第7話 うさみんの結婚相談室

 ハイ、落ち着け自分。


 王子と思わぬ接近イベントを経た朱里はクールダウンのためオフィスビル一階のコンビニに来ていた。


 気になる人と目が合っただけでドキドキ……って中学生かーーーい! それ以前に九条は天敵で決してウフフキャッキャな対象ではない! はぁ、午後の会議もなんか身に入らんかったしダメダメやん……ふつーに凹む。いっそ週末に写経教室でも行って心を清めるか? マジで気を引き締めねば。


 栄養ドリンクを片手にため息を漏らしたその時――


 「せーんーぱいっ!」

 「ひゃぅ!? う、うさみん!」


 突然、背後から宇佐美に抱き着かれ、危うく栄養ドリンクを落としかけた。振り向くと、宇佐美は小悪魔っぽく笑って離れた。


 「さっき王子と何話してたんですかぁ?」

 「し、仕事のこと」

 「ほんとですか? あーやーしーいー」


 じっとり観察され、朱里はゴキュっと喉を鳴らした。なんだ女の勘か? まさか九条の匂いが体に移ってる!? ハラハラしながら視線を逸らすと、宇佐美は「ま、いいですけど」とそっぽを向いた。ほっ。


 「うさみんも買い出し? 珍しいね。たいていお弁当持参だし、スナック菓子は食べないのに」

 「わたしだってたまにはジャンクなもの齧りたくなるんですっ。聞いて下さいよぉ~! 室長の出張が急きょキャンセルになって代わりに首席が行くことになったんですけど、あの人めちゃめちゃ要望細かいんですよ! 飛行機の座席はバルクじゃないとヤダとかもーワガママ放題! 個人旅行じゃないっての!」

 「あー今の首席ちょっと扱いにくいよね。書類とかでもやたら体裁ばっか気にしててさ、中身重視の室長とは正反対でこっちも手を焼いてるよ。庶務班も大変だね」


 宥めるように肩を叩けばむぅと唇を尖らせる宇佐美。あらら、どうやら相当ご立腹のご様子。だけど愚痴って少しは気が晴れたのか、宇佐美は仕方ないと肩を竦めた。


 「ま、基本定時で帰れる分、地域班のみなさんより楽させてもらってますけどねぇ~。毎日終電とか体力的にわたし無理です」

 「毎日終電はさすがに年度末くらいだよ。10時過ぎはデフォだけどね……っていうかなんか今日えらい服に気合入ってない? や、いつも可愛いけどさ。当社比2割増し?」

 「分かりますぅ? 今夜は決戦の日ですからっ」


 顔を輝かせた宇佐美は軽く腰に手を当て、自慢げに顎を上げた。ナチュラルメイクは清楚でありながら隠しきれない色香を漂わせている。髪はゆるやかなサイドアップで、後れ毛が残るうなじの白さが際立つ。体のラインを自然と強調するブラウスワンピに細身のカラーベルトが決まってる。宇佐美をここまで戦闘モードに駆り立てる獲物がいるとは驚きだ。


 「今夜合コンでもあんの?」

 「やっだ! 王子の歓迎会ですよ! 忘れたんですか? あの手のタイプは積極的に課内行事参加しなそうなんで千載一遇のチャ~ンス! 他の子も超テンション上がってましたよ。みんな王子の隣狙ってます。庶務はロジ手配が仕事なんで接点少ないですからね~」


 口惜しそうに親指を噛む宇佐美は「先端に女の美醜が出る」宣言のとおり指先までケアを欠かさない。おそらくサロンでやってもらったと思われるキレイなフレンチネイルに気後れし、朱里はスッピンの爪を隠そうと腰の後ろで手を組んだ。認めたくないが、宇佐美と並ぶと己のモッサリ具合が半端ない。


 「? なに後ずさってるんですか? ちなみに先輩、今日くらいは王子の隣譲って下さいよね」

 「心配しなくてもノシつけて贈答するわ! てかみんな絶対騙されてるよ! あの人ぜんっぜん王子じゃないから!」


 憤慨して訴えると、宇佐美は面食らったように真顔になった。が、次の瞬間「ぶっ」と吹き出しお腹を抱えて笑いだす。


 「あはは! 先輩、何寝ぼけてるんですか? 爽やかで人当たりがいいだけの男がスピード出世できるわけないじゃないですか! 外面完璧なだけに相当腹黒ですよ、あの人」

 「んな!」


 見抜いてる……だと!? 衝撃を受けて二、三歩よろけた朱里の腕を宇佐美は引き戻した。 


 「ある程度年齢重ねて『純朴』って褒められないですよ。特にビジネスでは、駆け引き楽しみながら相手の裏をかくくらいのしたたかさが欲しいもんです。王子だって見たまま王子ならこんな人気出ないですって。そこはかとな~く二面性を感じるから惹かれるんです。完璧で隙がないほど化けの皮はがしてやりたくなるっていうか、恋人にしか見せない素顔、見たいじゃないですか」


 うっとり夢想に耽る宇佐美は完全に恋する乙女顔。唇を引き攣らせ、二の句を継げないでいる朱里を追撃する。


 「それにあの色気。絶対アッチも上手いと思うんですよね~」

 「ブフォ!!」

 「ちょ、ツバ飛ばさないで下さいよぉ~!」


 激しくむせた朱里から飛び退き、ハンカチを取り出す宇佐美。だらだら汗をかいて悶える朱里に白い目を向け、突然ニヤッと意地悪な笑みを浮かべた。


 「未経験でもなさそうなのに過剰反応して初心ですね〜。九条王子が相手なら興奮してコトに及ぶ前に気絶しちゃうかも」

 「ははははは」


 確かにキス一撃でやられたわ。苦い思い出が脳裏をよぎり、朱里は乾いた笑いを漏らした。キス強奪事件のことを話しても絶っ対に信じないだろうからこの件は墓に持っていくと決めた。


 「それよりー、手堅いところで三好みよしさんなんてどうですか?」

 「えっ! なんでそこで三好が出てくんの」

 「先輩の同期じゃピカ1じゃないですか~。ちょっと軽そうだけど憎めないキャラだし、何よりイケメン! 九条王子とは系統が違いますけどね。九条さんが猫なら三好さんは犬? 華やかチャラ男って感じ。でも女関係で悪い噂聞かないですし優良物件ですよ」


 三好かぁ……。ほわんと頭に顔を思い浮かべてみた。明るめの茶髪にピアス穴、思いっきり笑うと目尻に皺が寄って可愛い感じの顔立ち。少年っぽさが残ってるというか、学生時代ならいつもクラスの中心にいそうなタイプだ。


 (人と壁を作らない雰囲気で、誰にでも気安く接するからわたしにも普通に話し掛けてくるんだよな。そうかあいつモテるのか。同じ部室だけど意識したことなかった。確かに女子社員からチヤホヤされているのを遠目に見たことがあるけど……)


 「んーーーーそういう目で見たことないから分からんな」


 正直に白状して首を傾げると、宇佐美はズイっと朱里に顔を近づけて目を三角にした。


 「それ! それがダメなんですよもう! 婚期逃してもいいんですか? 先輩の歳ならどんどん周りに既婚者増えてますよね。友達の結婚式が楽しみなんて今のうちですよ。そのうち女子会も減って話題も旦那や子供や姑の愚痴にシフトしてくんですから! 取り残された時のアウェー感、ハンパないですよ!?」

 「いーーーやーーー! リアル発言小町みたいな未来予想図は聞きたくないーー!」

 「ぼっち老後が嫌ならすぐさま行動ですよ! とりあえずその干物臭MAXな服をなんとかして、サボってる美容院行って高めのトリートメントして下さい! 枝毛だらけじゃないですか。そりゃ恋も遠のきますって」

 「ぐぉぉ…!」

 「おっさんぽい声も禁止!」


 びしぃ! と人差し指で鼻先を刺され、朱里は背筋を伸ばした。有無を言わさないイイ女オーラに負けて白旗をあげる。


 「わ、わかったよ~ちゃんとするから」

 「ほんとですかぁ? 今の先輩、王子と並んだら屋敷しもべ妖精にしか見えませんからね」

 「うーさーみーん! お願いだからこれ以上傷口に塩塗らないでぇ!」


 ナメクジも塩ふられすぎたらとけちゃいますから! 泣き縋ってようやく宇佐美は毒舌モードを終了した。


 「ま。先輩が頑張ってるのは認めますけど、一生一人でバリキャリやれるほど図太くないでしょ? ちゃんと将来のこと考えた方がいーですよ」

 「えっ」

 「なんですか? 先輩の鋼メンタルが気合いで硬度保ってることくらいバレバレですよ」


 朱里は瞳を見開いた。事もなげに言い放った宇佐美は商品棚から食べきりサイズのチョコを手に取りカロリーを確認している。あ、やばい。ちょっぴり泣きそうだ。


 「……うん。せめて干物から半生タイプ燻製くらいは復活できるよう頑張る」

 「半生て。まった中途半端な。どうせなら鮮魚目指して下さいよ。ピッチピチの」

 「無茶言わんでくれ」


 鮮魚て。干物は水に浸かったらふやけるのにさすがにハードル高すぎてキャパオーバーじゃ。だんだん頭痛がして呻く朱里に背を向け、宇佐美は女でも見惚れるくらい颯爽とした足取りでレジに向かって行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る