1‐16 接続

 未宙は、どこかにいた。どこか、というとあまりに抽象的に聞こえるかもしれないが、未宙自身、ここに自分がいることは理解しているがここがどこなのか分からない。故に『どこかにいた』と表現するのが妥当であろう。


 景色は、一面の白い床と濃紺の空のみ。地面はどこまでも続いており視線の彼方に白一文字の地平線が見える。空には天井がなく超高空を想起させるダークブルーで塗りつぶされているが星はない。


 未宙は浮遊感を感じる。地に足がついていなかった。そして今自分がゆっくりと下降していることを理解した。床に足が触れるとその点を中心にして波紋が広がってゆく。何らかの液体が表面を覆っていた。冷たくも無く、温かくもない。かといって不快感はなく、寧ろ心地よさすら感じた。そしてそれは光源でもあった。床が淡く輝いていることを未宙は見た。


 何もない世界。これがあの世だというのならあまりにも虚無的すぎると未宙は思う。自分が天国に行けるなどとは思っていないが、せめて何かしら賑やかしがあってもいいものだ。せめて、リザだけでも。私が死んで、機体が破壊されたのなら、リザの魂も解放されるべきだ。そう考えながら、周囲を見渡す。


 後方、遥か向こうに、何かがある。黒い板のようなもの。空よりも黒い何かがある。未宙は無意識にそちらに向かい歩みを進めていた。


 どれほど歩いただろうか。確かに近づいているのはわかる。だが一向に接地面が見えてこない。それほど巨大なのだろう。


 また、歩く。疲労はなかった。そしてたどり着く。


 頂上が見えないほど巨大な、黒い板。黒と言う概念を塗り固めたかのような黒そのものと言うべき黒。そこだけ空間に穴が開いているかのようだった。


 その下方。黒と対照的な、白。主張しすぎない控えめなドレスに身を包んだ少女がいる。


 リザ。リザ・オルロが、そこにいた。


 未宙は駆け寄ろうとする。しかし


「だめ」


 リザの声で止まる。本当に綺麗な声だと未宙は思った。


「ここは、どこだ――?」


 問いを投げかけた瞬間、未宙は全てを理解する。


 ここが、クレイドルシステムの内部であること。


 接続深度を限界まで高めた適合者にのみ開示される、システムの最後の機能であること。


 並列稼働する6基のコンピューターの情報を統合処理、最終意思決定を下すパイロットの脳から、意識という最終意思決定機能をシステム側に与える場所であること。


 そうすれば意識はシステムによって最適化され、機体と本当の意味で一つになること。


 ここから先に行けば、リザと同じ場所に行けること。


「――リザ」


 未宙は足を踏み出す。リザは止める。


 リザは何とかして未宙を思いとどまらせなければならないと思った。リザは未宙のことを愛している。自分を救ってくれた、傍にいてくれた未宙のことを大切に思っている。こんな、人でなくなってしまった自分を見つけて、それでも繋がっていてくれた未宙が大好きだ。


 だからこそ、未宙が自分のがわに来てしまうことが許せなかった。


 既に死んでしまった自分とは違い、未宙は生きている。ひとりぼっちの、未宙しかいない自分とは違い、未宙には未宙のことを大事に想ってくれる人がいる。この前命がけで自分に会いに来た人の中は、未宙のことでいっぱいだった。


 未宙には未宙の生きる場所がある。それを、自分のせいで捨てさせるなんて、できない。


「未宙!!」


 それでも未宙は止まらない。リザは叫ぶ。抱きしめられる。七年ぶりの、未宙の体温だった。


「どこにも行かないって言った。離れたりしないって言った。なのにあたしは手を伸ばして引き留めることすらできなかった。やっと会えたのに、もう手を繋ぐことすらできなかった」


 リザは、未宙が泣いているのを感じた。そして、自分のさせた約束が未宙をこんなにも縛り付けているのだということに、今になって気付いた。


「やっとこうして、リザを感じられる。触れられる。だから、もう二度と離れたくない」


 ここには、二人の質量が確かにあった。体温が、重さが、吐息が感じられる。


 けれど、夢の時間は終わりにしなければならない。リザはこの約束と言う呪いを解かねばならないと思った。


「わたしは、選ばれちゃいけない。わたしはただのデータだから。未宙が知ってる、未宙が愛してくれたリザ・オルロじゃないから」


 それは事実だった。自分という存在はかつて生きていたリザ・オルロという存在が命を落とす間際にクレイドルシステムの機能によりブラックボックス内にコピーした意識でしかない。自己同一性はあっても異なる存在であることを、リザ自身が最もよく理解していた。


 けれど、何故だろうか。涙が、止まらないのだ。


 ただのシステムがどうしてそんな生理現象まで再現するのだ、とリザは思う。また未宙に心配をかけてしまう。未宙は優しいから、優しすぎるから、きっと私のために命だって投げ出せてしまう。その確信があるからこそリザは、未宙を突き放さねばならなかった。


「――愛してる。大好きだ」


 未宙はリザにとって最も欲しい言葉を、いつもくれる存在だった。それは、こんな時でも同じだった。


「なんで」


「リザが何て言おうと、あたしがどうなろうと、あたしは、今ここにいるリザのことが大好きだ」


 そんなこと、初めから分かっていた。未宙がクレイドルシステムで機体と繋がっている間は、その意識や考え全てがリザに通じる。だからこそ二つの意識で一つの機体を制御できる。


 知っていた。分かっていた。けれど、とリザは思う。言葉にして伝えてもらうことが、こんなにも嬉しいのだと。


「ずっと、ずっと会いたかったんだ。ずっと一緒に居たかったんだ。ずっと一緒に居たいんだ。だからこれからもずっと一緒がいいし、ずっと離さない。ずっと、繋がっていたい」


 殺し文句だった。リザは折れた。


「もう、もどれないよ」


 どちらともなく、互いの手を取る。触れた指先の温度が融けそうなほどに熱い。


「それでいい」


 黒い、途方もなく巨大な板は今か今かと二人を待ち構えているかのようだった。


「どこに行くの?」


 一歩、二人は歩み寄る。互いの髪が触れる。


「わからない。わからないけど、これを終わらせたら、いろんなところに行こう。空よりも自由で、誰も行ったことのないところまで、二人で」


 二人は、互いの瞳に映る自分を見た。そこに映るのは紛れもない自分自身で。


「旅みたい」


 二人は、どちらも優しく、満足そうに微笑んでいた。


「それもいいだろ?」


「うん、未宙と一緒なら」


 唇が触れた。少し、冷たかった。 






















 二人の世界を、白が覆う。

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