〈4.8〉包囲網

「……遅くなった」

「なんで?」


 雪の、冬の夜みたいな目は芯から疑問に染まっていた。


「もう私のことなんかどうでもいいんでしょ……私に守る価値なんか……」


「謝る。俺は嘘をついた。お前は俺の護衛対象パッケージだ。何が起ころうと、お前がどんな奴になろうと、俺がどんなにクズでも。約束しただろ」


 俺は雪の手を握った。血を流したお互いの手。儀式を交わした手のひら。


「うん」


 雪はその硬いアーマーを握り返した。拡散装甲のガントレット越しだったが、温かみを感じた。


「それで、本当は逃げるべきなんだが……よかったら、少しだけ甘えさせてくれ。お前を攫ったあいつをぶっ倒したい」


「……よかろう。許可します」


 ありがとう、と俺はドラグーンマスクを吸着させた。


〈三十八分ぶりのログインです、マスター〉


「ああ、


 イイですヨ、とラヴロフは手を叩いて喜んだ。


「それでコソ、葬送小隊フェンレルデス」


 それが合図だったのか、突如として無数の人影が亡霊のように現れ、俺たちを取り囲んでいた。ホテルのいたるところに潜んでいたと思しき“コートアーマー”たち。葬送小隊フェンレル特装の“アケロン”ではない。安価な大鷲技科ダクシー製の“大天神ダイテンジン”や“曠野コウヤ”を着込んでいる。


 まさか……戦闘のために切り替えた俺の静かな心は、それでも驚きを感じていた。


 ホテルに踏み入る前に索敵したときは、影も形もなかったのに。


 全員、“コート”用の大型アサルトライフルの銃口をこちらに向けている。


「どこで雇ったこんな有象無象……」


「マキャベリは否定しマシタが、現代市街地のゲリラ戦にオイて現地勢力を雇ウのは基本デス。教えたはずデスヨ」


 どこかのチンピラが、ナイフの代わりに“コート”を与えられたというわけだ。


 もしこいつらの銃にレーザーポインターがついていたら、“パーシヴァル”はレーザーのハリネズミのようになっているに違いない。弾道に死角がなかった。


 拡散装甲に守られた俺はいい。だが、すべての銃弾から雪を守るのは不可能だ。


起動ザヴォスク


 アーリャがつぶやくと、背負っていたクマのぬいぐるみが食虫植物のようにその幼い身体を飲み込んだ。クマは膨れ上がり、同時に顔が開いてマスクを露出する。


 腹の中から取り出した巨大なハンマーを見て、俺はその機体名を悟った。


 “トプティニク”……完成していたのか。


 戦艦並の耐久性と戦車の踏破力を備えた第七世代“コートアーマー”だ。『踏み潰す者』の名のとおり、強靭な装甲にあかせて敵陣に突撃し、蹂躙しつくすのが設計目的の殺戮兵器。あいつの複連空間装甲に穴を開けるには、ドリルかミサイルを持ってこなければならない。


「だ、大丈夫なんだよね。あんなかっこつけたんだから」

「だ、大丈夫だ。お前は何も心配しなくていい」

「ちょ、ちょっと! こ、こ、声が震えてるじゃん!」

「お前もだろ!」


 よく見ると、ラヴロフは跪いていた。両手を握ってぶつぶつと呟き、神に祈りを捧げている。


 ああすれば己の罪が許されると思っている。ラブロフ流の勝手な


 祈りを終えたラヴロフは立ち上がり、号令をかける。


「撃ちなサ……」


 イ、の声は聞こえなかった。


 エントランスに響き渡った電子音にかき消された。


 メールの受信音。だが、それはこの逼迫した事態を前にマナーモードにしそこねた間抜けな誰かのものというわけではなかった。


 この場にいる全員の携帯電話がぴりり、とぅるるる、りんりんりんと思い思いに鳴り響いていた。足並みの合わない合唱。俺はそれに自分の怒りを投影していた。ラブロフ、お前の勝手な祈りで罪が許されると思っているのか、そう糾弾しているように聞こえた。


 異常な現象に巻き込まれ、全員の動きが凍りついていた。


 俺はポケットに手を突っ込んだ。反応した“パーシヴァル”が装甲を流砂のように変えて、俺の手を受け入れていた。


 携帯電話を取り出し、メールボックスを開く。


『今夜、この世で最も美しい宝を返してもらいに参上する――ファントム』


 と、キスマークの絵文字。だから、なんでだ?


 がしゃあああん、と全員の聴覚を貫いた鋭い音は、天井のガラスが散華の如く割れ散った音だった。


 俺と雪を含めた二十対の視線が頭上を見上げる。



 上空から突入してきた漆黒の影は、唯一肌色を露わにしている口元で笑いながら叫んだ。


「愛と平和とその他諸々の使者、ファントム参上!」


 馬鹿が生身でやってきた。


 だが、落ちてきたのはファントムだけではなかった。奴の身体より早く、地面を跳ねるいくつもの金属体。


 その正体をいち早く悟った俺は、“パーシヴァル”のすべての外界認識端末をカットオフ。


 ほぼ同時にフラッシュバンは爆ぜた。耳元で新幹線が通り過ぎたような爆音と、眼前に落ちた稲光のような閃光は、真っ暗な“パーシヴァル”の中にいる俺にすら届いていた。


 だが、他の奴らに限っていえば、そんな程度ではすまない。


 俺は即座に“パーシヴァル”の認識端末をオンにする。


 視界に飛び込んでくる状況。有象無象の中国製“コートアーマー”たちは認識端末によって増幅されたフラッシュバンに平衡感覚を奪われ、たたらを踏んでいた。


ユイットアントロゥワ!」


 ファントムは“エギーユ・クレーズ”を装着、着地した。一塊の黒い暴風と化して、ふらつく“コート”たちを次々と殴り倒し、バッテリーパックにテーザーガンを射ち込んでいく。


 あんな馬鹿に遅れるわけにはいかない。


 目を回している雪を抱えたまま、マルチ・オプトを足元に落とす。俺のつぶやきに応じて手甲鉤のように変形し、右の足甲に固定された。


 その足で、間近の“大天神”の脇を蹴り倒す。バッテリーパックを引き裂かれ、活動を停止した。俺は素早く駆け巡りながら、虎のような鉤爪で“コート”たちのバッテリーを破壊していく。


 最後の一体……おぼろげな意識に耐えながら、眼前の“曠野”はアサルトライフルをなんとか持ち上げる。それよりも早く鉤爪を突き刺そうとした俺の脇を、テーザーガンの電極が飛んでいった。


 慌てて飛び退る。バッテリーを通じて高電圧を流し込まれた“曠野”は悲鳴を上げて震え、俺の足元にどさりと倒れ込んだ。


「あぶねえな! 俺にも電流が流れたらどうする!」


「そんときはすすくちゃん頂いておさらばするだけよ! ボク様、効率的!」


 電極をグローブに引き戻したファントムは、くひひっと哄笑した。


 ピヨっていた雪がやっと感覚を取り戻した。


「う、まだ耳がガンガンする……ファントムじゃん!」


「やっほー、すすくちゃん。ツーリング楽しかった?」


「なんでいんの! ハガネ!」


「今回に限っては味方だ……そう思っていいんだよな」


「ボク様はすすくちゃんの味方。で、どうすんの?」


 猫人間のような“エギーユ・クレーズ”はそのマスクを大階段の方に向けた。


 そこにはすでにラヴロフと“トプティニク”の姿はなく、ホテルのどこかに潜んだようだった。


「ぶっ倒すんでしょ、ハガネ。行くよ……ていうかいつまでお姫様抱っこしてんの」


 雪は赤面して装甲を叩く。俺は雪を降ろした。


「やっぱり太ってないぞ、お前」


「うるさい! “コート”着てそんなこと言われても意味ないじゃん!」


「さ、ボク様はどうしよっかな~……そういえば、そろそろお屋敷が寂しくってさ。なんか話し相手が欲しいと思ってたとこなんだよね。たとえば、でっかいクマのぬいぐるみとか」


「……そっちはお前に任せた」


「くひひっ。どっちが早いか競争!」


 言うが否や、“エギーユ・クレーズ”は大きく飛び跳ね、二階に消えていった。


「ハガネ、あのロシア人ぶん殴ったろうじゃん」


 にかっと歯を見せる雪。ラヴロフに聞かされたはずだ。俺が何者で、あいつらに何をされてきたのか。疑問も持たずそれに従っていた頃の俺の話を。


 だが、何も言わない。責めることも、尋ねることもしない。


「あんまり無茶するなよ」


 俺と雪はエントランスの向こうへと続く、暗い通路へ踏み出した。

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