第26話 もう一つの失踪2



 ラッキーを連れて家を飛び出すと、まず千絵のところに行ってみようと思い、確か千絵の登校班は、家の前の道路を挟んで向こう側に田畑が広がる、そのさらに向こう側の通りの班だったなと思い、もう暗くなり始めて、普段は人通りもなくなる時間に田畑の間を歩いて行くなんてしないけれど、そんなことも全く気にならなくそちらのほうに向かって歩き出し、ちょうど畑の真ん中辺りまで行った時、向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。ハルのお母さんだった。


「こんばんは」


僕は自分から先に声をかけた。


「ああ、真生君、こんばんは……えっ、またラッキーの……」


「おばさん、ハルちゃんは帰ってきましたか?」


「真生君、心配して探しに来てくれたんだね、ありがとう。まだ帰ってないんだよ。どこ行っちゃったんだか……」


「千絵って子と仲が良かったと思うんだけど、千絵のところには?」


「千絵ちゃんのところにはさっき行ってみたんだけど、今日は遊んでないって。由美ちゃんのところにもいなくて……川にも行ってみたんだけど、見当たらないし……」


「どこに行くって言って出かけたんですか?」


「それがね、今日は学校から帰ってきたときに聞いたんだけど、どこかに出かけるとは言ってなかったのよ。家にいるとばかり思っていたの」


「僕、これから宮小の方に向かってみます」


「ありがとね。でももう暗くなるから、真生君は家に帰ってね。お母さん心配させたらいけないから」


「母さんには言ってきました。とりあえず学校まで通りを歩いてみます。それから堤防を歩いて戻ります」


「真生君、ありがとね」


「ううん、僕が迷子になったとき、おじさん探してくれたし」


 そう言うと、僕は千絵の家がどこなのかおばさんに聞き、その通りに向かって歩き出した。


 歩き始めてすぐに、「ラッキー」と声をかけ、小走りで千絵の家の近くまで行くと、家の前に千絵がいた。


「千絵ちゃん、ハルが今日どこに行ったか知らない?」


小走りできた割には、息切れをほとんどしておらず、毎日走っているとこうも身体が違うんだなということにもその時の僕は全く気付いていなかった。


「ハルちゃん、まだ見つからないの?」


「ねえ、ハルが今日どこかに行くとか言ってなかった?」


「聞いてない。今日も一緒に帰ってきたけど……帰り、門のところで泉ちゃんのお母さんに声をかけられて、泉ちゃん、どこに行ったのかなとか、おばさんは泉ちゃんがメロディーに行くって言ってたって話をして、それからメロディーで今度調理実習で使う布巾をお揃いで買おうとか、そういう話をしたけど……」


「その泉ちゃんって、いなくなった佐々木さんって子?」


「そう」


「その子もまだどこにいるのかわからないんだね?」


「知らない。泉ちゃんはどうでもいいよ。すっごく意地悪なんだもん。大っ嫌い」


「どうでもいいって……」


「だって、本当に意地悪だし、私たちいつもいじめられてたし、去年なんか私もハルちゃんもビンタとかされたし。なのに最近、またハルちゃんと仲良くしたそうで、また私を孤立させようとしてたし、すっごい嫌な子なんだよ」


 ビンタされた?そんな話は全く知らなかった。そりゃそうか、学年が違うと、他の学年のことなんて、ほとんど耳に入ってこないもんな。


「そんなことがあったのか。とりあえずじゃあ、僕は行くね」


「どこに?」


「ああ、宮小に向かって歩いてみるよ」


「山にも行く?」


「えっ?山?……なんで?ハル、山に行くとか言ってたの?」


「ううん、真生君が山で迷子になったから、山にも探しに行くのかなって」


「山には行ってないだろ?学校がある日に帰ってきてから山に行ったら帰ってこられなく…なる……」


 ハルはまだ帰ってこない。まさかな。こんな時間になるのがわかりきってるんだから、行くわけがない。そもそも、なんで山になんか行くんだよ。真っ暗になっちゃうだろうに、わざわざ今日行く意味がわからない。


 そんなこと考えながら、僕は小学校に向かって歩き出した。山のことを考えていると何か見落とすといけないと思い、それを振り切って、「ラッキー、ハルを探すぞ。ちゃんと探せよ」と、自分を鼓舞するようにラッキーに声をかけると、わかった!とでも言うように、「ワン」と啼いた。


 ハルの姿を探しながら、脇道に目をやったり、どぶ川の周辺に目をやったり、橋まで来ると橋の下を覗いてみたり、習字教室も窓から覗いてみたりしながら、小学校まで来てみた。


 校門に着く頃にはもう暗くなっていて、間隔の離れた街灯と、家の明かりを頼りに歩いてきたけれど、ハルの姿はどこにも見えず、グラウンドまで見てみようかなと、まだ開いていた門をくぐると一台の車が門に向かってくるところだった。


 僕は何か聞かれるかもと思い身構えたけれど、僕の姿にまるで気付かなかったかのように走り去ってしまった。


 見たことのない先生だった。


 今年新しくきた先生なのかなと思ったけれど、だったらなおのこと見たことない子が学校に入って行くのに知らん顔するとは、ずいぶんと不用心だなと思いながらグラウンドに行ってみたけど、誰もいる様子はない。


 それでもと思い、グラウンドの山側にあるトイレまで行き、「ハルー、いるかー?」と女子トイレに向かって声をかけてみたけれど、返事はなく、シーンと静まり返っているだけだった。


 人の姿のないグラウンドに向かって、「ハ-ルーー」と声をかけてみたけれど、汗ばんできた肌に湿った風が吹き通るだけだった。


 なんだかものすごい不安に襲われた。


「ハル、どこに行ったんだろう……もう帰ってるかな……」


 僕は「ラッキー、行くぞ」と声をかけると、小走りで学校を出て橋のところまで戻ると、今度は橋を渡り切ったところで堤防に入り、小走りを止め歩を緩めた。


「真っ暗だな……」


 人が2人並ぶと幅いっぱいになる狭い堤防には街灯もなく、並ぶ家の裏口から漏れる少しの明かりだけを頼りに、小声で「ハルー、ハル―」と、呼びながらハルの家があるところまで歩いてみたけれど、ハルがその姿を見せることはなかった。


 ハルの家の裏口に着くと、おばさんがそこにいた。


「真生君、ハルは?」


その問いに、僕は首を振って答えた。そしてそんなおばさんの姿で、ハルがまだ帰ってないことが聞かなくてもわかった。


「おばさん、警察には言った?警察に探してもらった方がいいかも」


「そうね、さっきお父さんが町会長さんのところに行ったから、近所のみなさんが少しずつ探しに出てきてくれてるのよ。だから真生君はもう家に帰って。こんな時間だし、お母さんが心配するからね。探してくれて、本当にありがとう」


おばさんはそう言うと、いそいそと裏口から入って行った。


 きっと僕が戻ってくるのを待っててくれたんだな、ハルが一緒かもという期待と、僕がなかなか帰ってこないことで心配する気持ちとで待っててくれたんだなと思うと、なんだかものすごく申し訳ない気持ちになった。


 僕はおばさんの言う通り、家に戻った。


 すぐ戻ると言って出てきたので、母さんが心配すると思ったからだ。


「ただいま」


「真生……ハルちゃん、学校にいた?」


「えっ?なんで?学校に行くって言ったっけ?……」


「さっきおばさんが来て、真生が学校に向かったって教えてくれたのよ。あんたが遅くなると私が心配すると思ったんじゃない?こんなときにあんたの心配までさせて、悪かったなって……」


 母さんの言うとおりだ。

 おばさん、ハルが帰ってこないことでいっぱいのはずなのに、僕のことまで気にかけさせてしまって、申し訳なかったな……


「さあ、ご飯にしましょう。手洗ってうがいしてきなさい」


「うん」


 今日は手抜きと言っていた母さんのオムライスを食べながら、ハル、お腹空いてるだろうな、どこにいるんだろう、早く帰ってこいよ……と、ぼんやりと黙々とただ口にそれを運んでいる僕をジッと見ていたらしく、


「きっと大丈夫よ。あんただって、迷子になったとき、ちゃんと帰ってきたしね」


「うん」


 そう返事をしてみたけれど、こんなに暗くなってしまって、ハル、どこにいるんだろう?と、心配で心配でたまらなかった。

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