第15話 初仕事

 控え室を出た俺は、先に行く大里の後ろをついて行くようにして、厨房にいる店長の元へと向かっていた。

 もちろんその間、俺たちにこれといった会話はなく、俺はひたすら彼女の背中をガン見しているだけ。


 ——ここの制服やっぱいいよな。


 終いにはそんなどうでもいい思考まで浮かび上がってくる。

 というのも、こうして後ろから見る女性用の制服が結構可愛いのだ。


 黒と白の縦シマシャツに、膝上までの黒いスカート。首元には黒いリボンが付けられていて、落ち着いた色合いながらも、そのデザインはいたってシンプル。


 どれを取っても飲食店らしい素晴らしい制服だと俺は思う。

 これなら制服目当てでバイトをするような人が現れても、おかしくはないと思うのだが——。


「ねえ、さっきっから何? 服ジロジロって」

「ああいや、ここの制服ってデザインいいよなって思って」

「別に普通でしょ。ファミレスなんてどこも一緒」


 そう言いつつ大里は、スカートの先を指でつまみ上げて見せる。

 ミニスカートではないので、パンチラするようなことはないが、それでも彼女の太ももは、俺の目でもしっかりと捉えることができた。

 妙に色っぽい。


「ちょ……見るな!」

「す、すまん……」


 慌てて目を逸らす俺に、鋭く痛い視線が突き刺さる。


「ホント信じらんない。キモすぎ」

「わるかったよ。もう見ないから」

「当たり前でしょ!? 次見たら殺すから」

「いやどんだけ重罪なんだよ……」


 少し太ももに意識がいってしまっただけで死刑になるくらい、今の世の中は俺に厳しいらしい。

 そもそも死刑にするくらいなら、自分のスカートをつまみ上げるような思わせぶりな態度は、是非とも控えていただきたいものだ。


「てかさ、あんた接客なんてできるの? いつも隅でこそこそしてろくに人と話さないし、やめといた方がいいんじゃないの?」

「いや……それ今言うか普通……」


 続けて大里はそんな当たり前の疑問まで投げかけてくる。

 これにはさすがの俺でも顔をしかめるしかない。


「だってそうでしょ。下手な態度とって迷惑かけられるくらいなら、端からいないほうがマシだし」


 いない方がマシ——。


 これからバイトに入る新人に言っていいような言葉じゃない。

 普通に考えたら最低だ。

 そもそも俺がこのバイトに適していないことなど、言われなくとも十分にわかっている。


 ではなぜわかっているのにこのバイトにしたのか。

 学校から近いという理由はもちろんだが、それ以上に俺は自分自身を変えたかった。苦手をバイトにすることで、少しでも成長したいと思ったのだ。


 その俺の覚悟に大里は一瞬で泥を塗りたぐってきた。

「さすが」というべきなのだろうか。彼女のこういうところもまた、個性の一つなのだろう。


「で、本当にできるの? やめるなら今のうちだけど」

「やめねえよ。そしてあんまり俺をいじめるのはやめてくれ。余計緊張する」

「あっそ。好きにすれば」


 投げやりっぽくそう言った彼女は、厨房の前で立ち止まった。

 そして俺を睨みつけるように凝視すると、


「言っとくけど、ホントに邪魔するのだけはやめて。ここの店ただでさえ評判悪いんだから」

「お、おう。わかった」


 ——評判が悪い?


 今の大里の言葉に少しの違和感を感じたが、今はそれを考えている場合じゃない。厨房はもう目の前だ。


「店長。今から仕事入ります」

「はーい。今日もよろしくねー」


 入り口から中へ投げかけるようにして大里がそう言うと、中から明るい店長の返事が返ってきた。


「じゃ、先行くから。あんたも早く済ませて」

「あ、ああ」


 大里にそう促された俺は、ドキドキしながらも厨房へと入った。

 すると店長が何やら1人で料理を作っているのがわかる。


 ——キッチンに1人!?


 どんだけ人手不足なんだ? という疑問は置いといて、とりあえず俺もそれっぽい挨拶をしてみることにする。


「あの。俺も今から仕事入りますね」

「六月くん、今日からよろしくねー。まだ色々わからないだろうから大里さんに教えてもらいながらねー」

「は、はい。よろしくお願いします」


 それだけを伝え、俺は厨房から迅速に脱出した。


 ——なんだったんだ今のは……。


 店長が1人で3人分ぐらいの仕事をしていたように見えたが——いや、おそらくは俺の勘違いだろう。


 それよりも早く店内に行かなければ。

 大里に怒られるのだけはもう勘弁だ。


 そう思った俺は早足で店内へと向かったのだった。



 ——嫌——



 俺が今日から担当するのは主にフロアでの仕事だ。

 来店したお客さんを席へ案内するところからお会計まで、幅広い仕事を任されることになる。


 その中でも不安なのは、やはり注文を取る時。

 ハンディーと呼ばれる携帯型の機械を持ち、お客さんの注文を的確に聞き入れなくてはならない。


 おそらく中には、早口で注文してくるお客さんだっているだろう。

 まだ機械の操作はおろか、メニューすらろくに覚えていない俺にとって、そのようなお客さんは最大の敵だ。できれば出くわしたくはない。


 大里からも「いい? 注文ミスだけは絶対にやめて。マジでめんどいから」と念を押されていることだし、なんとしても今日はノーミスで仕事を終えなければならないのだが——。


『ピーンポーン』


 突然店内にオーダーコールが鳴り響いた。

 今日のフロア担当は俺と大里の2人だけ。しかも大里は、現在別のお客さんの料理を運んでいる真っ最中だ。


 ——行くしかないか……。


 そう心に決めた俺は、まず冷静に呼び出しをしたお客さんの場所を確認する。


「6番テーブル……」


 今俺がいる位置から最も遠い場所だ。そう判断できるくらいには、テーブルの場所を把握してある。

 とはいえ、この店自体そんなに広いわけでもないので、覚えるのにはあまり苦労しなかったのだが——。


「ハンディーあるよな」


 ケツポケットに閉まっていたハンディーがしっかりあることを確認した後、お客さんの元へと向かう。

 その道のりは妙に長く、お客さんに近づくにつれて、心臓の鼓動がどんどん早くなっていくのがわかった。


 ——大丈夫だ。俺ならできる。


 そう自分に言い聞かせた俺は、ケツポケットに入れていたハンディーを手に取った。そして教えられた通りのセリフを慎重に口にする。


「お待たせいたしました。ご注文をお伺いいたします」

「ほら、店員さん来たわよ。早く決めなさい」

「えーっとー……」


 お客さんは子ども連れのファミリーで、お父さん、お母さん、男の子、女の子の4人家族。この様子だとまだ料理が確定していないのに、「とりあえず呼ぶか」的な感じで、オーダーコールを押したのだろう。

 団体客にはよくありがちなことだ。


「店員さん待たせてるから」

「んんー……」


 別に俺からしてみれば、お客さんが注文を悩んでいる間待たされるくらいどうってことない。むしろいくらでも待てる。

 だからというわけでもないが、どうか注文する時だけはゆっくり目の口調でお願いしたい。でないと絶対後で怒られる。


「僕これにするー」

「はいはい。すみませんお待たせして」

「いえ。それではご注文をお伺いいたします」

「ミートソースのパスタが一つ」

「ミートソースのパスタがお一つ」

「デミグラスソースのハンバーグが一つ」

「デミグラスソースのハンバーグがお一つ——」


 俺はお客さんの注文を復唱するようにして、料理名を読み上げていく。

 これこそが注文を聞き逃さないコツ。先ほど大里から伝授してもらった技だ——。


『いい? 注文取る時は絶対にお客様の注文をもう一度繰り返す。そうすれば自分がハンディーに打ち込む時間を確保できるし、間違いも減るから』


 確かにこれなら、よっぽどのことでない限り注文を聞き間違えてしまうことはない。しかも、俺が注文を繰り返すことによって、お客さんが早口で注文してしまうことを防止しているのだ。


「——マルゲリータピザ一つ」

「マルゲリータピザがお一つ」

「あとフライドポテト一つで」

「フライドポテトがお一つ」


 ここまでをハンディーに打ち込み終えたところで、お客さんからの注文が途絶えた。


「以上でよろしかったでしょうか?」

「はい」


 あと俺に残されているのは、お客さんの注文をもう一度繰り返すことだけ。

 もし間違いがあればここで指摘してくれるだろうし、ここまでくれば特にミスなく注文を終えることができそうだ。


「それではご注文を繰り返させていただきます——」


 そうして俺は自らの手で打ち込んだ注文をもう一度繰り返した。

 落ち着いて。なおかつはっきりと。お客さんに伝わりやすいように最善の注意を図りながら——。


「——フライドポテトがお一つ。以上でよろしかったでしょうか?」

「はい」

「ありがとうございます。それでは失礼致します」


 そう呟いた俺はハンディーを閉じ、再びケツポケットへとしまった。

 そしてお客さんへと一礼して、その場を後にする。


「よっし」


 自然と小さな声が漏れる。

 この俺が誰の手も借りることなく、何一つミスすることなく、注文を取り終えることができたのだ。そんなの嬉しいに決まっている。


 ——これなら何とかやれそうだな。


 そんな自信さえも湧いてきていた。

 久しぶりのド緊張を乗り越えたのだから当然だ。


「ねえ。どうだったの」


 注文を取り終え所定の場所へと戻った俺に、先に帰っていた大里が声をかけてきた。

 もしかして心配してくれていたのだろうか。


「あ、ああ。何とかなったよ」

「ミスは」

「おそらく大丈夫だ。俺が繰り返した時には何も言われなかった」

「そっ」


 それだけ聞いた大里は、厨房へと料理を取りに行こうとする。


 ——一応お礼言っとくか。


 俺がミスしなかったのは、大方彼女のおかげだろう。

 ならば礼の一言でも言っておくべきだ。


「なあ大里」

「何」

「さっきはありがとな。お前のおかげで上手くできた」

「別にあんたのためじゃないから。勘違いしないで」

「ああ、わかってる。でもサンキューな」

「ふん」


 そうして彼女は厨房へと入っていく。そんな後ろ姿を見て俺はふと思った。


 ——ここなら上手くやっていけそうだ。


 今日の昼、三宅から聞いた時はかなり動揺したが、それでも大里は仕事に対しては真面目でとても頼りになる。

 この様子なら特に気にかかることもなく、ここで働くことができそうだ。


「何突っ立ってんの。ぼーっとしてる暇あったら働いて」

「あ、ああ。すまん」


 戻ってきた大里にそう言われ、慌てて俺も仕事に戻る。

 長くここで仕事ができればいい。そんなことを願いながら。

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