第28話 もう一つの失踪4



 走って橋を渡りきり、そのまま走って山への登り口に着くと、足元に注意しながら速足で登りはじめた。幾度となく登っているので、注意していれば躓いたり転ぶことなく進めた。


 陸上を始めたことがよかったのか、走ったり急ぎ足で山を登っているのに、そんなに足に疲れを感じない。ただ、その間中、ハルのことで頭がいっぱいだった。疲れを感じなかったのはそのせいかもしれないけれど。


 清龍寺神社の正門前の階段のところまで来て、その階段も一段飛ばしでと行きたいところだったが、一段に高さがあるので、さすがにそれは無理だったが、一気に速足で上った。階段を速足で上ったので、さすがに脹脛が張ってきた。


 門をくぐる前にいったん止まると、息を整え勢いよくお辞儀しながら「ハルが見つかりますように」と呟いた。


 門をくぐり、短い階段を上ったところにある手水舎で、龍の口から流れる聖水で手口を清め、その向こうにある小さな池と、その池に面する小さな山の壁面から覗く龍に目をやり、「ハルが中にいますように」と呟き、拝殿前で頭を下げるときにも「ハルが見つかりますように」と、またそう願い、急いで裏に回って、小さな赤い鳥居をくぐって階段を一気に登り、祠を開けようとして、それに気付いた。


「やっぱりそうだ……ハルがいる。ここにいる。絶対いる」


 以前、ハルにここのことを話した時、祠が開くことと、それを開けるためにどう操作したらいいのか、ハルにはそこは詳しく教えていないが、見ていたことで開けることができたのだろう。祠は開いていたのだ。


 僕はその祠の蝶番のところに、持ってきたビニールテープを解けないようにしっかり引っ掛けて結ぶと、そのテープの反対側を手に持ち、歩きながらテープが出るようにした。


 祠から身体をうしろ向きにして這い下りるようにして階段を3~4段下り祠を閉めると、階段を下りきったところで一度、大きな声で、「ハルーーー」と呼んだ。自分の声が遠くから返ってくるように響いたあと、その音が闇に消え、シーンと静まり返って、静寂という音が聴こえてくるかと思うくらい、静かだった。


 ハル……聞こえないのか?これだけ静かなんだから、いたら聞こえるはずだよな……そう思ったら、また一人で中に入って戻れなくなったあの日の恐怖が襲って、ブルッと背中が震えた。


「あっ、そうだ、懐中電灯懐中電灯」そう言って背負ったままのリュックサックを下ろして、中を探って懐中電灯を取り出した。ついでに替えの電池もズボンのポケットに入れ、「よしっ」と自分を奮い立たせ、右手に懐中電灯、左手で丸いビニールテープのテープの出口の反対側を持ち、歩き出した。


「ハルーー、ハルーー、ハルーー」と、間隔を開けて呼びながら進んだ。

 もし、この声がハルに聞こえたら、きっとハルは返事をするはずだ。その返事を聞き逃さないように、時折足を止め耳を澄ましながら、気持ちは急ぎ歩はゆっくり進み、しばらく行くと、右側に窪みがあった。


 そうだ、確かに前回入ったときも、この窪みには気が付いた。確か、ここからしばらくして二手に分かれていたような気がする。そこで振り返って、僕はその暗さにパニクってしまったんだった。


 今日は大丈夫だ。ちゃんとテープを持って歩いている。ちゃんと戻れるはずだ。

そう思うと、気が大きくなって、ハルの名前を呼びながら、奥へ奥へと進んだ。


 しばらくして、やはり道が分かれている。その右側に向かって「ハルーー」と声をかけてみて、何の応答もないことを確認すると、次は左側に向かって、「ハルーー」と声をかけてみた。こちらからも何の応答もない。


 どちらに進もうか悩んだが、だいぶ冷静になれている僕は、左の方向だと池の壁面の龍の方向だなと思ったので、とりあえず右側へ行くことにした。右側が、あの2本の木のほうに道が繋がっているはずだ。


 「ハルーー」と声をかけながらしばらく進むと、また左側に道が分かれていた。

ここは前回気づかなかったところだ。またそちらに向かって、大きな声でハルを呼んだが、静まり返っているだけだった。


「ハル、ここにいるのかな……」


いや、間違いなくいるはずだと思いながらも、これだけ呼んでもなんの応答もないことが不安だった。


 今度は悩んだ末、左側に進んでみることにした。前回、僕が真っすぐだと思っている方に進んだのか左側に進んだのか、自分でもはっきりしない。でも、今回はちゃんとテープを持っているから、しばらく進んで何もなければ、また戻ってくればいいだけのことだと思ったのだ。


 左に折れしばらく行くと、また二手に分かれていた。これは思っていたより、中はいくつもの道に分かれているのかもしれないなと、ふと本当に戻れるのか心配になり、持っているテープを軽く引いてみた。テープは少し引くとピンと張る手ごたえがあり、「大丈夫だな」と呟くと、さっきと同じように、片方ずつ大きな声でハルを呼んだ。


 また何の反応もない。

 僕は右側へと進んだ。特に理由はない。ただ、左に進むと洞窟から伸びている道からだいぶ離れてしまうような気がして、不安な気持ちがあったんじゃないかと思う。


 少し進むと、洞があった。

 そしてその洞には、人がいた。

 それを見つけて、僕はつい「わぁぁぁぁぁーーー」と、叫んでしまった。


 そうだ、前回入ったときも洞に人がいた。


 懐中電灯に照らされたその人は、真っ暗だった前回とは違って、ハッキリと人だとわかる明るさの中にあって、ハッキリと命が消えしばらく時間が経つ現実を突きつけられた。そしてそれが前回見つけたこの人なのか、また別の人なのか、僕にはわからない。前回見つけた人ならば、この先に2本の木の出口があるはずだけれど、さっき左側に曲がったとき、前回とは違う方向に進んだつもりだったはずなので、これはまた別の人かもしれない。


 僕は混乱していた。


 「落ち着け、落ち着け、落ち着け……」そう自分に言い聞かせ、また先に進もうとしたそのとき、遠くの方から声が聞こえたような気がした。


「えっ?」ハッとなって、身体が硬直した。


 その硬直した姿勢のまま、その声がどこからしたのか、なんとか聞き取ろうと耳を澄ましたけれど、その微かな声がどこからするのか、よくわからない。


「ハーールーーーーー」


大きな声で呼んでみた。


……聞こえる、確かに微かに声が聞こえる。


 僕はそのまま進んだ。こっちに来て声が聞こえたんだから、こっちに違いないと思い、急いで進んで行った。


 ハルハルハル……どこだ、ハル……

「ハル――ハル―ハル―」呼びながら急ぎ足になっていた。

 懐中電灯が照らしている明かりは、先にある闇を照らし吸い込まれていた。足元をきちんと見ていなかった僕は、何かに躓いて転んでしまった。


 その姿勢のまま、躓いた柔らかいそれを照らして見た。


「わぁぁぁぁぁぁーーーーーっ」


女の子だった。


「ハ、ハル……」


 震えた。本当の恐怖とは、こんなにも身体が震えるものなんだと思った。

 僕は急いでその動かない身体をそっと抱き上げるようにして起こした。


「違う……違う、ハルじゃない……」


ホッとしたのもっ束の間、


「あっ、あっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…… ……っ」気づいたらいつの間にか涙で顔がぐしゃぐしゃだった。


 頭の中がぐるんぐるんした。

 これって、これはもしかしたら失踪したっていう、泉ちゃんか?懐中電灯で照らされたまだ柔らかいその身体は、腕や脚にたくさんの擦り傷を作り、顔は涙で濡れたようで、たくさんの細かな砂利がくっついていた。


「おい!おい!おい!しっりしろ!おい!」


僕は泣きながら、声を上げながらその子を揺すってみた。けれど、いくら揺すっても頬を軽く叩いても、その子は目覚めなかった。そしてそっと胸に耳を当ててみたけれど、そこは先に続く洞窟の闇と同じで、とても静かだった。

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