第7話

 通されたその場所は、竜艦の腹部にあたる部位だった。ルケンクロでは丸い居住区がいくつも吊るされ、竜の屍が安置されているその場所は円形の部屋になっていた。配管の連なる壁には、球体ポットが置かれている。液体の満たされたポッドの中に、干からびた竜たちが羽をたたまれた状態で安置されていた。

 そのポッドの一つに、一糸纏わぬレイが入れられている。レイの入れられたポッドを少女の姿をした紫電改がそっと抱きしめている。金の眼を気持ちよさげに細め、彼女は褐色の小さな手を力いっぱいポットに押しつけていた。

「義姉さま……。やっと会えた……。義姉さま……」

 少女は愛しげにレイを姉と呼び続けている。

「シン。こちらへおいで」

 そんな紫電改に、咲夜の隣にいた陽介が声をかけた。彼女は大きく眼を見開き、こちらへと顔を向けてくる。銀の髪留めで纏められた緑の髪が激しくゆれる。

「義姉さまを連れていくの?」

 金の眼が不安げにゆれる。その眼差しは、しっかりと咲夜に向けられていた。

「シンっ」

 陽介が語気を荒げる。悲しげにシンと呼ばれた彼女は眼を伏せ、陽介のもとへと駆けて行った。ぎゅっと陽介に抱きつき、彼女は彼の顔を見あげる。

「義姉さまを壊したりしないで。やっと、やっと私と同じ義姉さまがこの世界に来たの。壊さないで……」

 シンに優しく微笑みかけ、陽介は彼女の頭を優しく叩く。しゃがみこんだ陽介は彼女と視線を合わせながら、言葉をはっした。

「大切な義姉さまを壊したりなんてしないよ。ただ、咲夜が義姉さまに話があるそうだ」

「サクヤが……」

 シンの眼が咲夜に向けられる。咲夜は彼女に微笑んで、言葉をはっしていた。

「レイのお陰で俺はこうして生きていられる。レイにお礼が言いたいんだ」

「嘘……」

「おいっ。シン……」

 そう短く言って、シンは陽介の背後に隠れてしまう。ぎゅっと陽介の背中に顔を押しつけ、彼女は言葉を続けた。

「この人は義姉さまを壊そうとした。ヨウスケ」が止めてくれなかったら、義姉さまは壊れてた……。あたしはまた、独りぼっち……」

「独りじゃない。俺がいるだろう?」

 背中にいる彼女に手を伸ばし、陽介はシンに苦笑を送っていた。シンは顔をあげ、じっと咲夜を見つめる。

「あなたは、嫌いっ! もう私に、義姉さまを撃たせないでっ!」

「すまん。ただの八つ当たりだ。許してやってくれ」

 ぎゅっと陽介の手を両手で抱き寄せ、シンは不快そうに眉を歪めてみせる。そんなシンの手を握りしめ、陽介は彼女に言った。

「シン。あっちに行こう。レイも咲夜と話したいことがあるだろうから」

「ご本……。読んでくれる?」

「シンジュリノがお前に持たせた海ノ国の神話の本か? 申し訳ないが、俺はまだ言葉が……」

「私がヨウスケに言葉を教えてあげるの。そしたらヨウスケ、ご本が読める」

 陽介の背中から離れ、嬉しそうに彼女は言葉を弾ませてみせる。じゃあ、お願いしようかな先生と陽介は苦笑しながら、彼女の手を握りしめていた。シンもまた片手を離し、陽介の手をもう片方の手で握り返してみせる。

「見苦しいところを見せてすまない。ゆっくりしていってくれ」

 シンの頭をなでながら、陽介が苦笑する。そんな陽介に微笑みを返し、咲夜はレイのもとへと歩み寄っていた。

 両開きの扉が閉じ、陽介とシンが出て行ってくれたことを知らせてくれる。咲夜の前には、飴色の髪を液体のなかで翻すレイがいるだけだ。

「聴こえるか? レイ」

 無理とは思いながらも、咲夜はレイに語りかけていた。彼女のこめかみに突きつけた拳銃の冷たい感触が掌に蘇ってくる。あの瞬間、自分はレイを殺そうとしていた。敵に撃墜された仲間たちが、自分たちの愛機を葬ってきたように。

「すまない……。レイ」

 そっと額をポットの硝子に押しつけ、咲夜はレイに語りかける。

 ——気にしないで。それが、私たちの役目ですもの。

 レイの声が脳裏に響き渡る。咲夜は顔を上げ、ポットの中の彼女を見つめた。うっすらと桜色の眼を開き、彼女がこちらに微笑みかけてくる。

「恨んでないのか……?」

 ——どうして? 私の姉妹たちはそうやってみんな死んでいったわ。どうして私が、それを嫌がる必要があるの。恐がる必要があるの?

「レイは強いな……」

 苦笑が顔に滲む。そんな彼女を自分は殺すことができなかった。あのときレイを殺して、自分も死んでいたら陽介はどんな顔をしただろうか。

 陽介は、自分たちの死を悲しんでくれただろうか。

 ——自分を殺そうとした人に、何か言われた?

 レイの言葉に肩が震える。陽介は眼を細め、口を開いていた。

「俺たちの国が、負けたそうだ」

 ——そんなのみんな感づいてたと思う。飛行機乗りは余計そうなんじゃないの?

「レイ、お前たちは分かってたのか?」

 ——だって、造られる姉妹たちが有人爆弾として使われてたくさん壊れていくのよ。そんなこと、前はありえなかった。妹たちは飛行機としては出来が悪かったし、私たち戦闘機を作る資材が減ってることもわかった。そんな状態で、どうやって勝つつもりだったの? 凄く疑問よ。

「必死に命を投げ出せばどこかで敵は止まってくれる。みんな、そう信じてたんだよ……」

 ポットに額を押しつけ、陽介は眼を瞑っていた。

 眼下に敵機に撃ち落されて海に落ちていく零戦の姿が浮かび上がる。自分が予科練で特攻隊員として教えた予備学生たちの乗った機体だ。

 大学まで進学した国を担う人材すら、国は自分たちを守る兵器として利用した。それでもなお、敵は止まることを知らず咲夜たち戦闘機乗りの命は奪われ続けた。

 ——日本に爆弾が落とされたって、あの子が教えてくれた。新型の爆弾で、広島と長崎の人たちが何十万人も亡くなったって。死んだのは、戦うことすらできない、女や、子供や、捕虜たちだったそうよ

「無差別爆撃で、東京も、大阪も、神戸も大きな町は全部焼かれた。日本はあたり一面。焼野原だ」

 ——殺して、殺して、殺して。奪って、奪って、奪い合って。それでいったい何が残るのかな? 私たちの国はまだ、残ってるのかな?

「分からない。結局は、敵にすべてを奪われたのかもしれない。俺たちの故郷はもうないのかもしれない」

 ——それでも、あなたたちは戦争をやめなかった。私たちを使って、敵を殺すために自分たちの同胞の命まで兵器にした。それでも敵は、止まってくれなかった……。

 レイの言葉に咲夜は顔をあげる。そんな咲夜を見つめながら、液体に浮かぶレイは銀の気泡に彩られた睫毛を、弱々しく伏せてみせた。

 ——殺して、殺して、殺しつくして。壊して、壊して、壊しつくして、その先に何があるのかな? 咲夜

「兵器の君が、それを言うのか」

 ——私たちはそこにあるだけ。それを使って人を殺すのはあなたたち人間よ、咲夜。人にしか人の争いはとめられない。どこかで、誰かが止めなきゃいけない。誰も止めなかった先にはきっと、何もないわ。何もない。

 桜色の眼が、静かに閉じられる。そのままレイの両手は自身の体を抱きしめてみせた。

 ——ごめんなさい。今は、眠りたい。何も考えたくないの。

 咲夜の脳裏にレイの言葉が響く。

「そうか」

 ——あの子が、シンが言ってくれたの。私が生きててうれしかったって。あなたに殺されなくてよかたって……。変なの。私、そういわれて凄くほっとした……。それがすごく、意外だった……。

「君たちは、争いを望んでないのか?」

 ——争うために、私たちは造られた。それだけが真実よ……。

「レイ……」

 話しかけてもレイは応えてくれない。咲夜はそっとレイの入ったポットから手を離し、自身を抱きしめたまま眠る愛機を見つめる。

「戦闘機が可愛らしいなんて、おかしな話だよな」

 きめの細かい白い肌に、光沢を放つ飴色の髪。そして、桜を思わせる薄紅色の眼。愛らしい少女の姿をしたレイは、とても美しい。初めて零戦の飛ぶ姿を見たそのときの感動を表したかのように、目の前の少女は完成された美を体現しているようだった。

 それはまた、彼女が人でないことも意味している。

 あの場で、レイを撃ってもよかったのだ。それが、兵器である彼女の扱い方だともいえる。それでも殺せなかったのは、きっとこの姿のせいだ。

 人の姿をした愛機を殺せる人間などいるだろうか。しなければならいとわかっていながらも、咲夜にはできなかった。戦友であったはずの陽介が、それをとめた。

「俺は、これからどうすればいい……」

 帰る理由を失ってしまった。帰るべき祖国は敵に蹂躙され、もう存在すらしていないのかもしれないのだ。それでも帰りたいと思ってしまう自分がいる。

 茜色の夕焼けの空の下で、飛行機を眺めていたあの場所に帰りたいと願ってしまう。

「俺はどうしたらいい、茜……」

 愛しい人に語りかけても、返事はない。そう分かっていながらも、咲夜は言葉を発せずにはいられなかった。



 竜艦は、数日後には陽介のいる海ノ国に辿り着くそうだ。与えられた個室で眠ることができず、咲夜はレイのいる円形の部屋で一夜を過ごすことにした。その個室が、陽介の部屋だったことも理由の一つかもしれない。

 そもそも竜艦に個室を持てるのは司令官ぐらいのもので、その下の者は相部屋になるのが普通だそうだ。これが下士官や一般兵ともなると、狭い一室に何人もの人間が閉じ込められることになる。

 言い換えれば、陽介は海ノ国で下士官以上の扱いを受けている可能性があるのだ。陽介が貸してくれた毛布を膝にかけ、咲夜はレイのポットに背中を預ける形で休んでいる。

 ——眠れない?

 眠気にぼんやりとしていた咲夜に、レイが声をかけてくる。閉じかけていた眼を開けて、咲夜は背後のレイに話しかけていた。

「いや、思い出してもあの子の眼が恐くてな。俺を殺しそうな勢いだった」

 ——シンのこと?

 寝台に座り込み、陽介に絵本で読み書きを教えていたシンの姿を思い浮かべる。その光景を咲夜が見つめていると、彼女は咲夜をきっと睨みつけてきたのだ。

「俺は、完全に嫌われたらしいな」

 ——あの子、凄く私に執着してる。そりゃ、周りにいるんが竜ばかっりじゃね。

 レイの言葉に、咲夜は周囲を見つめていた。周囲のポッドには、羽を折りたたんだ漆黒の竜たちが閉じ込められている。金の虚ろな眼を開け、彼らは咲夜とレイをじっと見つめてくるのだ。

 ——ルケンクロの竜たちのなれの果てだって、あの子が教えてくれた。脳に特殊な施術を施されて、人間の思い通りに動く生きた兵器にされるの。

「海の民にルケンクロを奪われた空の民たちは、どうなるんだ?」

 干からびた体を持つ竜たちを見つめながら、静かに咲夜は尋ねる。夜の空を共に飛んだ竜たちがこんな姿にされるなんて想像もしたくない。そして、竜と共に生きてきた空の民はどうなるのだろうか。

 ——彼らは、きちんとルケンクロを捕縛した国が保護するよう取り決めがされているらしいの。難民になった彼らが一時期増えて、たいへんなことになったらしいから。陽介の奥さんは、空の民の血を引く人なんですって。彼らの生活がどういったものかはわからないれけど、ひどい差別も受けている様子はないみたいよ。

「そうか。人間はちゃんと、人間として扱われてるんだな」

 ——でも、この子たちは兵器として扱われる。兵器ですらなかったのに。こんなんだったら、最初から兵器として生まれてきた私たち方が、よっぽどましだわ。

「人でないものは、人として扱われない……」

 咲夜は、戦いで過ちを犯したことがある。撃墜したグラマンF4のパイロットが、落下傘をつけたまま海に落ちていったことがあった。そのパイロットを咲夜は撃ったことがあるのだ。

 海には人を食べる大量の鱶がいる。その鱶の餌食になった敵パイロットを咲夜は嫌というほど見てきた。その光景を見たくないがゆえに、彼を撃ったのだ。

 鱶の餌食となって食べられるよりかは、銃で命を絶ってやった方がいい。そう考えてのことだった。

 今思うと、あれは苦しんで死ぬ彼を見たくないという自分のエゴだとはっきり言える。自分の都合のために、咲夜は助かるかもしれない命を自分の手で奪ったのだ。

 目の前にいる竜たちは自由を奪われ、兵器として扱われる。死ぬことすらも彼らは許されないのだ。

 どことなく彼らは、本土防衛の要として死ぬことを許されなかった咲夜と似ていた。愛国を背負い亡くなっていく学鷲たちは、このポッドの中の竜たちを彷彿とさせる。

 戦うために生かされ、死んでいく存在。その点において、閉じ込められた竜たちと咲夜たち特攻隊員はとても良く似ていた。

 彼らは嫌がっているのに無理やり特攻に行かされたわけではない。みな、国を思い大切なものを守るために散華していった。

 けれど、ここにいる竜たちは、何もわからないまま戦いに駆り出され死んでいくのだ。それは日本がどうなっているかも知らされず、無謀な作戦に繰り出される徴兵された兵たちをどことなく連想させた。

 海軍の連中は、日本が米軍と対等に戦えるのは二年程度だと理解していたのだ。真珠湾攻撃を画策したのも、東南アジアに進出したのも、すべて満州国や中国での活動を自粛することを求める米英を黙らせ、講和へと持ち込むための算段だったという。

 だが、真珠湾の攻撃は逆に米国民の逆鱗に触れ、ミッドウェーの海戦では空母四隻を含む多くの兵力を海軍は失う失態を犯した。その後も両者の争いが止まることはなく、日本は本土防衛を迫られるほどに追いつめられた。

 それに比べれば、飛行機乗りであった自分たちはよかったのかもしれない。常に戦場の最前線にいることで、国の戦況を肌で感じることができた。新聞の報道が虚実だらけで、陽介と一緒にそれを笑い飛ばしたことすらある。

「俺は、何のために戦っていたんだろうな」

 考えれば考えるほど、自分が守ろうとしてきたものがハリボテで出来た不格好な建造物にすら思えてくる。自分はいったい何のために、命を差し出そうとしていたのだろうか。

 ——咲夜……。

 レイが優しく声をかけてくれる。

「レイ?」

 ——私は、咲夜が……。

 レイの言葉は、突如鳴り響いた轟音によって途切れる。

「何だっ!?」

 咲夜は毛布を跳ねのけ、立ちあがる。艦内に衝撃が走り、ポッドに入った竜たちが暴れだす。

 警報だろうか。艦内に鋭い竜の咆哮に似た鳴き声が響き渡る。同時に竜たちが入ったポッドから液体が急速に抜かれているのが見て取れた。

 液体から出された竜たちは、咆哮をあげながらポットの中で暴れまわる。やがて竜たちを収容するポッドの下部に穴が開き、暴れる竜たちはその穴に落ちていった。艦の外から巨大な爆音が立て続けに起きる。

「敵襲っ!?」

 ――咲夜っ!

 レイの叫びが、脳裏に響き渡る。レイが入ったポットの液体が抜かれていく。ポットの下部に大きな穴が開き、彼女がその穴に落ちていくではないか。手を伸ばし、ポッドに近づいたときにはもう遅かった。

 レイは下部に開いた穴へと落ちていく。そのときだ。部屋の壁が吹き飛んだのは。衝撃に咲夜は吹き飛ばされ、床に叩きつけられる。

 素早く立ちあがった咲夜の眼前に映りこんだのは、巨大な竜だった。褐色の鱗に覆われたその竜は、牙の並ぶ大きな口から苦しそうに呻き声をあげている。

 咲夜はとっさに、竜の開けた穴へと顔を向けていた。竜艦から放たれたであろう漆黒の竜と、褐色の鱗に覆われた竜たちがお互いに咆哮を発しながら夜空を旋回している。

 その竜たちの間隙を、人を乗せた蒼い竜が浮遊していた。鞍のついた竜の背に乗る人物は、銀糸の髪を振り乱し必死になって漆黒の竜たちの追撃を躱している。

「シエロっ!」

 少女の名を咲夜は思わず叫んでいた。恐らく彼女は、自分たちを救出にきてくれたのだ。その証拠に彼女の背後には、ルケンクロが泰然と浮いていた。

 蒼い衛星の月光を受け、神たるルケンクロは巨大な体躯を暗い陰影に浮かび上がらせている。

 そのルケンクロから竜の陰影が次から次へと飛び出していく。彼らの吐く火球が、彼らの姿をふっと浮かびあがらせては、消していく。

 まるで明滅する蛍の光のごとく、翼を翻す竜たちの姿が浮かび上がっては消えていくのだ。その幻想的な光景に、咲夜は息を呑んでいた。

 火球に照らされるベルダが、漆黒の竜たちに追われている。小さなベルダは竜たちの吐く蒼い火球を巧みに避けながら、こちらへと接近していた。

「グルゥ」

 ベルダを見つめる咲夜に褐色の竜が鳴き声をかけてくる。床に倒れる竜へと顔を向ける。竜は穴の開いた翼を弱々しくゆらしながら立ちあがり、こちらへと顔を向けてきた。

 そっと咲夜に背を向けて、彼は小さく唸る。

「乗せてくれるのか?」

 小さく竜は頷く。

「すまない」

 竜に小さく言葉を返し、咲夜はその背に飛び乗っていた。

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