第25話俺と後輩と涙

 学校帰り、俺はなぜか静香をおんぶしていた。


「先輩、もう歩けるので降ろしてください。もしくはお姫様抱っこにしてください」


 俺に背負われた静香が後ろでじたばたし始めると俺は深い溜息を吐いた。


「ダメだ。お前は絶対俺と一緒で、怪我とかしてもそれを他人に見せたがらないタイプの人間だ。お前の言葉は鵜呑みに出来ない」

「そんな。私、先輩程嘘つきじゃないですよ」

「そう言って去年。熱がるのを黙って、俺に勉強を教えてもらってたのはどこの誰だ?」


 去年の夏。静香は三十九度の高熱が出ているにも拘らず、平気な顔で俺に勉強を教えてもらっていた。


「そ、それを言うなら先輩だって。中学の頃、階段から落ちたのを黙ってて。翌日、具合が悪くなって病院に連れて行かれたじゃないですか⁈」

「違う。俺の場合はお前と違って突然具合が悪くなっただけだ。それに我慢することには人一倍慣れてる」


 俺がそう言うと静香が黙ってしまった。きっと、今の俺の言い方が悪かったのだろう。

 我慢に慣れること。それが本当はいけないことだと言うことには、静香と会ってすぐに知った。なぜならいつも自分のしたいように生きているこいつは俺とは対照的にいつも笑っていたから。

 だから最初の頃は苦手だった。俺が中学一年の時に、向こうから声を掛けてきたことはあったが、俺はそれを何度も無視し続けた。この前見た写真で俺がこいつから少しだけ距離を置いていたのはそれが理由だ。


 ただ自分と違って笑ってるから。だから俺はこいつのことが気に入らなかった。多分、他人のことを俺が好きになれない理由も同じなのかもしれない。

 自分は一人で作業をしているのに、他の人達はチームでやっている。

 自分は一人でストレッチをしているのに、他の人達は二人一組でやっている。

 自分は一人なのに、どうして他の人達は一人じゃないのだろう。

 本当に俺には呪いが多い。だけど、俺の近くにはいつもその呪いを平気で解いてくれる人間がいる。


「なあ、静香。知ってたか、俺って昔はお前のことが大嫌いだったんだ」


 俺は今、自分が好きなはずの相手に正反対である過去の気持ちを伝えた。そしてそれに対する静香の答えはあっさりとしたものだった。


「知ってましたよ、言われなくても」


 静香は俺の耳元で囁くように呟いた。


「昔から先輩が、私のことをよく思ってないのには気が付いてました。そもそもあんな風に睨まれれば、すぐに気が付きます」


 そう言った静香の腕はかなり震えていた。きっとその時の俺の眼差しを思い出したのだろう。

 中学時代。静香と仲良くなる前の俺は今以上に他人が嫌いだった。だからきっと、小学生にはトラウマになっても仕方がないような眼差しを向けたかもしれない。

 俺はあの時の罪悪感から思わず首に絡む着く静香の腕を触ってしまった。本当はその時の悪意など何も覚えてもいないのに。それどころか、その時一番嫌っていた相手を今では誰よりも好きになっているのに。


 俺は本当に最低だ。いつも俺は結局そこにたどり着く。迷っても、正解を辿っても。結局は自信が最悪な人間だとしる。

 だがしかし、俺をそんな風にしたのは他の誰でもない俺だった。

 道の先に大事な答えがある時ほど迷い。最低な答えがある時ほど正解の道を行く。俺はいつからかそんな自分を誇らしく思っていたのかもしれない。だが、もう止めよう。やめなければならない。多分そうしなければ、俺はもうこの後輩に二度と好きだとは言えないと思ったから。


「先輩。先ほどから私の手を握ったまま立ち止まって、どうかしましたか?」

「いや、何でもない。寧ろ、色々と解決した」


 まずは自分のダメな部分を嫌おう。そして次は良い部分を知って好きになろう。そうすればいつかこいつに本心から言えるかもしれない。


「ありがとう、静香。多分、もうこれで我慢なんてしないと思う」


 俺はそう言って心の中で何かを捨てた。

 今まで色々な気持ちを吐き捨てた何かを。

 今まで一人で隠れて流した何かを。

 今まで人を疎むことしかしてこなかった何かを。

 俺は俺にとってもういらない物を捨てた。だから俺は静香に声を掛ける。


「なあ、静香」

「なんですか、先輩?」

「帰ったら少しだけ俺に付き合ってくれないか?」

「愚痴にですか?」


 俺は静香がそう尋ね返してくるとゆっくりと首を横に振った。


「いや、もう今日からは愚痴は言わない」


 俺はそう言うと何年かぶりに人前でそれが流れるのに気が付いた。それは俺の頬を少しずつ伝い、確かに俺から出て行く。

 もしかしたらこの液体の中に俺にとって不必要なものが入っているのかもしれない。俺はそう考えるとなぜかおかしくなり、少しだけ頬を綻ばせ、先ほどの話の続きを言った。


「ただ泣く俺の傍に少しだけ居てくれないかな」


 きっと俺は昔から誰かに泣いている間だけでも傍にいて欲しかったのだろう。

 たったそれだけだったのに、理解できるまで随分と時間がかかってしまった。

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