〈4.10〉神の拳


 “パーシヴァル”を装着したまま、闇に静まり返った廊下をゆっくりと進む。片方の手は背後についてくる雪に回し、防御の構えをとっている。


「暗くてなんも見えない」


「俺には見える」ドラグーンマスクは受感式パッシブ暗視モードで継続中だ。


「私は見えないんだって! なんかライトとか点けてよ」


「……VAL、ヘッドライトを」


〈イエス、マスター〉


 マスクの右耳あたりにあるライトが点灯し、誰もいない廊下を円錐状に照らし上げた。


「……前から気になってたんだけど、誰と喋ってんの」


「OSだ。人工知能式の」


 俺はドラグーンマスクを軽く外した。


「へっ、音声入力なの? うっそ!」


 いきなり雪の声が跳ね上がった。嘘だろ。こんな状況でも“コート”オタクの血は冷えないというのか。


「何それ、どうなってんの? 返事するの?」


「もちろんする。VAL、隣のこいつは太ってるか?」


〈対象を認識しました。身長およそ一五三センチ、体重およそ四十九キロ。前回の測定より五〇〇グラム増加しています。予想される体脂肪率は……〉


「おい、こら! やめろ!」


 慌てて雪は、持っていた俺の手ごとドラグーンマスクを押しやった。装甲に触れたマスクが吸着し、もとのディスプレイが俺の眼前に戻ってくる。VALは構わず雪の体脂肪率やらを俺に喋り続けていた。


「デリカシーってのを知らんのか!」


 雪は俺の脚部装甲をがつんと蹴って、それからちょっと痛そうに顔をしかめた。


「……ごめん」


「まったく……でもさ、そのOS……」


「VALだ」


「きれいな声してるね、VALは」


「……褒めてもらって、喜んでるだろう」


 誰が、とは言わなかった。


「そのきれいな声を悪用すんな」


 とまた雪が俺の足を蹴ったところで、VALがアラートを告げた。


〈背後に動体を感知しました〉


 襲撃――とっさに雪を突き飛ばした。そのまま振り返る。


 部分装着式ショルダー“コートアーマー”を羽織ったラヴロフの、猛禽の如き急襲。


 腰元からマルチ・オプトを取り出した俺の手を、ラヴロフのフレームグローブが殴り飛ばした。装甲を超えて衝撃が走り、じいんと手が痺れる。マルチ・オプトは吹き飛び、闇の向こうへと消えていった。


「くっ……」


 もう片方を手刀にして、接近してきたラヴロフに振り下ろす。だが、神速のフックで二の腕ごと打ち払われた。ほぼ同時に、ストレートが俺の腹に突き刺さる。


 めき、と拡散装甲がへこみ、口に酸っぱいものがこみ上げた。


 嘔吐感を無視して、俺は両腕を突き出し、ラブロフを振り払う。


 ふらつく足で地面を蹴って、ラブロフから距離をとった。


 なんとか雪の元まで飛び退る。


 不安そうな顔を向ける雪に頷いてみせた。心配するな、安心しろ。口に出せば、胃の中身を吐いてしまいそうで、そんな強がりを見せるので精一杯だった。


 目の前のラヴロフは追撃してこない。きゅっ、きゅっ、とローブの下で足を鳴らしている。ラヴロフがリャサを着ているのは、神父ごっこをするためだけではない。足運びを敵に見せないためだ。


 人工筋肉とフレームだけで構成された部分装着式“コートアーマー”は、ラブロフという大木に根をはる蔦のように絡みつき、その上半身を膨れ上がらせている。唯一、手甲部分にだけチタン製の装甲が存在する。それは守るためではなく、いかに強固な敵だろうと殴りつけ、破壊するためだ。


 現行“コートアーマー”のほとんどの設計思想はだ。歯車と機構の塊にしか見えない自動車にも電子制御が積み込まれているのと同じように、各部の調整を図る高度なインターフェースが搭載されている。あの無骨の塊である“九尾”ですら例外ではない。


 だが、ラヴロフのショルダー“コート”は違う。されるのではなく、するために作られた。それは当初、介護士や工場労働者のために開発された、“コートアーマー”の前進であるマッスルスーツに近い。純粋な身体拡張を目的に先祖返りしたシンプルな“コートアーマー”。それを実戦で運用しようと思えば、必然的に装着者自身の高度な身体操作能力を要求する。


 端的に言うと、俺とラヴロフが生身で殴り合えば俺に勝算はない。


 だが、今の俺にはこれがある。第七世代“パーシヴァル”が……


「アア、残念デス。有望な若者の芽ヲ摘むというノハ……我が子とナレバなおさらデス」


「お前は俺の家族じゃない」


 ふっ、とラヴロフが動いた。呼吸に生じる一瞬の隙。徒手格闘の頂きに達した者だけが感じられる間隙を突かれた。


 チタン製の拳が俺の顔面を狙う。身を反らし、髪一本のところでなんとか躱した。


 奴はドラグーンマスクを狙っている。VALのシステムが集中しているマスクを壊されれば、“パーシヴァル”を構築するナノマシンはその機能を失い、灰のように崩れ去るだろう。


 並の銃撃なら耐えられる。だが、ラヴロフの拳は……


 ラッシュが始まった。ストレート、ジャブ、フック、アッパー。変幻自在の攻撃は、俺の意識の死角を的確に狙って襲いかかってくる。必死にガードし反撃を試みるが、俺の攻撃はさらなる隙を生むだけだった。


 マルチ・オプトを呼び戻す暇もない。たとえ武器が手元にあったとしても、ラブロフが接近しすぎていて、この間合いでは扱えない。


 取りこぼしたラヴロフの拳が、俺の顔面を捉えた。衝撃が走る。ドラグーンマスクが割れ、装甲の破片が飛び散る。


〈システムに深刻なダメージを受けました。撤退を推奨します、マスター〉


 ネガティブ。露出した俺の右目はディスプレイ越しではない、肉眼でラヴロフの左フックを捉え、なんとか躱す。だが、VALによる統制が鈍り、“パーシヴァル”の出力は確実に落ちていた。


 鋼鉄の嵐。それを吹き荒らすラヴロフの呼吸は微塵も乱れてはいない。


 その口元がぶつぶつとロシア語を呟いていた。


 祈りを捧げている。


 ――我らに罪を犯す者を、我らが許す如く


 ――我らの罪も許し給へ


 クソ。際限ない打擲と、祈りの言葉が、否応なく葬送小隊フェンレルにいた頃を俺に思い出させる。フラッシュバック。ライトスタンドで殴られた記憶。食事の前に必ず見せられる戦場と死体の映像。脱走を図った同い年の子に撃ち込んだ弾丸の数。十二発。


「ハガネ! 殴られてばっかでいいの!」


 声が聞こえた。乾いた土に零れた一滴の水のように、俺の心に染み込んだ。


 馬鹿が。今がそのときだ。思い出せ。“彼女”といた頃を。雪たちと過ごしたこの一ヶ月を。


 塗り替えろ。お前は誰だ。


「俺は……ボディガードだ」


 ラブロフの拳を、左手で受け止める。ぎりぎりと握る。“パーシヴァル”の完全でない出力では、そのチタン製の手甲を握り潰すことなどできない。


 だが、それでも俺は力を込め続けた。


「……ナゼ、ボディガードをまだ続ケテいるノデス。自分の手デ彼女を殺シテおいて、なぜノウノウと?」


「約束したからだ。俺にはあいつが必要だからだ!」


 俺は拳を振り払う。体勢を崩したラヴロフのフレームを思いっきり蹴りつけ、突き放す。


「お前はぶっ倒す。あいつを泣かせやがって!」


「ハガネ!」


 雪の声に振り向く。飛んできたマルチ・オプトを受け取る。


変形オプト・双刀!」


 二股に分かれたマルチ・オプトを抜き去り、俺は二振りの小刀を両手に構えた。


 ぶんっ、と残像すら伴い、ラヴロフが俺に肉迫する。


 俺は双刀を振りかざした。

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