第17話 とある少年の話
央たちが忽然と姿を消してしまった後、残された糸たちはあの森ではなく、一番最初に移動していた街道へと戻ってきてしまっていた。
その時にはもう辺りは夜になっており、当初の予定通り結界を張った上で野営を行っている。けれど、そこに『聖女』はおらず、騎士も一人欠けていた。
「――つまり、先ほど私たちが迷い込んだ森は、一時的に召喚された仮の空間のようなもので、それが解除されたからここに戻ってきたと?」
そんな緊迫した状況の中、表向きの聖女である少女――沙亜羅はテントの中、片手に乗せた魔法石をじっと見つめ、静かに状況を整理していた。
『そういうことじゃ』
互いの姿を映し音声も繋ぐことができる通信機の役割を果たす魔石を使い連絡をくれたノアは、極めて冷静にそう言った。
一見静かで緊迫した師弟の会話に見えるだろうが、それはすぐに崩れてしまう。
「ええわかりました、では森を見つけて殴り込みましょう」
「沙亜羅ちゃん、沙亜羅ちゃん落ち着いて頼むから」
「糸さんは兄さんが心配ではないのですか! 花嫁にと連れ去られてしまったんですよ! 今頃着飾られてあんなことやこんなことをされていたら……!」
「……兄が乙女向けなら妹は男性向けの思考ってどうなの……じゃなくて、俺も央が心配だけど、今は状況を把握してどう動くかをきちんと決めるのが大事だろう」
『糸の言う通りじゃ』
ぷるぷると震えながらも混乱するとわけのわからないことを言い出すのが兄譲りだと密かに思いながら、今にも飛び出していきそうな沙亜羅とノアと共に宥める。
日常的にも真顔で冗談を言うようなところのある子だが、これほど取り乱すのは余程に央が心配だからだろう。
この世界に起きてからそれなりに色々はあったが、これはいくらなんでも唐突だ。
糸自身もあの時もっと央の傍にいればよかったと悔いる気持ちがないわけじゃない。
だが、あの時どうしてと過去を後悔するよりも、早く央を取り戻すにはどうしたらいいかを模索する方がずっといい。
幻獣族、花嫁、聖女。そのワードだけでは不安だったが、幸いノアはすぐに心当たりのある幻獣族の里を上げてくれた。精霊樹という物語にも出てくる伝説的な大樹がある紺碧の森。その奥にある幻獣族たちの集落に、央たちがいる可能性が高いと教えてくれたのだ。
「俺達がいるこの平原は丁度首都と港町の中間地点、で、恐らくノア様の言う紺碧の森ってのは此処からずっと西に行ったところだな。急いでも五日はかかる」
地図を持って入ってきてくれたのは銅の騎士のダアンだった。彼はあの後も取り乱す糸と沙亜羅を宥め、動揺する兵士たちをアレシスと共に纏め上げてくれた。
野営の準備を兵士たちと率先して行ってくれたのも彼であり、今まであまり対話が無かったにも関わらず、沙亜羅も糸も夜になるころには大分打ち解けていた。
「……五日もですか」
沙亜羅が渋そうに顔を歪める。糸も同じ気持ちだ。いくら丁重に扱われるだろうとしても、心配しないわけがない。央のことは信じているし、なんだかんだフィレトも傍にいるだろうから最悪の展開はないだろう。それでも、叶うならすぐに森へと向かいたい気持ちなのは確かだった。
「お二人さんの気持ちはわかる。それにこれは俺達の責任だ。肝心の一番最初の聖女のお勤めなのに己の責務を果たせなかった。早々に位を剥奪されてもしょうがねえ失態だよ」
『幻獣族の魔力は桁外れじゃし、使う魔法は特別強力で特殊じゃ。落ち度はないぞ、ダアンよ』
ダアンにフォローを入れたのはまさかのノアだった。彼は少しだけ目を見開いた後に軽く肩を竦めて小さく礼を言う。そして、すぐにゆるくかぶりを振った。
「でもまあ、一番責任背負ってんのはあいつだろうな」
「……アレシスさん」
聖女と弟を浚われ、それでも取り乱すことなく騎士たちをまとめ指示を出していた横顔を思い出す。糸は彼ともあまり話したことはなかったが、彼が心から央に忠誠を誓い、身を守ろうとしてくれているのはなんとなく理解していた。
でも、それがなんとなくで済まされるものじゃないことを今回で理解した。
あの人は本気で央を心配し、救出のために動いてくれている。
そのことに安堵を覚えると同時に――何故か少しだけ糸の胸は痛んだ。
「ああ、今別の魔法石で国のお偉いさんと交渉してる。このまま央様の奪還に向かう許可が中々降りねえみてえでな」
「どうしてですか」
「表向きは私になってるとはいえ、兄さんは聖女でしょう!?」
流石に腰かけていた沙亜羅も立ち上がり、ダアンへと詰め寄る。糸も冷静にとつとめているが、思わず強い声が出てしまった。
『……ああなるほど、神殿の者どもの仕業じゃの』
「神殿って、神官さんたちがいる場所のことですか」
『それもあるが、要は神官たちが所属する組織みたいなものじゃな。聖女召喚を国に許可を得て行ったのは厳密にはそこじゃ。基本的に神官と魔術師は魔法への根本的な考えが違うのでな、わかりやすく言えば国内の派閥のようなものじゃ。勿論王権には逆らえんが、横から口出しされるとやりにくいのは確かじゃの』
ノア曰く、神殿は神と聖女の信仰が人々に広まり厚くなることを重視している。故に、本物の聖女である央の救出は勿論であるがお披露目が済んでいる沙亜羅を予定している街へと向かわせることも忘れてはいけないと余計な口出しをしているらしい。
「そもそも央がいなければ浄化もできないのに、何を言ってるんですか」
「全くだ。お偉いの一部は『聖女』の訪問って事実がとにかく必要らしい。……あの子はそういう意味で影になるって言ったんじゃねえのにな」
その言葉に沙亜羅は俯き、拳を握りしめる。糸もまた歯を食いしばりながらも、魔法石から投影されているノアの方を向き、頭を下げた。
『糸』
「ノア様、お願いします。大鑑定士である貴方からも神殿に働きかけてください。俺と沙亜羅ちゃんが、そのまま騎士の人たちと央の救出に向かえるように」
『……言われずともそのつもりじゃ。神殿の小生意気な小僧共にお灸を据えてやるとしよう』
「っ、ありがとうございます」
にっこりと得意げにウィンクをしてノアは通信を切った。不安げに石を握りしめる沙亜羅の背を軽く叩く糸を気遣うように、ダアンもまたその黒髪をわしゃわしゃと撫でた。
「わっ」
「聖女様は心配だが、あのフィレトがついてんだ。最悪な事は起こってないと思うぜ」
「そうだと、いいんですが」
「……でも、心配です。いつも兄さんに喧嘩を売るじゃないですか、あの人」
「だけど実力が伴ってるのはお嬢ちゃんもわかるだろ? 銀の騎士の称号はそんな簡単にとれるもんじゃない。何より、こういう言い方は好きじゃないがあいつは……」
「お待たせしました」
早足でテントの中へと入って来たのはアレシスだった。いつも柔和な笑みを浮かべている印象があるが、やはり今は終始真剣な顔つきで、それでもどこか冷静なのが自分との経験の差を感じて少しだけ悔しさのようなものを感じる。
雑念を振り払うように一歩前に出ると、自分の代わりにダアンが問いを口にしてくれた。
「どうだ、明日には行けそうか?」
「会議は大鑑定士様の介入で一旦中止になったが、きっと救出の許可は降りるだろう。あの方が飛び込んできた瞬間、渋っていた高位神官の方々が半泣きで机の下に隠れたから」
「……あー、あのじいさんたち教え子だったんだっけか」
それは同情をするしかない、と頷くダアンだったがすぐに目を細めてアレシスを覗き込む。
「で、それだけじゃねえだろう――アレシス」
「……巡礼の最中で、丁度森の近くの街に滞在してる騎士と連絡を取った。情報によれば、今紺碧の森にはある貴族が出入りして、幻獣族と何やらもめているらしい。騎士たちの介入も許さず、一帯を独裁的に支配しているようだ」
「よくこっちの耳に入らなかったもんだな、どこの……ってまさか」
「ああ――エンデルグルグだ」
その家名に、ダアンはひどく苦そうに顔を歪めた。何事かわからない糸と沙亜羅が顔を見合わせえていると、言いよどむアレシスに代わってダアンがまず口を開いた。
「エンデルグルグは先々代の王のお妃様のご実家でな。エレゲルティアでも強い力を持った一族だったんだが、十二年前に未遂だが謀反の企てを起こしたのと……あー……」
「どうしたのですか?」
「ダアンさん?」
がしがしと頭をかいて言葉を探しているダアンに、アレシスが首を横に振った。そして小さく微笑むと、糸と沙亜羅に真剣な眼差しを向ける。
「これは確かに個人的な問題ですが、糸様と沙亜羅様方には話しておくことでしょう。他でもない私が」
「……エンデルグルグって家は、何をしてたんですか」
「――末子を虐待し、当時王太子だった陛下を呪う為の生贄にしようとしたのです」
空気が一気に冷えるような感覚に息を呑む。悲痛そうに顔を歪めながらも、アレシスはこちらをまっすぐに見つめながら続けた。
「どうして『その子』がその対象になったのか、私は詳しいことを知りません。ただエンデルグルグ夫人が命をかけて出産された末子の少年は、上の五人の兄たちにとってはうっ憤を晴らすには絶好の対象だったのではと、説明は……されました。謀反で捕縛された後にその事実が明らかとなり、先々代王妃の実家という情けで王都での権力を剥奪され一族は傍系も全て辺境の地へと送られました」
「……その子はどうなったんですか」
沙亜羅が戸惑うような声を出す。恐らく、彼女ももう予想がついたのだろうと思った。
「謀反を知らなかったこととその境遇を哀れに想われた陛下の指示により、名を変えとある貴族の養子となりましたが、未だに……きっと未だに苦しんでいるでしょう。生贄の儀式で、彼は背中を執拗に斬りつけられた他に、右目も……。ですが、それでも彼は視力を理由に諦めたりせず、苦しみながらも誰よりも努力し――今は高位の騎士として私のすぐ下に立っています」
「それって」
「ええ――フィレトの昔の名はフライレスト・エンデルグルグ。王妃様側とはいえ血筋は王族の傍系にあたります」
苦し気にそう告げたアレシスの肩をダアンが軽く叩く。もういいというように。
「ああそうだ、それであいつは……」
そして驚きに目を見張る糸と沙亜羅に、まるで囁くようにそっと呟いた。
「フィレトは――六つのころからずっと、右目が見えてない」
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