第13話
ルケンクロは、初めから死ぬつもりで咲夜をこの世界に呼んだのかもしれない。自分は敵の手に落ち、その命を自らの民たちによって断たれる。ならば、いっそのこと自分を殺してくれる者をこの世界に呼ぼうとしたのだろう。
自分を守る民と同じく、国に命を捧げる咲夜をルケンクロは自分を殺す相手として選んだのだ。異陽介を殺すためではなく、自分自身を殺させるために。
漆黒の闇が炎に照らされ輝いている。その輝きを、咲夜は白い浜辺の上から眺めていた。
遠く海の彼方で燃えているのは、自らが堕としたルケンクロだ。その炎を絶やさぬよう、ルケンクロの周囲を舞う竜たちが絶えず炎を吐き、自らの神だったものを燃やしている。
あのまま敵に捕縛されれば、あの竜たちは海ノ国の竜兵に改造されていただろう。ルケンクロは老成した竜のなれの果て。その身に住まう竜たちは、すべて彼らの一族だ。そんな一族たちを、咲夜を呼んだルケンクロは守りたかったのだろうか。
「どこまでも、神様たちは残酷だな」
ぽつりと咲夜は言葉を紡ぐ。その声を聴くレイは、浜辺の巌に腰かけたまま何も答えない。じっと彼女は、燃えるルケンクロを見つめるばかりだ。
「殺したのは、私たち……」
桜色の眼を細め、彼女は咲夜へと視線を向けてきた。そっと彼女は眼を瞑って言葉を紡ぐ。生温かな風が、彼女の飴色の髪を小さくゆらした。
「殺して殺して殺して……。壊して壊して壊して……。そうして行きつく先には、いつも何も残らない。そういって私たちの姉妹は死んでいった……。みんな、米国を倒すために壊れていった……」
すとんと、彼女は巌から降りていた。そっと咲夜に歩み寄りながら、戦闘機の少女は言葉を紡いでいく。
「ラバウルみたいに美しいこの世界は、どこか違うと思ってた。でも、みんな同じ。どこへ行っても戦いはあって、どこへ行っても私は殺すことしかできなくて、どこへ行ってもあなたは……」
そっと咲夜の前で立ち止まり、レイは言葉を途切らせる。かすかに聞こえる泣き声を耳にしながら、咲夜は小さく口を開いていた。
「それでも俺たちは戦わなくちゃいけない。生きるために……。誇りを守るために」
「その誇りだった祖国すら、もうどこにもないのでしょう?」
少女の自嘲が、咲夜の耳朶に突き刺さる。彼女は顔をあげ、涙にぬれた眼を燃えるルケンクロへと向けていた。
「守ってなんかいなかったのよ。私たちがしていたのは、守るための戦いじゃない。殺すための戦い。ただひたすら、目的もなく最後の一人が倒れるまで仲間を際限なく殺していく戦い……。みんなもうダメだって分かってはずなのに、認めなくなくて戦い続けてただけ。そのせいで、死ななくていい人たちがたくさん死んだ。戦いもわからない子供たちが死んだ。私たちは戦うことすら許さらずに、特攻機として壊れた……。自ら、壊れることを望んだ……。でも、その先は、その先には何が残ってるのかな、咲夜? 私たちの国はまだ、ちゃんとあるのかな?」
「戦闘機なのに、君は俺よりずっと人間らしいな」
少女の言葉に、咲夜は微笑んでいた。ほろほろと涙を流す彼女の頭を、咲夜はそっとなでる。しゃがみこんで顔を覗き込むと、レイはじっと自分を見つめてきた。
「君たちを壊したのは俺たちだ。俺たち、大日本帝国の人間だ。君たちは何も悪くない。悪いのは、戦いを辞めなかった俺たち人間だよ」
「でも、私は兵器。戦うために作られた。私たちがいなかったら、あなたたちは戦えない。戦う必要さえ、なかったかもしれない」
「戦う必要があったから、俺たちは君たちを作った。君たちと戦った。でも、君たちとの戦いは、ちゃんと守るべきものを守る戦いだった。殺すための戦いなんかじゃ、絶対にない」
優しく彼女を抱きしめる。
機械であるはずの彼女はあたたかい。まるで、心を宿した人のように。
いいや、彼女は心を持っているのだ。人よりもずっと暖かな心を。相棒たる自分たちの死に涙を流し、同胞たちの死を悼む人よりも愛情深い心を。
「君が、この世界で人の形をとっている意味がやっと分かった気がするよ」
「あなたを慰めるため? ちゃんと、会話ができる相手がいるように」
「いいや、君はたくさんのことを俺に教えてくれる。俺に生きる意味を与えてくれる。そのために君は、ここにいるんだ」
「私は、咲夜の役に立ってる?」
「そういう意味じゃないよ、レイ」
涙にぬれた眼をこすり、レイは咲夜に尋ねてくる。咲夜は彼女に優しく微笑みかけ、言葉を続ける。
「ずっと俺は、特攻で死ねなかったことを後悔しながらこの世界で生き延びてきた。それが間違いだと君が気づかせてくれたんだ。死にぞこないの俺にも、できることがある。レイのお陰でそれができる」
「でも、咲夜は苦しくないの?」
レイの眼が、ルケンクロへと向けられる。煌々と燃え上がるルケンクロを葬ったのは他でもない、レイを操縦していた咲夜自身だ。
美しい十字架の銀河の海のもとで、ルケンクロを背景に竜たちと空を舞った夜のことを思い出す。涙が出てきそうなほどに、それは心躍る出来事だった。
祖国のために死ねないことを心から悔やんだこともあった。
陽介がその思いを粉々に打ち砕き、その先に自分はルケンクロの真意を知ることになる。自分を拠り所とするすべての者たちのために、その身を投げ出した神。
愛しい一族を守るために、その身を殺してほしいと望んだルケンクロ。
そんな尊いものを葬り去った罪の意識はぬぐえない。けれどそれは、咲夜自身が望んだことでもあったのだ。
たしかにあの美しい神を殺してしまったことは悲しい。けれどもそれ以上に、咲夜はルケンクロの尊厳を守れたことに誇りすら感じていた。
それはとても後ろめたくて、いけない感情なのだろうけれども。
「ルケンクロは俺に戦う意味を授けてくれた。後悔はしてないよ」
「そう言うと思った」
涙にぬれたレイの眼に笑みが宿る。そっと彼女は漆黒に塗りつぶされた海へと歩んでいた。小さく波音を立てる漣に足をつけ、レイは静かに歌を奏でる。
レイが歌うのは、君が代。日本の国家だ。
高く透き通る少女の歌声は、静まり返った砂浜に反響し波音と伴奏に朗々と奏でられていく。それは、ルケンクロに捧げられた鎮魂歌のようでもあり、悲しみを振り切る希望の歌のようにも感じられた。
漣の中を歩きながら、レイは祖国の歌を紡いでいく。
懐かしそうに、ときおり悲しげに何度も何度も君が代を歌い続ける。
そんなレイを追い咲夜は砂浜を歩いていた。砂浜につく二人の足跡を、海は静かにかき消していく。その波音が、波音に混じるレイの声がなんとも心地いい。
「私、日本はなくなっちゃたって言ったけど、まだ日本があった場所にみんなはいるのかな?」
歌をやめて、レイが口を開く。彼女は後方にいる咲夜を振り返り、不安げな眼差しを向けてきた。その眼差しに咲夜は微笑みで応えていた。
「そこにみんながいるなら、きっと日本もそこにあるはずだ。俺たちは大日本帝国の栄えある臣民なんだからな。負けても、どんなことがあっても、俺たちがいる限り日本はそこにあるよ」
——飛行機に乗って、帰ってきてくださいね。
何度も何度も頭の中で反芻した幼馴染の言葉を思い出す。自分はこの言葉にどれだけ救われただろうか。そして、自分は今こそその言葉に応えるべきなのだ。
大日本帝国の臣民ではなく、一人の人間として。
「帰ろう、レイ。日本に。敵に負けても、どんなに変わってしまってもそこが俺たちの故郷だ」
「帰れるのかな? 私たち……」
少女の眼が憂いに細められる。咲夜はしゃがみこみ、そんなレイの頬を優しく両手で包み込んでいた。
「大丈夫。俺にはお前がいるんだ。きっと勝手つことができる。陽介にも。あの子にも」
レイはきっと紫電改のことを考えている。自分よりも性能が上である戦闘機に勝つことができるのか、彼女は不安なのだ。咲夜も、陽介に勝てるかといわれると自信がない。
ラバウルにいたことの撃墜数だって彼の方が上だ。栄えある343部隊に抜擢されたのも彼。
それでも、不思議と負ける気はしなかった。茜の言葉が自分を守ってくれているのかもしれない。そして、眼の前の少女とならどんな敵を相手にしても勝てる自信があった。どうしてそんなものが湧いてくるのか、咲夜にはわからなかったが。
「陽介を必ず倒す。そしたら俺たちは日本に帰れるんだ」
「あの人も、あの子も、きっと咲夜と同じ気持ちなのでしょうね。私は違うけれど……」
「レイはどんな気持ちなんだ」
「戦いなんてなければいい。そしたら、誰も悲しまないですむもの。兵器の私が言う言葉じゃないけどね」
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