第7話 マジカルテント



「ねえコウ、ポケットさんの中にテントはある ? 」。


「ありますよ。アイテムナンバー004『近くて遠い二人マジカルテント』です。空間魔法によってテント内の広さは様々に変化します。中にいる人間の心の距離に反比例して」。


 コウではなく、ポケットが答える。


「つまり、憎みあってる人間同士が入れば肩を寄せ合い、そうでなければ広々と使えるってわけか」。


「このテントで夜を過ごす間に、人間関係も改善して欲しいという偉大なる製作者様のご厚意です」。


「余計にこじれると思うよ。きっと。嫌いな相手がすぐ横にいたら疲れもとれないと思うし。そもそも入った時点で、『こいつ俺のことそんなに好きじゃなかったんだな』とかわかるし、気まずいにも程があるだろ」。


 呆れながら、コウはそのテントを取り出す。


 高さ2メートル、底面の一辺の長さが1メートルほどの、全面を布で覆われた四角錘がにゅるりと出てくる。


「入口は ? 」。


「そのまま進んでみてください」。


 言われた通り、二人は布に向かって進むと抵抗なく通り抜ける。


 次の瞬間、二人は廊下に立っていた。


 木製の廊下で、天井までしっかりと作ってある。


 廊下の先には扉が一つ。


 両脇の壁にも扉が一つずつ、ある。


「二部屋ですか。今日初めて出会ったにしては中々ですね」。


「何が中々、なんだよ。でもこれはすごいな。本当にすごい ! 」。


 コウは内部を見て回る。


「廊下の先はシャワーとトイレと洗面台か、電灯みたいのもついてるし、どういう仕組みだ !? 」。


 はしゃぐコウを見つめながら、チェリーはホッとしたような残念なような複雑な心境だった。


(ポケットさんの説明だと、室内が広いってことは逆に心の距離は近いってことだよね。それは嬉しいけど、どうせなら一部屋でも良かったのに……)。


 自分で考えたことなのに、なんだかそれが無性に恥ずかしくなって、ごまかすように廊下の左手の扉を開けて、ぶつからないように頭を低くして入ってみる。


「すごい…… ! こんな大きなベッドなんて……。それに鏡台まで」。


 そこは荷物持ちポーターのチェリーが泊まれる宿屋をはるかに超えたレベルの部屋だった。


 思わずベッドに寝転がると、ギシリという音がしたが、問題なく彼女の巨体を支えてくれる。


「そっちの部屋を使うか ? じゃあ俺は反対の部屋を使うから」。


 開けっ放しのドアからコウの笑顔が出てきて、すぐに引っ込んだ。


 ベッドの柔らかさに、意識までも沈み込みそうになるのを堪えて、彼女は起き上がる。

 そしてシンプルだが、質の良さそうな白い鏡台の前に座り、その引き出しを開けると、何種類かの化粧道具とヘアブラシが入っていた。


 使い方もわからないものはとりあえず置いておいて、ヘアブラシを手に取り、髪をいてみる。


 ロクな手入れもしておらず、固い髪の抵抗はすさまじいが、何度かくり返すうちに少しずつブラシの動きはスムーズなものとなっていった。


 育ての親である魔法使いの老人は、チェリーに女の子らしいことを何もさせてはくれなかった。


 だから、鏡の前で髪をかすなんて女性なら誰でも経験済みのことが、彼女には、初めてのことだった。


 何か妙な背徳感のようなものが、ゾクゾクと背筋をのぼってくる。



彼女の反対側の部屋。


 コウは腕立て伏せをしていた。


「転移して初日なんですから休んだらいいのに」。


 ベッドに放り出されたポケットが無機質に言った。


「……少しでも鍛えなきゃならん。いくら防具の上からとは言え、拳銃で撃っても死なない人間がうろついてる世界だからな。地球に帰る方法を見つけるまでは生き抜いてやる ! 」。


「その点に関しては私にも責任がありますから、できる限り協力はしますよ。どんな手を使っても生き延びるなら、まずは廊下へ出てください」。


「廊下に何かあるのか ? 」。


 コウは立ち上がり、扉を開ける。


 そこにはうろうろと歩くチェリーの姿。


「どうした ? 眠れないのか ? 」。


「そ、そういうわけじゃないんだけど……」。


 大きな手がワザとらしく髪を触る。


 ブラウンのショートカットが綺麗に整えられていた。


 姉がいるコウは、そこらへんは少しだけ敏感だ。


「髪を整えたんだな。いい感じになってる」。


「そ、そうかな。じゃあ私は歯磨きして寝るから ! 」。


「ああ。おやすみ」。


 顔を真っ赤にして洗面所へ向かうチェリーを見送って、コウは扉を閉じた。


「さっきからずっと廊下を行ったり来たりしていたものですから、あなたに話でもあるのかと思ったのですが……。ともかく彼女との適度に良好な関係は今のあなたの生命線です」。


「チェリーの協力はありがたいけど、それに頼り過ぎたらきっと行き詰まる。なんとか自力でまかわななきゃ……」。


 コウはスクワットを始める。


「……あなたが鍛えなければならないのは筋力よりも魔力です。アイテムを動かすのに必要なのは魔力なのですから」。


「魔力 ? そんなのどうやって鍛えるんだ ? 」。


 スクワットで上下しながら、コウはベッドの上のポケットに問う。


「魔力とは『奇跡の粒子』である魔素を扱う力です。あなたは何か普段からトレーニングをしているはずです。普通の地球人では私の中に収められているアイテムを起動させることすらできないはずですから」。


「魔力のトレーニングだと ? そんなものは……瞑想くらいしか……」。


 あれはコウがまだ高校生だった頃、姉と、姉の親友で夏でも長袖しか着ないチーちゃんと隣の市で行われた怪しい宗教団体のセミナーに行ったことがあった。


 コウの目的は二人が騙されて入信しないように監視することであったが。


 雑居ビルの四階、柑橘系のお香の匂いが立ち込める広い部屋に集まったのは年齢のバラバラな十人ほど。


 やがて数人の女性を引き連れて、教祖が登場する。


 小太りのオッサンだ。


 しかし周りの女性達は陶酔したように、教祖を見つめている。


 洗脳でもされているのだろう、とコウは警戒を強めた。


 そしてセミナーは始まった。


 簡単に教義が説明された後、教祖の「奇跡」の実演。


 これが凄まじかった。


 何もない空中から物質が生まれるのだ。


 しかも教祖から数メートル離れた場所で。


 トリックだとしても、まるでタネがわからなかった。


 一つの真なるものが全てを生むのだ、としたり顔で言う教祖。


 そして彼のように「神人」の位に至れば、今のようなことができるという。


 コウも含めて驚嘆したセミナー参加者は教祖にそのための「回路」を開いてもらい、瞑想の方法を授けられた。


 会費は五千円と高校生でも出せる金額。


 その上一回のセミナーで全ての修行は終わりで、後は参加してもしなくても良いとのことだった。


 なんでも近い未来に異世界から侵略者がくるので、そのための戦士を育てるためにやっているのだという。


 姉とチーちゃんは他の参加者と一緒にこぶしを掲げて「教祖様と共に地球を守ろう ! 」とシュプレヒコールをあげていたが、コウはその隙に教祖に「やっぱり教祖になるとモテるんですか ? 」と聞いてみた。


 すると彼はニヤリと笑って「実は女性にモテまくるフェロモンを能力で創り出して身体から放出してるんだ。そうでもないとこんなさえないオッサンに女がよってくるわけないだろ ? 」と言った。


 なんとなく憎めない人物だった。


 一ヶ月後、取り巻きの一人に痴情のもつれで刺され、そのゴタゴタで教団は解散したが。


 コウは自分の身を守れないものがどうして地球を守れるのかと呆れ、姉とチーちゃんは「侵略者の陰謀だ ! 」としばらく盛り上がっていたが、やがてブームが去ったらしく、何も言わなくなった。


 ただその時教えてもらった瞑想だけは続けていた。


 なんとなく集中力が上がる気がして。



「ふう…… ! 」。


 スクワットを終えたコウは、床に胡坐あぐらで座り込み、瞑想を始める。


 教えてもらったように、静かな海に波が起こるように一つの真なるものがそのまま全ての個へとなっていくイメージを深めていく。



 その時のチェリーは念入りに歯を磨いていた。


(何も無いと思うけど……念のため、念のためよ……。夜は長いんだし……)。


 シャカシャカと小気味の良い歯ブラシの音が洗面所に響いていた。



 夜中、部屋の扉が少しだけ開かれた。


 その隙間から声が漏れてくる。


 女の声だ。


「なーにが『アイテムボックスの製作者は、ライオンさんとウサギさんは一緒に仲良くマシュマロを食べてるんだょお、と夢想するような頭のイタイ女だ』よ。……そんなことを思ってたのは本当に小さい時なんだから……」。


 ベッドに眠るコウの手を握る女の背中が見えて、チェリーは思わず勢いよくドアを開けた。


「……どうしました ? ひょっとして夜這いですか ? 」。


「そ、そんなわけないじゃない !! 」。


 チェリーは室内を見渡すが、どこにも女の姿はない。


 ただアイテムボックスのベルトが眠るコウの片手に絡まっているだけだ。


「……ポケットさんにお願いがあって……。さっきのドラゴンの干し肉、出してもらえない ? お腹がすいて眠れないの……」。


 恥ずかしそうにチェリーは言った。


「わかりました」。


 にゅるり、と大きな籠にいっぱいの干し肉が出てくる。


「それから……」。


「コウには内緒にしておきますよ」。


「あ、ありがとう。おやすみなさい」。


 チェリーは籠を抱えてそそくさと部屋を出て行った。


「……ふう」。


 溜息が出るはずもないのに、溜息のような音声を出してから、アイテムボックスは意識を内部に戻して、作業を開始した。


 コウの異世界転移、一日目終了。


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