第4章 薬草好評発売中 ~そして世界は裏返る~

第10話 人生の転機あるいは変異

<早乙女>


 薬草は売れた、売れに売れた。

 商品としては軟膏の形態で販売した。安いワセリンを仕入れそれに薬草のペーストをごくごく少量加える、その程度のものでも市販の薬品とはけた違いの効果だった。今まで治るのに1日かかっていた傷なら30分、3日かかっていた傷なら半日で後も残さずきれいさっぱり消える。正に常識外れの夢の薬だ。


 かかる費用は人件費を除けばワセリン代と撹拌機械のみ。薬草はほっといても生える、というか、増えすぎるのでガンガン間引かなけりゃならないというありさま。冷蔵室には加工待ちの薬品のペーストが山の様に詰まれている。あまり在庫を抱え過ぎると持ち出す馬鹿が出てくるかもしれないので規定量以上の薬草はドンドン燃やしてると言う次第だ。


 人件費と言えば、工場内で働く人数はごく少数だ。蓮屋の件もあるので薬草の採取から加工まで、可能な限りオートメーション化が行われている。まぁ蓮屋の件が無くても、正常な人間はあの空間の中では長時間耐えられない。あれほど人を不快に、そして不安にさせる空気はなかなかに味わえたものではない。

 

 取りあえず滑り出しは順調だ。売り上げはもちろん、機密も保たれている。持ち出しに対するチェック機構も、情報漏えいに対する徹底した分業制もガッチガチに固めてある。

 このシノギが上手くいったおかげで郷田の地位は10人いる補佐の中でも不動のものとなった。代替わりが起きた時次期若頭は確定だろう。その際は俺も立役者として引き上げられることになっているし、俺の下にいる馬鹿どもも少しはいい思いをさせてやれる。

 まぁ、新入り一人は置いていくことになるが……。


<速水>


 社長は今日、新工場の視察に出張中だ、商品の生産は順調でこっちの工場ではもうやることはほとんどない、そんなわけで近々こっちは取り潰しとなる。そういうわけで今日は電話番を残して事務所総出で大掃除と言うわけだ。あぁ事務所総出と言うには一人足りなかった。もっとのそいつの面倒を見るのが最後に残った仕事と言うことだ。

 

 全員防護服を着てお互いにチェックする。動きづらいし、視界は悪い、外界ときっぱりと遮断されるんで窮屈この上ないが、その窮屈さが安心感につながる。実験室の中に入るのは俺を入れて4人、1人は前室に残りゴミを受け取る。

 ゴミとはもちろん例の薬草様だ、こいつの処分には厳重注意がなされてる。2人組になって、1人はゴミ箱入りのカートを押す係り、1人がゴミをぶち込む係りだ。そんでゴミ箱がいっぱいになったら前室のやつに渡してそこで、ガムテープでぐるぐる巻きにしていっちょ上がり、後はエレベーターで上げるの繰り返し。


 実験室に入る、部屋中が緑で埋め尽くされている。奴が手入れをしなくなってから1週間。ここ2日は奥の個室に添えつけられたベッドの上でピクリともしない。監視カメラで見る限りでは一応まだ息をしているようだが、もう時間の問題だろう。

 思えばこいつも哀れな存在だったのか、もしくは唯の自業自得か、ともかく最後は自分の聖域とやらでくたばれるんだ、そのままいい夢見ながら往ってしまえばいい。そう思いつつ作業していると奥の方から扉の開放音がした。


「なってめぇ! 生きてたのか!」


 奥から同僚の焦り声が聞こえるが。くそ!服が邪魔で、振り返るのすら一苦労だ!


「どうした! 何があった!」


 何があったなんて決まってる、寝たきりでミイラみたいだった奴が出てきたんだ。激しい倒壊音が鳴り響く、神沢かみざわの奴ビビって腰抜かしやがった。


「おい! 岩下いわした! 瀬川せがわ! 2人で神沢の馬鹿つれてとっととこの部屋から出てけ! 邪魔だ!」


 ガチャガチャとプランターをなぎ倒しながら3人を下げさせ入れ替わりに俺が出る。こんなにぐちゃぐちゃにしちまったら後で社長から大目玉だ。それも理由がただ死にかけの奴が起き上ったからなんだから笑い話にもならない、だが俺の勘が言っているあのバカはヤバイ、俺の前にいるミイラみたいな死にかけの男はとびっきりの厄ネタだ!


「よう、蓮屋、ずいぶんと長寝してたじゃねーか」


 声をかけてみたが、目の前の男に反応はない。それどころか目の焦点はあってないし、姿勢も不自然にこわばっている。まぁ、かすかに息をしちゃいるのでゾンビってわけじゃないみたいだが――


「――――――――――――!」

「おらぁっ!」


考えるより先に蹴りが出た。奴の張り手より一瞬先に俺の前蹴りが奴の鳩尾に突き刺さる。


「がっ!」


 互いに弾き飛ばされる。奴の指先がかすったせいでマスクがぶっ飛び、体制を崩した俺はプランターのラックに尻もちをつく。ぐぁ、首が痛ぇ、なんて力と速さだ。薬中でキレている奴には何度かあったが、ここまでキてる奴にはあったことねぇ。死にかけの寝たきりだった奴に出来るこっちゃねぇ。


「てめぇ、調子乗ってんじゃ―――」


 揺らされた頭を気合で無視し、強引に立ち上がると、蹲ったままの奴がいた。


「……なに……やってんだ」


 奴は例の草を食っていた、いや違う、草どころかぶちまけられた土も一緒に食っている。しかも鬼気迫る様子で――と言うわけでなく、極々淡々と、その静かな様子に余計に背筋が泡立つ。

 その異様に手出しすることが出来ず眺めているしかできない俺を前に、奴は体をギチギチと言わせながら奴は立ち上がった。相変わらず、奴の視線は定まっちゃいない。口元を土で汚したままぎこちない動きでこっちに向かってくる。


「―――――――!」

「おらぁ!」


 奴の攻撃は単調だ、ただ両手をぶん回してくるだけ。だが、動きが早くなってくる、いや力も硬さも上がっている。くそ、服がうっとおしい、おまけに背中になんかしょってるし。

 背中……、そうだ!


「―――――――!」


 激しい金属音、プランターのラックを盾に奴の攻撃を受け止め、その反動で大きく後ろに吹っ飛ぶ。奴の足は遅い、その隙に背中に背負ったボンベを手に取る。


「準備はいいぞ、かかってこいや!」


 ガンガンと地下室に金属音が木霊する、とんでもねぇ硬さだ、やっぱり奴は人間のバカの下限を超えて、人間とは違うなんかの別のバカになっちまったらしい。


「しゃあ!」


 振り手をかいくぐり、真下から奴の下顎にボンベを突き上げる、くっそ重い100kgは超えてんじゃねぇかこのバカ。浮き上がった奴が返しの手を振ってくるその前に全力のパンチを鳩尾に突っ込む!

 一等派手な音を立て、バカは壁にすっ飛んで行った。


<速水>


「はっ、速水さん、やったんですか?」

「はぁ、はぁ、うっせぇ、なに、呑気に、観戦してんだ、てめぇら……とっとと、社長に、連絡しろ! 緊急事態だ!」


 前室に逃がしてた奴らに命令した後、ぐちゃぐちゃになった台に腰を預け一息入れる。目は奴から離さないがピクリともしてない。最後の一撃は手ごたえがあった、確実に奴の芯をぶち抜いた、まぁその代わりに俺の右手もいかれちまった。なんだあの硬さは、まるでデカイ木でも殴ってる感じだった。


 奴はピクリとも動かない。だが、頭の中の警報はまだ鳴りやんでない。何か、変だ、奴が突っ込んだ壁。作業台があった壁、蛇口がぶっ壊れたのか水が噴き出している。違う、そうだ、奴は動けないんじゃない、唯のお食事中だ!

 ここが引き際、なりふり構わず前室に逃げ込む。残った奴が扉を開けて何か言ってる。ああわかってるよ! だがでかした!

 前室に転がり込むと同時に待ち構えてた奴が扉を閉める。俺は転がり込んだ勢いのまま、カバーに覆われた緊急閉鎖スイッチを殴りつける。

 間一髪、ズガンと車が事故った時のような重い音が扉の向こうで響く。


「いっつーーー」


 つい利き手でスイッチをぶん殴っちまった。これで右手は完全におしゃかだ、しばらくは使いもんにならねぇ。

 扉の向こうでは相変わらずはしゃいでる音がする。厚さ3cmの鉄板がドアの前後を挟んでるんだ、大丈夫だとは思うが、あのバカの成長速度を見ると油断出来ねぇ。


「そうだ! 急いで水道の元栓閉めろ!」


 指示をした後、体を引きずりながら地下室から上がる。奴は食うたびに成長する、そんな奴に唯で水をサービスしてやる義理はねぇ。


<早乙女>


「どうなってんだ、こりゃ」


 事務所からの慌てふためいた電話に、急いで地下室の監視カメラをネットで確認するとそこは酷いありさまだった。床が台風でも来たかのように、ぐちゃぐちゃになっているのはいいとして、問題はドアの付近にへばりついている何かの塊だ、それの高さは地下室の天井にまで達し壁や地面に根の様なものを網状に伸ばしている。


「…………これが、蓮屋って言うのか?」

「ああ、そうだぜ社長」


 速水が言った現実離れしたおとぎ話の内容を、俺の隣でパソコンをいじってる郷田が裏付けてくれた。その映像に息をのみ思考が停止する。


「…………早乙女さん、プランFを実行しましょう」

「プランF?あっああ、あれか……ああ、そうだな」


今までずっと黙っていた郷田がそう切り出した。


「おい、俺の机の一番下の引き出しだ、青いファイルそれを出せ」


 速水がそれを復唱し後ろで、バタバタと走り回る音がする。緊急事態マニュアルプランF、ああそうだな。まるっと解決と言うわけにはいかねぇが、取りあえず安全確保が優先だ。


<速水>


 社長が言ってたファイルのページをめくる。あった、緊急事態マニュアルプランF。


「社長、ありました」

「いいか、それに書いてある手順で操作しろ、そうしたらスプリンクラーから重油が降り注ぐ仕組みになっている。地下室はボイラー室に早変わりって寸法だ。焦んねぇでいいから確実にやれ」

「うす」


 前に自爆装置がついてるなんて与太話してたが、似たようなものついてやがった。これ作った奴は何考えて作ったんだ。


「失礼、電話を代わりました郷田です1つ注意事項を」

「えっ! あっはい、俺、いや自分は――」

「緊急事態です、口調は気にせず、内容に意識を集中してください」

「うす」


 くそ、電話の雰囲気から居るのは分かってたが、いきなり出てきてテンパっちまった。それにしてもこの男いやに肝が据わってやがる。


「結構。先ほど早乙女さんが言ったように、地下室は操作を行うことで簡易的な焼却処理を行えるような仕組みになっています。だが、私が想定していたのはあくまで部屋一杯の草が精々です。そのような巨大な生物――と言っていいかわかりませんが、ともかく、そのような巨大な物体を焼却しきるような作りではありません」

「うす」


 まぁ、その通りだ。上からちょろちょろ重油ぶっかける程度であんなデカブツ芯まで焼き尽くすのはちょっとしんどいだろう。


「ですので、皆さんにやって頂くのは、マニュアルを実行したのち、燃料が空になるまで工場に異変がないか外部からの監視を願います」

「うす」

「スプリンクラー、空調ともにそれに耐える設計をしていますが、カメラは煤で直ぐに利用不能になるでしょう。私と社長も直ぐにヘリでそちらに向かいますので、それまで現場で監視を継続してください。最終的な安全確認は我々が行います、決して中に入ろうなどせず、現場の保存に努めてください、以上です」

「了解っす」


 そう言って電話は切れた、淡々と丁寧に話す割に、異常に迫力がある相手だった。まぁそうか、あの若さで本家の若頭補佐になろうって男だ、肝っ玉も並じゃねぇってことだろう。


「おう、そう言う訳だてめぇら! さっさと作業始めるぞ!」


 話を聞き入っていた他の連中に号令をかけ、俺たちは作業を開始した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る