7.病葉との邂逅に/二年半前

第25話


 『ウィスティリア庭園』の完成から四月ほどしてのことだった。


 その頃にはもう商売を充分に成功させ、『偉人』『栽培の第一人者』として名が広く知れ渡ってきていた幽ノ藤宮の元へ、ある日、一通の手紙が届いた。

 上物の用紙が使われたその手紙の差出人はとある老人。

 その者はネッサリアからほど近い和系人集合地域・清谷せいやの特に有名な資産家で、庭園の花をよく買う常連客の一人だった。

 その彼から贈られた長ったらしい手紙を要約すると、花を見てやって欲しいとのことだった。蕾を上手く咲かせ、長持ちさせるためにはどうすればいいか、実際に家を訪れて教えて欲しいのだと。

「お客様がご購入後の花については、基本的に関与しないのですが」

 ここは和館の一室で、時間は午後。

 洋室風に造り替えられた幽ノ藤宮の部屋である。

 他ならぬ豊隗寺ほうかいじ様のお願いとあっては無下にも出来ませんからね、と、幽ノ藤宮は薄く笑った。優雅な手付きで和系文字で綴られた手紙を包み直すと、自分の前に立つ伊久に目を向ける。

「しかし私には今、急いでお返事をしなくてはならないことがあるのです。そこで伊久、この役を貴方にお願いしたいのですが、承諾していただけますか?」

「当然ですよ。行かせてもらいましょう」

 大きく頷いた伊久に、幽ノ藤宮は礼を言いながら笑みを濃くした。

「それでは、明後日に迎えが来てくださるらしいので、そちらで向かってください。豊隗寺様は初めの頃よりの大事なお客様です。くれぐれも粗相の無いようにお気を付けて。私からの挨拶も、よろしくお伝えくださいな」

「はい、分かりま――っと、しまった。明後日だとジルさんの……」

 再び頷きかけ、しかし途中で困ったように眉を寄せた伊久に、その理由を察した幽ノ藤宮が即座に答える。

「あぁ、採取の予定日でしたか。ではそちらは私が行っておきましょう。ふふ、栽培の一番素敵なところを横取りして申し訳ありません」

「いやそんな、お願いします。そりゃま……残念なのは残念ですが」

 頬を掻きつつ素直に漏らした後、伊久は言葉を続けた。

「ついでにジルさんとお茶でも飲んで休憩してくださいよ。ジルさんも洋館に一人で寂しいでしょうから」

「えぇそうですね。そうしましょう、必ず」

 頷き、もうすぐジルさんのその憂いも解消出来そうですが、と幽ノ藤宮は目を伏せた。

「ほかに何か気にかけておくことはありますか?」

「いえ、特には。……それにこれ以上お話を長引かせて待たせちまうのも」

 苦笑いを浮かべた伊久に、幽ノ藤宮は首を傾げ、しかしすぐに気が付いた。

 片手で口元を隠して笑うと、扉から少しだけ顔を覗かせた小柄な陰に声をかける。

「そこに隠れた小さな御方はどなたです?」

「……ふじみやさま、おはなし、もうおわったですか?」

 ひょこりと更に顔を出したのはすずかだった。

 今年で六歳になるすずかだが、その体格と口調はまだそれよりも幼く見える。

 えぇ終わりましたと笑う幽ノ藤宮の側まで来ると、すずかはふわふわと髪を揺らしてにっこりと笑顔を浮かべた。

「すずかはさっき、カリスタさんのお耳のかざりを見てきました。あれはふじみやさまがあげたんでしょう? きらきらしてて、とってもきれいだったです」

「すずかもきらきらの耳かざりが欲しくなりましたか?」

 言いながらすずかの耳をきゅっと軽く握った幽ノ藤宮に、少女はきゃらきゃら笑いながら首を振る。

「まだです。すずかはまだちっちゃいから、もっとおっきくなったら自分で買うんです。そのときにふじみやさま、いっしょにえらんでくれますか?」

「おや――もちろんですよ。楽しみですね。貴女はこれから、耳かざりや宝石の似合う、もっともっと綺麗な子になりますよ」

 すずかを愛おしげに撫でる幽ノ藤宮と、その手付きに幸せそうな表情を零すすずかに、伊久はそれを見ている自分の頬が緩んでいるのを自覚した。


 *


 そして二日後。

 手紙に書かれていた通りにやってきた迎えの車に乗り、伊久は豊隗寺の住む豪邸へと連れてこられた。

 客間の窓から見える広い庭を見ていると、栽培者として胸が騒ぐ。伊久はこういった和系の本物の庭は庭園の和館にある中庭しか見たことが無かったが(本でなら何度も見ているが)、それでもこの庭が立派なものだということくらいは分かった。

(ただ、この椅子に座ったヤツ……この家に来た客に見せつけようってあの鉢植えはいただけねぇな)

 伊久はそう思いながら、手元に出されたお茶を飲んだ。

 幽ノ藤宮と共に居てもうそれなりに経つため、和系人ではない伊久にも、苦味が特徴の和系茶の善し悪しは分かる。

 物も淹れ方も良いもんだと感心しながら二口ほど飲んだところで、

「おお、お待たせして申し訳ない」

 肩を払うような仕草をしながら、豊隗寺が客間へ入ってきた。

 その時一瞬だけ黴臭さを感じたがすぐに消えた。気のせいか、と立ち上がる。

「お邪魔しています、豊隗寺様」

 伊久は、以前幽ノ藤宮に習った正しい作法で最敬礼をした。

「いやいや、そんなに畏まらないでくれ。あの美しき庭園に住まう君からすれば、こんなところはただの古びた屋敷に過ぎんだろう。ただ待つのも楽しくなかったろうに、すまないな」

「いえ。このような素晴らしい御宅へのお招きに感謝していたところです。本日は諸用により主様は手が離せませんので、俺が代理を務めさせていただくことになりました。豊隗寺様は非常に残念なお気持ちでしょうが、どうぞお許しください」

「庭園の『偉人』たった一人の弟子がそんな謙遜をすることなどないぞ。ささ、立ってないで座りたまえ。……おい、茶請けが出ていないじゃないか! 何をやっとるか!」

 手伝いらしき女性が急いで茶菓子と豊隗寺用のお茶を持ってくるのを見つつ、伊久は椅子に腰を下ろした。

「まったく、気が利かないやつめ」

 豊隗寺が口に含んだ茶を飲み下したのを確認してから、口を開く。

「豊隗寺様。早速ですが、見て欲しい花というのは? 前回ご購入のものですか?」

「ああ……いやな、伊久君。儂はそう、栽培というものを好んでおってな」

 湯呑みを置いた豊隗寺は椅子に深く座り直した。膝の上で指を組み、目線をゆったりと庭の方へとやる。

「見えるだろう? あそこの鉢植えの花たちが。あれは、儂が育てたものだ」

「あぁ、そうでしたか。ご立派だと思いつつ拝見していたんです」

 話の流れに若干どころではない怪しさを覚えながらも、伊久は続きを促した。

「そうか、伊久君もそう思うか。つまらん自画自賛になってしまうがな、儂もあれらはなかなかのもんだと思うておる。あそこに並べてはおらんが、儂はほかにもたくさん、いろいろな花を咲かせてきた。それらのすべてを、周りの者は口々に褒めておったわ」

「ははぁ、豊隗寺様には才がおありのようで」

「君がいうと嫌味に聞こえるな」

 口ではそう言いつつ、気をよくしたらしい豊隗寺は茶菓子を手に取った。君も食べなさい、と伊久へ手渡す。ありがとうございますと伊久はそれを受けた。

「それでだな……その、しかしそんな儂でも、なかなか咲かせられん花があるのだ」

 もくもくと茶菓子を咀嚼しながら、豊隗寺は困ったように眉を寄せた。

 その言葉と表情に、さっき受け取った茶菓子を湯呑みの横に置きつつ、伊久は心の内で舌打ちをする。

(――見て欲しい花ってのは、そういうことか)

 確かに手紙には、庭園で購入した花、とは書いていなかった。だがその文面はどう考えてもそれを前提とした書き方だった。

 幽ノ藤宮は以前、クリスタリアの夜間襲撃に合った直後の頃に、栽培についての知識、苗床に関する関さないを含めての一切を、継承者である伊久以外には伝えないと世間に向けて明言を出した。

 こんな相談ごとをするのはその表明を明らかに無視しているといえるだろう。

 それにも関わらずあの手紙を出し、断りにくいよう迎えまで寄越した豊隗寺に、伊久は僅かに苛立ちを感じた。

 もしかしたら幽ノ藤宮は、あの手紙を読んだ時から気付いていたのかもしれない。

 来たのが自分で良かった。主様にこんな足労をかけなくて済んだ。

 伊久はそう思いながら、表面上はとても穏やかに相手に接していた。

「なる、ほど……それでご相談をしたいということだったんですね」

「そうだ。長く手をかけておるんだがどうにも上手くいかん。儂の知識と経験があれば、何かコツさえ聞ければすぐにでも咲かせられるとは思うのだが」

 ――病葉わくらばも落とせてないヤツが何言ってんだ?

 それは純粋な疑問だった。しかし豊隗寺の背後の鉢植えに生える葉の中の一枚のことを、伊久は口には出さない。

 その代わりに、あくまでにこやかに質問をした。

「気になりますね。どのような種類の花でしょうか?」

 しかしその、あくまでにこやかな質問への返答に、

「それがな、分からん」

 折角取り繕った顔も忘れて、思わず、

「は」

 と間抜けた声を上げてしまった。慌てて大事な客用への自分へと修正をかける。

「あぁすいません……それは、新種ということで?」

 伊久の非礼を咎めることなく、豊隗寺は顎に手を当てて唸った。

「さてなぁ。芽は早いうちから出ていたのだが、茎が伸び始めたのはようやく最近になってからだ。ほかの見たことのある植物とはどうにも違うようだし、儂では判別が付けられんくてな」

 育て方は間違っていない筈だがとぼやく老人に、伊久は面倒臭くなった。

「豊隗寺様――よろしければその花、実際に拝見させていただけますか」

 伊久が言いながら立ち上がれば、湯呑みを空にしたところの豊隗寺もそうするしかない。低い声で笑いながら、豊隗寺は腰をあげた。

「話を聞いて栽培者の腕が疼き出したようだ。では行こう、頼んだぞ伊久君」


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