第2話 画廊の村

 ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン


 断続的に擦れる音が聞こえる。あぁ、眠ってしまったか——やばっ!

 目を開け、ガバっと勢いよく起き上がると、俺は50センチ四方からだふたつぶんの小さなおりの中にいた。


 檻の外は、作業場のようだ。天井は飛んでも届きそうもない。大きな振り子が一際、目を引いた。粉砕機だと後々教えてもらうものだ。

 木製の建物内は、いくつかの島を作っている。奥の3つの島は肌色の何かにんげんたちが円形に座り作業をしているが、手元が見えない。

 手前の島は木製の長椅子に並んで座り、色違いの鉱物を長机に置いてゴリゴリと削っている。赤、青、黄、そして白色の粉。4色を作っているようだ。何だ? どこだここ。


 顔を上げ、キョロキョロしている俺に気づいたが近づいてきた。

 唸りつつもを注意深く見る。赤い目は丸く、睨まれても怖く無いだろう。

 ひらひらの恰好をしているボロボロのふく……腕も細いし、何かむねが揺れてる。後ろに座って作業している大きな奴らの方が強そうだ。身長は140センチ程度の少女おれよりデカいのによわそうなのだが、あいにく俺は『人』を見たことが無い。ただ警戒するばかりだった。


「起きたー。お腹減ってるかな? 青い子あなたは売れなかったから、しばらくに居てね?」


 何を言っているかは分からなかったが、襲ってこないようだ。声が黒い肉の声に似ていた。肉は、どこに行ったのだろう。

 檻の中に、動かなくなった虫と赤い実を盛られた皿が置かれた……俺、虫は食わねーぞ?


 赤い実だけを食べ、皿を檻の外に押し出す。

 土耳が皿を回収して何やら呟き、どこかに歩いていった。


「お腹減ってないのかな。巣穴にあったから持ってきたけど、を食べるなんて……。」






「本当だろうね、リュシー? 赤い実を食べる獣なんて、ウソだったら……。」

でしょ? 良いよ、ホントだから!」


 さっきの土耳が帰ってきたようだ。一緒に歩いてきた老婆に聞かれ、商人だと名乗る少女は、腰に手を当て言い放った。少女の黒い左腕は、あの時の肉だ。土耳め……。

 土耳は檻の前に赤い実を載せた皿を、俺の前に置いた。さっき食ったばかりだぞ?


「アオキツネくーん、食べて良いんだよー? 食べて欲しいなぁ……食べてくれないかなぁ?」

「……食べぬではないか。ウソをつきよって!」

「ウソじゃないってー!」


 顏を背け拒否していると、少女は泣きそうな顔になっていく。何だ? 赤い実を口に押し付けてまで食わせたいのか。

 いい加減、鬱陶しいので食ってやると、花が咲いたような笑顔になった。良く分からん奴だな。


「ほら、ほら! 食べた! この子、食べられるんだよ。」

「何? ……まさか、狼ですら嫌がる毒実だというに。」


 老婆が震えている……寒いのか? 他の職人たちも手を止め、俺を見ている。

 食い過ぎて、ゲップが出た。


「「「「くっさぁーー!」」」」


 思い切り吸い込んだ少女は卒倒し、老婆を含む数名が逃げ出した。

 うん、いつも通りの威力だな。





「良いか、リュシー。この子の世話をするのだぞ?」

「はーい、がんばりまーす。」


 老婆は鼻をつまんだままの土耳に何かを言うと、まだ伸びている若者を引きずって戻っていった。

 そばに立っていた少女は、俺に目の高さを合わせて睨んでくる。


「むむ、こうしてると臭くないのに……。」

何だおぅ?」

「私は、リュシー、だよ? リュ、シー。リュシー!」

るしーおう?」


 何度も言っているのは、何だろう。舌が回らない。

 他の職人たちに「言える訳ねーだろ。」と揶揄されていたが、リュシーは「言えたら面白いじゃん!」と言っていたらしい。

 この頃の俺は、人間たちが何を言っているのかサッパリだった。


 工房で共同作業によって制作された塗料は、色付士自身かあるいは修業中の弟子たちが、都度、必要量の鉱物をすりつぶして油で練るという手作りらしい。売れない色付士が転業して、塗料作りを専業とする者もいるとか。


 俺にも兄弟がいた。生き別れ、というやつだ。エサを求めて自然と別れていった。

 赤い実を食べるのが俺だけ、というのもあるかもしれない。


 赤い実こと『毒実』を食べた俺の息は臭いらしい。あくびをした途端、リュシーは逃げた。

 職人たちは鼻をつまむ程度だ。土耳は鼻が良いのか。


「そうだ、牙に毒があるか調べないと。……よいしょ。キツネさーん、これ噛んで―?」

「あむ。」(また押し付けられたら嫌だからな)

「……かわいぃ。」


 いつか、その耳を噛んでやるからな。悶えている少女が差し出した細長い棒を噛み、思いを募らせた。

 検査の結果、俺は牙にも唾液にも毒は無いらしい。安心したのか、目の前に指をチラつかせたリュシーの指を噛んでやった。満足だ。




おい、赤い実しかないじゃないかおぅ、おーぅわぅ。」

「ふん、噛んだバツだもんねーだ!」


 木皿に、ちょこんと赤い実が載っている。俺にとっての赤い実は、防衛手段だ。飯ではない。

 土耳は俺の息すら耐えられない癖に、フンの臭いに耐えられるのだろうか。

 まぁ、いっか。


 着々と、爆弾の準備は整いつつあった。




 俺は機械ではない。飯も食えば、用も足す。

 その瞬間が、たまたま朝食に重なっただけだ。そしてリュシーの12歳の誕生日祝いと、商人としての門出祝いにも、重なっただけだ。


「えへへ……へへ。」


 主賓であるリュシーが白目を剥いていようとも。俺は静かにリュシーの鼻を押さえる。

 半日かけての換気と掃除、俺と赤い実の関係を調査するなど皆が協力して事に当たっていた。


 以降、俺は雨の日を除いて、屋外に置かれるようになる。エサから赤い実が無くなったのは、言うまでもない。




「もう、私まで外で勉強する羽目になっちゃったじゃん!」

うるさいなうぅう……まだ怒ってるのかうぉう。」

「今日から丁寧な言葉遣いと作法を覚えて、来年には、おじちゃんたちと行商で……。」


 リュシーは体育座りで声を出しながら本の文字を追っている。読む箇所を指で差しているので、俺も何となく追っていた。

 森にも落ちていたな。寒い時期に、本を立てておくと冷たい風を防ぐのに役立つし。

 じっとリュシーの口と声を見聞きする時間が出来た瞬間である。


「すっごく見られてる……。」

「う、ぐうぃう?」

「真似してるのかな、良いけど。」


 荷車などの絵が描かれ、下に説明が書いてある本。

 リュシーは寝る時も枕元に置き、俺は聞いた文を復習して覚えていった。


――――――――――


 数か月後。

 言葉と知識を習得していくと、リュシーが話す内容を理解できるようになった。上手くは話せないが。キツネにしては上出来、だそうだ。

 今日は朝早くから雨が降り始めた。室内で雨音を聴きながら、リュシーに撫でられる。

 どうしたのだろう、皆が昨日の夜から泣いている。


「勉強、しろ?」

「しないの。」

「勉強、しなの?」

「しないの。」


 うむむ、違いが分からない。上手くいかず、モヤモヤした気持ちから尻尾で机を叩いていると、誰かが尻尾を押さえてきた。ん、

 チラっと見ると、リュシーの妹分がポロポロと涙を流しながら立っていた。1か月程度で職人たちには慣れたが、こいつだけは慣れない。すーーぐ泣くのだ。尻尾を掴むようになっただけマシか。




 ここに来て2日目。妹分は朝食をリュシーと食べていた。俺と初めて会ったのも、この時だ。

 目が合うと怖がり、少しでも動けばビクっと硬直し、リュシーが俺を妹分に近づけただけで泣いた。ギャン泣きである。


 鉱石を色と大きさ別に仕分ける作業を担当していた妹分は、格子状に区切られた棚を前にして泣いていた。どうやら入れるべき場所に手が届かないらしい。泣きながらも手を伸ばし、何とか入れようとしていた。

 職人たちに向け吠えると、なぜか妹分が驚いて鉱石を落としていた。声を発しただけなんだが。以後、妹分が困った時は俺が職人を呼ぶようになっていった。


 今では当たり前のやりとりしっぽつかみも1か月ほどの試行錯誤トライアンドエラーがあったのだ。俺を怖がる奴なんて森には……いなかった。


「で、リオは困ったの?」

「うん、これ初めて見たから……。」


 また、という部分を強調してリュシーが言うと、リオは握っていた半透明な粒を見せた。大きさは小指の爪程度の楕円球、森で見かけた物に似ていた。湧き水の近くだったか。

 大した感動も無く見ていた俺とは違い、目を大きく開けたまま口をパクパクとさせたリュシーは、椅子から立ち上がり、叫んだ。


「お、お、おばぁぁーーちゃぁーーん! 空色そらいろ出たぁーー!」

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