2-20 泡沫

 12月24日。赤道直下の八洲軍基地に冬は来ないがクリスマスはやって来る。


 その日は八洲軍基地の地上階層で、ささやかではあるがパーティーが開かれた。期間は二日間。仕事の時間にばらつきが大きいがための温情だった。仕事のない者は一日中会場に入り浸り、仕事がある者も終わり次第やってくるため、全職員は100人前後の基地ではあったが、それでもその日の厨房は大忙しだった。


 しまいには基本的に非番のノルンとてるまで駆り出され、リコは食器を洗ったり運んだりと大健闘だった。


 旧軌道エレベーター突入作戦から二か月。破損した二機は既に復元され、羅刹の内部データも精査ののち問題がないことが確認された。照の右腕は完治したものの、やはりまだ違和感が残るという。


 とりもなおさず、平穏な日々が続いていた。


 初日は夜8時にお開きとなり、それ以降は各自でということになった。有須あるすはビールをしこたま飲みダウン。しまいには


「血税で飲むビール最高!!!」


 などと非常に不謹慎なことを叫びだし、すずに米俵のように抱えられて自室へと戻っていった。


 ノルン一行も部屋に戻り汗を流す。その後リビングに集まり、電気を消して小さなケーキにろうそくを立て火をつける。そして三人でそれを吹き消す。


 三人での、四度目のクリスマスだった。


 珍しくノルンと照も酒を飲んでいた。穏やかな夜が更けてゆく。二人からのプレゼントをリコは受け取る。ノルンからは小さな銀色のブローチ。狼を象った、手作りのものだった。照からは日本の中学校で使用されている教科書一式。照の両親は教師をしているそうで、その伝手で送ってもらったのだという。


 それらをリコは喜んで受け取った。眩しいほどの、心の底からの笑顔。いい子に育ったなあ、などと二人は思い、照は泣いた。泣き上戸だった。




 翌日、25日はノルンの意向で静かに、普段通り過ごすこととした。


 八洲軍基地の二日間の休息が終わり、再び始まる仕事の日々に備え、その日は多くの者が早めに床に就いた。




 それは、唐突に起こった。12月26日、現地時間深夜3時、八洲軍基地地下39層。八洲直通海中トンネル、リニアモーターカー発着場。予定のない車両が到着し、そこから現れた八洲軍特殊部隊が、周辺にいた職員を無差別に銃撃した。


 基地内に警報が鳴り響くがすぐに停止。少し置いてノルン、照、有須、鈴をはじめとしたメンバーの端末に前司令から指示が送られてきた。状況Z00 強制査察。規定のマニュアルに従い各自行動せよ。発砲許可。


 飛び起きる。ノルンと照はリコを起こし、司令室へ急ぐために装備を整える。司令室はパイロットがまず向かうよう指示されていた場所だった。


「これ、やっぱりアレですよね」


「発砲許可ってことは多分、向こうも本気だ」


 強硬手段に出る以上、証拠は残さないつもりだろう。万一情報を知る者が全て死んだとしても、他国へ渡るよりはましだと考えたのか。四方どころか360度全てが海に囲まれた円筒状の基地に逃げ場などなかった。


 ノルンは久しぶりに銃を持った。八洲制式の小型拳銃。従来のものより軽量化されたとは言われているが、それでもその金属の塊の重さはしっかりと感じられた。


 そそくさと着替え、慣れた手つきでホルスターに銃を収める照をノルンは眺める。そういえば照は特殊部隊とも繋がっていたんだっけ。


 クリアリングを行い、居住区から司令室への移動を開始。侵入者――同じ八洲軍――の気配は今のところない。であれば恐らく39層の海中トンネルを通って来たはずだ。地下3層にある居住区からならば地下18層の司令室へはこちらの方が早く辿り着く。


 監視基地となっている八洲軍基地に常駐している職員はノルンたちも含め70名。主に羅刹開発に携わる臨時の研究員が約二十名、一般開放区画に住んでいる民間人が12名。


 DDLの事実を知っているのは、ノルン、照、リコ、有須、鈴、前司令の6名。


 その6名のために今、96名の命が危険に晒されていた。


 こんな風に味方の基地が同じ国の部隊に襲撃される展開、昔のアニメで見たことがあったな、などとノルンは思う。それほどに現実味がなかった。けれど今は、全ての職員に連絡を入れ、目に入った者に状況を伝えながらただ、走るしかなかった。





 地下29層。寝室で仮眠を取っていた有須あるすすずも目覚め、すぐ自室のコンピューターの記録媒体を回収し研究室へと向かった。


 二人の研究室は基地中央、地下25層から循環層を除いた最下層である地下170層までを貫くセヴンスをはじめとした機体のドックの中にある。研究室自体は二人の寝室と同階層に位置する場所にあったため、すぐに辿り着くことができた。


 幸い、侵入者はまだドックにはいない。


 有須は迷いなくすべてのコンピュータの記録媒体を電動ドリルで破壊する。使用されている記録媒体はすべて小型のカード型チップだ。細切れにしてダミーと混ぜ、燃やしてしまえばもう復元はできない。


 鈴は記録を全て消し去ることに、少しだけ未練があった。だが有須に言われ、書類や資料を全て燃やした。この状況は、自分のせいだと鈴は考えていた。自分がDDLの正体を解明してしまったから。その事実がどこかから漏れてしまったから。


「逃げるよ、鈴ちゃん!」


 有須が鈴に手を伸ばしている。小さい手だった。鈴は手を取るべきか逡巡する。しかし有須は迷わず鈴の手を掴み、走り出す。


 鈴の手を引き、有須は指定された脱出用の輸送機への経路を急ぐ。衝撃。足元が揺れ二人は倒れ込む。


 すぐに本部の地上階層が爆撃されているのだと有須は気付く。空路を塞ぐつもりだ。急がなければ。しかし二人が走った先、角から全身を黒い装備で固めた人影が現れる。


 彼らは迷わず発砲した。二人は辛うじて切り抜け、すぐさま壁面にあるボタンを押し水漏れが発生した際に使うシャッターを下ろす。


 上手く撒くことができた。だが。


「有須、脚が……」


「大丈夫、かすっただけ……って思ってたけど滅茶苦茶痛いねこれ……」


 彼らの放った弾丸の一発が、有須の右脚を掠めその肉を抉っていた。


「あいつらが欲しいのは私だ。だから!」


「――それでも、あいつらは最後に全部消すつもりだ。だから、だめだ」


「だったら何で! 私が死ねばよかったじゃん!」


「それは、私が、嫌だからさ。ほら、逃げないと――まだ道は繋がってるよ……」


 鈴は有須を背負って走る。基地の中は入り組んでいて職員ですら全てを把握している者は少ない。鈴は知っている道を辿り、上へと急ぐ。


 角の先、出会い頭に、敵がいた。3人。彼らはこちらに銃口を向け、うちの一人が眼前にいる二人が回収対象であることに気付き制止する。だがうちの一人はその命令を聞くことなく、発砲。


 咄嗟に鈴に背負われていた有須がその小さい体の全体重を使って鈴の姿勢を崩す。マズルフラッシュと火薬の破裂音。鈴に弾が当たらなかったことを確認し、有須は持っていたハンドガンを構え、片手で引き金を引く。5発。一発が一人の頭に直撃、三発が残る二人の足と膝に当たる。DDLで満たした防護服でも関節部や視界を確保するための頭には比較的ダメージが通るはずだ。有須の見込み通り三人はよろけ、倒れ込む。


「ラッキー……鈴ちゃん!」


 有須の声で鈴が走り出す。少ない体力をふり絞り、逃げる。


「あいつら、一瞬撃つのを躊躇した?」


「多分、私たちがデータを破壊したのに気付いたんだ……けど、さっきの奴らの武器、アメリカが制式採用してるやつだ……まさか……伝えないと……」


 この襲撃に八洲だけでなくアメリカも関わっているのだとしたら、もう逃げ場などない。それでも、鈴は足を止めることはしなかった。有須がいるのなら、走り続ける理由がある。走り続け、第20層の表示が見えた。目的のブロックまであと2層だ。と、鈴は肩口に生温い感触があることに気付く。


 血だった。――誰の?


「有、須?」


「大丈夫、ちょっと、むせた、だけ……」


「有須ッ!」


 むせるだけで血を吐くはずがない。鈴は有須を下ろし、状態を確認する。


 有須ご自慢の白衣が、時代遅れだと言っても頑なに譲ろうとしなかった白衣の脇腹から下が、赤黒く染まっていた。


「嘘、うそ、うそだ……」


 先程の銃撃だった。


「私が死んだら、それで終わるのに――」


「さっきも言ったじゃん。それは、いや、だって」


 反響する足音が聞こえる。すぐそこまで追手が迫ってきている。再び有須を抱え逃げるがついに鈴の体力も尽きる。爆撃とは違う揺れに足を取られ、鈴は転ぶ。


 ひどい捻挫だった。鈴は隣にあった倉庫として使われていた部屋へと辛うじて隠れ、有須の怪我の治療を優先した。まずは止血だ。自分の、有須に半ば押し付けられる形で貰った白衣を破り傷跡に押し当てる。しかし止まらない。破り、押し当て、破り、押し当て。想い出の白衣が赤く染まっていく。


「もういい。鈴ちゃん。自分の足、なんとかして、逃げな……」


 二人の積み重ねてきた研究データは全て破壊した。書類や資料は全て燃やした。二人が生きてきた足跡はすべて消えてしまった。そして今、自分の命すらも消えかかっている。


「鈴、ちゃん。ごめんね……」


「なんで、なんで……」


 研究データが失われていると気付かれた以上、恐らく彼らは躍起になって鈴を探しにくるだろう。自分が彼女を守らなければいけないのに。


「約束、まもれないや……」


 生きている以上いつか終わりがくることは理解していた。クレイドルシステムの謎の解明のために生きていた。それは開発者によりあっけなく答えを出され、生きる意味などもうないはずだった。なのに、どうしてこんなにも悲しいのか。どうしてこんなにも生きていたいのか。有須は思う。


「そっ、か。鈴ちゃんのこと、大好き、だからか……」


 我ながらこの年にもなって大好きなどという幼い感情にこんなにも思考が支配されてしまうことに驚く。だが事実だ。小糸有須は、周詞鈴を愛していた。


「こんな時になに言ってるの。血が、血止まらない……なんで……なんでッ!!」


「科学者は、みんなロマンチスト、だから」


「だったら足掻いてよ! 今を変えてよ! そう言ったのは自分じゃない!!」


 腹部が焼けるように熱い。汗が吹き出る。眩暈でぼやける視界と意識の中で、鈴の声だけがクリアに聴こえる。こういう時、遺言のようなものを言っておくものだと有須は思い出した。


「3年前、軍なんかに誘って、ごめんね……」


「謝らないで! 私たちが一緒になるたったひとつの方法だった!」


「約束、守れなくて、ごめんね……」


「まだ有須は生きてる。そこにいてくれてる。だから約束は破られてなんかない!」


「好きになって……」


「それ言ったら、死んでも、絶対、許さない……!」


 鈴がここまで声を荒げるのを、有須は出会ってから初めて聞いた。


 本当にかわいいなぁ、この子は。案外、こういうのも悪くないじゃないか。有須は思う。何故か謝ってばかりになってしまった。よくないなぁ。伝えたいのはこんなことじゃないはずなのに。鈴ちゃん、最後まで自分を愛してくれて。最後まで一緒にいてくれて、


「……ありがとう……」


 小糸 有須は、そう言って、死んだ。


「大丈夫。私たちの作ったものは、私たちだけのものだよ。私たちも、私たちだけのもの」


 鈴が逃げ込んだ倉庫は、本部が完全制圧された際に機密保持のため最初にパージされる基地外周ブロックの端にあたる場所だった。先程の揺れが外壁へのDDL供給を停止した揺れだったことを、鈴は知っていた。有須の治療が上手くいったらすぐ逃げて、ダメだったらここで終わろう。そんな判断ができていたことに、鈴は自分が嫌になる。


 再び、地震にも似た衝撃とともに空間が動くのを鈴は感じた。外壁のDDLによる対水圧防護はもうない。次第にここは押しつぶされ、海の藻屑となるだろう。


 暗い、暗い海の底へ落ちてゆく。遠くから鈍い金属の軋む音が聞こえてくる。きっと外は冷たいだろう。しかし鈴は恐怖しない。有須に残った微かな温もりだけを抱きしめながら、静かに目を閉じる。


 自分を愛してくれた、自分の愛した人に、最後の自分の思いを伝えながら、深く、深くへと、沈んでゆく。

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