第8話 欺瞞 ※グロ注意




 やつらの巣穴は、ご丁寧に鉄格子が閉められていた。いやそれは、鉄格子というよりは鉄骨で形作られた、傍目にも頑丈さが伺える門であった。高さは優に1メートルを超え、その奥には大勢の人間が待ち構えていた。



 誰もが、武器を所持している。銃器や刃物を門の隙間越しに私に向けている。しかし、不思議と彼らの顔色は優れていなかった。それが、鬼である私の目にははっきりと映っていた。


 誰もが、強張った顔をしている。武器を所持し、人数を揃え、地の利すら彼らにある。なのに、誰もが僅かに肩を震わせている。誰もが、私を見て……怖気づいていた。


 けれども、私はもう止まらない、止められない。


 無言のままに、門の柵を掴む。途端、彼らはびくりと肩を震わせる。それを見て、私は笑みを浮かべる。掴んだ指先に力を入れれば……分厚い鉄棒は、めきりと指の形に凹んだ。


 そのまま、両腕を開く。めりめり、と柵が歪む。子供が紙を折り曲げるかのように、無造作に折れ曲がる。ざわ、と彼らは一斉に唇を震わせ……さらに、私から一歩距離を取った。


 一拍遅れて、がちん、と。何かが引っ掛かって、動きかけた門が止まった。視線を下ろせば、門の下側……に、何やら地面に突き刺すように伸びている鉄棒が有った。



 ……なるほど、門そのものを固定するときは、これを使うのか。



 納得した私は、素足でその鉄棒を蹴る。べきん、と折れ曲がったそれは一度では外れなかったが、何度か蹴り続ければ……ばきん、と真中辺りでぼっきりと折れた。


 よし、と、思いっきり両腕を開けば、それに合わせて門は開かれた。勢い余って、がしゃん、と敷地を囲う外壁へとぶち当たって壁にひびが入ったが……まあ、いい――ん?



 ――ぱん、と。



 銃声が、一つ。同時に、こん、と。額に衝撃が走って僅かばかり顎を浮かせた私の視線が、一人の男を捉える。その男は私よりも40cm以上は背の高い男であり、銃口を私に向けていた。


 その銃口は、目に見えて震えていた。いや、銃口だけではない。その銃を構える男の肩も、足も、何もかもが震えていた。震える唇を噛み締めて何かを堪えているように見えるその男は、震え続ける銃口で私を定め……発砲した。



 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。



 二発目は、門に当たって火花が散った。三発目は、私の顎に当たって傍を転がった。四発目は私の右上を通って民家の壁に当たり、五発目は私の胸元に当たって……足元に落ちた。


 そして、六発目が私の額に当たって……空回りした。それは、撃鉄が空撃ちした音であった。けれども、男はそのまま何度も引き金を引いていた。かちんかちんかちん、空しくリボルバーが空回りし続けていた。



 ……無言のままに、私は足元に落ちた銃弾を拾う。それは歪に曲がり、封蝋印のようにぐにゃりと根元まで変形していた。



 全員の視線が、私の手もとへと向けられる。誰もが銃器を構え、誰もが私の動きを見ている。故に、私は彼らに理解させる為に、これ見よがしに拾った銃弾を何度か掌の中で遊んだ後……それを、指で弾いた。



 ――瞬間、私から見て一番近い場所にいた男の頭ががくんと揺れた。「ぶっ」と息を詰まらせたかのような溜息と共に、その男は……ゆっくりと、仰向けに倒れた。



 男は、ぴくぴくと四肢を痙攣させていた。額に開いた小さい穴からは、こぽりと鮮血が噴き出している。もわっと、男のズボンが濡れて悪臭を放ち……一目で、絶命したのが分かる有様となった。



 ……。


 ……。


 …………私にとってそれは、攻撃にもならないお返しでしかなかった。だが、彼らは……そう捉えなかったようだ。



「――っ、うわ、わああああああ!!!???」

「撃て、撃て、撃てぇぇえええええ!!!!」

「うあああああああ――っ!!!!」



 現実を認識して理解した彼らが次に取った行動は、私への反撃であった。



 誰も彼もが、一斉であった。ある者は唾を飛ばして、ある者は怒声を飛ばして、ある者は失禁して……私へと向けた銃口から、弾丸を放った。引き金を、幾度となく引き続けた。


 中には、マシンガンというやつだろうか。連発出来る銃を所持していた者もいたらしく、正しく雨あられが如き勢いで銃弾が私へと注がれる。その勢いは凄まじく、思わずたじろいでしまうぐらいであった。



 だが……結局は、そこまでであった。



 少しばかりたじろいだ所で、意味はない。どれだけ銃弾を浴びせた所で私に負傷を残すことはなく、私の注意を引き付けることすら出来ない。それに、夢中になっている彼らは……失念していた。


 時間にして、十数秒後。たったそれだけの後、場には静寂が訪れた。ギョッと目を見開く彼らは、互いを見合わせた……直後、ようやく気付いたようであった。



 ――そう、弾は無限ではないのだ。



 どれだけ弾が入っていても、限りはある。それはハンドガンだろうがマシンガンだろうが同じであり、撃ち続ければいずれは弾が切れる。そうして訪れるのは……空白の時間である。


 私を恐れて夢中になるがあまり、彼らは失敗してしまった。一斉に鳴り続ける銃声音に紛れてしまい、自らの銃器が弾切れを起こしていることに気付かなかった。


 結果は、ご覧のとおり。全員がようやく事態を認識出来た時、それは全員が弾切れを起こした時。それはつまり、一瞬とはいえ止めていた私を開放してしまうも同じであり。



「まずは、お前だ」



 同時に、彼らの死が確定する瞬間でもあった。


 位置的に、私の右前辺り。そいつよりも私に近しい者はいたが、私はそいつを選んだ。別に、他意はない。ただ、たまたま怯えるそいつの視線と、私の視線とが交差しただけであった。


 地を蹴って、そいつへと飛び掛かる。30cm以上の体格差と体重差があるとはいえ、鬼の脚力で飛び掛かってきた身体を押し留めるのは、至難の一言。


 そいつは、私に押し倒されるがまま仰向けに倒れた。ぶつかった瞬間、そいつの肋骨が3本ほど折れた感触がしたけど、私は構わずそいつの頭へと進み……股で、頭を挟み込んだ。



「さんざん、好き勝手にやったんだ。その女の股に挟まれて死ぬのなら、本望だろう?」



 返事は、言わせなかった。というか、どうせ言えないだろう。折れた肋骨が内蔵に突き刺さったらしく、呼吸すら難しいようだ。股奥の粘膜がそいつの唇に触れたのを感じ取った私は……ゆっくりと、股を締め始める。


 直後、気付いたそいつは目を見開いた。辛うじて表に出ている両目が、忙しなく上下左右に蠢く。振り払おうとして伸ばされた両手を掴み、捻じって両腕を脱臼させれば……ああ、もうこいつは動けない。


 死を認識して一気に脳内麻薬を分泌させたところで、限度はある。肋骨だけでなく深刻なレベルでの脱臼まで起きれば、気絶しないだけマシ……いや、この場合は逆なのかもしれない。



 その証拠に、私を見つめるそいつの目には、ただただ絶望が満ちていた。



 目からは滝のように涙が零れ、顔中には脂汗が滲んでいる。徐々に増してゆく圧力によって軋み始めた頭蓋骨の音を耳にしているようで、焦りの色がどんどん強くなっている。


 ばたばた、と。私の位置からは見えないが、両足を振って抵抗はしているようだ。だが、不利な姿勢なうえに致命傷一歩手前の負傷だ。まともに私の背中を蹴ることすら出来ないようで、その抵抗すらもすぐに弱くなった。



「……ほら、どうした?」



 だから、私は顔を上げて周りの奴らを見やった。途端、目に見えて肩を震わせる彼らに、「このままだと死ぬぞ、助けないのか?」私はあえて両腕を広げ……無防備であることを示してやる。



「ほら、私はここだ。撃てよ、早くしないとこいつの頭が潰れるぞ」



 そう、発破まで掛けてやる。でも、誰も撃たない。追加の弾を持っていないのか、それとも流れ弾を恐れているのかは定かではないが、誰も撃っては来ない。銃口こそ向いてはいるが、それだけだ。


 刃を持っているやつも、何もしてこない。手招きしてやっても、足を地面に縫い付けられているかのように、その場から動かない。いや、動けないばかりか、中には持っている武器を落としてしまう者すらいた。



 ……まあ、それならそれでいいさ。



 彼らから視線を戻した私は、圧力によって噴き出した鼻血で真っ赤に濡れるそいつの額に手を置く。「それじゃあ、お前が助けを呼べばいい」今にも目玉が飛び出しそうになっているそいつが話せるように、少しばかりだけ腰を上げる。



 ――途端、そいつは叫んだ。



 だが、それは言葉には成っていなかった。ただ、うおおおお、と野太い悲鳴を上げるだけで、助けてとも言わず、命乞いもせず、恨み言も何も、そいつは口にしなかった。



 でも、この場にいる誰もが、そうだと思った。私も、そうだと思った。



 股から伝わる感触から、そいつの頭蓋骨にヒビが入って割れ始めたのが分かる。悲鳴はもはや悲鳴にすら成らず、ぶりゅんと飛び出した眼球が、ぬるりと太ももを舐めて……それが、最後であった。



 ――ぺきり、ぷしゅり、と。



 それはまるで、振った炭酸ジュースのブルタブを開けた時のような音であった。男の顔が半分になるまでひしゃげると同時に、しゅるるると噴き出した血飛沫が私の身体にまで降りかかった。



(――は、はあっ……!)



 瞬間、私は……かつてない程の昂ぶりに総身を震わせた。それはオーガズムにも似た爽快感であり、あまりの恍惚感に目の前が眩む。堪らず己が胸を掴めば、固く隆起した二つの粒が両手に触れた。



 ――あ、ああ、あああああああ!!!!!



 誰かが、叫んだ。いや、誰かじゃない、彼らだ。一人か、二人か、全員か。ふわふわとした視界の中にて右往左往する肉共が、武器を落としてゆく。そして、一斉に私に背を向け――ははは、なるほど。



 ――鬼ごっこか、いいだろう。



 潰れた肉から腰を上げた私は、前のめりに屈んで……地を蹴る。ばん、と土砂が飛び散ると同時に、視界が瞬く間に進み――一番離れた場所にいた男の前にて、足を止めた。


 理解が、出来なかったのだろう。青ざめた顔をさらに青ざめ、ギョッと目を見開いたその身体へと……捻るようなラリアット。足腰など欠片も乗せてはいないが、それでも男の身体が直撃に合わせてくの字に曲がり――まっすぐ、空へと飛ぶ。


 野球選手の放った球がキャッチャーミットへ収まるかのように、男の身体は門の柵へとぶち当たる。けれども、隙間の大きさと男の大きさはあまりに違い過ぎた。


 べきべきと、衝撃に押し流された手足が、柵に絡み付く。それはまるで蛸のようであり、鮮血やら体液やらを飛び散らしているその様は、趣味の悪いオブジェが如き有様であった。



 ……その瞬間、その場にいる彼らの誰もが、状況を理解出来なかったのだろう。



 逃げることも忘れ、誰も彼もがぽかんと大口を開けていた。たった今まで生きていたはずのオブジェと、私とを交互に見つめてくる彼らの視線。その視線に、理解の色が徐々に浸透していく……でも、もう遅い。



 次いで、私は呆けている傍の男へと飛んで、殴る。



 たったそれだけで、男の首から上が階段から落とした西瓜のように弾ける。そのまま勢いに合わせてその後ろの男へと、身体ごと回転させた踵落とし。脳天に直撃したその男は、頭をUの字に変形させて絶命した。



 ――悲鳴が、辺りに響いた。



 傍の男の足を蹴れば、そいつは身体を4回転させた後、顔面から地面にぶち当たった。足をもつれさせて転んだ別の男の腕を掴み、固まって逃げようとしていた男たちへと投げ捨てる。


 地面に落ちている銃器を、どんどん投げつける。弾など、関係ない。剛速球という言葉では生温い速度で放たれた鉄の塊は、寸分の狂いもなく男たちに重傷と致命傷を与えてゆく。



 ――誰も彼もに、例外はない。



 ヤケクソと言わんばかりに手に取った刃を構えて迫る男の、その刃を掴み返して胸に押し込んでやる。自らの突進で自殺する形となった彼らを横目に、へたり込んで命乞いを始めるその頭を……踏みつけて、潰す。



 ――誰も彼もに、例外はない。例外など、私が許さない。



 施錠されている建物の扉を蹴破って押し入り、中に入る。途端、狂ったような雄叫びと共に放たれた銃弾と銃声が、私へと注がれる。見やれば、狂人が如き形相を浮かべた男たちが、私へと怒声を浴びせていた。



 ……悲しいけど、このやり方は二度目だ。



 さすがに、同じ手は慣れる。そのうえ、放たれる弾丸の数は一度目と比べると憐れに思ってしまうほどに少ない。なので、きゃんきゃんと喚く男を一人掴んで……振り回した。


 思いっきり、タオルのように。洗濯したタオルの皺を伸ばすかのように、無造作に振り回す。振り回す度に飛び散る鮮血が、瞬く間に他の男たちを、室内を赤く染め上げ……そして、壁に叩きつけた。


 安物件というわけではないが、数十キロの物体を勢いよく叩きつけられて無事な壁なんて、そう多くはない。べこりと穴が開いたそこに頭を突っ込ませたまま動かなくなったそいつから……残りの男たちを見やった。


 途端、男たちはその場にてへたり込んだ。むわっ、と漂ってくる悪臭。見やれば、男たちは一人の例外もなくズボンを濡らしていた。


 顔も、酷い有様だ。涙も、鼻水も、汗も、涎も、垂れ流している。もはや、己がどのような表情を浮かべているかどうかすら、分からないのだろう。引き攣った顔は幾度となく痙攣を繰り返し、今にも失神しそうであった。



 ……でも、ね。



 私は、一歩彼らに近づく。途端、彼らはびくりと全身を震わせ、私から距離を取ろうとした……ああ、ああ、ああ……そうだ、そうだよ。



「もっと、もっとだ……その顔を、俺に見せろ……!」



 ゆっくりと、これ見よがしに手を伸ばしてやる。指先との距離が近づくにつれて、男たちの顔色は青を通り越して、白色へ――ああ、そして、そして……。











 建物の、最上階。つまり、3階の一番奥の部屋へと降り立った私を待ち受けていたのは、これまでとは違う……静まり返った空気であった。




 薄いとはいえカーペットが敷かれた床は、柔らかくほんのりと温かい。壁には誰かの趣味なのか、何枚か絵が飾られている。額縁は安っぽそうだが、大事にしているのだろう。


 その証拠に、この階は下の階とは空調の効きが違う。見れば、この階にだけ花瓶が置かれている。活けられているのは……何だろう、白い花だが、疎い私には分からない。


 造花かと思ったが、生花だ。血で濡れた指先越しにも、生命を感じ取れる。「ごめんね、君の水を入れ替えてくれるやつは、もういないんだ」返事などあるわけがないのに、私はそう謝罪をしてから……通路を進み。


 広いとはいえ、所詮は日本の都心にある建物だ。大した距離のない通路の左右に設置された扉があるだけで、迷うことなど有りえない。しかも、私の耳は常人のソレではなく……鬼のソレだ。



「……みーつけた」



 位置的には、建物の一番奥。他の扉よりも少しばかり豪華……というよりは重厚な扉までノンストップで続いていた私の歩みが、止まった。


 見なくても、分かる。調べなくても、分かる。壁に耳を当てなくても、聞こえてくる。この扉の向こうにて息を潜めている気配。今にも破裂せんばかりに鼓動を繰り返す、命の音。


 無言のままに、扉に手を掛ける。取っ手を下げれば、がちん、と途中で止められた。途端、室内の気配が目に見えて緊張を露わにしたのを感じ取った私は……拳で鍵ごと扉を抉り取った。



「――あ、いたいた」



 こぶし大に開かれた穴から中を除けば、額に脂汗を浮かべているスーツの男と目が合った。そいつは、下で相手をしたやつらよりも幾らか年上なようで……立場的にも幹部かそれに近しい人物であることが伺えた。



「偉い偉い、大人しく待っていたわけだ。上に立つ者としての責任感だけは、しっかりあるようだね」

「…………」

「どうする? 仲間を呼ぶ? 下の奴らは……まあ、ほぼ全員駄目になっているけど、追加する?」

「…………」



 男は、何も言わなかった。銃も、構えていない。怯えてはいるが、命乞いをする様子もない。ただ、視線だけでもと言わんばかり鋭い眼光を私に向けていた……ああ、いいね。



 そういうの、大好きだ。そうだ、そうだよ、そうでないと、つまらない。



 穴に腕を差し込んで、開く。べきりと扉が割れて破片が飛び散るが、構わず中に入る。そうして見回した室内は通路よりもまた一段と金が掛かっており、住居として寝泊まり出来るぐらいであった。


 おそらくは、仕事に使うのだろう。部屋の隅に置かれたクローゼットもそうだが、大きな姿見まで置かれている。なるほど、ヤクザはその恰好を含めてヤクザである。身だしなみに気を付けても、何らおかしくはない。


 他には、小さなワインセラーも置いてある。こちらは、こいつの趣味だろう。中には数本ほどワインが収納されており、ブーン、と稼働を示している音が室内の静寂を和らげていた。



「何が、目的だ?」

「……強いて挙げるとするなら、仕返しかな」



 ぼんやり室内を見回していると、声を掛けられた。声を掛けたのは、この場の持ち主である眼前の男。「なるほど、ありきたりだな」フッと引き攣りながらも笑みを浮かべる男を他所に、私はワインセラーのガラス扉を開けて……一本、手に取った。



「覚悟は、出来ているのか?」

「覚悟って、何の?」

「分かっていると思うが、俺はあくまで幹部の内の一人だ。俺が死んだところで、組は何も変わらん。いや、むしろ面子を傷つけられたと思った組は、お前を殺そうと躍起になるだろう」

「いいね、それは実に嬉しい事だ」



 指で弾いて、瓶の口を切り飛ばす。幾らか残った破片をフッと吹いて飛び散らせてから、口づけて……一気に飲み干してやる。空になった瓶を放り捨て、新たな一本を手に取った。



「……分かっているのか? 俺たちは、サツ(警察)とも繋がっている。文字通り、お前は天下のお尋ね者だ」

「へえ、つまり私は表にも裏にもいられない存在になるわけだ」

「そうだ、お前にはもう、平穏はない。俺たちに捕まって殺されるか、サツに捕まって合法的に自殺したことにされるか……二つに一つだ」

「……なるほど、なるほどね」



 グイッと傾け切った空瓶を放り捨て、三本目を手に取る。向けられる険しい視線を他所に、唇に触れただけで分かってしまう上等なワインに、喉を鳴らす。そうして、半分ほど飲んだ辺りで手を止めた私は……気付けば、笑っていた。


 そう、笑っている。自分のことだが、自分のことではないかのような感覚。笑っているということは分かるのに、私自身、笑みを浮かべているという感覚は薄く……ああ、でも、でも、でも。



「それならそれで……楽しそうだなあ」



 どうしてだろうか……楽しくて、楽しくて。考えるだけで、臓腑が燃え滾るような気がして……堪らなくなりそうであった。



「……っ!」



 そんな私を見て、何を思ったのか。それは、鬼であろうとも心を読めぬ私には分からない。いや、人であったとしても、私には分からない。


 ただ、決死の覚悟を持って私に銃を向けたのは事実で。そして、順次放たれた3発目の弾丸が私に当たるのと、私が投げた酒瓶が男の脛に当たって割れ、その足をぼっきり砕いたのとが、ほぼ同時であった。


 呻き声すら上げられないまま、男はその場に倒れた。「――ぐうう!?」酒瓶とはいえ、まともにぶち当たれば骨だって簡単に砕ける。ヤクザも、結局のところは人でしかないのだから。



「――くっそぉ!」



 それでも、倒れたまま反撃してくるだけ下のやつらとはモノが違う。一発、二発、三発と続けられた発砲音が止む。弾切れに気付いた男は、額に汗を浮かべたままスーツのポケットに――手を伸ばしたのを見て、残った足を踏み砕いた。


 悲鳴が、上がる。足を上げれば、一回り大きくなった足首から先が歪に曲がっている。もはや、治療しても元のようには歩けないだろう。視線を向ければ、マガジン(銃の、弾倉のこと)が男の手から零れ落ちていた。



 ……と、思ったら。



 何処から取り出したのか、男は銃の代わりに刃物を手にしていた。おっ、と目を瞬かせる私を他所に、男は鞘から抜かれて露わになった白刃を……私の足へと突き立てた。



「――っ!?」



 だが、刃は全く私の肌を破りはしなかった。いや、それどころか、突き立てた刃が欠けた。でもそれは、刃がナマクラだったからではない。鬼の身体が頑強過ぎるが故に、人の腕力ではどうにもならないのだ。


 それでも、諦めきれずに男は刃を突き立てるが……無駄だ。屈んで、刃を掴んで止める。目を見開いた男は、そのまま私の指を落とそうとするも……逆に捻ってやれば、男は顔をしかめて手を離した。


 ジッと、見下ろす。すると、気付いた男は私を見上げる。片方は悠々と見降ろし、片方は満身創痍で見上げる。客観的にみれば絶望的としか言いようがないが、男の目には……強い、覚悟があった。



 ……。


 ……。


 ……ふ~ん、そうか。



「あんた、死ぬ覚悟をしているね」

「……っ! はっ、ヤクザやってんだ。死にてえとは思わんが、死ぬ覚悟ぐれえは出来てんだよ!」

「はは、そうか、そうだよね。やることやってんだから、やられることも分かってはいるわけだ」



 でもねえ……私は、男の頭を掴んだ。ぶちぶちと千切れ抜けた髪が、指先に絡み付いた。



「あんたのそれって、自分の為の覚悟じゃないよね」

「――なん、にを」

「例えば……あそこに隠れている、やつの為かな?」



 チラリと、私は男から……部屋の隅に置かれたクローゼットへと視線を向けた。「……なに?」その瞬間、男は表面上では顔色一つ変化をさせなかったが……私は、気付いていた。



「知らないフリをしても、無駄だよ。聞こえるよ、私には……どくん、どくん、どくん……怖がっている鼓動だ。漏れ出る悲鳴を必死になって堪えている、淡い息遣いだ」



 私がクローゼットへと視線を向けた瞬間、両足を砕かれた時以上に激しく男の鼓動が高鳴ったのを。そして、私の視線がはっきりとそこへ向けられた瞬間……クローゼットの中にいる何者かの気配が、私を見て怯えたのを私は感じ取っていた。



 ……いや、この部屋に入る前から、私は気付いていた。



 臭いが、するのだ。人間の、臭いがする。私の身体に纏わりついているこいつらの体液に似た、生き物の臭い。それこそ、私はこの階に足を踏み入れた時から、感じ取っていた。



 ――腕を、振るう。



 私の手から離れた刃が、どすん、と。クローゼットに突き刺さる。けれども、貫通などはしない。元々刃渡りは短いし、せいぜい、数センチほど内部へと刃が飛び出ている程度だろう。



「――てめえ!」



 けれども、男の反応は劇的であった。両足が砕けている激痛も忘れ、私の足を掴む。でも、銃弾ですら無傷であった私をどうにか出来るわけが、なかった。



「ね、狙いは俺だろう! 俺だけを狙えばいいだろう!」



 目に見えて、狼狽を露わにし始める男を横目に、私は大きくため息を吐いた。



「何で、お前の言う事に耳を傾ける必要が?」



 傍を転がっている銃と、弾倉を手に取る。「おい……おい、止めろ、止めろ!」察した男は、声を荒げて私の足を引っ張る。でも、無駄だ。


 漫画の記憶を頼りに、マガジンを装填する。次いで、天井へと引き金を引けば……2回目で、弾丸が天井に穴を開けた。



「止めろ、頼む、止めてくれ! 頼む、止めてくれ! それだけは止めてくれ!」

「お前は、そういって止めてくれといったやつに何をしてきた? 弱みを握って、思い通りにやってきたんだろ? 自分の時は止めてくれだなんて、そんな都合の良い話なんて、あると思うかい?」

「――俺が悪かった! 俺は殺されても仕方ない人間だ! でも、あいつは違うんだ! あいつは、関係ないんだ!」

「それを決めるのは、お前じゃない。仕方ないかどうかを決めるのは、私だ。私が、そうだと決めるんだ」



 銃の扱いなんて素人だが、それでも人よりは有利ではある。鍛えていない少女の腕では構えるだけでも難しいところを、寸分も銃口を震わさずに……狙いたい方向へと向けることが出来るからだ。



「さあ、どうなるかな。弾が何発入っているかは知らないけど、打ち所が良ければ一発で楽になれるぞ」



 そう告げると同時に、私は引き金を引いた。初めて引いた引き金は思いのほか軽く、あっさりとクローゼットに穴を開けた。



 直後、男は悲鳴を上げた。だが、今度の悲鳴は苦痛から来るものではない。涙を零し、鼻水を垂らし……焦りを露わに、何度も何度も床に額を擦り付けた。


 それは、正しく懇願であった。堅気を震え上がらせる無頼漢とは思えない、情けない姿。でも、それを見やった私の心は……冷め切っていた。


 何故なら、これは逆だからだ。


 こいつらが今まで他人にやってきたことが、そのまま自分に返って来ているだけ。因果応報……そう、因果応報だ。全部、こいつらがやってきた報いなんだ。



「――止めろ! お願いだ、止めてくれ……お願いだ、頼む、頼む……お願いだ……!」

「……お願い……お願いだって? お前らが、この俺にお願いだと? お前が、よりにもよってお前らが、この俺に……願うだと?」



 だから――だから、私は許せなかった。男が口にした言葉が、私の脳を沸騰させたかと錯覚してしまうぐらいに、男のその言葉が許せなかった。



「願いなんて、もう遅いんだよ! 私の願いは、もう届かない――届かねえんだよ!!」



 引き金を、弾いた。何度も、弾いた。ぱん、ぱん、ぱん、響く銃声の数に合わせて、クローゼットに穴が開く。「――うわああああ!!!」男は悲鳴を上げて私を止めようとするが、無駄だった。


 そうして、撃ち続けた銃は空振りする。弾倉が空になったのを見て、視線を下ろし……もはや声一つ発せずに呆然と唇を震わせている、男を見やった。


 男の顔は、もはや先ほどまでのソレではなかった。一分にも満たない一瞬の間に、十は年老いていた。軽く足を動かせば、もはや掴む力すらないのか……するりと、指が解けた。



 ……はあ、と。私の唇から零れたのは……達成感にも似た、爽快感であった。



 何が達成したのか、何を終えたのか、それは私自身分からない。ただ、清々しいと思えた。スカッと、胸中に渦巻いていた何かが晴れて、澄み渡った青空が私の中で広がっていた。



(ああ……みんな、やったよ。少しは、無念が晴れたかい?)



 大きく息を吸って、吐く。心地よい気分だ……が、まだだ。まだ、私は止まらない。止まるつもりはない。



 後は、この男を始末すれば終わりだが……いや、もう死んでいるか。



 見やれば、ほとんど呼吸が止まり掛けている。生きることを諦めて、死を選んだようだ……ふむ、そうだな。とりあえず、あの中に隠れているやつの面も見ておこうか。おそらく、隠れているこいつが本命だろう。


 そう判断した私は、さっさとクローゼットに歩み寄る。クローゼットの隙間から滴っている鮮血の香りに目を細めつつ、その取っ手に指を掛け……た瞬間、おや、と私は目を瞬かせた。



(……生きている?)



 聞き間違いかと思ったが、そうじゃない。鬼の聴力をもってしても近くまで寄らないと聞き取れない程度だが、聞こえる。まだ、この中に……生きている者がいる。



 もしや……隠れていたのは、二人だったのだろうか?



 想定外の事態に、私は首を傾げた。先ほど感じ取れた限りでは、一人だった。二人ではなく、一人だ。息を潜めていたとしても、その程度では私の耳から逃れることは出来ないはずだが……まあ、いいか。


 もしかしたら、一人は服か何かを口に当てていたのかもしれない。結局は、その程度の話だ。だから、私は特に気にすることなく、その淡い気配へと……拳を叩き込んだ。


 クローゼットなんて、盾にも鎧にもならない。ばきん、と破片を飛び散らせながら食い込んだ、指先の感触。微かに続いていた命の鼓動が止まったのを感じ取った私は……腕を引いた。


 手首から先は、真っ赤に濡れていた。それでいて、温かかった。まるで、消えようとしている命の一部が腕に宿ったかのようで……堪らず、私は濡れた指先に舌を這わせ……甘さすら覚える味に、ごくりと喉を鳴らした。



「――え?」



 瞬間……その瞬間、脳天を走った事実に、私は総身を止めた。


 それは、鬼としての本能が教えてくれた事実であった。私の頭は、それを拒否した。嘘だと、そんなはずがないと、本能を否定した。


 だが、私の本能は言葉を変えなかった。ただ、そうだと。それが事実であることを伝えてきて……嘘だと私は己に言い聞かせながら、クローゼットを開けた。



「――――っ」



 その時……私は、自分が何を口走ったのか、分からなかった。ただ、目の前の光景を……目の前の事実を恐れた私は……気付けば、尻餅を付いていた。


 中にいたのは……女であった。着物を着たその女は、一目で極道の妻であることが伺えた。だが、私の視線はその女ではなく……その、大きく膨れていた腹に向けられていた。


 腹は、ぽっかりと大穴が開いていた。何故、穴があるのか……決まっている。私が、開けたのだ。私の拳が、そこに穴を開け……そして、その奥の……その奥にいる、小さい命を――をっ!?



「――ぐぷっ、うぉえ、えええ、ええ――っ!!」



 今しがた飲んだ酒が、ごぽりと噴き出した。堪える暇など、ない。あっと認識した時にはもう、私は嘔吐していた。鬼となって初めての嘔吐に、私は堪らず両手で口元を押さえ……目を、見開いた。


 両手が、血で濡れている。当たり前だ、ここに来るまで、どれだけの人間を殺したのか。どれだけの命を奪って、どれだけ暴れ回ったのか……考えるまでもない。


 でも、両手が血で濡れているのだ。いや、両手だけじゃない。顔も、胸も、腹も、股も、足も、全部が濡れている。全部が血に塗れ、鮮血の泉に身を浸したかのように、赤くなっている。


 血が、血がいっぱいだ。誰だ、誰の血だ、やつらの血だ。男の血だ、女の血だ、あいつらの血だ、仇の血だ。むせ返るほどの臭いが、私の中へと染み渡り……堪らず、私は嘔吐する。


 誰の血だ、私の血じゃない、誰の血だ、あいつらの血だ、誰の血だ、私の血じゃない、誰の血だ、こいつらの血だ、誰の血だ、あいつらの血だ、私の血じゃない、私の血じゃない、私の血じゃない……私の――。



“赤子の、無垢な血だ”



 ――ぐぽぉ、と。吐き出しきった液体に、胃液が混じる。酸味が入り混じる悪臭に目を向ける間もなく、私は、私は、私は……私は……ああ、違う、違う、違う、そんなつもりはなかった。



(だって、これは仇討ちで……でも、あの子は仇じゃなくて……ああ、違う、違うんだ)



 ママさん、違うんだ。お姉さん方、違うんだ。私は、ただ仕返しをしたかったんだ。ミキちゃんたちの無念をお返ししてやりたかっただけなんだ。断じて、赤子を殺したかったわけじゃ――わけ、では?



『――本当に?』



 その声が、誰の声なのか。私には、分からなかった。この場には、もう生きているのは私だけ。なのに、声が聞こえる。それがママさんの声だったのか、ミキちゃんの声だったのか、お姉さん方の声だったのか……分からない。



「ちが、違う、違うんだ、ママさん、違うんだ、私は、私はそんなつもり……」

『――本当に?』

「違うんだ! 私はただ、皆の為に、皆の無念を晴らしたくて……」

『――本当に?』

「本当だ、俺は皆の為に、ただ皆の怒りをこいつらに――っ」



 声が、聞こえる。私は、その声に返事する。頭痛がする。鬼になって初めてとなる、日の光以外の痛み。その痛みは心の臓を掻き毟りたくなる酷く、堪らず顔を上げた私は……見てしまった。



『本当に――それは、私たちの為かい?』



 視線の先には、皆がいた。ママさんたちが、私を……血に塗れた私を、見つめていた。



『ただ、お前がそうしたかっただけじゃないのかい?』

「あ……ああ、あああ……」

『私たちを言い訳に使うんじゃないよ……お前は、ただ殺したかったから殺しただけだろう』

「あああ、あああ、ああ……」



 身体が、震える。かちかちと鳴り響く己が口元が、煩い。でも、止められない。少しでも距離を取って逃れようと思っても、動けない。まるで凍りついたかのように座り込む私へと……みんなは、口を揃えた。



『ただ、己の快楽の為に私たちの死を利用しただけだ……違うかい?』

「――ああ、ああああああああああああ!!!!!!!!」



 気付けば、私は叫んでいた……かもしれない。叫んでいるのか何なのか、もう分からない。分からないまま、私は床を蹴って外へと……部屋の窓を打ち破って外へと飛び出すと、走り出した。



 何処へ向かおうかなんて、分からない。


 ただ、私は走る。走って、走って、走って、走って――ただ、走る。




「違う、違う、違う、違う、違う、違う――違う、違う!!」




 誰に聞かせるつもりなのか、誰に言うつもりなのか、私自身にも分からない言い訳を繰り返して……私は、ただただ走り続けた。




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