第13話 お泊まり。




 ふわふわ、ふわふわ。

 バスタブから湯気が溢れていくのを、ルアンは見つめる。ぼんやりてしていた末に、ルアンはクシュンッとくしゃみをして、お湯に顔を突っ込んだ。なかなか痛い。

 濡れた顔を拭い、ルアンはバスタブから出た。

 タオルで拭いて、ナイトドレスに着替える。バスルームから出ると、キングサイズのベッドにクアロとタオルを被ったシヤンが腰を下ろしていた。


「あ……本当に、ルアンは女の子なんだな……」

「そう言ったでしょ」


 口をあんぐりするシヤンに、クアロは呆れた目を向ける。

「勝手にベッドに座るなよな」とルアンは顔をしかめた。


「……可愛いな」


 アイボリーの長いナイトドレスに身を包む湯上がりルアンを見つめて、シヤンはぽつりと呟く。

 髪が短くとも、女の子らしく可愛らしいと素直に思えた。

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 そんなシヤンを、クアロとルアンはじっと見ている。やがてクアロは告げた。


「帰れ」

「!? 俺は変態じゃないぞ!? 純粋に女の子らしいって思っただけでっ」

「うるせーな、どうでもいいから、帰れよ」


 慌てふためくシヤンに、ルアンは冷たく一蹴する。クアロもシヤンの背中を押して、ルアンの部屋から追い出した。


「私もシャワー浴びるわね」

「どうぞー」


 ルアンはベッドに飛び込んで身体を沈める。許可を得たクアロは、バスルームに入っていった。

 本を読んで暇を潰そうとしたルアンが、寒気を感じてシーツにくるまう。


 ――シヤンが上に向かって、水のギアを発動しろなんて言うから。


 バケツの水を被るように、水が降ってきてしまった。ルアンの力加減の下手さが原因で、ずぶ濡れになったのだ。


 ――まだまだ加減のコツが掴めない。


 攻撃力が高いのはいいが、あくまでガリアンは自警組織。市民を守り、犯罪者を確保する。気絶させる程度の加減を覚えなくてはいけない。

 今後、クアロとそれを特訓していこうと、ルアンは考えた。


「ルーは本当にいい家に住んでるわねー」


 バスルームから出てきたクアロは、髪をタオルで拭きながら言う。豪邸のバスルームに、ご満悦の様子。


「あら、アンタ、もう寝る気? 夕食は?」

「まだ寝ないよ」


 クアロがベッドに飛び込んだため、小さなルアンの身体が跳ねた。寝ないと言いながら、ルアンは起き上がらない。寝そべって頬杖をつき、クアロを見る。

 寝巻き用の緩いシャツと黒のズボンを履いたクアロも、同じく頬杖をついてルアンと向き合った。


「クアロ、アンタはイケメンなオネエになってきたね」

「なに、おねえって……また訳のわからないことを……」

「女口調が板についた男のこと」

「誰のせいよ」


 つんっ、とクアロはルアンの額をつつく。

 強制的に、クアロは女言葉を使うことになった。ルアンに影響を与えるため。

 しかし、ルアンは時折男言葉を使う。シヤンに対して男のフリをする時や、ラアンに苛立っている時は、特に。


「夕食は部屋で食べよ。ラアンが煩いだろうから」

「それもそうね」


 ルアンが起き上がれば、クアロも起き上がる。元々そのつもりで寝巻きに着替えたのだ。

 するとそこでノック音が響く。目を向ければ、扉が開かれた。


「ルアンお嬢様、お食事ができま……ぎゃあああ!?」


 巻き毛のメイドが、クアロを視界に入れるなり叫ぶ。


「!?」

「煩い、メイドウ」


 ギョッとするクアロ。ルアンはスタスタと扉に向かう。


「どうした!?」

「煩い」


 絶叫を聞き付けたラアンが廊下の先から駆けてくるが、ルアンは一言吐くだけで扉を閉じた。


「子守りのクアロ。メイドのメイドウ」


 それから、簡潔に二人を紹介。クアロを侵入者だと勘違いしたメイドウは、胸を撫で下ろす。


「メイドのメイド?」

「メ、イ、ド、ウ。名前だよ」

「……まじで?」


 名前がメイドウのメイド。

 クアロは信じられないと、メイドウを見る。21歳という若い女性だ。


「あたくしの親もメイドでした。レアン様に恩があり、あたくしもダーレオク家に尽くすようにと名付けられたのです!」

「まじか……」


 メイドウは胸を張るが、クアロは顔色を悪くした。それはいい由来なのだろうか、と疑問を抱く。メイドになれ、とは少々夢のない願いだ。


「父上が10代の頃に助けたらしいよ、両親を。マゾの家系らしいよ」


 ルアンが淡々と教える。

 恩返して尽くすからこそ、信用して雇っているのだ。


「レアン様に恩返しをするためでもありますが、あたくしはルアン様のお世話が生き甲斐です! 生まれつき美しいルアン様のお世話は、とてもとても楽しいですわ! ルアン様の美しさを飾るためのドレス選び、そして艶めく髪を撫でながらリボンで結ぶ……最高な日々です!」


 頬に手を当てて、メイドウは恍惚とした表情になる。クアロが更に顔色を悪くした。

 メイドウも表情を変えて、顔を曇らせる。視線の先は、ルアン。髪が短いルアン。

 やがてメイドウは、その場に崩れ落ちた。


「なのにっ、ううっ……! こんなにも髪が短くなってしまって……挙げ句にはロアンお坊っちゃまの服を着る日々! これもラアンお坊っちゃまのせい! 妹の髪を焼いてしまうなんて! この世の終わりだわ!」

「キモイ」

「嘆かわしい!」

「煩い」


 派手に嘆くメイドウに対して、ルアンは変わらず冷たい態度。温度差の激しさに、クアロはただただ唖然とした。


「部屋で食べるから、夕食持ってきて。2人分」

「あ、かしこまりましたぁ」


 頼み事を聞くなり、メイドウはケロッとした顔で立ち上がると部屋を出る。


「……情緒不安定なメイドね」

「基本明るくてうざい。髪が短くなってから、更にうざくなった」


 やれやれと肩を竦めて、ルアンは窓のそばに置いたテーブルに2つの椅子を用意した。


「……いつも、髪はあのメイドが結んでくれてたの?」


 クアロの質問に、ルアンは振り返る。


「私は妹の髪をといで、結んであげてたの。その前は母親が、やってたんだけど」


 ベッドに腰を掛けたままのクアロは、目を背けながら言う。遠回しに、ルアンの母親について訊いたのだ。

 今まで、クアロは触れないようにしていた。しかしきっかけを見付けて、今回は行動に出てみたらしい。


「記憶にはないね」


 そう答えて、椅子に座った。


「金持ちの家の母親なんて、あんまり世話しないもんでしょ。乳母とかメイドに任せきり」

「……そう」


 クアロは、少し気に入らなそうに眉間にシワを寄せる。普通の家庭で育ったクアロからすると、理解できないのだろう。

 ルアンの家庭は、普通ではない。


「うちの親、結婚してないんだ」

「え、そうなの!?」

「ああ、仕事が忙しくって、教会で式を挙げなかったんだ。ただ夫婦関係だって自他共に認めていただけ」


 いわゆる事実婚という関係。

 通常、この世界では教会で式を挙げて、神父と家族友人に見守られて誓いをする。それが正式の結婚。


「だから、あの人が出ていった今、もう既に夫婦じゃないってこと。よかったね、相手は独身だ」

「……」


 ルアンはさらりと言い退けた。

 いくら想いを寄せている相手が独身だとわかっても、クアロは喜べない。

 ため息をつきながら、ルアンの向かいに座った。


「本当にアンタは他人事みたいに言うわね……そういうところ、嫌いよ」

「そりゃどうも」

「……アンタの母親の顔が見てみたい」

「あたしは一生見たくない」


 ルアンは、窓の方へそっぽを向く。その一言だけが、感情的になる。


「家を出た原因はなんなの?」

「たくさんあるんじゃない? 出張するようになったのも原因の1つだったかな。レアンとわーぎゃー口論した末に、荷物まとめて出てった」


 またルアンの言葉は、感情が消えたように淡々としたものに戻った。


「……アンタって、本を読んで泣くのに……なんでこういうことには感情を切り離すのよ」


 頬杖をついて、クアロは問う。

 ルアンは目を丸めて、クアロを見る。そういう風に彼の目に映るのか、と驚きながらも感心した。


「さぁ……昔から、どうも切り離すのが得意んだよね。身内が死のうが、身近な人間が死のうが泣いたことないし……」


 前世の自分を振り返り、その原因について考えてみた。


 ――ああ、そうか。

 ――本を読み耽って、現実から感情を切り離すコツを覚えたのかもしれない。


 ぼんやりとそれを思っていれば、メイドウが夕食を持って戻ってきた。

 会話をギアの加減についての話題に変えて、2人で夕食をとる。クアロと一緒に夕食をとるのは初めてだ。いつもはクアロが帰ったあとに夕食をとっていた。


「光で紋様を書けたなら、加減なんて気にしなくてもいいと思うんだけどね」

「さっきの水のギア見てたでしょ」

「いや、ボスのこと考えてて見てなかった」

「子守り、仕事しろ」


 不在のレアンのことを考えてぼんやりしていたクアロに、呆れる。恋煩いだ。


「光と一緒で、経験積めばギアの加減も出来るわよ。ボスが帰ってきてから、練習しましょ」


 モグモグと食べながら、クアロは意見を言う。それを見て、ルアンは食べ方の違いに気付く。

 クアロの方は少しガサツに肉を切り分けて、喋りながら食べている。ルアンは細かく切り、口を空けてから話す。


 ――なんだかんだで上品ぶった躾をされたんだな。


 主にメイドウの躾だ。

 メイドウの両親は、貴族の家に仕えた経験がある。だから作法を、ルアン達を教えた。

 屋敷に住む者は、相応しい作法をするべきだ。とメイドウはよく言っていた。


 その夜のこと。同じベッドに就寝していたが、やがてクアロが口を開いた。


「母親がいなくなって、寂しくないの?」


 恐らく、一番気になる質問。ルアンは目を開くと、寝返りを打ち、クアロに背を向ける。


「前世の時も捨てられたから、慣れてるし、寂しいって思ったことない」

「……」


 クアロは、もうなにも言わなかった。


 ――母親に失望するなんて、もう慣れている。


 深く息をついて、ルアンは眠った。


 寝苦しさに目を開くと、朝。喉が渇き、ルアンは咳をした。

 それで目を覚ましたのか、するっとクアロの手が滑り込んで首に当てられる。温かい、掌だ。


「……熱っぽいわね。昨日のあれで風邪引いた?」

「大したことない」


 その手を退かして、ルアンは背伸びをしながらバスルームに入った。

 ゲホ、とまた咳をする。熱っぽい咳だ。両手で頬や首に触れて熱を確認する。確かに風邪を引いたようだと自覚する。

 朝支度をして、バスルームを出ると、目の前にクアロが立っていて背伸びをした。


「おはよう、ルアン。バスルーム借りるわね」


 ルアンの頭を撫でて、クアロはバスルームに入る。


「おはよう、クアロ」


 いつもと違う朝に、ルアンはクスリと笑った。


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