第4話(4):暴力の包囲網

 くそっ、俺がバカだった!

 走りながら心の中で自分に毒づくが、それが何の意味もなさないことをムスティフは知っていた。それでも言わずにはいられない。「くそっ!」


 考えれば有り得る可能性だった。当然のように起こりうる可能性だった。

 サイクロプスが同胞の埋葬を行っていた――つまり彼らには感情があるということ。人のように思考することができるということだ。


 愚直に手に持ったもので殴りかかってくる、人に殺意と暴力をぶつけて来るだけの存在とは異なるというだ。

 だから当然のように作戦を立てるし、群れで結託もする。当たり前だった。


 サイクロプスという怪物と戦い慣れているからこそその可能性に思い至らなかった――なんて、ただの言い訳にしか過ぎない。


「ちょ、ちょっと、どうしたのよ突然!?」


 やや後ろで、必死にムスティフに食らい付きながらモーランが叫んだ。


「マルカだ! 何かあったんだ!!」

「どうして分かるのよっ!?」

「合図があった! 事前に示し合わせてた合図だ!」

「あ、合図? そんなの聞こえなかったけど――――」


 モーランの声はどんどんと小さくなって、そこで聞こえなくなった。


 ムスティフは未だに自分の手首でキリキリと軋むような音を鳴らす、共鳴虫のブレスレットを見た。蝉の近縁種である共鳴虫の特徴は大きく分けて二つ。

 一つは人間の可聴域を超えた音で鳴くということ。

 そしてもう一つは、オスの鳴き声を聞くとメスはそれに共鳴するようにして鳴きだす、ということ。

 共鳴虫の発声器官を模倣した共鳴笛とそのメスを閉じ込めたブレスレットは、その音を聞き取れないものに悟られることなく連絡を取れる手段だった。


 幸いだったのは、ムスティフはモーランと足を止めて会話をしていた為、先程のキャンプ地からそう遠くない位置にいたということ。

 共鳴虫のホイッスルの音が届いたというのもそうだし、何より直ぐに駆けつけることができる。


「――サイクロプスッ!」


 まっすぐ来た道を引き帰したのだけれど、見えたのはマルカ達の姿では無くてサイクロプスの筋肉に覆われた背中だった。ムスティフはマルカ達が囲まれていることを悟る。ムスティフ達が離れたのを見計らって、サイクロプス達が回り込んで彼女たちを囲んだのだ。


 ムスティフは肩に掛けた槍から布を剥ぎ取り――いや違う、槍を捨てて腰に刺した短剣を抜いた。足音に気付き巨体が身体をねじり始める、ムスティフは大きく跳躍する、はげた頭を見下ろす、振り返るより先にその一つしかない血走った眼球に短剣を押し込む!


「――グッ」


 サイクロプスの喉が音を発した。だけれどムスティフにはそんなもの聞こえない。害獣は悲鳴なんて、苦痛なんてあげないのだ。ただ、その喉から、構造上音を漏らすだけで、そこに意味なんてない。


 ムスティフはサイクロプスの肩に乗り、尻尾を巻きつけて体を固定。

 引き抜き、突き刺す。引き抜いて突き刺す。押し込む。抜く。刺す。

 サイクロプスの身体が地面に吸い寄せられるのを感じて、巨体を蹴って離れる。


「はっ、はあっ、はあっ――――殺したの?」

「ああ。これで生きてるように思うか?」


 眼球が判別できなくなるほど顔面がずたずたになったサイクロプス。血に交じって黄色い何かがこぼれ出ていた。

 ムスティフは担当の血を乾いた布で拭ってから鞘にしまう。


「はい、落し物」


 モーランは重たそうに、ムスティフの槍を差し出した。


「あんた、いつもこんなもの持ってんの?」

「ありがとな。……ああ、俺は短槍が獲物なんだよ」


 うおおおおぉぉぉぉ……。

 ムスティフ達の耳に入ったのは、雄たけびだった。

 そしてそれに応じるようにもう一度、うおおおおぉぉ。


 さて、考えろ。とはいえその思考は一瞬だ。

 サイクロプスを殺すか、マルカを助けに行くか。

 

 ……。

 …………。

 ………………。


「サイクロプスを殺して回るぞ」

「了解」


 モーランは水筒に口を付けながら頷いた。死体の前だというのに大したものだった。


「ただ、その前にすることがある。お前も付き合え」

「いいけど、何?」


 ムスティフは一旦武器を置いて、サイクロプスの死体の前で手を合わせ目を瞑った。「えっ……えっ?」モーランはこんな状況で何かの冗談かと思ったらしかった。

 ムスティフがじっと目をつむったまま動かないのを見て、それが本気なのを悟ったようだった。モーランはムスティフに習って、たどたどしく黙とうをささげた。



*


 マルカには武術や剣術の心得はあるし、一般人よりははるかに強い。だけれどサイクロプスにははるかに劣る、というのは子供が大人に勝てないのと同じで、一考するにも値しないただの常識だった。

 マルカが女だとか、まだ肉体が成熟しきっていないとか、そんなことは関係ない。マルカと巨躯の怪物の差の前では誤差にすぎなかった。


 それを埋めるために、マルカの背嚢には様々な武器が入っている。例えば火筒の原理を応用した単発式の携帯小型砲であるハンドカノン。あれなら威力も申し分ない。サイクロプスの目を狙えば即死させる。


 殺意と暴力の塊――逆に言えばそれしかないサイクロプスには遠距離から一方的に攻撃できると思い、マルカはハンドカノンをいくつか持ってきていた。

しかし、今はそれが何の役にも立たないのだ。


「ヴオオオオオオォォッ!」


 すぐ近くから雄たけびが聞こえた。反射的に耳をふさぎそうになる。

 すると幾つもの咆哮から風を切る音をマルカの鼓膜は感じ取る。


「マルカさん、左っ――」


 分かってる!

 マルカはククルを抱きかかえながら進路を九〇度右に変えた。どおん、岩が落ちる。あのまま走っていたら今頃はあそこの下敷きだ。


 サイクロプスはこちらに近寄ってこようとはしない。一定の距離を取りながら、樹やら岩やらを投げて来るだけだった。その居場所は大体分かるが、マルカを抱えながらではハンドカノンを取り出せない。取り出せたとしても構えてねらいを定められない。


 そもそもこれは調査だったのだ。サイクロプスの異常行動に対する調査。戦闘なんて――予測していなかった訳ではないが、しかしあくまで最低限の準備しかしていない。

 いや、しかしその予想をしていたとしても同じような状況に追い込まれていただろう。八匹ものサイクロプスが結託して襲い掛かってくる――なんて、マルカは考えても居なかった。


  甘かった。樹を躱しながら唇を噛む。きっと、マルカの予想は正しかったのだ。それが分かっているのなら、ククルならなんとかできるだろう、なんて甘い考えではなくて、確実にサイクロプス達を殲滅できる用意をするべきだったのだ。マルカの考えが的中しているのなら、こうなることなんて幾らでも予測ができたのだから。


 だけれどマルカも、何もただ逃げ回っているだけではない。ただムスティフの助けを待っているだけではない。マルカは、探していたのだ。


「ジダさん、いたっ!?」

「いないよっ!!」


 振り落とされないように必死にククルにしがみ付いていたジダが、泣き叫ぶようにそう言った。


「でも、本当にいるの!?」

「います、絶対、どこかに!」

「でも、でもっ! サイクロプスの傍に人間なんている訳がないよっ!!」


 ジダに頼んだのは、サイクロプスへ知恵を与えている者の捜索だった。

 絶対にいるはずなのだ。どこかに、絶対。


「ウオオオォォォォ!!」


 また声が聞こえる。そして先程と同様に、幾つもの岩や樹がマルカの方へと投げつけられる。

 人間がいるはずだという根拠はこの雄たけびだった。サイクロプスはたとえ感情と思考を手に入れたとしても、それを伝達する手段――言葉を持たないのだ。

 サイクロプスは仲間同士でも気に入らなければ殺し合うこともある、時には子供ですら手にかける粗暴な生活。当然集団で生活することなんてない。


 その姿はカタチだけは人に酷似しているが、言葉を発する能力は持ち合わせてはいないのだった。最初から存在しないのか、退化して喋れなくなったのかは分からないけれど。


 この雄たけびは、マルカがサイクロプスに近づくと決まって聞こえる。その意味は「俺はここにいるから誤射をするな」だ。

 マルカは最初、素直にサイクロプスの包囲網から逃れようとした。このキャンプ地自体はなかなかに広い、サイクロプスの包囲網自体はその全てを覆うように広っている。つまり網の目は広いと考えたからだ。


 しかし、マルカが広場の外に近づくと、あの雄たけびが聞こえてきた。そしてマルカの進路を妨害するようにして投てきの激しさが増したのだ。

 あれは合図だ。森に紛れる自分の居場所を知らせて、誤射を避けるための合図。


 だけれど、サイクロプスがそれを思いつくとは思えないし――いや油断は辞めよう――思いついてもそれを伝達する手段がないのだ。それとこの包囲網自体もそうだった。


 だから、人の言葉を理解できるようになったサイクロプスにそれらを伝えた人間――少なくとも人の言葉を操れる存在がどこかにいるはずだった。

 そいつが近くにいなければ、サイクロプス達はもしもの事態に対応できないからだ。


「絶対にいます! いるんです! 見つけてください!!」

「やってるよ、探してる! でも見つからないんだって!」


 その時、空気が変わったのを感じた。殺意がひとつ消えたのだ。

 サイクロプス達もそれを機敏に感じ取って、少しだけ攻撃の手が緩まる。この包囲網からの脱出を可能にするほどのものではないけれど。


 ムスティフがサイクロプスを殺したのだ、ということはすぐに分かった。チャンス――と思うと同時に、悲しくなった。そうか、殺してしまったのか――。

 直ぐに二匹目の殺意が弱まった。消えてはいないことからムスティフ達と交戦に入ったのだろう。


 チャンスだった。またとないチャンス。これはもしもの事態だ。ムスティフが救助に来たこと、それがあまりにも早かったこと、これは向こうの想定外のはずだ。もしもの事態だ。

 サイクロプスの協力者は、間違いなく動く。動揺しているサイクロプスに指示を与え、次の行動を支持するはずだ。今まで姿を隠していたとしても、必ずどこかのサイクロプスに接触する。


「ジダさん、絶対に姿を現しますっ! 目を凝らして!!」

「してる!」

「ククルも探して!」

「うん……!」


 マルカの体力は限界に近かった。それでも、まだ足を止めない、まだ死ねない!

 火鼠のローブは確かに頑丈だが、あの樹や岩の前では無力だ。あの程度では穴は空きはしないがマルカ自身が押しつぶされてしまう。


「――――いたっ! ローブを羽織ってる!」

「どこですかっ!?」

「左! 左に曲がって! サイクロプスの肩に乗って…………あれは何をしてるんだ――危ないマルカッ!!」


 きらりと、木々の中で何かが光った。頭がそれが何か判断する前に、身体は動いていた。ククルの身体を横に向かって投げる。光ったのが消えた。ローブを引っ張って顔を覆った。視界が消える寸前にそれを目でとらえて、衝撃が走ったのと同時にようやく頭が理解した。


 火鼠のローブは当然矢も突き刺さらないけれど、その衝撃はマルカの脳味噌に響き渡る。

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