となりの王子は腹黒でした。

水嶋陸

第1話 プロローグ


 明日は月曜日。超ブルー。サザエさん症候群はもはや土曜午後から襲ってくる。あーあーまた満員電車に揺られて会社かぁ。夏は車内が汗くさいから嫌なんだよね。


 雪村朱里ゆきむらあかりはぶつぶつ言いながらコンビニへ向かった。電灯に集まった羽虫がうるさく飛んでいる。残暑の季節、頬に生ぬるい風を受けながら汗ばんだTシャツの襟をパタパタ引っ張った。夜だし近所だし誰も見てないしいいよね、なんて思いつつダサい部屋着にスッピンでお出かけ。ベランダ用に買ったクロックスは、いつのまにかゴミ捨て→郵便回収→コンビニと活用範囲が着々と拡大中。


 ピンポンピンポーン♪


 ガーッと左右に開くコンビニの自動ドア。冷気が心地いい。流行のJ-POP音楽が流れる店内に足を踏み入れ、目当てのアルコールコーナーへ直行した。スパークリング梅酒が飲みたい。適当におつまみをチョイスして、小さく鼻歌を口ずさみながらレジに並んだ。遅めの時間で店員は1人だった。


 「お待たせしました。580円です」

 「はーい♪」


 ようやく順番が回ってきて財布を取り出しギョッとする。現金が足りない……だと!? お札は0、小銭も少ない。仕方なくカードで支払おうとして、「すみません今機械が故障しててカード払いできないんすよ」と止められた。えぇええせっかく買いに来たのにぃ!


 「ちっ」


 ギャー! 後ろで会計待ちのお兄さんがイラついてらっしゃる! 威圧感パネェー!


 「お客様?」


 困った顔の店員も内心は『なにしてんだテメー早く金出せよ並んでるだろ亀女!』とか思ってるんだろうなぁと思うと、目の前の善良そうな男子(たぶん大学生)さえ般若に見える被害妄想マジック。


 「ご、ごめんなさい。やっぱり返しますぅ……」


 穴があったら入りたい。むしろ海底で物言わぬ貝になりたい……。


 俯き加減で商品を返そうとした次の瞬間――奇跡が起きた。



 「これと一緒に会計お願いします」



 突然横から割り込んだしなやかな手。反射的に声の主に視線を向け、フリーズした。


 「すみません勝手に。急いでいたので」


 爽やかな笑みを浮かべたその人は、姿がいい。緩くウェーブのかかった黒髪に端正な顔立ち。涼しげな瞳が印象的で、モデルのような華がある。シンプルながら素材の上質さを感じさせるVネックのカットソーに細身のパンツをさらりと着こなし、足元のスニーカーも洒落ていた。


 「ありがとうございましたー」


 無意識に見惚れていた朱里は店員の声で我に返った。


 何!? 今の誰!? 


 気が付いた時にはもう彼は出口に向かっていた。


 「ま、待って下さい!」


 すっぴんで気ィ抜きまくりの格好ってのも頭からぶっ飛んで、謎の王子を引き止めた。このチャンスを逃したら二度とお目にかかれないかもっ。


 「あの、さっきはありがとうございました! お金をお返ししたいので、ご迷惑でなければもう一度お会いできませんか?」

 「気にしないで下さい。並ぶ手間が省けて助かりました」


 キラキラオーラを放つ王子スマイルに心臓がありえん高鳴る。こんなハイピッチでズンドコ跳ねたら寿命縮むんじゃね? なんてアホなことを考える間もなく、「じゃ」と去ろうとする王子。待たれよ王子!


 「せめて名刺を頂けませんか!」

 「あー……すみません。今手元になくて」

 「!! そ、そうですか。ならわたしのっ」


 OH my God!!

 財布しかないやんけ! セルフツッコミしながら泣けてきた。あぁもう、なんでこんな肝心な時に!


 「ほんとにすみません、わたしも今何もないんですけど、どうしてもお礼がしたいんです……!」

 「お礼ですか? んー」


 若干眉をしかめた彼は思案するように首を傾げた。


 うわ、やっぱ迷惑だよね。てかこれって軽くストーカー? 傍から見たらスッピン部屋着女にしつこく付き纏われてる哀れなイケメン。もしや恩を仇で返してる? だめだめだめ! いい歳して公害行為はアカン。いい加減、夢見るのはやめて現実にカムバック。せめて不審者フラグだけは回避せねばっ。


 謝罪を口にしようとした瞬間、目の前に影が落ちた。唇には久しく感じてない柔らかな感触。永遠にも感じる数秒の出来事だった。


 瞠目した朱里からゆっくり体を離し、彼は伏せていた瞼を開いた。長い睫毛に縁取られた漆黒の双眸に吸い込まれそうになる。


 周囲の音が不自然に掻き消え、視界の端でチカチカ点滅する信号がやけに眩しい。青いライトが赤に切り替わった時、彼は微かに鼻で嗤った。


 「あんた隙だらけ。ついでにご無沙汰? 物欲しそうな顔してると襲われるよ」

 「!? な、ななななな」

 「あとそのTシャツはどうかと思う」


 ニヤリと底意地の悪い笑みに、朱里はバッと胸元を隠した。人気のゆるキャラがファンシーさ全開で描かれたデザインに反論の余地なし。


 「ま、せいぜい気を付けて」


 嘲るように見下して、彼はひらりと身を翻した。遠ざかっていく後ろ姿を前にボーゼンと立ち尽くす朱里はどこから見てもド間抜け。久しく恋愛から遠ざかって干物になりかかった25歳独身女には難易度高過ぎの罠だった。


 ――なんだ今のスカした失礼野郎は!?


 堪えようのない怒りが込み上げた。


 「このっ腹黒エセ王子! 5年ぶりのトキメキ返せバカァ――!!」


 うぉぉぉと響いた乙女の咆哮は、通行人が放った「ご近所迷惑!」の一言であえなく撃沈した。

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