第28話 勝気なカノジョにやっとプレゼントを渡せた

 喫茶店を出ると、映画を観に行くという紀夫と渡辺さんと別れて、樹里と2人っきりになった。

「着物って苦しいのよね。早く帰って着替えたい」

 紀夫に一緒に映画を見に行かないかと誘われたが、樹里はそう言って家に帰りたがったので、僕は樹里を家まで送ることにした。

「樹里は着物が似合うよね」

 心からそう思う。樹里は美人だから何を着ても似合う。


「そう。隆司が言うならこのままでいようかな」

 口ではそう言ってるが、苦しそうだ。

「いいよ。無理しなくて。着替えたほうがいいよ」

「うん。美容師の人がギュウギュウ締めるから苦しいのよね。それに結構食べたからな」

 樹里はお腹を撫でる。


「大変だね」

 女の人は綺麗にしようと思ったら大変だと思った。

「そうよ。女は大変なんだから。いいわよね。男はそんなラフな格好でいいんだから」

 樹里が恨めしそうにスタジャンにジーンズという僕の姿を見る。


 樹里を見ながら、いつプレゼントを渡そうかと機会を窺っていたが、なかなか踏ん切りがつかず、樹里のマンションまで来てしまった。

「どうする。中に入る?」

 この間、樹里のお兄さんに殴られたことが頭をよぎる。

 もうお兄さんには顔を覚えてもらえているから、たぶん殴られないだろうが、今度はお父さんに殴られそうな気がする。


「大丈夫よ。今日は誰も来ないわ。たぶん」

 ほら、たぶんじゃないか。

 ここでプレゼントを渡さないと絶対渡せないと思い、ポケットから花柄の包み紙にピンク色のリボンがかけられている小さな箱を樹里に差し出した。


「なに?」

 樹里がビックリしたように僕の顔を見る。

「樹里にプレゼント」

「うそっー。ウレシィ〜」

 樹里の顔が綻んだ。

「そんなに喜んでくれるなんて」

「当たり前でしょう。今までさんざん尽くしたのになんのお返しもなかったんだから。やっと、報われたわ」

 お返しがなかった?

 たしかに、お弁当を作ってもらったけど、僕もモーニングコールをしたり、迎えにいったりしてたんだけど。

 まあ、見合ったお返しだったかどうかは分からないが。


「開けていい?」

「いいよ」

 樹里が嬉しそうに開ける。

「ピアス?」

「うん」

「よくピアス穴を開けてるって分かったわね?」

 樹里が感心したように僕を見る。

「渡辺さんに教えてもらった」

 正直に答えた。


「そうよね。隆司がそんなことに気がつくはずないもんね」

 納得のいった顔をした。

「でも、人に聞くっていうことを覚えただけで進歩だわ。教育した甲斐があったわね」

 僕は樹里に教育されてたの?

「わあー、可愛いじゃない。つけてと言いたいところだけど、耳を血だらけにされそうだから自分でつけるわ」

「うん」

 そこまでは教育されてませんから無理です。


「どう?」

 樹里がピアスをつけて、こちらを向く。

 和服姿だが、ピアスが似合っている。

「似合ってるよ。すごくキレイ」

「嬉しいわ」

 あまりの愛しさに樹里を抱きしめたくなってくる。

 樹里はクリスマス祭の時、いつでも抱きしめていいと言っていた。


「樹里」

 僕はゆっくりと樹里に近づいていく。

「何よ」

 樹里が目を大きく見開いた。

「抱きしめていいんだよね。言ったよね」

「いいわよ」

 手を広げて樹里を抱きしめようとした。


「キャア〜」

 まだ何もしていないのに樹里が悲鳴をあげた。

「おねえしゃん、あそぼう」

 樹里の足元の方から声がする。

「チイちゃん……。ビックリするでしょう」

 チイちゃんが樹里の足元に抱きついていた。


 樹里がチイちゃんを抱き上げると、チイちゃんは両腕を樹里の首に回す。

「お母さんはどうしたの?」

「ねんね」

「しょうがないわね。また、お母さんに何も言わずに出てきたの? お母さんにお姉ちゃんのところに行くって言いに行こう。隆司はどうする?」

「僕は帰るよ」

 樹里と一緒にチイちゃんと遊ぶのもいいが、やはり女子の部屋に入るのは、また余計な誤解を招く恐れがあるので、やめておいたほうがいいだろう。


「じゃあ、おばさんに明日も行くからって言っといて」

「えっ、明日もうちに来るの?」

 そんな話を聞いてなかったのでびっくりした。

「なによ。いやなの?」

「ううん。大歓迎だよ。ただ、聞いてなかったから」

 樹里の頬が緩んだ。

「そう? おばさんに雑煮のレシピを書いといてって」

「分かった。言っておくよ」

「バイバイ」

 チイちゃんが手を振ってくれた。

 僕も振り返す。


 樹里とチイちゃんが中に入って行く後姿を見送りながら、僕と樹里が結婚したら、あんな子どもが出来るのかなと、去っていく樹里の横に自分を並べてみる。

 僕はすぐにこの妄想を頭から振り払う。

 そんなことになるはずがない。

 僕には許嫁がおり、樹里には婚約者がいる。

 そんなありえないことを想像するのは虚しい。


 翌日から冬休みが終わるまで、樹里は、毎日昼過ぎにうちに来て、母さんと一緒に料理を作ったりして、夕食を食べて帰っていく。

 時々は、母さんと二人でデパートやスーパーに買い物に行ったりもする。

 決して僕はマザコンではないが、あまりの母さんとの仲のよさに樹里に嫉妬を感じてしまう。


「やっぱり、女の子はいいわ。優しいし、気が利くし。樹里ちゃん、うちの子にならない?」

「優しい?」

 母さんの言葉に僕はびっくりした。

「何よ。その顔は。そうか。ママを取られたと思って拗ねてるのね」

 樹里が嫌味な言い方をする。


「違う」

 必死に否定した。

「そうなの? 隆司も優しいけど、やっぱり気が利かないものね。その点、女の子は気が利くもの」

 母さんが真顔で言う。

 気が利かなくて悪かったね。

「大丈夫よ。ママを取らないわよ」

 母さんと樹里が顔を見合わせて笑う。樹里と母さんは気が合うみたいだ。

 せいぜいバカにしてくれ。僕は不貞腐れた気分になった。

 うちにいる時の樹里は学校で見せたことのないような楽しそうな顔をしている。

 樹里とこのまま一緒に過ごせたらなあと絶対無理なことを考えたりした。


 冬休みが終わり、樹里と一緒に過ごせるのもあと2ヶ月しかない。

 今まで、樹里とは休日に出かけることがほとんどなかったが、残りの日々はなるべく樹里と一緒にいたいと思うようになっていた。


「今週末はどこか行くの?」

「別に予定はないわ」

「宝塚歌劇観に行かない?」

 樹里が珍しい物を見るような目で僕を見た。

「どうしたの? 隆司から誘ってくれるなんて。それも宝塚なんて」

「この間、『オペラ座の怪人』のことを言ってたから。今、やってるみたいだから興味あるかなと思って」

 宝塚では『ファントム』という題名でやっているみたいだ。


「見たいわ。でも、よくチケットを取れたわね。なかなか取れないのよ」

「母さんの友達がとってくれたんだ」

 母さんは、樹里が演劇が好きだと聞いて、宝塚ファンでファンクラブにも入っている自分の友達にチケットを取ってもらおうと電話をすると、チケットを取ったが、用事ができて行けなくなったので譲ってあげると言われ、譲ってもらったものだ。


「すごく楽しみ」

 樹里がすごく嬉しそうな顔をした。

 樹里は演劇が本当に好きなようだ。

「樹里に喜んでもらって嬉しいよ」

「ひょっとして、わたしのことを好きになってきてるんじゃない」

 樹里が茶化すように言った。

「ヒミツ」

「なによ、それ」

 樹里が笑った。

 僕はもうとっくに樹里のことを好きになっている。

 それに気づくのが遅かった。

 離れるのは嫌だ。

 でも、きっとそれが運命なんだろう。

 それまでいい思い出をできるだけ作れたらと、思っている。


 土曜日、駅前で樹里と待ち合わせした。

 樹里は薄い紫色のコートに黒のタイツ、黒いブーツを履いていて、濃紺のハンドバッグを持っている。

 やっぱり綺麗だ。

「隆司、何をボーっとしてるのよ。こっちよ」

 少し離れて、見ていた僕を見つけて樹里が手招きをする。

 もう少し言葉遣いが良ければいいんだけど。

 僕と樹里は電車に乗り、銀座にある東京宝塚劇場まで行った。

 電車の中でも美人の樹里は目立っていて、男たちの視線がチラチラ飛んできていた。


『ファントム』の原作は『オペラ座の怪人』で映画にもなり、演劇としても何回も上演されている。

 怪人ファントムはまだ駆け出しの新人女優の歌声に惚れ込み歌のレッスンをして、一流の女優にしようとする。

 だが、その才能を妬んだ劇場の支配人の妻である劇団のプリマドンナが新人女優に毒を盛り、声を出なくして、舞台で大失態を演じさせる。

 そのことを知ったファントムはプリマドンナを殺してしまう。

 最後は警察官に囲まれたファントムを実の父親がピストルで撃ち、新人女優の歌声を聴きながら、息絶えていく。


 初めて宝塚歌劇を見たが、感動した。男役の人は僕なんかよりもはるかに男らしいし、男の僕から見てもカッコいい。

「よかったわ。テレビで見たことはあったけど、生で見るとやっぱり臨場感が全然違う」

「そんなに喜んでくれたら嬉しいよ」

「特にあのファントム役の男役の人の苦悩と愛情表現が凄かった。やっぱり超一流は違うわ」

 樹里の顔が紅潮している。こんなに興奮している樹里は初めて見た。


「また機会があったら一緒に来ようね」

 たぶんもうないだろうが……。

「うん」

 樹里が嬉しそうに頷く。

「ほかにどこか行きたいところある?」

「どうしたのよ。急に」

 樹里が訝しげな顔をする。


「樹里がどこか行きたいとこがあるなら行こうかなと思って」

「分かった。真紀に言ったことを気にしているのね。気にしなくていいわよ。本当のことだから」

 樹里はさらっと皮肉を言う。

「それもあるけど、本当に樹里と一緒にいたいだけだよ。もう少しだから」

 一緒にいられるのもという言葉を言いたくなかった。

「分かったわ。じゃあ、動物園に行きたいわ。パンダを見たかったのよね」


 それから僕と樹里は週末になると、動物園やディズニーランドに行ったり、映画を観に行ったりと2人で出かけた。

 そんな思い出づくりをしているうちに高校最後の学年末試験も終わり、樹里との別れの日が目前に迫ってきた。



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