三章 紺碧の森に銀の雨

第14話 獣と幻の森

 それから数か月間の日々はもうさらっと流してしまいたくなるくらい過酷であった。

 やはり全てを把握していたらしいノア様は、その日俺が紅蓮を連れてきたのを見てそれはもう嬉しそうに笑ってからよろめくほど分厚い本をプレゼントしてくれた。そう、全て魔術書である。つまり、今までのアレは予習にもならない土台作りだったのだ。


「むり、つらい、お披露目も終わったけど俺の地獄は終わっていない」

「上手い事言えてないぞー央」

「兄さん、無理はなさらないでくださいね」


 沙亜羅のお披露目と、仮の誓いは無事に終わった。これでこの国の聖女として各国に沙亜羅の存在と顔が知られた。それはつまり俺達が後戻りできないということだ。

 でも問題はそれじゃない。覚悟はしているとしても、魔術の勉強は別だったのだ。


「まさか全属性の基礎魔法全部覚えろなんてさあ……」


 基本的に、魔法には体質によって適した属性がある。炎とか土とか、風とか水。光に闇。他にも細かく派生しているらしいが主に知られているのは今あげた六種類だ。

 普通の人間ならその中で自分が一番適している属性のものを中心に学ぶ。何故なら体の向き不向き以前に、複数の属性を使いこなすには大量の魔力を必要とするからだ。そもそも必要とされる魔力に体が追い付かない。だが、俺は別らしい。

 紅蓮に分け与えてやっとまともに魔力を使えるようになるほど魔力の無尽蔵タンクになっているらしい俺は、光の属性を中心になんでも使いこなせる素質があるという。だがノア様曰く、才能と素質に技量と知識が追い付いていない。


『あの時は感情に任せた暴走じゃったからなあ、やろうと思えばもっと色々できるぞ?』


 そうけらけら笑って教えてくれたノア様に、俺は真っ青になって顔を覆った。聖女系物語は好きだけど、ファンタジーも子供のころから大好きな世界観だったけど、リアルだとやっぱり違う。

 魔法はスパルタだし、糸と沙亜羅より覚える量は多い。それでも愚痴を言ってもうだうだしても、俺が全てを放棄しないのはそれだ。


(思ったより、俺ってこわいのかもしれない)


 大きな力は使いこなせないと凶器になる。兵器にもなる。エレゲルティアが平和主義だったからいいものの、武力中心の国家に落ちていたらと思うとぞっとする。

 だから、しんどくても辛くても早く力を使いこなせるようにならないといけない。


「……まあ、大丈夫。無理しない程度に頑張るよ」

「央」

「兄さん……」

「それにしても糸も沙亜羅もすごいよなあ、沙亜羅は風で、糸は闇だっけ?」


 誤魔化すように笑ってそう話を振れば、二人は言いたげに言葉を飲み込んだあとそうだと笑ってくれた。今や普通に城に仕えている魔術師さんたと同じくらいの実力を持つ二人は、得意とする属性では俺以上に色々できるようになっている。


「そういえば、沙亜羅ちゃんは魔法以外にも授業を受けているみたいだけど」

「え?そうなの」

「……まあ」


 何故か沙亜羅がふいとそっぽを向いた。……これは怪しい。


「沙亜羅、何か隠してるな?」

「兄さんと糸さんにご迷惑はおかけしないので」


 そう言われてしまうと、この子に弱い俺と糸は黙るしかない。沙亜羅は本当にしんどい時には助けてと言えるようになったけど、基本は責任感が強くてしっかりものだ。黙ることには理由があるし、それはきっと悪い事では無い。

 俺は沙亜羅を世界一可愛い美少女でこれ以上の美女はこっちにもあっちにもいないと思っているくらい大好きだが、妹として信頼していないわけでもない。できるだけ守りたいけど、彼女が大丈夫だと言うならばむやみに手をだすべきじゃないと思っている。


「……沙亜羅がいいたくないなら聞かないけど、困ったらちゃんと言えよ?」

「はい」

 ふわり、と笑う様が本当にかわいい。ハグがしたい。でもそれはできない。

「央、大丈夫か。結構揺られてるけど」

「ああ、慣れて来たから平気平気。ありがとな、糸」


 そう、俺達は――今城下町から離れた港町へと向かっている最中なのである。

 つまり、初めての浄化のお仕事だ。けれどかなりの遠方らしく、今日は丘の辺りで野営するらしい。警備は勿論厳重だが、あまり目立たない為に少数精鋭らしい。……それでもかなりの人数だと思うけれど。

 そしてメンバーの中にはきっちり三騎士もいてくれる。ダアンさんは俺達の後ろ、アレシスさんは先頭。

 そして――。


「で、キャンキャンチワワはなんでさっきから喋らないんだ?」

「誰がキャンキャンチワワだ!!なんだそれは!!」


 俺たちの乗る馬車の向かいの席の右側、つまり沙亜羅の隣で腕を組み、さっきから一言も発していなかった男もといフィレトがやっと喋った。よかったよかった、沙亜羅と隣になったとき若干青ざめていたから心配だったんだ。


「まあ、独りだけ央に誓ってなくて疎外感を感じるからって拗ねるのは職務怠慢じゃ?」

「ぼっちが寂しいのですね」

「……お前たちなあ!」


 何故かまだ俺の代わりに怒ってくれてるらしい糸と沙亜羅のチクチク攻撃にフィレトは顔に青筋を浮かばせながら耐えている。沙亜羅は一応反省しているようで、馬車に乗り込む時に謝っていたが、眼はまだギラっとしていた。

 確かにフィレトのキャンキャンぶりはちょっと困るが、彼の事情とアレシスさんの関係を聞いたあとだと厭な奴だとはどうしても思えない。でも、反応がかわいいのでついからかってしまうのは事実ではあった。


「そうだそうだ、フィレトの属性はなんなの?」


 会話の延長のつもりでそう聞いただけだった。でも一瞬、フィレトの顔が苦そうに歪んだ。でも糸と沙亜羅は気付かなかったようで首を傾げてフィレトの返答を待っている。


(これ、ちょっとまずかったかな)


 でもフィレトはすぐにいつものしかめっつらをしてぽつりと答えた。


「……風だ」

「私と同じですね」

「……ああ」


 驚いたように目を見張る沙亜羅から目を逸らすフィレトは、多分端から見たら照れているように見えるんだろうが――なんかおかしく見えた。


「央?」

『ぴっ?』

「ああ、ごめん、なんでもないんだ」


 こてんと同じ方向に首を傾げる糸と紅蓮に笑って誤魔化した――その瞬間だった。


「!」


 フィレトが馬車の入り口の前に行ったかと思うと、手をかざした。


「体を丸めろ!!早く!!」


 その叫び声と同時に、俺達の体を守るように薄緑色の風のような魔力の塊にくるりと巻かれる。


「央!」


 糸が俺を抱き込み、フィレトが沙亜羅を引き寄せた時ぐわんと視界が反転した。


「え、これ、はああああああああああ!?」


 馬車が浮き上がって逆さになった。それはわかった。そしてそのまま、まるで殻がはじけ飛ぶように、馬車の部分だけが俺達を残してばあんっと吹っ飛んだ。外に晒された俺達は文字通り宙に浮いていて、目の前に広がった光景に目を見張る。


「な、なんだこれ……」


 さっきまで草原だったのに、何故か一面が森だった。しかも紺碧といっていいほど見事な深い蒼が広がっている。そして何故かびりびりと肌をさすような魔力の気配がした。


「まさか、不可侵領域か?!」


 フィレトのコントロールでうまく着地するが、周りにあれほどいてくれた護衛の姿がない。アレシスさんもダアンさんも、引き連れていた馬も荷車も見当たらず、ただ深い森が広がっているだけだった。


「えっと、ありがとう、フィレト」

「呑気に礼を言ってる場合じゃない!」


 沙亜羅を離して、フィレトは周りを見渡すと上空へと小さな宝石のようなものを投げる。するとそれはふわりと鳥のような羽根を生やして飛んでいく。


「今のはなんだ?」

「連絡手段だ。兄上とダアンの魔力を辿ってこちらの居場所を伝える。むやみに動くな、これは恐らく古の魔法だ」

「ノア様に教えて頂きました、確か、幻獣族の使う魔法だと」

「不可侵領域って、ここがそこなの?」


 でも地図では俺達がいるところより大分遠かった筈だ。するとフィレトはいつもの威圧的な態度はどこへやら、腰の剣を引き抜きながら冷静に説明してくれた。


「幻獣族の森は、一部分だけ転移ができる。広大な森の一部を一時的に空間としてその場に土地ごと召喚できるんだ。他にも幻術とよばれる古魔法は法則を無視した芸当も簡単にできるらしい」

「なにそれすごいチートでは……」

「央がそれを言うか」


 べしっと糸に頭をはたかれるが、糸も顔が強張っている。沙亜羅も魔法を放つ準備をしているようで、俺も紅蓮を懐に入れて覚えたばかりの簡単な攻撃魔法を思い出していた。……やっぱりお願いしてノア様についてきてもらえばよかったかもしれないが、後悔したところでどうにもならない。

 幻獣族って人たちがどうしてこんなことをしているかわからないが、俺達をこうして孤立させたってことは目的は聖女である沙亜羅だ。


(いや、まあ俺なんだけど)


「――来るぞ!!」


 フィレトが叫んだ瞬間、地面からぶわりと粉塵が舞った。煙幕のようなそれは視界を奪い、砂嵐のように俺達を引き離す。


「さあ、」


 沙亜羅に向かって手を伸ばそうとしたとき、俺の後頭部に何かが触れた。



「聖女を渡せ、そうすれば命まではとらない」



 低い、声だった。触れているのが鋭い何かだと察して、体が震えそうになる。


(こわい、けど、震えてられるか!)


 だけど、足に力を込めて振り返る。すると――驚いたように見惹かれた金色が目の前にあった。

 銀色の髪に褐色の肌。狼みたいな金の瞳で俺に爪を突きつけていたのは二十歳くらいの男の人だった。だが人間じゃない。獣のような耳に尻尾。そして鋭く長い爪を持った手。でも片腕がなかった。


「――」


 その人は何故か俺を見て驚いたように目を丸くしていたが、やがて軽く頭を振って顔をしかめた。


「お前、は……」

『闇の焔よ、全てを灼け!』


 糸の声がしたと思うと、ぶわりと黒い炎の柱が立って、視界がすぐに晴れて行く。そこにあったのは魔法を使い片手を掲げてこちらを見ている糸と――。


「央、無事か!」


 沙亜羅を背に庇ったフィレトが、眼に見えない程素早い何かと戦っていた。キンキンと金属音がするあたり剣戟なんだろうけど、相手の姿すら見えないくらい速い。小さくて身軽なのか、まるで鳥みたいに飛び上がっては様々な角度からフィレトの後ろを狙っている。


「兄さん!」

「馬鹿女!俺の背から出るな!」

「沙亜羅!フィレト!」


「―――?」


 駆け寄ろうとした俺がもう一度叫ぶと――絶え間なくフィレトに攻撃をしかけていた影が一瞬止まった。そして高く飛び上がるとそれは俺の目の前に音もなく着地する。さっきは輪郭すら見れなかったその怪物は、俺を驚かせるに十分だった。


「……こ、こども?」


 男の人と同じ獣人のような姿だったが、その子はノア様と同じくらいの少年の姿をしていた。炎のような艶やかな紅色の髪に新緑の瞳をしたやんちゃそうな男の子。格好はラフだったが、男性と同じように民族ちっくな模様の布を羽織っている。


「……お前っ」


 その子は俺をじっと見つめて――いきなり踏み込んできた。


「央!」

「おい!」

「兄さん!」


 糸とフィレト、沙亜羅の声が重なって目を閉じそうになった俺だが……そうはならなかった。何故ならその子は俺に攻撃することなく、寧ろ片手でナイフを腰に仕舞って背伸びをし、両の手で俺の手を包み込んで。




「俺のつがいになってくれ!」




 そう、思いっきり叫んだ。


「……はい?」

「お前に惚れた!一目惚れだ!だからお前にする!」


 ……どういうこと?

 いきなり気が抜けた空間に緊張感を戻したのは、褐色の男の人の呆れたような嗜める声だった。


「――ルゼル、花嫁は聖女だ」

「魔力が強い異世界人っていうのは間違えてないぜ、エイザ!」


 ルゼルと呼ばれた男の子はにっこりと笑って、彼にエイザと返す。


「いや、あの、これはどういう――」


 混乱しまくってしまい、思わず真面目に質問してしまった時、ルゼルという子が素早く手を離して俺から離れた。俺を庇うように前に立ったのはフィレトだ。糸と沙亜羅より早く、沙亜羅を糸に任せてきてくれたらしい。いや、でもできるなら沙亜羅を守ってほしい!


「フィレト……!」

「呑気に会話してる場合か!この能天気が!」


 だが、そんな様子にエイザと呼ばれた人がぴくり眉を上げる。そして、隣に飛び降りて来たルゼルという少年に溜め息を吐きながら言った。


「……一人ついてくるぞ」

「邪魔だったらまあ捨てればいいだろ」

「それもそうか」


 そんな会話に俺達が目を丸くした、その刹那。


「これは――」


 空間がぐにゃりと歪む。俺を引き寄せたフィレトに動くなと怒鳴られるうちに、回る世界にだんだん意識が遠のいていくのがわかった。


「兄さん!騎士さん!」

「央!フィレト!」


「フィレト!央様!」


 沙亜羅と糸、そしてアレシスさんの声が聞こえる。叫びたいのに、応えたいのに、体が痺れたように動かなくなる。

 絵の具が混ざったようにぐちゃぐちゃになる視界に、色々耐えられない。かろうじて顔を上げれば、顔を歪ませながら俺を抱き込むフィレトの顔が見えて。



「さて――人間二人を我らの里にご招待だ!」



 白くなる視界の中響いた声は、とても明るく無邪気だった。


 

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