第12話

「最近、ずっと勉強なの?」

「まあ、そりゃあ受験生ですから。朝から晩まで勉強三昧ですよ」

旅行先へ向かう車中の僕らの他愛のない会話は続く。



「私も今の仕事がすごく忙しくて、この前なんて終電を逃しそうになっちゃったわよ」

華さんの目元には、うっすらとクマができており、仕事の忙しさを物語っていた。


「やっぱり辛いものですか?仕事って」

「長時間働くのはやっぱり疲れるわね。でも今日みたいな旅行があるって思うと頑張れるかな」

華さんは笑顔で答えてくれたが、やはりその表情には疲れが出ていた。


「あまり無理しないでくださいね?倒れたりしたら元も子もないですよ」

「うん。努力する。でももし倒れたら、紡君が看病しに来てくれるでしょ?」


「そりゃ行きますけど……」

「約束だからね」

彼女は静かに車窓から過ぎ去っていく景色を眺めながら、僕に語り掛けた。


 時々思うのだが、彼女と僕はどういう関係なのだろう。友達といっても年齢は離れていて大人と子供だし、男女の仲という関係でもないだろう。

夢をかなえるための同志?協力者?仰々しくもそれが一番しっくりくる。でも……夢がかなった後は?僕はその時どうしているのだろう。

僕が彼女の最高の一枚を撮る前に、もしかしたら彼女の心の曇りを晴らしてくれる人に出会うかもしれない。

待ち続けることに彼女は耐えられるのだろうか。そんなことが彼女と会っていない間、頭の中を駆け巡り僕の決心を鈍らせていった。



 特急電車は、山々の間を抜け、目的地まで僕らを運んでいく。山を掘り進めたトンネルをくぐると、目の前に広がる大海原に照り付ける太陽が反射し宝石が散りばめられたような煌びやかな光景が広がっていた。


「すげー……」 思わず出た言葉だった。

数年ぶり、いや10数年ぶりに目の前に広がる光景だった。子供のように、車窓の外に広がる大海原に目を奪われていると、隣からクスッとした笑いが起きた。


振り返ると、華さんは僕のほうを見ながら口元を抑えて笑いをこらえていた。

「ど、どうしたんですか?」

「だって紡君…… 子供みたいなんだもん」

指をさしたほうへ目線を向けると、僕は椅子の上に膝をつき、窓に両手をガッチリと固定した好奇心に駆られた子供のような格好になっていた。

「あ……」

僕は我に返ると、顔全体に熱が帯びていくのがわかった。


「すごい食いついてみていたけど、海そんなに好きなの?」

「実は何年も見ていなくて、最後に見たのは家族で旅行に行った幼稚園の頃ですかね。それ以来旅行っぽいこともしていなかったので、ちょっと舞い上がっちゃいました。」


「そっかー。そういえば私も海は久しぶりなのよね。学生の時はよく行ってたけど、社会人になってからはめっきり行かなくなっちゃった。だから紡君の気持ちもわかる…… けど」

「けど?」

彼女は思い出したように笑いを堪えだし、「さすがにそこまでは無いかな」と僕の奇行に対して声を出して笑った。


僕は、恥ずかしさのあまり華さんを背に向け窓の外を見ることに集中した。


駅の改札を出ると、ロータリーには地元では見ることのない南国に植わっていそうな木々が僕ら観光客を出迎えてくれていた。

照り付ける日差しは、今年で一番夏を感じさせるじりじりとしたもので、それでいて海の匂いが潮風に乗って鼻の奥につんと刺激する。

駅の周辺は、地元の海産物や山でとれた山菜などを販売しているお店や飲食店が多数あり、炭火で海産物を焼いている香ばしい匂いが食欲をそそる。


「ねえ。ごめんってばーまさかそんなに気にするなんて思ってなかったのよ。私が悪かったから、ね?」

電車内での奇行を散々いじられていた僕は、いじけていた。


「そりゃ僕自身びっくりしましたけど、あそこまで笑うことないじゃないですか」

「だからごめんって。でも可愛かったよ?中々見れない姿で」

「さすがにしつこいですよ。さっさと行きましょう。おいていきますよ?」

先を歩く僕に後ろからとぼとぼついてくる華さんから「はーい」としゅんとした声が聞こえてきた。


 潮の香りが強いほうへ歩いていくと、そこには真っ白な砂が敷き詰められその先にクリスタルのような透明度の海が広がっていた。

電車から遠目で見るのも素晴らしいと思ったが、目前に広がるこの光景もまた「すごい」の一言ですべてが物語れる。

 砂浜に素足で踏みこむと、照り付ける太陽の熱で充分に熱された砂が足裏を焼いた。

「あ、熱っ!!」

熱を避けるため素早く足踏みをしながら、急ぎ足で海水を目指す。

飛沫を気にせず、ドボンと足を鎮めるとひんやりとした冷たさが足全体を駆け巡った。

「冷たーい!最高!」

彼女はスカートの裾を膝の上まで持ち上げ、バシャバシャと海水を蹴り上げる。

僕は、やけど寸前の足を冷やし、ふう。と一息ついた。


「冷たい、けど気持ちいいですね。海っていいなあ」


感動―――。これが海か。


「来てよかったでしょ?早く泳ぎたいよ!あっちに更衣室があるみたいだから着替えちゃお!」


 心惜しくも一度海から上がり、設営されている専用の更衣室へ向かった。

10数年ぶりに購入した水着に足を通し、写真撮影をするためにカメラの設定を調整する。

準備を終え、近くの浜辺にビニールシートとレンタルしたパラソルを開き、荷物を置いた。

華さんを待つ間、目の前のきらきらと太陽を反射させている大海原を撮影する。


久しぶりのファインダー越しの光景に、胸が高鳴るのを感じた。

「お待たせ」

ファインダーを覗くのに夢中で、そのままの体制で振り向くと、目の前には息を飲む光景が広がっていた。


 白浜に負けず劣らずな真白な素肌に、スラリとした細い手足、花柄の落ち着いたビキニから見えるふくよかな胸、そして長い髪を後ろに束ねたところから見せるうなじが普段と違う雰囲気を醸し出し、より大人の魅力を引き出していた。


カシャン――――


無意識にシャッターを切っていた。

苦労してカメラを買ってよかった…… そう思えた瞬間に思わず口元が緩む。


「ばか!許可なしに撮らないでよエッチ!」

胸元と肌を隠すようにバスタオルを巻いた華さんは、僕を冷ややかな目で見つめた。

僕は慌ててカメラを逸らし、咳払いをした。


「ごほん…… 失礼しました」

華さんは、あきれ顔でため息をついた。

「ねえ……どうかな?久しぶりの海だから新しいの買ってみたんだけど?」


「えーっと…… 何て言いますか…… ありがとうございます」

「なんでお礼?もっと他に言うことないの?」


「……です」

「え?何て言ったの?聞こえないよ~」


「さ……です」

「もっとはっきりと!」


「何て言いますかもうお肌のハリといいますか、水着との相性ばっちりといいますか僕にはもったいないといいますか、つまりはその普段は洋服に隠れているすらりとしたスタイルの良さといいますか、とにかく全部が最高です!ありがとうございます!!」


どうだ…… 言ってやったぞ……

膝に手をつき、絶え絶えの息を整えていると、どこかすっきりとした気分になっていた。


彼女のほうをちらっと見ると、顔は真っ赤に染まり目元にうっすらと涙をつけた華さんがこちらを凝視していた。

「え、えっと…… あれ?」

近くにいた観光客のカップルや、家族連れの人たちがこちらを見つつ何やらクスクスとしていた。


周りの状況から察するに、とりあえず僕の発言で華さんはとてつもない恥ずかしめ受けたことだけは理解した。


「紡君のバカ」

「すいません。なんて言うか…… 舞い上がってしまいました」


「……まったく」

華さんは、プイと顔を背け、海の方へ走り出していった。

その様子を眺めていると彼女は振り返り、「紡君早くおいでよ!」と真夏の太陽のような煌びやかな笑顔で僕に手を差し伸べた。

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