【 第一章  ⑥ 】

「あの結婚、最初は王太后が言い出したでしょ」

「ああ」


「縁組の条件、覚えてる?」

「ラルデニアの相続人を王弟の妃に、だったはずだが?」


 頷き、ジュストは背もたれに寄りかかって、視線を上げる。丹念に描かれている楽園の天井画をぼんやり眺めながら続きを口にした。


「でも、いくら筆頭相続人に指定されていても、死んでしまったら意味がない。南方諸侯との軋轢を生まないためにも、初めから妹のほうと息子を結婚させて、あとで姉を殺してしまえばよかったんだよ。そうすれば揉めることなくラルデニアはベリエ公のものなのにね」


 沈黙が落ちる。

 ややあって、声を発したのはフィリップだった。


「……ジュスト、おまえ、恐ろしいことを考えるのだな」


「間違ってる? でも、フィオーレ界隈じゃあ毒殺がいまだに盛んだ。手段を選ばないなら有効な手だし、下手に諸侯を刺激しないで済むから、逆に確実でもある。違う?」


「違わないが、人道的にどうなんだ、それは」

「フィルは甘いね」


 馬鹿にしているのではなく、優しいよね、という意味を含んだ言い方。


 為政者として、ある意味では正しく、また、ある意味では隙があるとも言えるフィリップの考え方が、ジュストはわりと好きだった。


 君主は非情であるべきだ。

 だが、その非情に泣かされる人間は、ひとりでも少ないほうがいい。


「……では、閣下。その姉君が、王弟妃である妹君を秘密裏に殺害し、成りすましたと仰るので?」


「そうじゃない。そこに至るのはまだ早くて、なんで王太后が最初から、揉めるって分かってる〈相続人〉に縁談を持ち込んだのかって話。そこを理解すると、偽物が双子の姉だっていう説に納得してもらえると思う」


 王太后が、ラルデニアの筆頭相続人――と、縁談相手を指定したばっかりに、南方諸侯に反対する隙を与えてしまった。野心をひた隠しにして交渉することも可能だったはずなのに。

 ならば、と、フィリップが身を乗り出す。


「筆頭相続人であることに意味があったのか?」

「意味というか、価値が」

「どんな」

「賢かったんだよ、長女は」


 きっぱりと断定したジュストの言葉に、フィリップは眉根を寄せた。

「どこで知ったんだ、そんなこと」


 ――おまえとラルデニア伯女に接点などないだろう。


 言葉がなくとも多分に伝わる表情で訴えてくるフィリップに、ジュストは椅子に置かれた黒髪の鬘を目で示した。


「〈ラ・ファヴォリット〉の情報網」

「貴婦人たちのサロンか」


 ベルローズとして宮廷生活を送る際、欠かすことができないのが、貴婦人たちのサロンに出入りする〈顔つなぎ〉だ。


 ベルローズは、国王寵姫という権力を振りかざせる特殊な立場であるため、特定の取り巻きや友人はあえて作らない。


 だが、どの派閥にも均等に顔を出すことで、宮廷全体の情報を偏ることなく吸い上げるのだ。


 そして、国王への公式報告の形を取らないサロンでの噂話に、真実が秘められていることは多かった。


 自分の耳に入らない話題になったからだろう。フィリップが興味深そうに尋ねてくる。


「宮廷のサロンで噂になるほどの知性とは、なんだ?」

「トルバドゥールとコランヌ語で会話する、だって」


 今ではすっかり古語となっているコランヌ語だが、大陸公用語としての重要性は失っていない。


 古典文学と呼ばれる作品はコランヌ語で書かれたものが多いし、宮廷で他国の貴族や大使と会話する際には、共通言語としてコランヌ語が欠かせなかった。公式文書もコランヌ語で記される。


 また、宮廷の娯楽として筆頭に挙がるのがトルバドゥール――吟遊詩人だが、彼らが歌い上げる〈物語〉はコランヌ語が主流だ。


 彼らは単なる芸術家ではなく、文学者。コランヌ語に堪能でなければ務まらないため、知識人として尊敬される。


 実際、家督を継げない次男や三男が吟遊詩人になっている例は多く、その言語力を買われて宮廷で秘書官のような役職に就くこともあった。


「トルバドゥールと会話、ですか。それは見事ですね」

「母国語と同じくらいには操れるってことだよね」


 教養の証ともいえるコランヌ語の習得は支配者階層の姫君に必須だ。


 もっとも、簡単な日常会話ができれば充分とされているが、ラルデニア伯の長女は読み書きまでできる腕前。長編で名高い詩集〈黄金の湖によせて〉も、原文のまま読んでしまうという。


「まあ、うちの姫様素敵ーって宣伝しないと、いい縁組相手も寄ってこないから、多少の誇張はあると思うけど」


「コランヌ語が堪能だったから、王太后の眼鏡に適ったということか?」


「少なくとも貴婦人の必須教養を完璧に習得してるんだから、狙うのは当然でしょ。王弟妃としてすぐに使える。王妃不在のルガール宮廷では重要な駒だ」


 刺繍と楽器演奏は家庭教師のお墨付きで、ダンスも申し分ない。今すぐダンベルク帝国の皇后として送り込んでもそつなく振る舞うだろう――というのが、縁談の前後にサロンで噂された評判だ。


 ベリエ公の結婚相手など正直どうでもよかったが、それほどの貴婦人なら一度はお目にかかってみたいと思ったので、よく覚えているのだ。


「だが、どうしてコランヌ語に詳しいとわかった? 所詮は噂だろう」


 先ほどの宮廷舞踏会ではルガール語でしか会話していない。コランヌ語で喋っていないのだからジュストの仮説は成立しない――と問いただすフィリップに、ジュストはふわりと微笑んだ。


「王弟妃、フィルのダンスを断るときに〈ラフィーネ姫〉って言っただろ」

「? おまえに見習いたいと言ったはずだが」


 ぴんとこない様子のフィリップに代わり、その場にいなかったピエールが膝を打つ。


「ラフィーネ姫とは、あれですか。悲劇で終わる、あの――」

「そ。〈青薔薇の騎士〉の姫」


 それでも、まだ理解していない表情のフィリップに、ジュストは苦笑を浮かべる。


「フィルは恋愛小説読まないもんね」

「そんなことはないぞ」

「でも知らないでしょ」


 ピエールが、こそっとフィリップに耳打ちした。


「陛下も〈太陽王の伝説〉と申し上げればご存知かと」

「ああ。吟遊詩人がよく詠う」


「青薔薇はそこの一節でね、恋愛要素が強いから軟弱だって理由で、これまでどの言語にも翻訳されてないんだよ。読むにはコランヌ語をばっちり習得してないと駄目。文章が難解だから」


 舞踏会場で〈ベルローズ〉のローブは青と薔薇を基調にしていた。フィリップもベルローズを〈青薔薇〉と喩えた。

 そして〈青薔薇の騎士〉に出てくるラフィーネ姫は、たった一人の騎士を想い、王の求愛を拒んで自決すると描かれている。


「フィルの言葉から名作を引用して、ベルローズが貞節であると持ち上げつつ、国王と踊るなら死んでやると拒絶――なかなかの腕前だよ、あの王弟妃は」


「教養の深さがにじみ出ている貴婦人でいらっしゃいますね」

「青薔薇を知らないフィルには通じてなかったけどね」


 あのときフィリップは、「ベルローズを引き合いに出されては」と言ったが、本来ならば、コランヌ語で記された文学作品を読破している王弟妃の学識を褒める場面だったのだ。


 分かる人にしか分からない――という話題で、国王が反応できなければ「分からない人」とされてしまう。それを避けるため、ジュストはとっさにフィリップをダンスに誘い、その場から連れ出した。


「だから、双子の姉だと? 拙速すぎる結論ではないか? 入れ替わっているとしても、ピエールが言うように、他人の空似という説は捨てきれないぞ」


「青薔薇の話は架空ってことになってるけど、気候描写や風習から考えてラルデニア地方がモデルだ。馴染みやすい物語を読んでいたっていうのは納得できない?」


「若い娘の興味を惹けるような題材を使って、フロランタン侯爵夫人が教育したのかもしれないだろう」

「あくまでも同一人物説を唱える、と」


「しかし、青薔薇を会話に引用できるほど機転の利く姫君は、そうそういらっしゃいませんよ」


「いいこと言うね、ピエール。だから、「瓜二つの別人」って線は消えるんだよ」


 青薔薇の騎士を読むには、そもそも〈本〉がなければならない。


 騎士階級の娘であれば読み書きは修得するが、それはリジオン教の教典に沿ったものだ。貴婦人に求められる教養とは次元が異なる。


 蔵書として書籍を保有できるのは財力のある支配者階級に限られ、かつ、娯楽品に分類される〈小説〉の類いを入手するのは、よほどの知識階層。


 この二つの条件を満たすのは、領主以上の階級となってくる。

 多少、文字が読める美しい娘は、そのあたりにごろごろといるだろうが、青薔薇を読破してしまうような娘は、そういない。


 しかも、王弟妃にそっくり、という絶対条件まで加われば、そこらへんのよく似た他人を持ってくるわけにいかないのは明白だろう。


「なるほど。それで、閣下の仰る「双子の姉」説ですか」


 そう、と、ジュストは首肯した。


「確かに、あらゆる条件を加味していけば、おのずと姉姫に絞られて参りますね」


「ラルデニア伯の長女は理想的な姫君だ。完璧すぎるくらいにね。だから王太后は目を付けた。――それが、今回の縁談の真相だよ」


 欲深い王太后は、ラルデニア領を引っ提げてくるだけでは息子の嫁として満足しなかった。

 未来の王妃として相応しい教養を持っている姫君だったからこそ、一石二鳥として縁談を申し入れたのだ。


「しかし、ベリエ公は妹姫をお見初めになった」

「王太后は仰天したらしいよ。そのあたり、フィルはあまり知らないでしょう」


「溺愛するルイのおねだりだ。すんなり許可したと聞いたが」

「まさか!」


 メルヴェイユ宮殿からラルデニアの城館までは早馬で片道三日。

 挙式の一週間前にラルデニアに到着したベリエ公は、そこで婚約者の妹に一目惚れした。ベリエ公は結婚相手の変更を求めるべく、母后に早馬を出した。その日の、夕方に。


 急使がメルヴェイユ宮殿に到着したのは三日後の晩。夜に王太后へ謁見を申し出ることはできないため、手紙が届けられたのは翌朝だった。


「王太后は大急ぎで返事をしたらしいけど、それでも宮殿を出たのはその日の昼過ぎ。早馬がラルデニアに戻ったのは挙式当日の午後で、そのときはもう結婚式が終わってたと、そういう流れだよ」


 聞き終えたフィリップが目を丸くする。信じられないと叫んだ。


「王太后の許可を得ていなかったのか!?」

「まあね」


 挙式後に開いた王太后からの手紙には、当初の婚約者と確実に婚姻するようにと、大変に厳しい文言で書かれていたというから、ベリエ公の即断即決は的確な判断だった――とも言える。


 母后の許可も得ず感情のままに見初めた姫と挙式したベリエ公の行動に、一時期のサロンは熱狂していた。


 愛に生きる理想の騎士様――と。


 ジュストにしてみれば「立場を弁えないわがまま野郎」の一言に尽きるが。


「式を挙げちゃったものはしょうがないし、王太后もしぶしぶ追認したけどね」


「ん? では、王太后は王弟妃を快く思っていないと言いたいのか?」

「可愛い息子を盗ったんだから、まあ、そうかもね」


「ならば、双子の姉を宮廷に引き入れたのは王太后か?」

「なんでそうなるの?」


 眉根を寄せると、フィリップは、どうして伝わらないんだ、というように人差し指でテーブルをとんとんと叩く。


「王太后にとって王弟妃は邪魔な駒だろう。教養もなく、相続権も持っていないのだから。ならば、利用価値のある娘とすり替えてもおかしくはない」


「一理あるけど、その作戦は破綻する」

「なぜだ!」


「王弟妃は〈セレスティーヌ〉として婚姻してるんだよ。聖王庁の許しを得て、正式に。王太后がお気に入りにすり替えても表向き、中身はセレスティーヌのままだ。ということは、現段階で〈王弟妃〉の子供にラルデニアの相続権はない。相続権のある姉に、相続権のない妹の振りをさせても意味がない。王太后はそこまでバカじゃないでしょ」


「…………」

 納得したフィリップが押し黙る。室内に沈黙が漂い、蝋燭の火が燃える音がやけに大きく響いた。


 それまで耳を傾けるに徹していたピエールが、おそるおそるといった風情で口を開く。


「では、やはり、姉姫がベリエ公を取り戻すために潜入して……」

「んー、そこなんだよね」


 というと? と、フィリップが視線で促してくる。


「ここでようやく、入れ替わった目的に話が戻るわけだけど」

「長かったな」


「入れ替わった女が誰かってことを先に断定しとかないと話が通じないだろ!」

「大丈夫です。きちんと最後まで伺いますよ、閣下」


 はい、落ち着いて、とグラスを差し出される。くいっと呷って、ジュストは大きく息を吐いた。


「夫を奪った妹を恨んでる。だから取り返そうとして王宮に潜り込んだ――ここまでの仮説は、まあ納得できる」

「というより、それしかないだろう」


「だったら、さっきも言ったけど、どうして宮廷行事に出てきた?」


 フィリップとピエールが互いに顔を見合わせ、黙る。


「成りすますんだったら、これまでの王弟妃と同じ行動を取らなければ怪しまれる。出てくる必要はないんだよ。もともと引きこもりなんだから」


「自分こそが正統な王弟妃なのだと、存在を誇示したかったのではありませんか?」


「姉の価値はラルデニアの相続人であることだ。名告れない状況で宮廷に出入りしても意味はないと俺は思うよ」


 面倒な舞踏会も、サロンでのくだらないお喋りも、宮廷という箱庭で考えれば王弟妃の立派な〈公務〉だ。


 だが、妹の公務を肩代わりして、姉になんの利点があるというのだろう。


「目的が夫を取り戻すことなら、速やかに妹を抹殺して、同時にフロランタン侯爵夫人を解雇すべきだ。そうすれば別人だと疑われるリスクは減る」


 必要なのは女官の協力だけ。接触する人員を極力減らすことこそが、なりすましを成功させる手段なのだから。


 それなのに、王弟妃は相変わらず教育係のフロランタン侯爵夫人を側に置いている。舞踏会の途中ではぐれたようだったが、あの程度は〈撒いた〉とは言わない。詰めが甘い。


 あるいは。

 人員を入れ替えると疑いをもたれる可能性が高まる、と想定して、あえてフロランタン侯爵夫人を残したままにしているのか――。


「妹を抹殺、か。おまえは相変わらず言葉選びが過激だな」

「本当に、姉姫が妹である妃殿下を害していると閣下はお疑いで?」


「さあ、どうだろう」


 あの〈王弟妃〉が別人だという確証は得ているが、本物の王弟妃が無事なのかどうか、ということについては情報が少なすぎる。判断のしようがない。


 姉の教養に関する噂話はサロンに蔓延していたが、性格についてまでは話題にならなかった。

 性格が分かったからといって、真実にたどり着けるという保証はないが――。


「探りを入れてみるよ」


「おまえ、王弟妃とまともに交流したことはないだろう。どうするんだ」

「招待するよ、ベルローズのサロンに」


 木曜の夜。ベルローズとして賜っている部屋で、ささやかな茶会を催すのが習慣だ。


 執務の手が空けばフィリップも顔を出してくれるので、宮廷貴族たちからの評判はいい。


 これまで、王太后派と目される王弟妃を招いたことはなかった。宮廷に出てこないから会話する機会がなかったのだ。正式に顔合わせができていない相手を招くことは儀礼に反する。


「でも、さっき、ちゃんと〈挨拶〉ができたからね。招待する理由はできた。非礼にも当たらない」

「それは、まあ、そうだろうが……」


 心配そうにフィリップがジュストの顔を見る。


「うまくいくか? 断られたら接触できないだろう」

「大丈夫だよ。偽物のほうなら、絶対出てくる」


 舞踏会に出席している王弟妃が別人だと断定した理由も、そこにあるのだ。

 なぜなら、あの〈王弟妃〉は――。


「ベルローズを嫌ってないみたいだからね」

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