ギリシア旅紀

第1話 1日目 猫の楽園

成田空港からイスタンブールで乗り継ぎ、テッサロニキに到着。

思ったより肌寒く、雨上がりのこもった匂いがした。

旧市街地に入ると、道路交通法とはと問いたくなるような道路情勢。そもそも道が狭く、うねうねしていてそのカオスの中に路駐の山。私が乗っているバスは、隣の建物30センチスレスレで曲がり下り上がり……酔う人がいるのも分かる。

崩れた城壁の中に街がある光景は、倒れた大木の上に新芽が芽吹くような、それでいて新芽はその大木を尊び大事にしているような、そんな心持ちになった。

これから幾度となく思うことになるが、ギリシャ人の、あえてそれを口や行動に出す訳では無いが昔を尊び大事にする文化というのは素晴らしいと思う。その無意識を彼らは当たり前と思うかもしれないが。

ビザンチン時代に建立された聖ディミトリオ協会。ギリシア正教では教会内に敷物を敷かないらしいが、オスマントルコの支配を受けた影響か、立派な絨毯が敷きつめられていた。

偶像崇拝の厳禁を掲げるギリシア正教の協会は、イタリアに赴いた時に訪れたカトリックの協会より他人を嫌うような雰囲気で、常に何かこもるような空気を感じた。

キリスト教が異端とされていた時代、聖ディミトリオは教徒であることがバレて殉教した。その7年後、ミラノ勅令によってキリスト教は国教となった。私なんかは殺されて聖人に昇華される流れに嫌気がするのだが、これは神を信じない民族特有なのだろうか。

ギリシャ正教は楽器を使わないということで、1度その音楽を耳にしてみたいものだ。

聖ディミトリオ協会を後にして白い塔へ。なんだかごちゃごちゃ説明を受けたが要は見張りから牢獄、今は歴史的建造物という流れらしい。白い塔は赤い塔だったんです!と言われても、そんなものはこのヨーロッパ世界、数え切れないほどあるだろうからそうですか、くらいの気持ちでいた。

そんなことよりも、その海岸線にはオリンポス山が見えた。いつもはガスっているらしいが、快晴。鳩がのさばり飛行機雲が流れ、空の蒼さと白亜がとても美しかった。

オリンポス山は言わずもがな、ギリシャ神話の12神がおわす所である。ギリシャ全歴史を見てきた今、神々は何を思っているのか。それとももう、居ないのか。

海岸線を歩いていくと、アレキサンダー大王像に出会った。

後ろから撮るとオリンポス山も入って、うん、とても良い感じである。

4mの槍を振り回すことも出来たというアレキサンダー大王も、このオリンポス山を眺めに佇んだのだろうか。それとも、そんな暇などなかっただろうか。

アレキサンダー大王は、常に生き急いでいただろう。人生は短いことを知っていた。少なくとも、彼の理想を全て形にするには。

そして、優れた政治家でもあった彼は現実主義者だっただろう。政治的利用価値を感じパフォーマンスとして利用すれども、自分の勝利は実力、努力、時の運ときっと分かっていたはずだと思うのは些か無粋であろうか。

とまぁここまで書いておきながら私はギリシャ神話に惹かれて止まない1人だ。冥府の神も含めて。


テッサロニキを出て、メテオラ奇岩のある街、カランバカへ。途中のサービスエリアでの休憩はとても良かった。体型がふくよかな人が多いのも頷けるボリュームと味の昼食をぺろりと頂いたあと、水を買うとレジのお兄ちゃんが、「1ユーロデイイヨ!」と50¢まけてくれた。ギリシャの人たちはイタリア人ほどフレンドリーでは無いが、日本から来たと言うとすごく親切にしてくれる。「beautifulcountry!」と喜んでくれるのだ。チャーミングで素敵な人たちだと思う。

サービスエリアの扉を押してはたと目の前を見るといつの間にかさっきは水平線だったオリンポス山が目の前に。直前の寒波の影響でかなりの雪化粧であった。良い気持ちのまま写真を撮る。

奇岩まで着くと、出迎えてくれたのは大型の野良犬達だった。日本で見る犬とは違い、獣の目をした犬達だったが、低い姿勢で尻尾を振りながら近づいてくるものだから思わず触ってあげたくなってしまう。どうすれば人間を懐柔して餌を貰えるかよくわかっているのだ。野良とはいえ、完全に野生に戻ることの出来ないなんとも言えない悲しさを覚えた。

アギオス・ステファノス修道院に入ると、今度は猫が出迎えてくれた。犬も猫も、とかく野良が多いので触ることは出来ないが、写真を撮っても嫌がらず、のんびり日向ぼっこをしていた。野良かろうが人に飼われていようが猫は猫である。

修道院の中は、聖ディミトリオ協会と作りなどは大体同じで、尼僧院というのは驚いたが皆逞しく、観光客と口喧嘩をしていた。(自由行動中に買い物をしようとしたら喧嘩をしていていつまでもレジがあかず、困ったものだ。)

全ての奇岩を見渡せるというスポットは、崖の上。ゴツゴツとした岩の、命綱も落下防止の対策も何もされていない場所。足を滑らせながら何とか登り切ったあの光景を、私は生涯忘れることは出来ないだろう。

奇岩の間から刺す夕日。雲のようなもやが下に見える。奇岩の上の修道院に物資を運ぶためのロープウェイが見えて、冷たい空気の中、目の前を谷底と、奇岩、それだけしか視界に入らない。私は高所恐怖症の上重度のビビりだが、その時ばかりは何もかもを忘れて手を広げ、空気を肺いっぱい吸い込んだ。崖から谷底までの暗い美しさに、何かの影を見ずにはいられなかった。この光景だけで小説がかけてしまいそうである。


高速道路にしろ一般道にしろ、周りを見渡すと豊かな畑などは一切見えない。日本の車窓から見る景色の100倍は寂しい。地が露出し、赤と茶色の木が生い茂る。豊かな畑といえばオリーブくらいか。そういう貧しい土地柄なのだろう。だが、2千年以上も前から人々はここに住み、あまつさえより不自由極まりない岩の上に修道院を建てたりする。本当に不思議で素敵な民族だ。


ギリシャのホテルで特筆すべきことは特にはなかったが、トイレにトイレットペーパーを流せないのには驚いた。

水周りの安定に関して日本は世界中のどこよりも恵まれているのだと改めて感じた。

朝ごはんに出てきたギリシャヨーグルト、あれはもう液体の域を超えていると思う。粘着質な舌触りと重たい食感、濃厚な匂い。そこにまた名産の濃厚な蜂蜜をどろっとかけていただく朝食ほど優雅なものはなかろうか。ギリシャでは朝食をあまりしっかり取らないらしいが、なるほど確かにヨーグルトだけでお腹いっぱいになった。


2日目の朝、バスに揺られてデルフィへ向かう途中に1日目の旅紀を書いた。

今日は私のこの旅行の中で1番見たかった、ペルシャ戦役の激戦地、テルモピュレーに立ちよる。

ガイドは「それで、スパルタの兵士は300人しかいなかったものですから全滅してしまいました。現地には英雄レオニダスの像があります。」と言うが、ペルシャ戦役大好物の私は少々憤慨気味である。

当時地中海世界で名を聞くだけで戦意を失わせるとも言われた、世界最高峰の陸軍兵団スパルタの重装歩兵300人、スパルタに常に二人いる王のうち1人のレオニダス。

共同戦線を張るはずのコリントは逃げた。しかしここを、少なくとも1ヶ月は敵兵をせき止めねばギリシャは、ギリシャ全土のポリスはペルシャ帝国属国へと変わると言われたその命運を握った戦い。

ペルシャの何十万という相手に301人で1週間、あちらに2万の犠牲を強い、最後の最後まで王を守る円形の陣形で戦い抜いて戦死した彼らにペルシャの兵がした蛮行は、ギリシャ全土を怒らせ、奮い立たせた。そして何より、危機管理能力の低いスパルタという国の虎の子達を完全に目覚めさせてしまった。

そして、ギリシャのポリスが連合して、強大なペルシャ帝国を2度にわたって打ち破るペルシャ戦役のキーポイントの戦いの跡地へと向かうのだ。これが手に汗握らず胸踊らず、感涙無しに見られるとは思わない。

レオニダスは英雄ではなくスパルタの王として、重装歩兵の将として戦い死んだ。第1次ペルシャ戦役においてのテルモピュレーの戦いの英雄とは、301人の兵士全てである。

犠牲によって何かを得るその考えた方は殉教と同じで、出来ることなら何も失わず得る方が良いに決まっているだろう。だが人の歴史とはそうはならないものらしい。人を動かすのはたとえそれが悲劇であっても、人の行動のみということを思い知らされる。

あと2時間、すでに涙が浮かぶような、夢にまでみた行きたかった場所。

その時私は、どんな心持ちでそれを迎え入れるのだろうか。

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