第三話〈乾いた街にも活きた人間》

 先程見た街は一つの城を中心として広大に広がっていたから、この街はその一部に過ぎないのかも知れない。城壁の外にあるという点を除いては。

 壁の外の小さな街には活気の活の字すらなかった。すでに枯れた酒瓶を意味なくすする初老の男やひっくり返した壺に座り込みながら死んだような眼でこちらを睨みつけてくる三人組の前を通り過ぎてきた。

 彼らは底のない泥沼を沈み続けている。ふとそんな言葉が思い浮かんでしまう。

 道端に転がっているのは、門のところと同じくやはり物流で栄えていたと思わしき残骸。つまりここは検問を通る前の待機所的な意味も持ち合わせた一角だったことを示している。鳥車を牽いていた鳥のものらしき白骨体まであるのだから気味の悪さは十分すぎた。

 気がつけば道の端に腰掛けた一人の老婆がこちらを手招きしている。オカルトチックな雰囲気は理論では説明できないような誘惑を持ち合わせ、なぜだかミチカはそれを眺めていると無意識的に体が老婆の方へ吸い寄せられていた。興味本位にぼーっと近付こうとすると横から軽く肩を叩かれる。


「あんまり見んな。関わらないほうが良い」


 ふと意識を引き戻された。振り返れば自分よりも頭半分くらい背の低いフォルナが呆れたような調子。ここの社会の仕組みはわからないがある一定の生存の術が存在すると感覚的に悟った。フォルナは早足にミチカを先導していった。


 そんな乾いた街中をしばらく歩いてミチカは一軒の少し大きな建物の前まで連れてこられた。

 少し早足で歩いていただけにもかかわらず、どっと吐き気をもよおす悪質な疲れが石の体に降りかかる。ところが気づくとそれは糸がほどけるようにあっという間に消えてしまっていた。

 未だこの体の扱いの厄介さには慣れない。ミチカはもどかしく思った。

 この建物は宿屋跡のようで周りの建物と違い、あまり崩れた部分は見当たらなかった。レンガ造りでところどころ苔むしているが、装飾からも伺える高価そうな建物は景色からひときわ目立っていた。フォルナ達の正式あるいは法的な所有物とは申し訳ないが考えにくい。

 ミチカが建物に目を奪われているうちにフォルナが階段に一歩足をかけていた。するとその時を待っていたか途端に連続した足音が響き、扉が勢いよく開け放たれる。


「フォル姉ちゃーん!」


 建物の中からなついた子犬のように飛び出してきたのは赤毛の幼女だった。フォルナは飛びかかられ階段から転げ落ちた。フォルナは思い切る後へと転げていたので危なっかしいなとミチカは思う。馬乗り担った幼女の頭をフォルナは倒れた姿勢のまま撫で、幼女はにこやかに笑っていた。


「ただいま。いっつも飛びかかんなって言ってんだろ」

「えへへ。今日は何買ってきたの?」


 フォルナは問いかけに対して、ミチカの方へ自己紹介を促すかのように顔を振り合図する。話し嫌いと言っていた割にその子供とは楽しそうに話していた。とはいっても表情は仮面のせいで伺えず。

 そのうえ買ってきたという言葉には、フォルナが持っているであろう後ろ暗さが隠れていた。どういった経緯でこんなところに暮らしているのかは知らないが、今まで不自由なく暮らしてきたミチカには少しばかり哀れに思えた。

 

 興味津々に見つめてくる幼女に対し、

「俺が今日買ってきたものだ!」

とミチカは自分を指して自慢げに言い張ってみる。漂わせる雰囲気からして二人が姉妹というのは考え難い。あくまで共同生活者、もっと簡単に言えばこの子供は孤児なのだろうとミチカは思った。

 名乗ったあとになって街の人みたいに魔物と恐れないか心配だったがその必要はなかったみたいで少し見つめられたあと、

「あはは。きもーい」

と地味に傷つく言葉が返される。一安心。ちなみにミチカ、というか神近は姪っ子が小さい頃よく遊びに来ていたから子供の扱いは手慣れたものだった。


「入れよ。狭い家だけど」

 

 きもーいのショックと喜んでもらえた嬉しさに入り浸っているうちにいつの間にか起き上がったフォルナは、幼女と手を繋いでいる方とは反対の手で素っ気なくミチカを手を招いている。素直にそれに従ってミチカは建物へと入っていった。

 入ってすぐのロビーのような部屋は人が数人くつろげるくらいの広さで、今は使われていなさそうな木製のカウンターがまずはじめに目についた。少し手前には質素なテーブルを椅子が囲い、そこに真っ白な長髪をした一人の老人が腰掛けている。


「お客人とは珍しいの」


 老人は手に持った本から目を離すことなく語りかけてきた。とても落ち着いた声で人が来たことに対し、動揺などは一切していないよう。その貫禄に軽い調子では話せないとミチカは悟った。

 しかしフォルナの場合は慣れているからか、


「じじ、また本なんか読んで。見えなくて楽しいのか?」


とフォルナは軽くあしらっている。

 話す様子は対等、むしろフォルナのほうが上の立場にさえ見えた。


「さて。ところでそこの人間、どういったご用件でいらされた」


 フォルナは老人の言葉を聞いてを聞いて少し驚いたような素振りをする。それから相手が見えないのをいいことにか頭を指さして、

「とうとうボケたか? こいつ、人間じゃねーぞ」

と否定。しかし老人は、

「いやいや、姿がどうであるかはわからんが紛れもなくそちらの方は人間だよ……」

と言った。

 彼の口ぶりはまるで五感でないなにか別のところで相手を見ているかのようであった。それを聞いてフォルナはふーんと小さく唸る。老人の様子からは何も読み取ることが出来なかった。

 ミチカはなぜ人間と思ったかという疑問も抱いていたが、何より人間として話が通りそうな相手がいたことにふっと湧き出すような思いになる。

 再び家に視線を戻し家中見回してみると、門の外の街の様子から浮いて人が生活している場所という雰囲気があった。ここがフォルナ達の住居と考えて間違いないだろう。


「まいいや。じじはまた本持ってぼーっとしてろ。んーでお前の扱いだな。意識があるとなると……お前、行く宛でもあんのか? なかったら利用検討中なんだけどよ」


 老人は言われるがままに黙ってまた本を読み始めた。そういえば老人の服装は素朴で古びているものの、ボロ布と違ってしっかりと形になった服。彼はずっと貧しい生活を送っているわけではなさそうだ。

 やり取りの対象が自分へと移り、ミチカは一瞬言葉に詰まる。それから聞いた言葉を頭の中で再生し直し回答を思い浮かべる。回答は否定だった。


「無いけど……」

「じゃあとりあえず今日は泊まってけ」


 そういいながらフォルナは羽織っていたマント――マントと言うよりもぼろ布という呼び方のほうがふさわしいもの――を壁に掛けた。無愛想な態度だがなんだかんだで親切に振る舞ってくれていたことに、異世界への一時の安堵感が生まれる。

 ボロ布が掛かったところでフォルナは思い出したように手を打ち合わせた。

 

「となると改めて自己っつーかご紹介だな」

「おうよ」

「まずあたしはフォルナ、まあこの家の出稼ぎ担当だぜ」

 

 名乗りと同時にフォルナはゆっくり仮面を横にずらす。ルビーのように明朗とした緋色の瞳。鋭いようでまだ垢抜けないような顔つきは多くを語らず奥ゆかしさがあった。

 しかしながら、出稼ぎというと聞こえは良い。しかしその内訳は強盗。彼女の地を這いずるかのような力強さからは苦労のほどだけはたやすく読み取れた。


「んでこっちのちっこいのがナナ、街で転がってた孤児だ」

「ちっこいのー!」


 ナナは大きく笑いながらメロイック・サインをしてみせる。この世界ではVサインに相当するものなのかも知れないが元ギター少年にはメタル界のゴッドファーザーしか連想できない。普通は可愛らしいだの何だの思うのだろうが非常に残念だった。頭の中にはおっさんの顔だけが浮かんでいた。

 街に転がっていた孤児とはなんともお粗末な紹介からはフォルナの適当な性格がよく伺える。


「続いてこの曲者じいさんがルゼル、あたしのじじだ」


 じじは祖父のことだろう。ルゼルは無言で本を見たままメロイック・サインをしてきた。いや、お前もメロイックサインすんのかよ。ミチカは声に出して突っ込むのをルゼルの風格に抑えられ、心の中で思う。

 今この場にいる人物の紹介が終わったところでフォルナとルゼルは顔を見合わせて少し無言のやり取りをする。その後フォルナは仮面を戻し、


「よろしく頼むぜ、石ころ」


と元気な声で言った。それはそうとミチカのあだ名は石ころに決まったらしい。


「そんでよさっきの利用検討中ってのはおまえがよ、無限に金になってくれると踏んでんだ」


「はたまた、それはなぜ?」


 フォルナが腕を組んで自慢気に言ったのに対しミチカは早速説明を求めた。


「お前あの商人の話じゃただの棒切れ出してくれんだろ? それをもらいまくって売りまくれば大儲けだ。居候させてやるってんだ、それくらいい良いだろ?」

「そう、だな。ところで棒切れくれるってなんのことだ? なんか似たようなことに覚えが無くもないんだが」

「お前まさか出し方わかんねーとか言わねーだろうな?」

「言う。むしろ出し方どころかなんで自分が石像なのかすらわかんないんだが」


 今の今まで誇らしげだったフォルナがそのまま硬直し黙り込む。それから乱暴に頭を掻いた。

 自分の行った棒切れ無限増殖改造なら知っている。関係がありそうな気はするものの、それを今やれと言われてもやり方などわかりっこなかった。


「ったくお前ほんと名前以外ぜんぜんわかんねーんだな」

「お役に立てず」


 呆れられてミチカは引っ込んでしまった。

 ぜんぜんわからないのはこの世界のことだけであって、今までのことはしっかり記憶している。だが別世界から来たなんて話は到底通用しないのはお約束だし目に見えていた。そのうえ軽く流された話だが、あのRPGの世界から一〇〇年も経っているというからゲームの知識もどこまで通用するか……。


 ミチカは未来にかかる霧の厚さを感じていた。

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