第7話 覚悟

「意外と広いわね」

「確かに。1000円にしてはなかなかだな」


 2階へと移動した俺たちは、まずドリンクコーナーでそれぞれの飲み物を用意してから、指定された部屋へと向かった。


 ドリンクの種類は思っていたよりも豊富で、パッと見た感じでも15種類ほどは確認できた。

 若者が好きそうな炭酸系から女性向けのお茶まで、どれも顧客のニーズにバッチリと適しているものばかり。


 中でも目を引いたのは、温かいコーンスープとソフトクリームだ。

 まさかカラオケ屋のドリンクバーに、こんな規格外なものが置いてあるとは思ってもいなかったので、これは別料金なのか? と一瞬疑いさえもしたほどだ。


 そんな素晴らしい選択肢の中から、俺は控えめにウーロン茶を、冬坂はイメージ外れなメロンソーダをチョイスしたわけだが——。


「てかお前のそれ……何でソフトクリーム乗ってんだ……」


 メロンソーダをチョイスしていた冬坂は、さらにその上にソフトクリームも乗せ、セルフクリームソーダを作り上げていたのだ。


「何でって、あなたクリームソーダ知らないの?」

「いや、それは知ってるが……。にしてもお前……」


 冬坂の作り上げたクリームソーダを見て、なぜか俺の中で複雑な感情が湧き上がってくる。


 ——どうせ冬坂はマテ茶とかコーヒーとかなんだろうな。


 などと勝手に想像していたからか、彼女がそれを手にしている姿が違和感でしかない。

 イメージ外れもいいとこだ。


「いやまあ……いいんじゃね?」

「何のこと?」

「何でもねえよ。それよりもとりあえず座ろう」

「それもそうね」


 そうして俺たちは、設置されている長椅子へと腰掛けた。

 テレビから向かって右手側が冬坂。左手側が俺だ。


「最初、どうする?」

「はっ!?」


 そう振られた俺は、反射的に驚いてしまった。

 カラオケを始めるにあたりそう尋ねるのが当たり前なのだろうが、俺はてっきり冬坂が先に歌うのかと思っていた。

 あれだけフリータイムを押してきた上、わざわざこんな場所に俺を連れてきたのだから、先に歌って流れを作ってくれるものだと思っていたのだが——。


「お前先じゃないのか?」

「だって最初歌うのって勇気いるじゃない?」

「いや知らねえよ……。お前がカラオケにしたんだろ」

「でもほら、最初は男子が流れを作って……みたいな。学校でもそうでしょ?」

「安心しろ。俺にそんなムードメーカー的センスはない。だからこうして嫌われている」

「もう……おバカ……」


 強気で言い切った俺だったが、よくよく考えると今のは少し虚しい。

 嫌われていることは別に構わない。しかしそれを平然と言ってしまうということは、俺自身その現状を受け入れてしまっているということ。

 自分で言ったはずなのに、なぜか悲しさが湧き上がってくる。


「はぁ……」

「急にどうしたの六月くん?」

「いや、何でもない……。それよりも、先に歌う方ジャンケンで決めるってのはどうだ?」

「確かにそれが一番手っ取り早いわね。そうしましょうか」


 そうして俺たちは、先に歌う方をジャンケンで決めることになった。

 もちろんこれは絶対に負けられない。

 なぜならここで負けるようなことがあれば、記念すべき俺の初称号が『ムードブレイカー』になってしまうからだ。


 それは絶対に避けなければならない。

 例え周りに嫌われようとも、自分で自分を祭り上げるようなことはしたくないのだ。


「準備はいい六月くん」

「ああ」


 そして運命の時——。


「いくわよ。せーのっ……」

「最初はグー、ジャンケン——」「最初はグー、ジャンケン——」


 俺はこの戦いが始まる前から決めていた。いや、正しくは生まれたその時から決まっていたのだ。

 自分がおとこであるという自覚がある限り、俺の中での選択肢はたった一つしかない。


 そう——。


 それは戦う漢の魂とも呼ぶべく硬い拳。

 全身全霊を込めた必殺のグー!


「ポン! (グー)」「ポン! (チョキ)」


 冬坂が選んだのは相手を貫くチョキ。しかしその槍で俺のグーを貫くことはできない。

 つまりは俺の大勝利。己の全てを込めた拳で、見事冬坂の槍を打ち砕いたのだ。


「ふっ、俺の拳は最強だ」

「ぬぅぅ……」


 心底悔しそうな表情の冬坂に、俺は堂々の勝利宣言を突きつける。

 相手が女の子だからって俺は手を抜いたりしない。それが真の漢の生き様ってやつなのだ。


「それじゃ冬坂。お前先頼むな」

「仕方ないわね……」


 そう言うと冬坂は、テーブルに置いてあったタブレットを手に取った。

 決して乗り気ではないようにも見えるが、俺の拳にやられたのだから仕方がない。


 ——どんな歌歌うんだろう。


 素直な好奇心が湧いてくる。

 女の子とカラオケなんてもちろん初めてだし、冬坂の歌の上手さ加減がとても気になるところだ。

 凄まじく上手い歌の後に歌うのはさすがに無理があるから、できれば下手くそであってほしいのだが——。


「な、なあ冬坂」

「ん? どうしたの?」

「お前って歌上手かったりする?」

「んん……どうかしらね。上手いか下手かはわからないけど、決して得意ではないと思う」

「得意ではない……か」


 確かに歌が得意なことと歌が上手いことは全くの別物なのだろう。

 音痴にだって歌が得意な奴はいるだろうし、その逆もまた然りだ。

 まあ俺の場合、得意でもなければ上手くもないのだが。


「そう言う六月くんはどうなの?」

「はっ? 俺?」

「私がカラオケにしようって言った時凄く嫌がってたし、苦手なのかと思って」

「そうだな……。まあ俺も得意ではないな……」

「そう。それなら少しは気が楽かも」


 そう呟いた冬坂は、再びタブレットへと視線を戻した。

 おそらく彼女はためらっていたのだと思う。

 もちろん一番最初に歌うのはとても勇気がいるし、そうなってしまうのも仕方がないとは思うのだが——。


「ねえ六月くん。私思うんだけどさ……最初って凄く怖いわよね」

「まあ……こういうところはお互いあまり慣れてないしな」

「ううん、そうじゃないの。カラオケで最初に歌うのももちろん怖いけど、それ以外でも初めてのことって凄く怖くてどうしていいかわからないなって」


 タブレットを見続けたままそう呟く冬坂。

 俺はその言葉の意味を、はっきりと理解することはできなかった。

 しかし彼女の言いたいことだけは、何となく伝わったような気がする。


 ——初めてが怖い。


 ふと先日の告白が脳裏に浮かぶ。

 あの時の俺は、生まれて初めての出来事を前にどうしていいかわからなくなっていた。

 自分の行動一つで全てが変わってしまう現状に、恐怖さえ感じていたのかもしれない。


 だからこそ俺は相手を突き放す選択をしてしまったのだ。

 それを受け入れるだけの覚悟がなかったから。一歩を踏み出す勇気がなかったから——。


「私ね、凄くずるい人間なの。自分に都合の悪いことがあればすぐ逃げ出すし、ちゃんと向き合えるだけの勇気がないのよ。だからこうして周りから嫌われるのも当たり前のことだって……そう思ってる」


 自分も同じだと思った。

 もし目の前に大きな壁が立ちふさがった時、俺はその壁を乗り越えようとするのではなく、平気で退く選択をしてしまう。その壁がない新たな道を模索して、何度でも何度でも逃げ続けてしまう。

 1人になってしまうとわかっていても。大切な何かを失うとわかっていても。

 俺はその道しか選ぶことのできない心の弱い人間なのだ。


「よし、これにする」

「歌うのか……?」

「ええ、いつまでもこうしてはいられないし」


 ——そして。


 今までタブレットに向けられていたはずの彼女の視線が、俺の視線と勢いよくぶつかった。


「それに心で思ってるだけじゃ何も変わらないから」


 そう呟いた彼女はテーブルに置かれていたマイクを手に取った。

 室内には聞き覚えのある曲が流れ始め、彼女の歌声が部屋いっぱいに響き渡る。


 とても綺麗な歌声だった。

 声はとても透き通っているし、音程を外したりもしていない。

 自分で歌うのが得意じゃないと言う割には、普通に上手いと思った。


 でもどうしてだろう。

 彼女の歌声は決して上手いだけじゃなかった。

 なぜかとても心に響いてくるのだ。

 その歌声を聴けば聴くほど、彼女が先ほど吐いた言葉が頭の中で幾度となく蘇ってくる。


 ——心で思ってるだけじゃ何も変わらない。


 そして蘇るたびに俺は思う。まさにその通りだと。

 今の自分を変えるためには、一歩を踏み出す必要がある。何もしなければ何も変わらない。

 言葉にすれば単純なことを俺はずっと避け続けてきた。

 それに気づかないふりをして自分を守っていたのだ。


 でも——。


 彼女の姿を見ていたらそれじゃダメな気がしてきた。

 胸に響くようなその歌声が俺をそう思わせてくれたのだ。


「ふぅ……」


 見事歌い終えた冬坂は、肩の荷を降ろすかのように息をついた。

 今なお蘇る彼女の言葉が、歌声と共に脳内を流れる。


「次、六月くんの番」


 そう呟きながらマイクを差し出す冬坂。

 俺はそのマイクを、無言ながらもしっかりと受け取った。


「嫌なことがあったら歌うの。自分の歌で自分を励ましてあげるのよ」

「自分の歌で……自分を……」

「そう。そうすればきっと自分の中の弱さと向き合える日がやって来るわ。だからあなたは大丈夫」


 彼女の笑顔は優しかった。そしてとても美しかった。

 誰かの言葉がこれほど心に響いたことが過去にあっただろうか。

 誰かにここまで救われたと感じたことが過去にあっただろうか。


 俺の知る限りではおそらくこれが初めてだろう。

 それだけ彼女の存在は俺にとって新鮮で、かけがえのないものなのだ。

 今なら彼女が俺をここへ連れてきた意味も理解できる。


「よし、歌う」

「うん。頑張って六月くん」

「どうせなら立って歌う」

「えっ? 立ってって……」


 俺は勢い任せに靴を脱ぎ捨てた。

 そしてそのまま長椅子に登るようにして立ち上がり、マイクを口元へと持っていく。

 大きく息を吸い込み、叫ぶようにして思いを吐き出す。


「俺はちゃんと美咲さんに謝る! 思ってること全部伝えてしっかりけじめをつける! 周りがどうだとか、嫌われているだとかは関係ない! 今俺がするべきことをする! 俺はそう決めた!」


 部屋いっぱいに爆音が響き渡る。

 らしくないことをしているとは思っている。けど、自分らしさに囚われていては何も変えることができない。

 自分の中にあるちっぽけなプライドを捨てて、俺はやるべきことをやらなくてはならない。

 冬坂のおかげでそう思うことができた。


「ちゃんと言えるじゃない」


 俺の決意を静かに聞いていた冬坂は、微笑み混じりにそう言った。

 彼女が俺をここへ連れてきてくれなかったら、きっと気持ちは変わらなかっただろう。

 俺をその気にさせてくれた冬坂のためにも、休み明けの月曜、俺はしっかりと美咲さんと向き合う。

 その結果がどうであれ、俺には伝えるべきことがあるから。

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