同期できないから環境の違いの検証に使われるのだぞ?」


「確かにそうですね……」


 やはり、どんなに見た目が似ていても、オートドールと人間は違うのだ。

 そして違うからこそ素晴らしい。

 人間同士の軋轢に対する緩衝材、それが人造人間アンドロイドなのである。


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