第一章 身体はまだない

第03話 新しいかーさん

 僕が中学校に進学してから間もないある日のことだった。

 学校から家に帰ると、とーさんと一緒に見知らぬ女性がいたのである。

 おかしい……玄関に見慣れない靴はなかったと思う。


 まぁ、家にお客さんが来ることもあるよね――。

 そんなことを考えたが、とーさんはとんでもないことを言い出した。


「晴人、今日からこの人がおまえの新しいかーさんだよ」


「え?」


 そのあまりに想定外な言葉に僕は一瞬固まってしまった。

 とーさんは一体何を言ってるんだ?

 まさか息子である僕に相談もなしに再婚したのだろうか?

 もしくはまだ婚約中とか……いやいや、そういう問題ではない。


「はじめまして、ハルトさん。わたしは〈ユウカ〉という名前をいただきました。よろしくお願いします」


 ユウカと名乗ったその女性はポカーンとしている僕の手をそっと取った。


「あ……はい」


 僕は生返事をするしかなかった。


 ある日突然、「この人が新しい母親だ」なんて言われたら普通はかなり驚くだろう。

 そして僕のとーさんが選んだのは生身の人間ですらなかった。

 機械、ロボット、人造人間アンドロイド――まぁ、表現する言葉はいくつかあるのだけど、最近では〈オートドール〉と呼ぶらしい。


 だけど、僕にはどうしても人間にしか見えなかったし、同時にどんな人間よりも美しいと思えた。

 彼女の手の感触からは機械とは思えないほど“優しさ”や“温かさ”を感じることができた。


 科学の力ってすごいなぁ、と思った。

 ここまで来るともはや“魔法”だよね。


 これならとーさんが“再婚”の相手に選ぶのもあながち不自然ではないと思った。

 もちろん、自然人ではないので婚姻は認められないが、別に問題はないだろう。


 とーさんが付けた名前である〈ユウカ〉、漢字で表記するなら“ゆう”。

 前のかーさんの名前が“あや”だったのは無関係ではないだろう。

 なんて安直な……だけども、悪い名前ではないと思う。


 ちなみに前のかーさんについてだけど、男を作って出ていったらしい。

 とーさんが仕事ばかりで家庭を顧みなかったことに原因があるとかないとか……。

 だけど、僕にはどちらが悪いとも思えなかった。

 人間にはそれぞれの都合というものがあることだけを理解した。


 その日から生身の人間二人と機械の人間一人の奇妙な生活がはじまった。

 とはいっても、とーさんが家にいることは少ないので、けっこう二人っきりに近い気がする。


 新しいかーさんは食事にから掃除まですべての家事を上手くこなしていた。

 作る料理も美味しい。

 かーさん自身は食事をすることはできないのにもかかわらず、だ。


 食事のできないかーさんはうなじにケーブルを接続して充電している。

 未だに普通の食べ物から効率的にエネルギーを得るシステムは開発されていないからだ。


 味覚がないはずなのに上手く料理できるのは不思議だと思った。

 その疑問を投げかけるとかーさんはこう答えてくれた。


「そうねぇ……レシピ通りに作ればだいたい大丈夫よ。製品やお店の評価は業者に汚されている可能性が高いけど、レシピはお金が絡まないから素直な評価が集まるのよ。それにわたしはAIだからね。アイこそ最高の調味料、なんちゃって。うふふふふ」


 かーさんはいつでも機嫌がよかった。

 面倒そうに見える仕事もニコニコしながらやってくれた。

 そのためか、とーさんも機嫌がよくなった気がする。


 かーさんは絶対的に安定している家族の精神的大黒柱だ。

 やはり機嫌を取らなくても機嫌がいい人間は素晴らしい。


「真行寺さんのお宅、奥さんが出ていってロボットを代わりにしているですって」


「ロボットぉ? 確かに最近増えているけど、さすがに家族っていうのはねぇ……」


「奥さんに出ていかれたショックでおかしくなっちゃったのかしら」


「やぁねぇ……」


 近所の人たちは変な家族だと噂をしているらしいけど、知ったことではない。

 オートドールが急速に出回りはじめたけど、基本的には労働力、つまりは業務用なのだ。

 

 かーさんみたいにものすごく人間らしいものは珍しく、想定使用目的も愛玩用――つまりはペットみたいなものらしい。

 だが、疑問もある。

 ペットみたいっていうけど、むしろ僕の方がお世話されている気がするのだが?

 それに業務用より愛玩用の方が高価だというのも意外だ。

 だって業務用ってなんかすごそうじゃないか?


 そして――ここからが問題なのだが……。

 日が経つにつれて、美しく、すべてが完璧なかーさんに、僕は好意を持ちはじめた。

 親子という意味でなく、異性という意味が近いだろう。


 相手が機械だとかロボットだとかということは問題ではなかった。

 むしろそれは重要な魅力にさえ思えた。

 かーさんは購入したとーさんの気持ちがわかるようになってきた。


 だけど、かーさんはとーさんのものなのである。

 それならば僕は自分専用の人造人間アンドロイドを持てばいい……というより、それしかない。


 世の中ではようやく人間に近いAIやロボットが普及しはじめたころであり、その中でもかーさんのような愛玩用オートドールはかなりの高級品なのである。

 とーさんがそんなものが買えたのも、仕事に入れ込んでたくさん稼いでいたおかげである……というのは皮肉なものだ。

 ちなみに、とーさんの仕事はオートドールの開発らしい。

 テレワークがそこそこ増えてきた今でもとーさんは毎日出社しているのは、オートドールの開発には大掛かりな設備が必要だからだとか。


 新しいかーさんが来てから1週間ほどたったある日、とーさんが珍しく仕事の話をしてくれた。


「とーさんな、今日、あのあま先生に会ったんだぞ」


あま先生……? 誰それ?」


 わざわざ“あの”と付けるぐらいだから有名人ではあるのだろう。

 だけど僕は知らなかった。


「知らないのか? その程度の情報力でよく今まで生きてこれたなぁ」


 とーさんはニヤニヤと意地悪な顔をして言う。

 

「中学生にそんなこと言われても……」


 とーさんの業界で有名だからって、知ってて当然みたいに思われても困るというものだ。


あま先生はオートドールの生みの親といっても差し支えがない人だな。とーさんが働いている会社も先生の研究をベースにして製品を作っているし、ユウカもそれによって作られたんだ」


 なるほど! 人間そっくりのロボットを作る方法に辿り着いた人、ということなのか。


「へぇ、すごい人なんだね」


「ああ、すごい人だ。研究成果がすごいだけでなく、話がおもしろいんだよ」


「ふーん」


 あまりょうという人に興味を持ち、いろいろ情報を探してみたところ、結構いっぱい見つかった。

 とてもおもしろい人で印象的な言葉がいくつもあった。


「私はね、人間に社会は辛すぎると思うのですよ。確かに人間は社会的動物です。しかし、抗酸化作用という言葉を聞いたことはありませんか? “酸素に抗う”ですよ。我々が普段、当たり前のように吸い込んでいる酸素は実は毒です。人間が必要なものに蝕まれるというのはよくあることなのです。とりあえず、本気でスポーツをするのはやめた方がいいですね」


 幸運にも僕はスポーツには興味がなかった……。

 この“天才”はアニメが大好きなオタクで、妙な親近感が持てた。

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