第20話 復讐少女は失わない

 ーー???ーー


 悪魔と化した少女。彼女は頰にふと冷たい感覚を覚えると同時にゆっくりと重い瞼を開けた。


「こ、こは……」


 辺りを見渡してみると、かつて入院していた白い病棟。毎日通う学校などがあるーー彼女にとっては見慣れた風景だった。彼女が倒れていた場所も緋那と氷雨が年に一度再会を約束していた公園だったのだ。

 加えて周りに人気はなく、暗い。そしてその暗い公園に明かりが一つ。そこには人影があった。その人影は緋那に近づいてきてこう言った。


【構えろ。でなければ死ぬぞ】


「え……」


 そう話しかけてくるのは、髪型から顔つき、スタイルや服装まで。ふざけたくらいに自分と瓜二つの人間だった。違いを挙げるとすれば、眼の色だろうか。緋那の眼の色は群青色に対して、目の前にいるもう一人の緋那は紅色の瞳であった。


【……解せぬ、という表情だな。ならば真実を教えてやろう。私はもう一人お前で、復讐という概念を色濃く映し出した存在だ。似ているのは当たり前だ】


「復讐を色濃く映し出したもう一人の緋那わたし、だって?」


【そうだ。ついでにこの世界はお前の想像から作り出された精神世界だ。当然、周りには私とお前以外存在しない。そして、私を倒さない限りここから生きて出ることはできない】


「………!」


【察したようだな。これは自分との戦いであると同時に自らの復讐心と向き合うことを意味する。最も、その意味と復讐心に対する答えをお前はもう見つけていると思うがな】


「え……」


 ふっと風を切るような音がすると彼女は既に元いた場所にいなかった。

 どこへ行った……? という疑問はすぐに晴れた。


「がふっ!?」


 あの一瞬で緋那の間合いに肉薄し、鋭くも重い攻撃を仕掛けていた。『五重空奏エア・クッション』がなければ、確実に一撃で失神していただろう。


【ふん、私の攻撃を防ぐか。まぁ、一撃でやられたのではこちらも張り合いがないから、な!!】


「!!」


 危うく、顔面に蹴りを入れられそうになる。が、寸前のところで両腕でガードに何とか成功する。それでも何十メートルも吹き飛ばされ、遊具に直撃し鈍い痛みが彼女を襲う。


「痛っ……」


【おいおい。近接格闘インファイトは基本だろ。遠距離からちまちま策を練っているからこうなるんだ。そもそもてめーの能力は遠中近対応型オールラウンダーだろうが。これじゃ興醒めだ】


「……っ!」


 空気を利用し、緋那は真空刃を生み出す。触れたものを切りつける技であり、見えない攻撃でもあるので初見で様子を見るのには比較的効果的な技である。だがーー


【無意味だ。お前にできることは私にもできるし、相殺できる。思考が読めると言ってもいい。そんな技で様子を見ようなんざ甘いんだよ】


 あっさりと相殺されて、ダメ出しされた。


「くっ……」


【どうしたよ? 打つ手なしってことはねぇだろ? もっと楽しめよ。もっと足掻けよ。この精神世界と現実世界の時間は違うから仮にここに何日何週間何ヶ月いようとあっちの世界では10秒くらいしか経ってねーんだから、遠慮せずにかかってこいや。出なきゃ、ぶっ殺すぞ】


 その眼光は鋭い殺気を纏っていた。ーー彼女は本気だ。

 少しでも油断すれば、確実に殺される。そんな張り詰めた針のような空間の中でもう一人の緋那は情け容赦なく、攻撃を仕掛けてきた。


【ふんっ!!!】


「!? やばい!!」


 凄まじいまでのエネルギーの集中。あんなモノをまともに食らえば確実に命はない。そう感じ取った緋那は全速力で逃げることにした。


【ちっ……溜めが必要だと流石に逃げられるか】


 一度に大量のエネルギーを瞬時に生み出し、自らの能力に互換することでより大きな物体を動かすことができるのが彼女の能力なのだが、この場合彼女が行おうとしていたのは、空気の摩擦熱によって生み出した摂氏5000度の熱量を誇る物質を人体に直接送り込むという非人道的な技であった。

 もちろん、彼女にできることは緋那もまたできるのだが……彼女の性格と倫理観を鑑みれば、危険だとわかっている技はいくら不死身の同級生といえど、その手の技は封印する、というのが緋那なりの流儀であった。


(なんとか倒す方法を考えないと……)


 しかし、ここは違う。

 やらなければやられる。背に腹はかえられないというやつだ。時間とエネルギーがかかるが、緋那は彼女を倒すためにある秘策を実行するのであった。








 ーー数十時間後ーー


 緋那の体力は限界に限りなく近かった。


 逃げて。逃げて。逃げて。逃げ続けて。


 大半の時間を逃げの一手に使っていたはずなのに、もはや『五重空奏エア・クッション』を張るだけのエネルギーも残っておらず、立っているだけで精一杯だ。

 それに対して、もう一人の緋那は堂々たる余裕を見せていた。呼吸も落ち着いており、一撃一撃で確実に緋那を殺そうとしてくる。


(ダメだ……勝てない……!)


【お前の実力はその程度かよ? 私とお前はほぼ同格。力の差もほどんどないはずだ。なら、この様はなんなんだよ】


「……はぁ、はぁ……はぁ……ハァ……」


【たかだか数十時間でへばりやがって。母さんはお前をそういう風に育ててはいねーだろ。母さんが死んでからの7年間、お前は一体何をしていたんだ?】


「私だって、毎日の、トレーニングはサボって、いなかったよ……」


【知ってるよそんなの。やったことはそれだけかって聞いてんだよ!!】


「! そ、それは……」


【お前はいつだってそうだった! 定期テストの時も!念願の模擬戦の時ですらだ! 妨害とは関係なしに自分の実力をひた隠しにしやがって! そんなに力を使うのが怖いのか!?】


「怖いよ」


 そのことに関しては彼女は即答であった。

 相手が自分自身、ということもあってか彼女はやり場のない怒りを珍しくぶつけたのだ。


「私は怖いよ!! 自分の力で人を傷付けるのが! それで相手が傷付つくのが怖い! もう私のせいで誰かが死ぬのは嫌なんだよ!!」


【だからって手を抜くのか? それはただ目の前の現実から逃げて力を持て余しているやつの台詞だ! そんなんで本当に仇敵を殺せるのか?】


「……ッ!」


【殺せるわけねぇだろうが。そもそも相手は『黄道十二宮』っていう化け物より強いんだろ? だったら、お前は復讐するどころか、途中の中ボスでやられるのがオチだ】


「……それでも、私は彼を必ず殺す。そうじゃなきゃ私は気が済まないから」


【……はぁ。復讐の塊みたいな私がいうのもなんだが、復讐なんてしたところで緋里母さんは戻ってこない。それどころかあの人はそんなこと望んじゃいないし、お前が幸せになることを第一に行動してきたはずだろ? だったら、復讐なんてやめて人並みに暮らせ。この場は私がなんとかしてやるからさ】


「嫌だよ。私は私自身がそう望んでいるから復讐をしたいんだよ。あいつはッ! 私の一番大切な人を殺したんだ!!絶対に許さない。何があってもあいつだけは必ず殺す……!!」


【覚悟だけは一人前だな、全くよ。で? どうすんだ? 私に任せて身を委ねれば全部この事態は終わらせてやる。その代わりお前の人格は二度と浮き上がってこないだろうがな。でも、それでお前も私も助かるんだ。死ぬよりはマシだろ?】


「………………………………」


 その問いに彼女は戸惑った。

 このままもう一人の自分に寄りかかって仕舞えば、どれほど楽であろうか。そんな甘い誘惑に緋那の心が負けそうになる。そんな時だった。彼女の脳内にこんな言葉が聞こえてきたのは。


『何諦めかけてんだよ。そんな甘ったれたやつに私は育てた覚えはないぞ?』


(!?)


 その声は。

 とても懐かしく、二度と聞くことがないと思っていた声であった。聞いた瞬間に、緋那は溢れ出る涙を抑えることができなかった。


『おいおい。こんなことで泣くんじゃねーよ。私はただの残留思念だ。本物じゃねぇ』


 彼女曰く、残留思念を緋那が窮地に陥った時にその窮地を救うために仕込んでいたとのことだった。それが今まさに発動したというわけだ。


(それでも私、嬉しくてっ……! 嬉しくてっ……!)


『ったく。しょうがないやっちゃな。ま、お互い話したいことはあるだろうが、こっちにも時間がなくてな。手短に済ませるぜ』


 コホンと咳払いをすると緋里は緋那と目線を合わせて話しはじめた。


『私がこうして出てきたのは他でもない。別側面たる自分自身……命名するなら『裏緋那』ってところか?で、そいつの誘惑に負けそうになっていたからこうして現れたわけなんだが……お前は本当のところどうしたいんだ?』


(……私はお母さんの仇を討ちたい。できるなら、この手で。他の誰でもない私の手で必ず……)


『そう言ってくれるのは私も嬉しい。嬉しいが……それは口先だけだ。覚悟が固まっちゃいない。だから、あんなやつに付け込まれた。違うか?』


(うぅ……)


 ぐぅの音も出ない正論である。


『本当に私の仇を討ちたいなら、よく考えることだな。これはお前のためでもある』


(お母さん……それって、もしかしてーー)


 彼女の言葉が途切れたのは、母である緋里の身体が金色に輝き、徐々に消えていくように見えたからである。


『ちっ……もう時間か。悪いな、緋那。残留思念とはいえ、久々に会えたのによ』


(……ううん。私、嬉しかったよ。もう二度、お母さんの声聞けないと思ってたから)


『ははっ! 謙虚なやつだなお前も。……話したいことなんて山ほどあるだろうに。そんなお前に2つのご褒美をやる。1つは


(!!?)


 それは、彼女が最も知りたい情報であった。

 涼夜には偽情報に踊らされて、結局聞くことがなかった緋那にとってこれは千載一遇のチャンスだった。


『そいつの名はーー』








【……どうやらその様子だと覚悟を決めたようだな。で、返答は?】


「もちろん、答えはノーだよ」


【はっ! 会話して少しは体力が回復したと見るな。柄にもなく少し説教臭くなっちまったが、戦闘再開と行こうじゃねぇか】


「はぁっーー!!」


【ほう?】


 普段は苦手苦手と言い聞かせてきた近接格闘ももう一人の自分の前では存分に発揮し、緋那は体術で徐々にではあるが、押し始めている。彼女も少し驚いた表情を浮かべた。


【まだこれだけの体力が残ってたか。それに、さっきの会話で色々吹っ切れたとみえる。まるで別人だ。これでこそだぞ、私!!】


 しかし、体術の方はさっきまで彼女も本気ではなかったようで、緋那の体術を否したり、攻撃を防ぎきれなかったりと、お互い互角の戦いを見せた。


【いいぞ! やっと互角か!? ……けどそんなんじゃ全然足りねぇ。こんなもんじゃねぇだろ。私の実力ってのは!!】


「っ……!」


 ならばと言わんばかりに今度は地面に触れて、周りの砂とコンクリートを操作する。最初は目くらましに砂を大きく巻き上げる。


【……今更そんな手を食うとでも?】


 彼女はわかっていた。どうせ、煙に乗じてコンクリートの塊と礫を交互に投擲し、隙を見せたところで『震拳』を当てようという算段なのであろうと。

 案の定、コンクリートの塊と礫が交互に飛んで来るが、彼女はそれを『五重空奏エア・クッション』だけで軽々と防いだ。


【速度もタイミングも私の思った通りだ。これではまるで張り合いがない】


「……確かに。もう一人の私だけあって攻撃と防御、そしてそのタイミングも完璧に読まれていた。でも、これならどう?」


【何……?】


 ふと彼女は上を見上げた。

 するとそこにはーー空を覆うほどの大きさを持つ氷柱が迫っていた。


【なっ……これは『氷柱花アイスフラワー』!? これを作るためにお前はわざと体力が減っていたフリをしていたのか!?」


「……そうだよ。いつもよりもかなり巨大に作ったから、だから発動までに時間がかかっちゃったけど」


 氷柱花アイスフラワー。それは、空気中に存在する分子の振動を完全に停止させることで、絶対零度の氷の柱を生み出す技。攻撃が命中した際に『花が咲いたように見える』ことからこの名前に定着した。

 通常の『氷柱花アイスフラワー』は掌に収まる程度のものであり、銃のように連射して放つ技だが、今回の『氷柱花アイスフラワー』は通常の連射するタイプではなく、途方もない物量で押し切る一撃必殺の大きさを誇るものであった。


【……正気かお前。これほどの大きさの氷柱がここに衝突すれば、この辺り数十キロは消し飛ぶぞ。もちろん私やお前もただでは済まないぞ?】


「覚悟の上だよ。そうじゃなかったら、最初からこんなことはしてない」


【ちっ! 予想を上回ればいいというものではないことくらいお前も充分理解してるだろうが!!】


 そうしている間に。氷柱は目前に迫っていた。


【木っ端微塵に吹き飛ばしてくれるわ!!】


 悪役にぴったりな台詞を言うと、彼女はエネルギーを瞬時に溜めてーーそれを一気に解放する。


【『乾坤一擲』!!】


 乾坤一擲。それは自分の持つエネルギーと自然界にあるエネルギーを融合させて、大砲のように撃ち出す今の彼女が持ち得る最強の技である。

 意味は命をかけて勝負すること。そういう意味ではこの技の使いどころは、かなり限定的だ。

 自分が一定のダメージを受けているか、あるいは自分の置かれている状況がこの技を撃たなければ死ぬ、という状況下でしか使えない技なのだ。故に威力もその都度変わるロマン砲というわけだ。


 つまり、氷柱を砕けるだけの威力が出るかは賭けということになる。


 だが、これ以上の技がない以上はこれで対抗するしかない。そう思って彼女はこの技の充填を急いで発射させたわけだがーー結果的には彼女の宣言通り、氷柱は木っ端微塵に吹き飛んだ。

 例え、自分の想像上の街であったとしても。緋那わたしが過ごした大切な場所だから、壊したくなかった。不覚にもそう思ってしまった。


【……お前……氷柱花アイスフラワー


「うん。だって、って思ってさ。だから、氷柱を落としたの」


【……ぷ。あっははははははは!! やってくれるじゃないか。なるほど、それがお前の答えってわけか。我ながら本当に気にくわない結論だな】


「私自身を受け入れる。こんな簡単なことにも気づかなかったなんて……不甲斐ないよね。思い出したよ、私。お母さんのような干城士ソルジャーになりたかったんだ。そして、必ず復讐も完遂する。もう迷わないし、復讐心を利用されて私達が戦うなんてことはもう起こらないと思う……ううん。起こさせない」


【ふん。わかったんなら、それでいい。今の私なら復讐の闇になんて囚われることなく、ただ一点を見つめていられるだろう。だが、お前が腑抜けているようなら、私はいつでもお前をぶん殴りに行く。そのことだけは忘れんな】


「もちろん」


 言いたいことを言って満足したのか、もう一人の緋那は満面の笑みを浮かべて彼方へ消えると同時ーー緋那は確かに青色の声を聞いた。


 信じている、と。


 その声を聞いて、緋那はとても嬉しそうに現実世界に帰還した。






 ーー青色サイドーー



 ここにきて、初めて青色は自らの本領を発揮し始めた。押されているのにもかかわらず、崩れない余裕。それは少なからず彼にとって不安要素であった。その不安は時間が経つごとにつれて大きく膨れ上がり、ついに無視できない領域にまで到達していた。


(あり得ない。あの悪魔がここまで攻め切れないなど……アレは私の負のエネルギーによって花山緋那の復讐心が極限まで増大し、具現化したもの。その悪魔に勝てるものなどこの世には存在しないはずなのに……)


 そして、その不安と焦りがより残酷な現実へと向かう。


「理性を失った悪魔なんてーー敵としては不十分ね」

「ぐっ!?」

「……なんだ、と?」

「……動くと斬れるわよ?」


 悪魔の動きが一瞬にして封じられる。パッと見金縛りのようなもので悪魔の動きを封じているのかと思った涼夜であったが、よくよく目を凝らして見るとその正体に気づく。これはーー


「! あれは糸かっ……!」

「ご名答。この糸は特別製なの。少しでも動けばこの悪魔でも致命傷は避けられないと思うわよ?」


 彼女の糸のモデルは、ダーウィンズ・バーグ・スパイダーと呼ばれるこの地球上で最も頑丈な糸を生み出す蜘蛛であり、それに加えて青色のエネルギーによって補強されているため、より丈夫で斬れやすくなっている。

 故に無理に引き千切ろうものなら、その箇所が修復が困難になるだろう。


「ぐ……その技がありながら、今の今まで使わなかったということか?」

「……こういう時ぐらいしか使わないわ。それに私は苦戦すら楽しむタチなの。悪癖だから直そうと努力はしているのだけれど」

「ふ、ふざけるな!! よりにもよってこんな苦渋を舐められるとは……一体何者なんだ!?」

「……さてね。私は私。霧峰学園の一生徒よ」


 

 ーーと。次の瞬間であった。


 拘束された悪魔にヒビが入ったのだ。


「!? な、な……そんな馬鹿な」

「……………!」


 絶望的な様相の涼夜とは違い、青色の表情はどこか誇らしげで嬉しそうであった。


 バキバキバキッ!!

 ガラスの割れたような甲高い音を立てて、その悪魔は跡形もなく壊れた。そして、その壊れた悪魔から1人の少女が現れた。


「青色、先輩……? あ、ありがとうございます。しっかり、先輩の言葉、届きましたよ……」

「そう。それならいいわ」


 パタリ、と。

 緋那は気を失った。

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