第8話

 *


 石畳の伸びる道を歩き、ジラルドとデューイは洋館の前へ辿り着いた。

 立派な造りであるシンメトリーの館は大きく、一見は博物館のようにも見える。高い屋根の天辺に立つ風見鶏は、その嘴にバラの花を銜えていた。

 そんな洋館の入口にある階段の傍で、真っ白なプランターにブリキの如雨露で水をやっている者が居る。デューイはそちらへ近づき、声をかけた。

「どうも、こんにちは」

「おや、今日はお客様の多い日だ。――ようこそ、ウィスティリア庭園へ」

 如雨露を置いて濡れた手をエプロンで拭いながら、その老人は笑った。

 見た目の歳は同じ頃のようだが、二人を港からガーデンロードの途中まで案内してくれたマティスとはまた別な雰囲気を持つ老人である。チェックのベストやループタイを締めたその姿は、どこか紳士然としていた。

「幽ノ藤宮さんにこちらで待つように言われたのですが……」

「でしたらその間、僭越ながらお相手をさせていただきましょう。僕はこの庭園に住む苗床の一人、ジルと言います。どうぞ、中へ。ハーブティーでも煎れましょう」

 そう言って玄関前の階段を上がったジルは、エントランスを抜ける。

 歩きながら、エプロンを外すために前へ差し出したジルの首元から、細い蔓が生えているのが見えた。それほど大ぶりな種類ではないために見た目からは分かりにくいが、彼の身体には今も植物が生えているのだろう。

 ジルは二人がその植物に気付いたことを察したようだったが、穏やかさを乗せた視線を一度寄越しただけで、特に何も言いはしなかった。

「こちらの部屋へ」

 ジルに案内された先は、大きなテーブルのある客間だった。

 そのテーブルの一角にはリボンや鋏といったものが広げられており、落ち着いた赤色の衣装を着た少女がドライフラワーを束ねていた。腰のあたりに巻きついている刺を持った蔓、そしてバラのような蕾が本物に見えることからすると、この少女も苗床なのだろう。

 少女に向けて、ジルが声をかけた。

「作業は進んだかね。お茶でもどうかな、ヴァネシア嬢」

「いただくわ。ねぇ、青いリボンはもう無かったかし――なに? また観光客?」

 言葉の途中でジラルド達に気付いたヴァネシアは、その表情を険しいものへと変えた。

「そう、お客様だ。だから彼らのためにお持て成しをしようかとね。……お客様、こちらは僕と同じく苗床であるヴァネシアです。本日はまだ生憎と咲いておりませんが、彼女の花は特に人気が高く、とても美しいと評判なのですよ」

 ジルが客へと行う説明を聞きながら、ヴァネシアは何かに気付いたようだった。

 ジラルドとデューイをじろじろと値踏みするようにしていた眼が、一瞬だけ大きく開いた。しかし彼女はそれを口に出すことなく、

「わざわざネッサリアまで来るなんてご苦労様だこと」

 フンと鼻を鳴らし、ドライフラワーを片付け始めた。

「名乗りもしようとしないあなたの国じゃ、美しいものは見られないのかしら?」

「これは、失礼をした」

 ヴァネシアの言葉に頷いて、ジラルドは胸に片手を当てた。

「僕はシャグナ王国から来たヴァンダー家当主、ジオークという者だ。先日こちらを訪れたという友人から話を聞き、いたく興味を持っ――」

「ジオーク様っ!」

 言葉の途中で、隣から腕を引かれる。

 ジラルドは、自分を庇って前に出たデューイの肩口に当たって落ちた、ドライフラワーの束に目線を落とした。顔を上げると、ドライフラワーを投げつけた体勢のまま、ヴァネシアが強くこちらを睨みつけている。

「……何を、言っているの?」

「何をとは?」

 この状況の対処に悩んでいるデューイを片手で制し、ジラルドは落ち着いた表情のままヴァネシアに訊く。

「僕は、君の機嫌を損ねるようなことを言ってしまったのだろうか?」

「えぇそうよだって嘘ばかりじゃないの。――わたしが訊きたいのはこれよ!」

 激昂してそう叫んだヴァネシアに、

「シャグナ王国『恩寵の王子』が、偽りの身分で何の御用?!」

 ジラルドとデューイは息を詰まらせた。

「……なんで…………」

 思わず溢れたデューイの言葉に、ヴァネシアは腕組みをして答える。

「まぁそうね、あなた達のような高貴な身分の方にはもうどうでもいいことかもしれないわね、大事な王女が怪我した時に、わざわざ国外から呼び寄せた医者の娘の存在なんて!」

 その言葉により、今より幼かった頃の少女の姿を思い出し、ジラルドは納得した。

 ――ジラルドには、弟と妹が一人ずつ居る。

 十九歳の第二王子オークと、十三歳の第一王女キアラだ。ちなみに今回ジラルドが名乗っている偽名は、自分と弟の名を組み合わせ、デューイの家名を借りたものである。

「そうか。君はクランツ医師の……」

「あら、覚えてたの?」

 シャグナ王国の王女キアラは、幼い頃に足の骨を折ったことがある。

 その時に王女を診たのが、そちらの地方では名医として名の知られるヴァネシアの父だった。王女の歳が近いこともあり、キアラがヴァネシアの父にかかっている期間中、ヴァネシアは時々キアラの遊び相手として王城に連れてこられていた。その際に、ジラルドと顔を合わせたこともある。同じ卓上で食事を共にしたこともあった。

 しかし足が治って前よりお転婆になったキアラが六つか七つになった頃には、徐々に疎遠となっていたその繋がりは、自然と消滅をしていた。そのためジラルドは、妹と仲の良い友人であったヴァネシアが恐ろしい奇病に罹り、その末にこの庭園へ来ていたことなどまったく知らなかったのだ。

「すまない、あの時は本当にありがとう」

「それはわたしじゃなくて父に――いいえ、クランツ先生に言いなさいよ。わたしとはもう何の関係も無いわ」

 顔を背けたヴァネシアは、一度唇を噛み締めてから言った。

「それでッ、あなたは何のために身分を偽ってるのよ! 国民と顔を合わせることもなくいつもお城に籠ってるくせにネッサリアまで出向いたりして、まさか幽ノ藤宮様を騙して、なんかしてやろうなんて考えてるんじゃあないでしょうね?!」

 なんかしてやろう、の『なんか』が何かは分からないが、とにかく彼女は幽ノ藤宮のことを強く案じているようだった。

 今にも唸り声を上げそうなヴァネシアに、デューイが慌てて弁解をする。

「ご安心ください、お嬢様。殿下にそのようなつもりは無いですよ。本当にただ、お忍びで旅をしているだけです」

「『お忍び』ですって? ――……ハッ、なんのためによ」

 暗く笑ったヴァネシアの瞳が陰る。

「身分を明かして旅したところで、何処行ったって歓迎されるだけじゃない」

 乱雑な手付きで再びドライフラワーを片付け始めたヴァネシアは、もう二人に目線も向けようとはしなかった。

「お供だって一人じゃなくていくらでも連れて歩けるくせに……あぁそう、普段が普段の王子様は、そんな扱いがお嫌なのね。なるほどなるほどバカみたい。あーぁ、もう止めましょ。考えてみたってどうせわたしなんかには絶対にわからない気持ちでしょうしね」

 一纏めにし終えたものを胸に抱えたヴァネシアは、

「…………」

「どうかしたかね」

 それまでずっと黙って事態を静観していたジルを見上げ、小さな声で言った。

「折角誘ってくれたのにごめんなさい、ジル。……後になってもお茶を煎れてくれるかしら」

 返答は、穏やかな笑みと共に返された。

「何を懸念するんだ。当然だとも」

 その言葉にささやかながら表情を綻ばせ、ヴァネシアは靴を鳴らして部屋を出て行った。

 何となく沈黙が訪れた部屋に、ぽつりとジルの声が落ちる。

「――そうですか。シャグナ王国の、王子様で御座いましたか」

「偽りを述べたこと、申し訳無く思う」

 すまない、と目を伏せたジラルドに、ジルは首を振った。

「謝ることなど何も。王子様、貴方には貴方の思いがおありでしょう。……ですがだからこそ、彼女にも彼女の思いがあるということを、ご理解いただけますかな」

 僕は彼女の代わりに非礼を詫びるつもりはありません。

 そう言って床に落ちて残されたままのドライフラワーを拾い上げたジルに、ジラルドは、そしてデューイも、頷いた。


 *


「この庭園にはあの花もあるだろうか」

 香りの爽やかなハーブティーを傾けながら、ジラルドは祝いの品の花を思い出していた。そして、先日花びらの薄い綺麗な花を貰ったのだが、とジルに対して説明する。

 姿勢良く椅子に座ったジルは、心当たりがあるというように頷いた。

「恐らくそれはクリスタリアですね」

「……クリスタリアというのか、あの花は」

 ジラルドは何度かその名前を口の中で繰り返した。

「ええ。丁度数日前、伊久君が贈答用としてアレンジを依頼されていました。それがシャグナ王国へのものだったのでしょう。クリスタリアはこの国のこの庭園、幽ノ藤宮様の元でしか咲きません。記念事のお祝いに相応しい希少性です」

 ジルの言葉に、デューイが眉を上げる。

「確かにあの美しさからはそれも当然と思えもしますが、クリスタリアってのはそんなに栽培の難しい花なんですか? 皆さんから『栽培の第一人者』と呼ばれる方にしか手掛けられないほど?」

「栽培が難しいというのもあるでしょうが――」

 それにジルが答える前に、客間の扉がゆっくりと開いた。

「お待たせしてすみません」

 言いながら入ってきたのは幽ノ藤宮だった。出会った時の手荷物は持っておらず、着ているものもよそ行きから緩やかなものへと変わっていた。

「おかえりなさいませ、幽ノ藤宮様」

「はい、戻りました。留守中に何か問題はありませんでしたか?」

 ジルが立ち上がって幽ノ藤宮のために引いた椅子に、幽ノ藤宮が礼を言いながら腰掛ける。

「見学中の女学園の生徒さんが一人、花の刺で指に怪我を。しかしすぐに伊久君が手当をしていたので大丈夫でしょう」

 生徒さん達は今ガラスドームの方に居られるかと、と付け足したジルに、幽ノ藤宮は目を伏せて安堵したようだった。

 目を上げ、ジラルドとデューイの前に置かれたカップを見ると、にっこりと笑む。

「ジルさんのお茶のお味は如何です?」

「初めて飲む味だがとても美味しい。気に入った。我が国で店を出しても繁盛するだろう」

「ジルさんは、わたくしの知りうる中でも一番上手にお茶を煎れてくださる方なのですよ」

「それは過ぎたお言葉というものです、お二方」

 左右に首を振りつつ、ジルはハーブティーのカップを幽ノ藤宮の前に丁寧に置いた。

「幽ノ藤宮様。申し訳無いですが僕はそろそろ席を外してもよろしいですか?」

 元の椅子に座らず退席の申し出をしたジルに、

「あ、長々とお相手させてすいません。……何かご作業中でしたよね」

 幽ノ藤宮ではなく、デューイが反射的に謝った。そう言えば彼は自分たちが訪れた時に玄関で水やりをしている途中だったではないか。

 しかしジルは、お気になさらず、と片手を上げた。

「もう作業は終えております。これから取り掛かるのは別種のフレーバーティーを煎れることですよ。ヴァネシア嬢の元へお運びする分のね」

「でしたら構いません、ヴァネシアさんにわたくしが戻ったこともお伝えください」

 幽ノ藤宮の了承に軽く頭を下げ、ジルは颯爽とした足取りで客間を出て行った。

「――告げるのが遅くなってしまったが」

 残された三人で一段落が着いた状態となって、ジラルドは切り出した。

「僕の本当の名は、ジラルド=サン=シャグナツィアという。本来の身分はシャグナ王国の第一王子で、昨日、国内に向けての継承者認定の発表を終えたところだ」

 結局早々明かす羽目になったと思いつつ、デューイも王子に続いた。

「オレはその殿下の付き人、デューイ=ヴァンダーです……って、なんか全然驚かれてないみたいですね?」

 告白を受けても平然と笑っている。そんな相手の反応に目を見開くデューイに、

「いいえ、これでもとても驚いておりますよ」

 と、幽ノ藤宮は首を振った。

「ですが、納得もしているのです。お会いした時より、身のこなし方から高貴な方であろうことは窺えておりました。それにしても、本当に遠方も遠方だったのですね。よくシャグナ王国からお越しになられましたね、海も挟んでおりますのに」

 内容は似たことを言っているが、その言葉にはヴァネシアから受けたような嫌味は全く感じられなかった。

「えぇまぁ……貿易船ですが直通便も出来たところでしたし、今は海賊もあまり見かけないって話でしたし、何より、殿下が強く望ま――」

「ネッサリアの市長から貰ったクリスタリアの花が気に入ったんだ」

 デューイの説明中ジラルドが横から挟んだ言葉に、

「そうでしたか。では、この後でクリスタリアの樹へご案内しましょう」

 幽ノ藤宮は本当に嬉しそうだった。

「今はもう開花周期が過ぎてしまったので花は残ってはいませんが、それでも見る価値は充分にあると思いますよ」

 その表情のままハーブティーを一口飲んで、やはり美味しいですね、と零した。

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